つぶやき |
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記録:ここに、2014年06月10日04時11分 「グロに耐性のある人だけちょっと来てください」というタイトルの質問用呟きを行い、水音様、N.C様の計2名に貴重な意見を頂いたことを記録します。 予定通り質問を削除しましたが、2名のユーザーがコメントを下さったという事実に感謝の意を示し、このようなつぶやきを残すことを決定しました。 なお、質問およびお二方の回答は一応テキスト形式で保存しましたので、万が一閲覧が必要ならばお二方にのみ情報を開示したいと思います。 |
三点リーダーを使ってません。「…」っていうこれを。理屈とか理由は特になく、なんとなく美しくないなと思ってずっと使わずに過ごしてきました。 でも小説の書き方としては「・・・」ではなく「……」が正しい間の開け方というのが基本的な書き方とされているのは存じてます。時には3点リーダーを使ってないだけでキレ始める人も(一回だけですけど)見たことがあります。 これはやっぱり直した方がいいのか?今から全部修正するのは流石に面倒だけど時間があればできるし、これから使うことも出来ます。多分やり始めれば「……」にもすぐ慣れるとも思います。 そこでちょっと質問です。皆さんはは小説を読むとき、三点リーダーが使われていないと気になりますか?宜しければ参考にさせてください。 >短パン小僧さん、N.Cさん そんな事より中身を詰めろって言われた気がします(勘違い)。細かい作法よりも読んで面白いと思ってもらえるかの方が重要ですね。 >六仁祝さん 文字数調節ですか、考えたこともありませんでした。三点リーダー使わないと文字数的には増えて水増しみたい、とかなら考えましたが。ちょびちょび試してみて、いけそうなら次の新作とかでやってみようかな・・・ 自分は上記のように使う人間ですが、そういうのは個人の自由ではないですか? ちなみに、自分は三点リーダーが無いと最初は違和感を感じて『おや?』となりますが、相手の作風なので違和感というよりも一種の確認作業に近いものがあります。 結論。あんまり気にしません。だって相手の作風の一部ですし。 「・・・・」よりは「……」の方が使い勝手はいいかと思われます。 同じ三点でも「・・・」は3バイト、「…」は2バイト。 僅か1バイトの違いですが、この1バイトの差が後々響く場合がありますし…… ただ、今から過去に遡って書き直す必要はないと思います。 それを書いていた時点では「・・・」が良いと思って使われていたのでしょうから。 もし使われるなら、此れから先の作品で使われる事をお薦めします。 尤も、使う使わないを決めるのは書き手さん個々人の判断なんですけどね……。 横やり失礼しましたm(__)m はじめまして短パン小僧です。 コメント見ました! 僕は別につけなくてもいいと思います。つけるのは作者の自由ですし。 必ずつけなきゃいけないわけじゃないと思うので・・・ 取りあえず、はい。頑張ってください!! |
新品の設置と修理ではかかる時間が全然違うなぁ、などと的外れなことを考えながらも、エアコン復活しました。扇風機買おうかもなんて舐めたことを考えてたら網戸の隙間から侵入した蚊(カンス)の襲撃を受けまして、綺麗に眉間をぶっ刺されたので窓開けは諦めました。 最近増えてきましたね、夏の3大悪魔が一種、モスキート・ザ・マローダー(名前ダッサ!)。深夜に音もなく侵入する癖に耳元で盛大に羽音を撒き散らし、刺したいだけ刺しまくって家の中をふらふらするクソッタレ生物クンの襲撃は何年経っても慣れることはありません。藪蚊じゃない分ちょっとはマシですが・・・そういえば蚊に刺されたら塩揉みが効くらしいです。 閑話休題。結局原因は室外機内部の配線がどこかおかしかったみたいです。一日で直って本当によかったし、修理費が管理会社持ちなのも幸運でした。昨日暑くて寝れなかったり蚊に刺されていつもより3時間早く起きたりで寝不足なので、今日は枕を高くして眠れそうです。 |
冬にぶっ壊れて新調したエアコンがまたぶっ壊れました。具体的には温風と呼んで差支えない風しか噴きやがりません。除湿も冷房も駄目、色々弄ってみましたがお手上げです。他の故障例と照らし合わせると、恐らく室外機の何かが故障していると思われます。 よりにもよってこの無風に等しい夏の夜に・・・いや、冬の時もそうでした。恐ろしく寒い中突然動かなくなったアンニャロウのせいで執筆が辛いのなんの。もしチーがちょっとばかしシリアスに入ってた時期だったのでよく覚えてます。この忙しい時期に、酷使してもないのに壊れるとは・・・現代に付喪神はいなくなってしまいましたか。 とにかく、暑いです。今日寝れるかな・・・? 今の時期なら窓を開ければ辛うじて生きていけますが、生憎と私の部屋はご近所でも有数の日当たりのよさを誇りましてね・・・真夏になると壁から熱気が感じられるんですよ・・・ふふふ。あと、残念なことに扇風機持ってません。 賃貸なのでひょっとしたら無料修理の可能性もあるんですが、無理なら扇風機買って頑張ってみようか・・・いやいや正気になれ私。ここは熱さの余りノイローゼになった人もいるという曰くつきの町だ・・・! 扇風機があって窓全開にしておけば快適に寝れる程度の気温ではありますね。都市部あたりだと暑そうですけど。 この際、扇風機一つで夏を乗り切る強行軍に出てみてはどうでしょう? |
最近広告だの何だので「ロボットガールズZ」なる物が出回ってますね。流行ってんのかまでは全く以てわかりませんが、この前本屋に漫画も置いてありました。批判したくはないけれど、嫌いです。 こういうのって「取り敢えずマジンガーの名前くらいは知ってる」っていう人たちにとっては面白いんでしょうか。私と一緒にゲーム世界で共闘したり漫画で読んで応援した戦友たちが女の子の姿になっているのを見ると・・・遣る瀬無いです。やめてくれと思います。女の子は可愛いけどマジンガー達スーパーロボットとは分離させてほしいです。理屈じゃなくて浪漫がそう感じてるんです。 そして決定的に嫌になったのがオンラインの宣伝文句の「敵を町ごとフルボッコ!!」。これには(自分としては珍しく)閉口しました。 というのも、マジンガーのパイロットの甲児は原作漫画ではマジンガーを暴走させて、敵もいないのに町を破壊してしまったことがあるんですよ。そのシーンこそが「神にも悪魔にもなれる」という言葉の象徴で、甲児はそこでマジンガーの力の恐ろしさを実感するんです。それを・・・あんなに軽く扱われるとは。 マジンガーはテーマ曲では正義とか言われてますけど、特にZとマジンカイザーは悪魔と切り離せない存在なんです。マジンガーに人生捧げるほど見まくってはいないけれど、これは幾らなんでも酷いですよ。 永井豪先生的には全然アリと言ってる人もいました。たしかに先生の作品はかなりマジキ・・・もといものすごくはっちゃけているものが沢山あるんで理解は示します・・・マジンガーとガールズは別のものと考えろって言うのは分かります・・・嫌なら見るな、ですか・・・それも分かります。分かってるんです。硬派ぶってる頑固な奴が目障りなのは知ってるんです。知ってるんですけど・・・ その、あれを見ていると心が傷つくんです。 でも傷つく自分が世間から見ればちょっとおかしい存在だってことも何となく分かるんで、それが余計に切ないんです。でも世間ではあの存在を認めているのだから、私もこの悲しみを乗り越えなければいけない。その踏ん切りをつけるために、ここに呟かせていただきました。 |
本場のウーロン茶は甘いんですよ。いや、知ってる人はだから何だって話ですし本場にも行ったことないですけど、実家からちょろまかした鉄観音ウーロン茶を淹れてみたら後味がほんのり甘い。結構淹れ方は雑だったんですけど、それでもちゃんとわかる甘さということはこの茶葉結構高級品だったのでは・・・?ま、まぁいっぱいあったからこれくらい大丈夫なはず! と、都合のいい自分の考えに甘えて人は生きています。脇の甘さ、詰めの甘さ、見通しの甘さなど、一言に甘いと言ってもそれが食べ物の甘味とイコールではないのは皆さんご存知のことと思います。でもそういう甘さは人間らしさの裏返しでもありますから、必ずしも悪いことではないとも考えるのです。 この人間的な甘さというのは小説のキャラで文字に書き起こして表現するのが(個人的に)難しい。何所まで甘えさせて、何所から甘えを排除するのか。二次創作ばっかり書いてる私ですが、オリジナルの主人公にはついつい理想の行動を求めがちです。間違ったことばかり言って間違ったことばかりして、すぐに周囲に甘えるような主人公では二次創作に求められる(と個人的に思っている)手軽な面白さから大きく遠ざかってしまいます。人間のそういう醜い所を重点的に描く作品や勘違いモノならそういうのもアリですが、主人公にそれをさせるというのは抵抗があるものです。 しかし、そんな人間らしさを削いでしまったら出来上がるキャラクターは相当不気味。精神的超人というのでしょうか、それとも思考の何所かが突き抜けてしまったのかは分かりませんが、常人が言葉に出来ない不気味さを感じる「人間らしくない」キャラの出来上がりです。オリキャラに強固な意志と精神を持たせすぎると、今度は余りにも他人から共感を得られないキャラクターになってしまうのです。最近は自分がこれをやってしまっているのではないかと内心でびくびくしてます。 周りに当たり散らしたり、感じが悪かったり、その癖臆病だったりと精神の脆さを持ったキャラは、批判を浴びると同時に人間らしいという共感も得る時があります。そういう精神から見ると、精神的超人と言うのは異常なのです。自分の正義を盲信して敵に突っ込んだり、他の人々が命がけな中で一人だけメンドクサイだのダルイだのと言っているようなキャラは、正直言って怖いです。まるで人間ではないような錯覚を覚えます。 つまり、もっと人間臭くて不完全で堂々と何かを間違えるようなキャラクターこそが人間らしいのではないか、と私は考えたわけです。人間的な甘さを捨てきれないキャラを書きたいと思ったんです。 と言う訳で非公開のものを書いてみましたが、これが何とも・・・ ISの男主人公と言う安直なヤツでやってみようとキャラ作り。せっかくだから不幸キャラにも挑戦だ。そういえば両親とやたら仲のいい主人公をよく見るから主人公の家族関係にバンカー2,3発撃ちこんで悪化させておけ、といろいろやって作ってみた所、当初の予定と結構かけ離れてしまい・・・ ・学園到着前に自殺を図ってリストカット ・学園到着時点で完全な人間不信 ・セシリアを見て「こいつ俺の知ってるタイプのいじめっ子だ」と変な方向で順応 ・のほほんを政府が寄越した監視者か何かと勘違いして全力無視 ・IS学園の職員も政府に何か吹き込まれているかもしれないと警戒 ・自分の専用ISに八つ当たり ・山田先生を本気で射殺しようとする ・・・と最早訳が分からないキャラに。思想も甘いといよりは逃げが多いような気が。これも私の見通しの「甘さ」ゆえでしょう。皆さん甘い自分に気を付けましょう。 最後に、そんな自分に甘々な私自身を戒める言葉として。 「甘えてんじゃねえよ!」 私としては他人の価値観から来る意見は宝物だと思っているので有り難いですよ。自分の見えて無かったところが見えてきますから、そういうのは本当に貴重な意見です。 二次創作の原作世界観は作者さんにとって扱いの分かれるところですね。何が正解って言うのが本当にありませんから。ぶち壊してるのに面白い作品もあれば、原作に沿い過ぎてツマンナイ作品もあります。中途半端が一番見ていて嫌なタイプなので、どれだけ元作品の世界にインスピレーションを働かせられるかで大きく左右されます。反面、そういう方向性ばかり考えるとオリジナル小説を書こうとするときに勝手が掴めなかったり・・・ 先生射殺未遂は、アレです。色々と非常事態が起きた末にグロ死体を見てパニックになったオリ主くんは、助けに来た先生を被害妄想から自分にとっての敵ではないかと疑心暗鬼に陥って・・・と言う感じです。 暗い話を描くのが初めてなのでいろいろ試してるところもありますが、多分やりすぎです(笑) キャラクターのそういう『甘え』って難しいですよね。ある意味、狂人のほうが個人的に書きやすいんですよ。『普通』って極論ですが、要するにぶれることですからね。我を通すというと聞こえはいいですけど、普通、どのような状況でも我を通してしまう人間って、狂人と同じですから。 自分も、そういった個性の作り方でついつい甘えてしまって、いつの間にか狂人の巣窟が出来上がることが多々あります。オリジナルは、たとえ全員狂人でも一種のコンセプトとして扱えるからいいんですけど、二次創作だと、原作者さんのキャラクターの個性と自分のイメージするキャラクターの個性をすり合わせたりする必要があるし、しかも原作者さんが既に作り上げている世界観を使うわけですから、そういった感じだと、オリジナルより二次創作のほうが難しいんですね。 二次創作が上手く書けない身からするとそういったところが凄いと思います。 でも、その非公開IS二次も、箇条書きだけ見てみても凄まじいですね。というかいくら不幸キャラでも最後の項目はやらないのではないかと思ったりして。それも踏まえて訳が分からないんですね? 長文の上に脱線や烏滸がましい発言、大変失礼いたしました。 |
言われると気になってくる小物気質。というわけで法律の観点からちょっと見てみようかと思いまして。その辺の事を知っている人はバックして、暇な人だけ見てください。あんまり特別なことは書いてません。 違法なのはどこからどこまでか、というのを考えると面倒くさい。何故なら同一性保持権とか複製権とか、著作物に関して著作者が持つ権利が多いからです。だから違法な所ではなく合法な所を探してみると・・・「引用(著作権法第32条)」という所にそれらしいものがあります。 というかぶっちゃけ歌詞の転載とかはあんまり明記されてない・・・法律によって規制したり許したりする対象が違ったりするので引用以外は適用されてんのかどうか・・・法律家の先生に聞かないと細かい部分は分かりません。 で、本題。「引用」って何? 同法32条一項には、 「公表された著作物は引用して利用できるよー」 「でも引用の範囲内を越えたらそれは駄目ねー」 ということが書いてあります。 (ちなみに同条二項には「著作者が引用を禁止にしてたらそれに従いましょう」ともあったり) では判例(※)はなんか無いのか?というと、こんなのがあります。 「~引用にあたるというためには、引用を含む著作物の表現形式上、引用して利用する側の著作物と、引用されて利用される側の著作物とを明瞭に区別して認識することができ、かつ、右両著作物の間に前者が主、後者が従の関係があると認められる場合~(昭和55年3月28日の最高裁判例より引用)」 (※判例というのは裁判所の出した文言で、後に続く法律問題は特別事情が無い限りこれに従います。お手本みたいなものです。) 文章見ただけじゃ何が何やらわからないので簡単に言うと、 ・それが引用だと分かるようにはっきり表しており(明瞭区別性) ・かつ引用部分はあくまでついでで自身の著作物がメイン(主従関係性) が必要だと。他には、 ・「引用」という言葉の性質上、引用した部分についてきちんと言及すること。 ・それと、引用元を明記していること。 この4つが認められて初めて引用と認められるみたいです。後はまぁ、度が過ぎた量の引用は引用として適切でないとされます。これを破ると権利者に訴えられた時に言い訳できなくなる訳です。 この理屈で言うと歌詞の引用は殆ど違法なんじゃないかと思えてきますが、それはさておいて。 著作権法はことネットなどのデジタルメディア関連には対応しきれてない部分があちます。ぶっちゃけ非営利のネット小説でちょこっと引用しただけで罰金というのは余りにも厳し過ぎますし、深刻な権利侵害かと言われると首を傾げます。法律ではっきり明記してなかったり判例が無かったりするからここまで限定されている訳であって、この辺の事情は将来的に変わっていく可能性があるんじゃないでしょうか。 という訳で。細かいところを突き詰めるとぼろが出るかもしれませんが概ねこんな感じです。ただ、この範囲にあったとしても肥前のポチ様がダメと思えば消される可能性があるので・・・ちょっと自分の小説読み直してきます。自分の知らないうちに作品全部アカウント削除でパーにされたらたまんないですからね。バックアップなんて取ってないし。 歌と歌の間ならフレーズが似てるのは問題ですが、たかが1,2程度なら偶然の一致も有り得ます。それと同じように小説と歌の歌詞が偶然似たりすることもあるでしょう。「これは流石に偶然の一致では済まされない」と判断されない限り問題にはなりません。 同一性保持権というのは、要するに「元の著作物のイメージを壊すような改変をさせない権利」な訳ですから「元の著作物」を断定できるかどうか・・・そこから明らかに一つの歌を特定できる内容かどうかがJASRACに料金請求されるかの明確な分かれ目みたいです。 ・・・これも相当曖昧な基準なんですよね。というか多くのアーティストがJASRACにその辺をまかせっきりにしてるので、JASRACとしては拡大解釈すればするほどお金になります。だから権利を濫用している感も否めません。元の著作者が「それ位ならいいだろ」と思う内容も必要以上に「権利侵害だ!」と言っている、と考えることが出来る訳です。 著作権は著作者の権利を守って文化の発展に寄与するのが立法目的なんですが、ここから先は契約とかの話になります。独占禁止法へ話がシフトしそうなのでここまでにさせてもらいます。 今回の厳しいルールもこのもめ事を避けたかったんじゃないですかね。 偶然、台詞や表現が似て居てもマズイの、と言う事です。 例えば、昔に有った『松本零士』と『槇原敬之』の盗作騒動ぐらいのレベルでも、と言う。 尚、件の騒動は確か、松本零士氏の敗訴で終わったはず。 でも、素人の私の目から見ると……。 この辺りが非常に曖昧で、一フレーズでも似ている所があったらダメならば、最早、日本語で文章を綴る事すら不可能な状態と成りますから。 極端な例で言うなら、『愛』と言う単語だけでもアウト、と言われるかも知れない。 本当に、こう言う部分も明確な規定が欲しいですねぇ。 歌に限って言えば、偶然の一致なら問題ないですけどちょっと細かいところや発音を変えたりしてるだけで内容が同じなら違法ですかね。(・・・というより、それは引用とかじゃなくて同一性保持権とかの問題なので引用とは別ですね。)替え歌とかは二次著作物という扱いになるので、公の場に公開する場合は元の権利者の許諾が必要です。的外れなこと言ってたらすいません。 でもネット世界の住民がこれらの決まりを全部守っているかと言われるとノーな訳で、その辺が適正な法整備を進めるうえでいろいろ考えなければいけない所です。そして何より法律がオッケーだと言っても肥前のポチ様がオッケーと言うかが私たちにとっての問題なんで、あんまり参考にならないかも・・・ 流石に、全部合わせて160万文字が吹っ飛ぶと、人生まで吹っ飛びそうな気分に成るのですが。 バックアップは有るけど、それは暁に公開した時の分で、それ以後、誤字や表現が気に入らなくって手直しした分ではないし。 う~む、私も見直した方が良いのかなぁ。 |
兄は探していた・・・2年前に行方不明になった自分の弟の行方を。しかし、再開は突然に訪れる! 「俺達は魔王を倒したはずだろ・・・それが、何で魔王城じゃない所に?」 「フーン・・・明らかに私達の世界とは文化レベルが違うわネー」 「ワフッ!!」 「ここは、この街並みは・・・まさか!?」 「知ってるの、勇者!?」 そこにいたのは、間違える筈もない弟!随分逞しくなっているが間違いないと兄は確信する! ・・・と同時に、その恰好を見て思わず呟いた。 「お前、世界でも救ってきたのか?」 「へっ!?な、何で兄貴がそれをッ!?」 弟のその姿は・・・どーみてもドラゴンなクエストの勇者だったのだ!! という感じの短編を思いついた。タイトルは《俺の弟が勇者になって帰って来たんだが俺は兄としてどうすればいいと思う?》で。 どこまでも庶民的でポーカーフェイスな兄と仲間まで連れて帰郷してしまった弟勇者のギャグコメディって感じだけど、ギャグセンスがないのでそこで止まってしまったのです。さようなら私のアイデア。此処を物語の墓地とします。 |
たまーに友達の家にお邪魔した時に、何故かやったこともないゲームのコントローラを回されることがあるんです。回されるのは専ら「機動戦士ガンダムEXVSFB」。当然ながらその場でしかやったことが無いので出来るのは動かして撃つだけで、どのボタンで何が出来るかは半分くらいしか把握してないのです。コストとかもよく分からぬ。 しかしそういう時は大抵誰かを待ってたり予定の時間まで間があったりなので退屈な時間。よって奨められれば4回に3回くらいはプレイする訳です。・・・が。 「取り敢えずコレンカプル使うか」 「お前ふざけんなよ(゚Д゚#)」 怒られました。性能的にふざけてるそうです。解せぬ。 これでも一度カプルで(AIレベル最低の)ストフリを撃破したことがあるのに・・・結局Ez-8使うことになりました。ちなみに友人はサイコガンダムの掴み攻撃がどうしても避けれず「俺はもうサイコガンダムとは戦わない」って漏らしてました。 あんまり人のやることにケチ付けない友達だったので「珍しい事もあるもんだな」と思いました。コレンカプル・・・駄目かなぁ。 |
初めて読んだ本が何だったかは覚えてません。 11匹の猫だったか?14匹のねずみだったか?あるいは腹ペコあおむしか、もけらもけらか、もしかしたら五味太郎さんかレオ・レオニさんの作品だったかもしれません。でも初めてであることは多分重要ではなくて、自分がその作品にどんな意義を見出したかが重要な訳で。 まだラノベという物に興味が無かった頃・・・本屋で発見したアレ。 表紙には「戦うボーイ・ミーツ・ガール」とでっかく書いてあったそれを私は手に取りました。切っ掛けはスパロボで見たことあるとかロボット物らしいとかそんな曖昧な理由でしたが・・・とにかくそれから数年して、私の中でそのシリーズ――「フルメタル・パニック!」は文字書きとしての原点であり、聖書のような存在になったわけです。 GW中に実家の倉庫から引っ張り出したフルメタは結構風化して色褪せてましたが、読めば思い出が鮮明に蘇る。全部は読めませんでしたが、数冊を夢中になって読み返しました。何が面白いって言うことを説明しだすと多分言葉が纏まらないのですが・・・まぁそれだけハマったのです。なんとなく原点回帰した気分になりました。 皆さんにもやっぱりありますか?今、このサイトで文字を打ち込むことになった切っ掛けが。 セカンドストーリーは確か倉庫に漫画が置いてあったはず・・・というどうでもいい情報はさておき、仮面ライダークウガは私も大好きでした。 ガンダムが好きだからガンダムを描く・・・好きなものを好きな風に書くのは文字書きの存在意義みたいなものですから、とってもいいと思います。というか羨ましい。フルメタは二次創作作るには結構ハードルが高いので・・・いつかなんか書きたいな。 我ながらバイブルは言い過ぎだったかな?などと思いつつ、でも手垢が付くくらい夢中になったのはあれしかないのでバイブルと書いてみました。自分の文章を振り返ってみても、影響受けてるっぽい所が多いし。それはさておき。 3,4人くらい影響受けた人がいるのが普通なんだろうか。私は本当に小説のチョイスが雑で、シリーズものを揃えたことが数えるほどしかない程度に滅茶苦茶な読み方をしてました。アフリカの象が密猟されてヤベーという本、よく分からない推理物、姉の持ってた単発ラノベ、アニメ原作の小説など。国語の教科書も無駄に読み込んでました。こうしてみると私って文字書きとして邪道なんだろうか? うちは姉も物語書いてましたが、見せてもらったことは無かったなぁ。読書量がなまじ多い分、自分の作品が他人に見せられたものじゃないという自覚があったんだろうけど。かくいう私も未熟者の身なので、自分の作品を他人に見せるのは未だにちょっと恥ずかしいです。 ともあれ、原点って言うのはそれが何であれ大事なものだと思います。言われるまでもないとは思うけど、大切にしてください。 色んな人から影響を受けてるんですね。私は恥ずかしながら物語を読んで作者は見ない性質が強いので、名前を挙げろと言われると言葉に詰まります。特定のジャンルを読み漁らず面白そうなものを片っ端から齧っていた弊害がこんな所で出るとは・・・ 今まで読んだ多分一番有名な本は「バスカヴィル家の犬」、文字書きのきっかけはやはり賀東招二氏しか思いつきません。漫画ならいくつか心当たりが無いでもないけど。 ここに来たきっかけは、元居たサイトでスランプに陥って別のもの書きたいなとやってきたのがここでした。向こうより開放感があって好いております。ジャンルによって落差が凄いサイトだったんで、こっちのほうがアクセス数も評価も高かったりします。 バイブルかはともかく、最初に読んだラノベは『狼と香辛料』でした。中学当時、自分は漫画ばかり読んでいたのですが、学校の図書室で何気なく手に取ったこの作品を読んで、ライトノベルというものにハマった記憶があります。ものすごく簡単に言うと、『何だこれ素晴らしい!』って感じですね。 自分は移り気な人間なので、正直『バイブル』と大仰な雰囲気ですとどうしても思いつきません。ただ、最初に虚淵玄先生に影響を受け、次に鎌池一馬先生に影響を受け、最後に西尾維新先生に影響を受けて今ここにいます。 ちなみに、このサイトに文字を打ち込むようになった切欠は、最初は会員制のない、スレッド方式の小説投稿サイトに投稿していたのですが、3,000文字という厳しい文字数制限の中やっていくうちに他のサイトを探すようになり、『小説投稿サイト』と検索してここに辿り着いたのが始まりです。今でも、メアドを手に入れるためにGmailに登録することを懇願していた自分が容易に脳裏に浮かびます。 なんだかとんでもなく違う方向に行きますが、自分の原点は『兄貴』です。自分の兄貴も話を作るのが好きで、一日中それを考えて夜になると自分を巻き込んで物語を話していたのを覚えています。少々強引だったり設定が細かかったりしたんですが、その時に、大袈裟ではありますけど物語などに携わる楽しさを覚えて、そして『狼と香辛料』を読んで完全に目覚めた感じですね。 昔から既に仲間を作って未熟極まる作品は書いてはいましたが。 長文、失礼いたしました。 タイトルを覚えて居て、有名な本と言えば、『キャプテン・フューチャー』かな。 小学校1、2年生の頃、週末に図書館に通って居て、そこで借りた本だった。 日舞とか剣道とかやっていたから、忙しかったのですけどねぇ。 それに、難しくって良く判らなかった記憶の方が大きい。 影響を受けた作家なら、菊池秀行と田中芳樹かな。 このサイトに流れて来た理由は……。 前に居たサイトが不調で安定して居なかったので、しばらくは二か所に公開して居たのですが、それが執筆時間を圧迫し出した。 それで、泣く泣く以前に居たサイトは退会。ここだけに公開するようになったのです。 実際、更新した日のアクセス数なら、以前のサイトの方が多かったですからねぇ。 ちなみに、賀東に関しては……。 私が文章を書くきっかけと成ったのは彼です。 但し、この部分はツッコミはナシでお願いしますね。 柳川房彦。坂東イルカ。賀東招二。 |
僅かな時間を見つけて猛プレイした結果、第三次スパロボZ時獄篇1週目をクリアしました。 感想としては、予想以上の仕上がりに驚きました。 戦闘アニメに若干の期待外れ感はありましたが原作を思わせる演出にニヤリ、そしてそれを補って余りある中身ぎっしりのシナリオ。凄まじかったです。詳しい事書くとネタバレになるので言いませんが、特に逆シャアのシナリオが凄い事になってました。戦闘アニメはおそらく次回作で修正、追加もあるでしょうから最終作に相応しい化物になってくれると信じてます。また、ギャグや小ネタ、クロスオーバーネタもかなり冴えてて読みごたえがありました。 システム面でも精神ポイントを過剰にケチらなくて済むようになったし、タッグコマンドはいろいろ使い道があって戦略組み立てるのが楽しかったです。ただ、総合火力が上がりすぎてボスのHPが少なく感じてしまったのは問題かも。ともあれ戦略ゲームとしてのやりごたえが増した感じはします。ボスキャラのマップ兵器は結構強いのが多く、より慎重な運用が求められる場面が増えました。 Dトレーダーの強すぎ強化パーツたちは買う必要性を感じなかったので一つも買いませんでした。汎用のパーツはちょくちょく買ったけど、多分買わなくてもクリアは難しくなかったかな。苦戦してる人用の救済措置みたいなものだと思います。資金も中盤辺りまで余り気味でしたが、中・後半ボスの殆どが2回行動を使えるので直ぐに悠長な事を言ってられなくなり、結局改造費で金はすっからかんになりました。 エースになったキャラを祝ってくれる会話が用意されてるのも個人的にはGJ。おかげでエース育成が楽しくなりました。 ちなみにうちの最終話時点でのトップエースは撃墜数162のルルーシュ。連続行動が無くなった今作でも鬼畜MAP兵器の猛威は健在でした。他のエースたちを大きく突き放して堂々の一位です。 次点でキリコと宗介の135機。宗介がリスペクト元のキリコと並ぶというのはなかなか感慨深いですが、クソ火力で敵を食い散らかす宗介と削りの合間に敵を食うキリコは運用方法が全然違いましたから、この結果は面白いですね。 ちなみに3位はヒイロの132機。ツインバスターライフルの直射MAP兵器と全体攻撃が無いことが不満でしたが、それでもやはりローリングは使い勝手が良くて大活躍。再世編で双璧を為したルルーシュと差は開きましたが、堂々の3位です。 さてはて、とうとう迎えるZシリーズ最終章の完結編。その名も―――っとと、予想ついてる人もいるだろうけどこれもネタバレだから黙っておこう。とにかく、その最終章の発表が楽しみになるラストに期待が膨らみます。 ・・・この熱意をリアルの事情にぶつけて、いざ私の戦場へ。願わくば次回作の発表があるころには執筆再開できるようにしておきたいと決意を新たにしました。 |
一身上の都合により作品の更新を自粛させていただきます。期間は多分半年くらいかな?早ければもう何か月か速く帰ってまいります。 |
伝説の臭兵器サロンパスの力でひじの痛みを潜り抜けた先に待っていたのは、もう音がちゃんとでなくなってきたPCのスピーカーでした・・・今はクレーンゲームで当てたショボーンヘッドフォンの力で問題なく音を聞けてていますが、いい加減買い換えたいですね。お願いだから買い替えまでに死んでくれるなよ・・・ ちなみにヘッドフォンは頭に付けると耳が蒸れてしょうがないので外部スピーカー代わりにテーブルの上に転がしてます。何か間違っているけれど、意外と音がデカいので音量調節には苦労しなかったり。 |
どうもPC操作時の姿勢が低いせいか肘に腱鞘炎の兆しが見え始めました。肘から疲れが抜けない感覚・・・よろしくないですね。取り敢えずクッションだか座布団だかを買ってPC操作に適した感じの高さに合わせるとして、他にも何かするべきなんだろうか。 何かやった方がいい事とかありますかね? 色々と怪我しますと何かやるときに支障が起きますからね。 腱鞘炎はいい医者のもとで注射などをしてもらい、シップを貼るとか良さそうです(あくまでなるとしたらの話ですが…… それと今は春ですからね。夏とかだと湿布で痒くてしんどいらしいので速めに行った方が良いと思います。 あくまで兆しなので本格的になってる訳じゃありませんが、放置すると良い事はなさそうです。 取り敢えずは負担をかけない事と湿布を張る、酷いならテーピングするのが民間療法みたいなので、それでしばらく様子見します。執筆活動自粛も視野に入れないといけないかも。 ひどくなる前に病院に行ったほうがいいと思います。 肘とかなので接骨院なのでしょうか? あんまり詳しくなくてすみません。 |
「お前はまだグンマを知らない」ってギャグ漫画を見つけてちょっと読んでみました。といっても単行本じゃなくて無料で読める分だけだけですが。で、そこでちょっと気になるネタがあったんですよ。 他県に怒りを燃やす群馬県民が「おのれ○○」といいながら怒りのゲージを上げていくというネタなんですが、これはまんまとある二次創作のパロディなんですよね。知ってる人は知っていると思いますが、「うろジョジョ」と呼ばれる動画シリーズのネタをほぼそのまま使ってます。呪いのデーボという敵キャラの顔や構図まで似せていて、知っている人なら「ああ、あれか!」と気付いて笑いそうになる所でしょう。 しかし、これは果たしてパロディなのか?パロディだとして、やっていい範囲なのかとも感じました。これはジョジョという作品の二次創作をさらにパロディーにしているので、ある種三次創作ネタとも呼べるものです。 そりゃ最近のギャグ作品ではパロネタは定着しつつありますが、あれだって本当は作品として褒められたものではありません。実際「ニャル子さん」なんかのパロネタは個人的には寒かったです。パロネタは意外とそういうリスクが伴います。事と次第によってはパクリ騒動にだって発展します。 二次創作小説ではパロディは非常によく見るし私も使ってますが、それはネットだから許されている部分があると思います。 それを、ギャグ作品がギャグ作品からネタを引き入れるというのは作り手としては如何なものか?しかもその漫画で商売をしている。作り手として読む人に楽しんでもらいたいなら、一部の人にしか通じないネタはあまり無い方が望ましいのでは?と感じました。 実はネット界隈ではパロネタの方を元ネタと誤認したり作品の出た年代を間違えてトラブルを起こす人というのもいます。彼等に悪意はなくとも、知識面で追い付いていない人はぽろっと漏らしてしまうんです。なまじパロネタが面白いものだとそう言った弊害だって生まれる訳です。 いや作品自体はそこそこ面白かったんですが、見る人から見ればパクリだと怒られてもおかしくはない訳で、なんとなく胸にしこりを残しました。 まぁ元ネタを分かってるからこそ「何でそこでそれ使ったの?」って余計に冷める瞬間もないではないですけど、多分多数派ではないかな。それはさておき。 パロに使われたネタは原作者か多数の人間が怒ったりしない限りはOKっていう感じですし、二次創作なら作者さんの解釈や癖で変わることもあるでしょう。ネット小説という場では許容される傾向にはありますが、絶対とは言いにくいですね。 ちなみに私は原作の流れをそのまま辿ると退屈と執筆意欲の枯渇で精神的に死にそうになります。だからやる時は分解して組み替えてそれっぽく見繕った後、余った隙間にパロだのネタだのを詰めて形を整えてます。うーん、人の事を言えるほど立派ではないですねぇ。一応読者さんに通じないと困るレベルのパロは使ってない・・・はず。 色々有りますよね。 それに、二次小説って言うのもこれに入るのかな。 判る人だけが付いて行ける、と言う所なんか、正にソレですからねぇ。 まして、許される範囲と言っても人それぞれですから。 私の書いている作品も、元ネタのゼロ魔はかなり変わっちゃっているから、既に原作ゼロ魔としているのさえ申し訳ないような状態ですが、神話や伝承などは、その流れを同期させている部分も有りますから。 これはモチーフに成るのか、インスパイアに成るのかな。 まぁ、パロディはほどほどにした方が良い。一応、物書きなんだから違う方法で表現―― 例えば、元々は新幹線で大阪から博多へ向かう物語ならば、 関空から福岡の空港へ飛行機を使って移動する物語に変えるとか、 夜行の高速バスを使って移動する物語を創れ、……と言う事ですかね。 もっとも、これをやっちゃうと、オリジナル小説を書くのと同じだけの手間が掛かるのですけどね。 二次創作はそれ自体がパロディと同一視されますし、2つに境があるかどうかについては意見が分かれてるみたいですね。多少フレーズを参考にしたりならよくありますし有名作品だと皆知ってるから許容される流れがあります。使い方次第では素晴らしいエッセンスとなりうるので否定する気はないけれど・・・ 濫用と盛り過ぎにご用心、可能ならばN.C様の言うとおりオリジナルが望ましいと思います。 自分は必要最低限のパロディしかしません。一次創作では運営からの取り消しを恐れてという面もありますが、やはり海戦型さんと同じく他人のネタを使うのはどうかと考えてやめています。二次創作では一応ありますが、あくまで世界観クロス物のときにクロスとして使用している世界のネタを引っ張ってきてやる、ということをやっているに留めています。……あれ? これってパロディなんでしょうか? ちなみに『這いよれ!ニャル子さん』は自分も十数巻か持っていますが、よくネタが分からなくなる時がありますね。そういう時は無視して雰囲気を楽しんでいますが。 昔、有名な漫画家さんで訴訟騒ぎがあったらしいですからね。パロディはそれの引用元のファンからの人気も獲得できますが、それと同じくらい訴訟やバッシングを受けるリスクも伴っています。やはり、物書きさんは自力で作品を書いた方がいいのではないか、と言うのが未熟な自分の意見です。 長文乱文、大変失礼いたしましたm(_ _)m |
こういった場(サイト)に小説を投稿するにあたって、いつも考えることがあります。他人様の見る小説なんだから、最低限”読める”ものにしよう、ってことです。これは日本語になってるかとか言う事ではないです。 皆さんがその作品を切る、読むのを完全に止めるタイミングは何かと考えた時、私は「読むのが苦痛に感じた時」だと思います。 例えば文字がぎっちり詰まりすぎて読みにくい。 例えば行間が余りにも多すぎて読みづらい。 例えば文章力が低く感じて読んでも読んでも面白さを感じない。 例えば下ネタや変なノリが続いて不快に感じる。 そういうことを感じてしまうと、後で挽回しようがしまいが人は話を切ると思っています。だって読者にとっては楽しさを求めて読みに来ているのに、読むという行為自体が苦痛になれば本末転倒です。だから読者はそれ以上の不利益を被るのを避けるために読書を終了させます。 読みやすい文章。それなりのオリジナリティがある内容。程よいエンターテインメントとフィクション。説明、心理、状況、キャラの台詞の長さ、雰囲気、場の流れ・・・なんとなくこれは駄目だとカットしたり、ここが足りないと付け足したりを自分の「こんな感じがいい」という曖昧な価値観に従っていろいろ書いてゆく。他人が見て文章のカタチでUターンさせてしまわないような内容にと考えて書くわけです。その過程で地雷と呼ばれる要素を避けて書いていくのです。 でも、今わたしの手元にある二次創作小説があります。 何も考えずそれなりにに楽しく執筆して、見返せば地雷要素も放り込んでいるごった煮のそれはしかし一定以上の評価を得ました。私の求める「他人様に見せる小説」の条件を満たしているか微妙なのに、他人様は評価してくれました。 ここに作者のコンプレックスというか、ジレンマがあります。 「これはある一定の人から見たら面白くないな」と確信できる物語が評価される。それは不本意に思っている作品が世間に求められているとも取れる訳です。作者はここで自分の「他人様に見せる文章」の在り方に悩みます。つまり、自分が間違っているのではないか、自分にとっての面白いは大衆に通じないのではないかという悩みを抱えるのです。 人が死ぬ。主人公が柄のいい人間でない。不自然とも取れるキャラクター心理。ぐちゃぐちゃと人の意識ばかりこねくり回した、単調なシチュエーションの繰り返し。暗い雰囲気とイライラさせられるキャラクターのやり取り。そんな作品でさえ評価されるときはされる。 自分の作品は拙作か?駄作か?そのシーソーゲームがあるからこそ、作者はみな自分の考える面白さの探求を止められないのです。 というわけで現在ISの地雷作品を作成中です。何事も経験しなけりゃ得るものも得られないから、やったことのないものにこそ発見があると信じて。 何れ纏まった形になったら公開します。 |
皆さんは「クチャラー」と言うものをご存じだろうか? クチャラーとは、その言葉の語感が示す通り食事の際の咀嚼音をオノマトペで表現した「くちゃくちゃ」を語源とする俗語であり、転じて「食事の際にくちゃくちゃを大きな音を立てて物を咀嚼する人間」全体を指して言う言葉だ。言うまでもないが、これは食事マナーに反するものである。 原因ははっきりしており、咀嚼の際に口が閉じていないから本来漏れない筈の音が外に漏れているのだ。唾液の水分と咀嚼する食物が歯によってすりつぶされる過程で発生するこの音は、お世辞にも愉快な音とは言い難い。むしろ人によっては嫌悪感を催すものだ。 ・・・とまぁ、固い口調はこの辺にしておいて。 私はクチャラーは大っ嫌いです。元々音には過敏な方なので余計に嫌いです。 この前食堂で私の目の前に態々座り、態々私のスリッパを一度蹴って(故意ではなく単純に周囲の事を考えてない人が足を投げ出して良くやることです。酷かったら蹴り返しましょう)、肘をつきながら(肘をつきながらの食事は見ていて非常に行儀(マナー)が悪いです)片手で担担麺をくちゃくちゃ言わせながら犬食い(犬のように器に顔を近づける食事法で、言うまでもなくみっともないです)する男が現れた時は脳の血管が切れるかと思いました。 かなりの高確率で直らないし、何所にでも出てきて無遠慮に音を聞かせてくるし・・・どうしても許容しがたい存在です。喫煙者と同じくらい許容しがたい存在です。 クチャラーの言い分代表例・・・ ①こうしないと上手く食物を咀嚼できない ・・・食事中の舌や喉の動きに問題があるだけです。訓練なさい。 ②鼻炎気味だから口を閉じると苦しい ・・・その気持ちわかります。でも鼻で息できないレベルの鼻炎なら耳鼻科いきなさい。 ③気にするお前の心が狭い ・・・気にしないお前の神経がおかしい。 ④くちゃくちゃ音が鳴るのは当たり前だ ・・・ねーよ。 ⑤鳴らしていない ・・・お前難聴なの? ⑥周りは誰も気にしてないけど? ・・・我慢してるんだよそれくらい察せ。あと私の真向かいに座るな。 ⑦うるせえ奴だな ・・・うるせえのはお前だ。お願いだから俺が近くにいるときは口を閉じてくれ姉貴。 クチャラーの特徴として、基本的に自分は全面的に悪くなく、気にする相手の精神が異常だと考える傾向にあります。そして自分の食事法に問題があることを自覚していない。ついでに自分が不快な存在だと思われている自覚が欠片もないです。中にはお年を召しているとか病気でそうせざるを得ない人もいますが、20代の健全な若者がそんなハンデを背負ってる訳もなく、単に無神経でマナーが悪いだけです。 みんなよくこんな奴を許容できるな、と本当に感心します。 |
私はちょくちょく非公開の短編だのを投稿してます。基本的にはまだ短編として書き終えていないものと公開する気が無いものの2種類です。 こういうのって公開してなくてもお気に入りユーザー登録者には伝わる仕様になってるんですね、知りませんでした。 (↑未だにお気に入りユーザー機能を使う気のない馬鹿) |
どこぞのウニ頭さんの「不幸だ~!」とかでなく空気・不遇キャラでもなく、物語内での生い立ちとかに不幸があるキャラについての話。 ラノベは勿論二次創作でもそれなりに見る不幸キャラたちですが、私はこれがあんまり好きになれません。本屋に並んでいるレベルの文章ではそうそうないんですが、ネット小説のレベルになると時折駄目だと思うパターンを見かけるんです。 1つが、唐突に自分の不幸を語りだすキャラ。 特にこれといった脈絡も積み重ねもなくいきなり他のキャラに対して自分語りを始めます。俺の家族は~とかそれから俺はこんな目に~とか今だって苦しんで~とか。これだと不幸自慢をして同情を誘ってるようにしか見えないんですよね・・・ ちゃんとそこへ至るまでのシチュエーションを整えていれば違和感は和らぎますが、たいていの場合ものすごくキャラクターの心理描写が乱暴です。自分の考えた不幸設定を語りたくてしょうがないとでも言わんばかりですが、そのためにキャラの心理を歪めるのは止めてもらいたいです。 もう1つが、不幸設定と形成された人格に不一致があるキャラ。 これはさらに何種類かに分けられますね。 ①矛盾型 ②はりぼて型 ③謎型 って所ですか。 ①はその人の経歴からして絶対に無視できないであろうシチュエーションを堂々と無視したり、逆に決して選ばないであろう道を堂々と選ぶタイプです。そこで何も言わなかったら何でそんなキャラ付したの?と質問すると本人なりに理由を説明してくれますが、そもそも人が読む文章ならその辺の考えも含めて最初から読者に理解できる形で用意するべきです。 ②は設定があるだけで活かされることはない。それだけです。他に特筆することもありませんが、キャラクター性の薄っぺらさか若しくは作者さんの未熟さを感じずにはいられません。明らかに人格形成に影響を及ぼしそうなものまであっても特に活かされないので①と同じ疑問にたどり着きます。 ③は本当に謎です。不幸の内容まで書かれまくっているのに形成されたキャラクター象はそこから堂々と外れています。そうはならないのでは?という違和感を抱きますが、こういうタイプは大体物語の最初の段階で一通りの不幸を喋り尽くして一本道で本編までたどり着いているので言い訳の余地すらありません。 これらすべてに共通して言えるのが、文章を通して作者さんの思慮の浅さが一発で看破されてしまう事です。不幸までは考えたけどそれ以降を考えていなかった、の一言に尽きると思います。 自分はフィクションにも細かいツッコミを入れてしまう面倒くさいタイプの人間です。でも、アニメも小説も人間の感情や生い立ちに嘘を入れてしまうのは見逃せない。例えエンターテインメント優先であっても、キャラの生い立ちや心理は物語の根幹をなす重要なファクターです。そこの作りこみが甘いと全てが台無しです。キャラを作ることとキャラの心理を分析することは別々に行わなければ不協和音を生みます。 設定なんて全部活かされてなくてもいいし、ちょっと不自然な所があってもいいです。 でも、キャラの心理や立ち位置、方向性をちゃんと考えたかどうかは必ず文章に現れます。 フィクションの中でさえ嘘っぽく思えるようなキャラを生み出したくないのなら、そこに最低限でもいいからリアリティを含めてほしいというのが一読者としての意見です。 ・・・そいうえば細かいところを気にするのは理系の特徴とか言うけど、私も母もバリバリの文系です。 以下、どーでもいい実話。偶然見ていた映画「海猿」にて 私「ペラペラしゃべってないでとっとと行かないと脱出できなくなるでしょ」 母「何で関係者以外が指令センターに入り込んでるんですかねぇ・・・」 私「酸素無いとか言ってるのに何でさっさと進まないの?自殺志願者なの?自分に酔ってるの?」 母「救助者の二人はもう窒息してると思うんですがねぇ・・・」 私「いや・・・えっ?何でそんなとこに携帯電話置いてんの?っつーか防水ケータイじゃないよね?」 母「一刻を争うって言ってんのに喋ってる時間とか無いと思うんですがねぇ・・・」 私「いやいや、リアルに片手で落下してる人間を捕まえるとか無理だから。重みで脱臼するから」 母「あの場所にいて船の沈没後に救助とか海水の動き舐めてるとしか思えないんですがねぇ・・・」 (姉゜Д゚)<映画館とか一緒に行きたくねえなコイツ等 重箱の隅をつつくように全部が全部納得できる形に・・・っていうのはプロの作家さんでも難しいと思います。条件になるような伏線撒きに至っては苦手な部類なので私自身今後も精進を続けなければならなかったり・・・ あの「星のカービィ」を生んだゲームクリエイターの桜井政博氏が「プレイヤーは作り手の苦労を知る必要はない」ってどこかでコメントしていましたが、あれは小説にも当てはまると思います。読者側からはいろいろ言えても作者側に立つと考えさせられる。ある種呟きで自分を戒めてます(笑) 実を言うと私も時々できてるか不安になります。でも小説書くときは自分をちょっと疑ってるくらいがちょうどいいと思います。自分の作品が面白いなんて思い上がってては成長もしませんしね。 TRPGのお話はなかなか興味深いです。ミステリー要素が絡むと怖い二者択一や予想外の行動と言うのもポイントになるのか。そっちはどちらかと言うと完成したキャラをどう崩していくかみたいな要素がありそうですね。 自分が出来ているかどうか分からないから、チョイと耳がイタイですね。 ただ、薄っぺらいと言うのは同感ですか。 作者の御都合主義で動かされて、このキャラ設定でその考え方や行動はないでしょうが、……と、紙面の向こう側や、画面の向こう側からツッコミを入れる。 その類のキャラは、商業、二次、オリジナルの全てに存在しますね。例え、数百万部売り上げた売れっ子作家の作品の中にもね。 ちなみに。 昔、クトゥルフの呼び声と言うTRPGをやって居た時に……。 怪しげな地下に向かう階段を下りて行った先に存在した地下室。その地下室の真ん中に、巨大な石棺が存在し、その中に何か……。 ……とマスターが説明し出した瞬間、ダッシュで部屋から逃げ出す事を選択した3名のPCと、その石棺の中を覘いた2名。 ゲーム的には2名が正解ですが、一般人の意見としては逃げ出した3名が正しい。 もっとも、逃げ出した3名は、階段を昇りきった後、その狭い階段にバリケードを築いて、後の2名とグールが上がって来るのを邪魔をする、と言う暴挙に出たのですが。 おっと、イカン。妙に長く成った。 そのTRPGの結末は、廃墟と化していた館が謎の火災ですべて焼失しちゃいました。 バリケードを築いたのは私ですが、油を流したのは別のヤツ。最後に火を付けたのも別のヤツでしたが。 |
そろそろ4月。つまり私が設定した更新停止という名の休暇期間が切れる頃になりました。 一応休み休みではありますが色々書いてますよ。というか期間中何度か我慢できずに更新しそうになりました。更新しないのはそれはそれで寂しいものですね・・・まぁ今年は下手をすればさらに追加で更新を止めなければいけない可能性もありますケド・・・ もしもチートのサイドストーリー、間違ISの続き、ついでに余った時間で例えばこんな生活は。のほうもちょっぴり更新します。後は没ストーリー倉庫に住民が増えるだけかな?4月2日更新です。 ・・・ん?待てよ?ここはエイプリールフールネタの一本でも書くべき所か? |
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2014年 06月 11日 15時 24分