つぶやき |
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ひょっとして点が入らなくてもアクセス数だけでランキングに上がっちゃうんでしょうか?うちの作品、一点たりとも評価されてないのにランクインしてるんですが。もしそうなら流石に緩すぎるような。 酷い奴は本当に酷いですからね。 原作のストーリーの主人公にノコノコ付いていって同じようなことやって、口だけちまちま挟んでいくみたいな。あれは見るのは勿論書くのも耐えられません。退屈しか詰まってないですもの。かといってオリジナル要素入れて中身が薄っぺらだと本末転倒ですが。 ・・・・・・なんかN.Cさんと黒猫大ちゃんさんが並ぶと「日常だなぁ」とか思ってしまう私はおかしいんだろうか。 作者さんの分しか読んでませんけどね。 当然、二次でも。 原作沿いと言う、発端、経過、結果に至るまですべて原作と同じと言う作品は読む気が起きない。 ……と言うか、忙し過ぎてそんな時間を取る事が出来ないので。 まぁ、こんな人間は少数派なのでしょうねえ。 オリジナル路線やってて実力持ってる人は、注目されるサイトの方に行ってしまいますからね。勝手なイメージだけどなろうとアルカディア辺りは多いと思います。あそこで連載してたのが、数年後に本屋に・・・ってこともありますし。 理解のしやすさもそうなんですけど、このサイトのオリジナルはその多くがイマイチというか・・・・・・現代のアホみたいに肥大化したラノベ文化内では未熟の部類に入れざるをえません。そして小説書かない人にとってはその人がどんなに頑張ってるかなんて興味のない事ですから、結果としてあんまり面白くないやとスッパリ切られてしまっているのではと思ってます。 二次創作はプロにはなかなか出来ません。でもオリジナルを書くと、望む望まざるにかかわらずプロと勝負しなきゃいけいない部分が出てくるのかなー、なんて。 緩すぎるぐらいにしないとランクインしないくらい、オリジナル作品は閲覧されていないということにもなりますね。 確かに二次創作のほうが基盤を知っている分理解が早いから読みやすいですけど。どうにかならないものでしょうかね……。 |
記念すべき100呟き目が断食ってどういうことなんだろう。という訳で断食です。流石に本格的な断食は無理なのでプチ断食ですが。健康にいいらしいですし、実は好きです。 素晴しきかな断食。食べないから眠くならないし、眠気に伴う集中力の低下や体のだるさが感じられないどころか妙に軽いぐらい。1時間ほどウォーキングすると体はもう絶好調です。口にするのも水だけだし、朝から何も食べないと逆にあんまり空腹が辛くない。これで朝から執筆が捗ると言うもの。食費も浮くし。いいことずくめです。 わたしのプチ断食は朝昼抜いてちょっと運動して夜食べるという形で、ちょっと普通のプチ断食とは違うらしいんですけど・・・・・・まぁいいや。 断食にも健康法としてなら色々種類がありまして、そのうち別の断食もやってみたな―などと考えてたり。 |
実は・・・横書きの書式は読みにくくて嫌いです(えっ) ケータイとかで見る分には一度に読む文字数が少なくて問題ないんですが、パソコンでの閲覧なんて正直やってられない。昔は割と本気で「なんで縦書きにしないの?」とか考えてましたし、いまだに縦書きの方がスラスラ読めて好きです。 や、このサイトはPDFで縦読み自体は可能なのですが・・・・・・横書きと縦書きはそもそも読みやすさの基準が違います。使う記号だってちょくちょく変えなければならないし、改行の仕方も違う。そして大多数の人はたぶん横書き基準で読んでいる訳でしょう?そうしたら、縦書き基準でやると横書き表記では読みにくいんですよ。 別に2つの間に優劣があるとは考えてませんが、皆さんどっちの形式が好きですか? 横書きで見た時に文字がぎちぎちに詰まっているように見えて凄く嫌ですね。縦書きなら普通に読めるのに、横書きに直した途端にあの読み難さ。逆に横書き準拠だとスペースを使い過ぎて文字と文字の間に隙間が空きすぎて、それはそれですごく嫌。 縦書き準拠で書くと当然最初に表示される横書きでは読み難いですし、縦書きで読むよう推奨しなければいけないし、推奨しなかったらただ単に読みづらいだけですし、読者にそれを強要することになるし、手間をかけさせる。私個人としては読み難いのも面倒なのも読者に見せてはいけない側面だと考えてるので、うちの小説はなるだけ横のまま読めるように(主に作者自身が読めるように)してます。読むのが面倒な小説など誰だってお断りです。その視点から見ると、残念ながら縦書きは面倒の部類だと思います。 私もそうですね。横書きは少し目線を切ると自分が何処まで読んだか判らなく成ります。 故に、読むのに時間が掛かる。 縦書きなら、右の上から目線を左の下まで斜めに走らせるだけで読めるし、それだけで内容を頭の中に叩き込めるのですが、横書きでそんな事をしよう物なら、内容を記憶するドコロか、自分の居場所さえ判らなくなる。 基本的には縦書きで読む事を推奨する小説の方が好きかな。大抵の場合、縦書きで読む事を前提とした小説の方が内容が濃いですし、読んで居て自分の糧に成る事の方が多い。 横書きで読む事前提の場合は……。大抵、1ページ目でバックします。 実際、縦書きにして読んでいる作品がいくつか有りますから。 こんな感じかな。これ以上書くと非常にヤバい内容に成る。 ……と言うか、ここまででも十分マズイか。 もうネット小説読みだして数年経ってるのに何故か慣れてないんですよ。最近はすっかり慣れたような気がしてたんですが、気のせいでした(笑)。やっぱり横書きが苦手なんだなと再認識してしまいました。 というか、横書きが苦手だからこそ自分で自分の作品を読み返す時の負担を減らそうと見栄えとか色々調べてるんですけどね。 横書きだと違和感のない書き方や記号が縦書きだと違和感、そしてその逆も起きるようなのです。見栄えを重視するとどちらも使い分けるしか正解が無さそうな気がします。 前提条件を破壊するようで申し訳ありませんが、縦書き横書きにこだわりはありませんね。縦書きは普通に紙媒体を読んでいた時に慣れてしまいましたし、横書きはネットの文章とか読んでたら慣れました。最初に横書きに触れたときは違和感が拭えませんでしたが、しばらくしたらそれにも慣れました。 確かに、いざPDFだと読みにくかったりしますよね。多分それはPDFに変換される過程で起きる本来の縦書きとのわずかな差異なのかもしれませんが、それ以外でもなんとなく違和感が。普通の縦書きは違和感ないんですが、そういうことなんでしょうかねぇ……? |
小説書くときに、漢字は出来るだけちゃんと変換して漢字の多い文章を作ろうと心がけていた時期があったんです。でも、ふとその漢字ばかりの文章を見て、遅ればせながらもあることに気付きました。 なんだこれ、読みにくい。 「しっかり」を「確り」とか、「こと」を「事」とか、別に漢字にしなくても問題ないところまでやたらと漢字にしてしまってました。文法が間違ってる訳ではないけれど、前後の文章と照らし合わせるとこう、するっと読めない引っかかりが生まれていたんです。それでその時、漢字の使い方を間違えていることに気付きました。 漢字といえば、プロの文字書きの人の難しい単語の使い時の見極めはすごい、と最近思います。 日本には沢山の言葉や単語、四字熟語がありますが、日常的に使われているのはその一握りでしかありません。そんな中で、普通に書いている時はそんなものは使わないのに、ある時さらっと文章に難しい言葉を混ぜるんですよ。そしてその単語は見たことがなくとも雰囲気でどんな意味を持つのかが理解できてしまう。ああいうのをしれっと出来るのは流石だと思います。 そして逆に、みんな知っているよな漢字を敢えてひらがなにする。こっちは多分手書きの原稿だからこういうことになっているんだと思うのですけど、このテクニックも凄い。多分作者自身の癖みたいなところもあるでしょうけれど、ひらがなでも幼稚さを感じさせない文章運びをしているんだな、と一人で勝手に尊敬の念を抱きます。 確かな語彙力を感じさせつつも読みやすい。そんな文章を書ける人間になりたいものです。 |
極稀にですが、自分の書いた作品が気付かないうちに余所で紹介されていることがあります。影響はあったりなかったりですが、練習投稿作品までチェックしてらっしゃる読者の人達は凄いなぁといつも感心してます。 私の気に入る作品って更新停止率高いんですよね。まぁネット小説ではありがちな事なのですが。だから面白そうなものを探すのが昔の日課でした。今でもある程度はしてますけど、昔ほど網羅してはいません。読むものが無くなったらもう書くしかない訳で、ある意味で私の小説はしょーがなしに書いていると言えなくもないです。いや、好きでやってますけどね。 しかし紹介されているという事実情報は作者には一切来ないので、自分の作品を自分で探すというよく分からない作業をして初めて事実に気付きます。誰か事情通の人とかがこっそり教えてくれればいいんですけど、世の中そこまで親切を求めてはいけませんね。自分で探さねば・・・ ・・・ああ、今日も変な誤字が見つかった。憂鬱。 |
今回の朝は一段と凄かったです。鼻で息が一切できないものだから朝ごはん食べる際に呼吸が出来ない。こりゃ駄目だと思って病院行きました。ともかくアレルギーを抑える飲み薬を貰いました。 イネ花粉だかハウスダストだか知らないですけど、なんかのアレルギーらしいです。血液検査の結果を母親が忘れたため自分が花粉症であることを全く知らずに過ごしてきた私ですが、何年経ってもこの鼻詰まりの苛々は耐え難いものがあります。 でもいい加減に色々書きたいのでどうにかこいつと戦わなければいけないのです。ああ、鼻の詰らない肉体が欲しい。あと執筆中に代わりにご飯食べて、代わりに寝てくれる人が欲しい。一人が怠けて英気を養い、猛一人が心ゆくまで執筆する。分身したい。 へへ・・・クスリだ。クスリがなきゃなっていられねえぜ・・・・・・一度飲んじまうと止められねえよなぁ・・・・・・みたいな。実際、薬なしじゃとてもじゃないけどやってられないです。点鼻薬とかは特に御用達です。 俺もアレルギーあります!花粉症とブタクサアレルギー・・・・もしかするとハウスダストもあるんじゃないか?!酷い時は、鼻づまりのせいで気持ち悪くなることあります。今の時期一番ヤバいです。今日気持ち悪くて横になってるwww |
急にどうしたとうとう壊れたか?みたいなことを言われそうな話ですけど、なんか自分を見失いかけているような気がするので、一度自分の変な所と向き合ってみようと思いまして。 エロというのはつまり三大欲求の一つである性欲と密接に関わるもので、切って離せない関係にあると思うのです。でもエロの多い作品はあんまり読んでない、というかそういうノリ全開の物は好みに合わないのですが、それでもエロはやっぱり大事なことだと思うのです。恥ずかしいとかはしたないと思いつつも指の隙間から見てしまうような心理です。 ラッキースケベ、パンチラ、乳揺れ、ポロリ、変態、妄想、当ててんのよに始まる肉体的接触・・・・・・今やエロゲの話ではなくなり、ラノベやアニメでエロを見ない日はないんじゃないかとも思えるこのエロ群雄割拠時代に、私は一言物申したい。 エロい話やエロいキャラは当然エロく見えます。でも・・・・・・私にはこのエロが最高、みたいなものをちゃんと持っているどうしようもない野郎であって、ただエロければいいとは思わないのです。 ではそのようなエロがいいのか? それは――忘れたころに唐突に来るエッチな雰囲気。 こう、不意に話がエロに飛躍した瞬間というか、つまりはエロありきではない物語においてチラリと現れるからこそ、エロというのはいいと思うのです。表紙から展開からエロい雰囲気ありきの構成ではなく、真面目な作品の途中に不意打ち的に見え隠れするあのエロがいいのです。というより、エロではなく何処となくエッチな雰囲気のある瞬間が・・・・・・あの瞬間だからこそ余計にエロく感じてしまい、二度見してしまうのです。 エロはいつ来るか分からないからこそいい。来ると分かっていたらそんなの全然楽しくない。楽しいエロが欲しいのです。何でこの深夜にエロエロ連呼しているの分からないけど、私だってたまにはエロや可愛いの話がしたい時もあるんだと思います。 ともかく、今の時代のエロの使い方はいささか乱発し過ぎというか、ロマンのない使い方だと思うのです。毎回毎回エロがあったというのではなく、振り返った瞬間に「あそこエロかったなぁ」としみじみ思い出して暫く忘れられないような、思春期みたいなエロがあってこそ救われるのです。その素晴らしさも、何度もあればその輝きは失われてしまい、得た時の余韻と効用が薄れてしまいます。 結論。 その一か所だけ2度も3度も呼んでニヤニヤしてしまうような印象に残るエロが、今の時代にはない!! ※果てしなく個人的な意見です。 エロ多用の作品には否定的です。だったら逆に許せるエロってどうんなのだったろうかと考えた結果、こんな感じになりました。人間、硬派純情ぶっても何だかんだで異性のあれこれには興味があるものです。それが人間というものですから。 海戦型さんがホーカイした?!いや元々こうなんですか? そんなことは、いいとしてまぁ俺も海戦型さんの話には、同感ですね。そもそももうエロいのが好きというのは、男女関係ないと・・・・。女子だからというのもまず無いです。いやこれもどうでもいいです。はい。 やっぱり毎回(そんなにねぇよ。)とかじゃなくてたまーに出てくる感じが好きです。そういうの忘れられません。 あ・・・・なんかすみません・・・・(;´Д`) |
色んな二次創作を読んでいるとすごく感じる、ネット小説における負の継承があると思います。他人がやっている形式を自分で真似ているけど、実は先人の形式が未熟な型であるという話です。正直、害悪だと思います。小説書き出して間もない人間がよく引っかかる巧妙なトラップです。しかも一見してトラップに見えないし、引っかかっても自分で気付けない可能性があるというとっても恐ろしい継承がこの界隈で行われています。 例: ○○が起きる →××になる →△△が加わる ↑今ここ みたいな説明、結構見ます。最初に見た時は新鮮に思えるかもしれませんが、いざ自分でやってみると見るに堪えない。手抜きだし、面白さを演出しようとして逆にくどいです。普通に説明した方が絶対にいいし、俗っぽい言い方をすればサムイ演出です。 例: 「『○○』『××』『△△』、この言葉に心当たりはないか?」 「いや、ないですね」 異世界に飛んじゃった系の人が状況確認のためによく口にしている言葉です。もう不自然すぎて見るに堪えない。質問の形式が現実離れしすぎていて意味不明です。説明を省きたいのかもしれませんが、現実的に考えてこんな聞き方しますか?貴方が異世界に行ったとき「『日本』『国際連合』『第二次世界大戦』・・・この言葉に聞き覚えないか?」なんていきなり口に出ますか?異次元の発想です。 例: 朝起きて冷蔵庫の中身を確認する。これならあれが作れるぞ? △△を焼いて、××をかけて・・・完成だ。食べてみる。おいしい! 読者視点で言わせてもらうと、だから何だよって話です。主人公が朝に何を作って食べたかとか、申し訳程度の調理過程とか、存在意義が見当たりません。しかも食べ物を書いている癖に食べ物にこだわりのある書き方でもない。ハッキリ言ってただの尺稼ぎにしか見えません。 個人的に比較的よく見る負の継承です。他にもありますけどそんなものは私が見つけるものでなく目の肥えた読者の方が見つければいいやと思ってます。ともかく、この連鎖反応は速く止まって欲しいと願っているのです。 おまけ 個人的には、食べ物を書くならば例えばこれくらいはやって欲しいのです。↓ その野菜炒めを目の前に置く。食用のサラダ油に混ざった豚肉の香りが湯気に乗って届き、食欲をそそられる。キャベツの緑、玉ねぎともやしの白、ニンジンの赤の三色が油と塩ダレをその身に絡ませ、その間に入るように程よく焼けた豚肉がその姿を覗かせる。油の光沢も相まって、どのような味がするのかを想像すると涎が口の中に広がった。早速箸を握り、いただきますと一言告げる。 キャベツともやしに豚肉を挟み、一口。もやしの瑞々しくも歯に心地よいシャクッという感触と、キャベツの繊維がパリッと割れる程よい硬さ。味付けのタレが齎す塩味とコクに、ほんの少しの甘味。キャベツの甘味と味付けと、もやしの無味。その3つを包むような豚肉の油の濃厚な香りと脂身の繊維が崩れる触感が絶妙なハーモニーを奏でる。歯ごたえで楽しみ、音で楽しみ、舌でも楽しむ。どうしてこれほどシンプルな料理がこれほど多くの喜びを与えてくれるのだろう。 同時に、その舌に喜びを与える塩分の濃さを中和するように、一緒に用意した湯気昇る白ご飯を口に運んだ。主食であるご飯の無味が、野菜炒めの塩分を得て突如その存在感を増す。舌と料理の間に滑り込むクッションであり、野菜炒めのストレートな味に新たなアプローチを与える。米を噛みつぶすたび、その米の粘り気がある触感が顎を働かせ、野菜炒めの2段階目の味覚へと突入させてくれた。お米が立っているため、口に放り込んだ瞬間のべたつきが無く口の中を滑るようなその触感が余計に次の一口を求めて脳に勅命を送る。米と混ざり合った野菜たちは決して米と喧嘩をすることなく、むしろ調和するように薄まったその塩味のつつましい刺激をもってもう一度味覚を楽しませ、飲みこむ。その嚥下もまた、次の一口への喜びに繋がる。 次はニンジンを、今度は甘味を求めてキャベツの芯と玉ねぎも一緒に頬張る。確り火が通ったことで青臭い臭いと固い歯触りはなく、かといって焼き過ぎたせいで細胞壁が破壊され歯ごたえを失っているわけでもない、絶妙な硬さ。ご飯によって薄目になっていた塩味の度合いが再び最大値に戻され、その味覚の移り変わりが飽きを与えさせない交互のコンビネーションだ。更にそこに玉ねぎの分かりやすい甘味が加わって、やはり野菜は甘くてこそだと実感した。 肉、野菜、穀物。この3つのバランスは決して栄養的なバランスだけではなく、味覚のバランスを取ってくれる。豚の微かな甘みを感じさせる油と肉の繊維もまた、タレとともに野菜の味付けに統一性を持たせている。そして統一された香りもまた、食欲を増進させる。目に楽しい色合いと香り、具の組み合わせで違った味わいと歯ごたえが楽しめる食の広がり。それこそが野菜炒めの本懐だと思う。 私はその後も野菜炒めの教えてくれる可能性の広さを探求するように食べ続けた。 ・・・・・・やっぱりここまでやらなくていいです。取り敢えず食べ物食べる時は触感、具体的な味わい、香りなど最低限の要点を押さえないとおいしさが伝わらず、おいしそうでもない食事シーンをグダグダ続けることは無駄でしかありません。 あれ?いつの間にか食べ物講座になっている? 食べることが好きならばこの程度は造作もありません。ただ目の前の料理を食べるだけでなく、どこがどう美味しいのかをしっかり意識すれば「食べて美味かった」を引き延ばせるのです。というか小説というのは引き延ばしたい部分を引き伸ばし、縮めるべきところを縮める必要がありますので・・・・・・ 本当はここまで引き延ばしてたらグルメ小説になっちゃいますけど、グルメ小説かぁ・・・・・・食べてみるシリーズとかやってみたいですね。ひたすら主人公がいろんな料理を食べるだけみたいな。食べたり飲んだりを書くのは好きなんですけど、普段はカットせざるを得ないので。というかぶっちゃけ書きたかっただけです。 表現が凄いですね。というか最後らへん見ていて妖怪ウォッチ思い出しました(笑)プリンの話wwwテレビにでて食レポ出来るレベルですよ!芸能人より絶対上手いです∑(OωO; ) |
本編のちょっとした裏話を書いちゃう話。シンガーソングオンライン読んでない人には関係なし。 おまけ以降の物語についての補足ですが、ユウキとブルハの出会ったタイミングは、ユウキの容体が急変する少し前くらいです。かなりギリギリのタイミングです。また彼女が病魔に勝った理由は・・・分かりません。現実には起こりえないマクロス的な何かが起きた、ということになります。 正直自分の考えていた作品の雰囲気と似つかわしくない、サイレントヒルのネタENDくらいの気分で書いた内容だったので、当初は夢オチみたいな存在だったんです。 これ以降の話はユウキ生存のご都合ルートです。正規のルートではユウキに奇跡は起きずに原作通りの展開を迎えています。 態々そのルートで続きを書いたのは、「仮想空間の歌う少年」というSAO二次創作とクロスさせてもらえることになったのが切っ掛けでした。ありていに言うと、この文章量でクロスとかいくらなんでも酷くないか?と引け目を感じたからです。他のクロス作品達が沢山連載している中で全3話って・・・プロフも入れて4話って・・・・・・いくらなんでも酷いでしょう。短すぎます。ということでユウキに作者の都合で手伝ってもらい、SAO内での思い出を語るという形で話を追加しました。 ・・・・・・一度は書いてみたかった、実在の歌をモデルにした物語。ここがネックでした。歌詞なしは利用規約的にあたりまえなんですけど、歌詞なしにしてしまうとメッセージを伝えるのが大変すぎる。あの出来損ないのポエムみたいなのはそのための苦肉の策でした。あれもあれで危ない。危なすぎて練習投稿なのです。 |
ふと、狂人と聞いた瞬間に感じたもやっとしたものを書き連ねています。狂人というのは、狂っている人だから狂人です。でも狂っている=理解できないと解した場合、狂人と呼ばれる存在はごっそり減ります。 仮に4人の殺人鬼がいたとします。 Aは血を見るのがどうしようもなく大好きです。血が綺麗だと言います。 それは人の命を散らせてでも綺麗なものが見たいという願望です。血が綺麗なのは理解できなくとも、願望に負けて倫理を潰している。欲望に溺れていることが理解できます。 Bは自分の行動を邪魔する人や気に入らない人を片っ端から殺します。 それはBが、邪魔をされては自分が自分らしくあれないと考えているからです。若しくは嫌いな人間を排除したいという欲求を抑えられない。抑圧からの解放を求めて殺している事が理解できます。 Cは生きるためなら誰だって殺して物を奪います。 Cは生きるためなら当然として他の命を散らさなければいけないことを知っているし、生かしておけば後で自分に面倒が降りかかるかもしれないからと殺しを即決します。合理性があり、理解できます。 Dはよく分からないけど殺します。 基準はわかりません。でも殺します。楽しんでいるのかは分かりません。でも殺します。助ける事もあるけど、面倒がどうとか言っていていますが、どうせ生かすのも殺すのも面倒なくせにどこかに線引きしています。理解できません。故にDは狂人です。 この理論で行くと4人の殺人鬼の中で最も何を考えているのか行動原理が分からないDだけが狂人で、残りの3人は狂人とは違います。しかも、ABCは意思が一貫していますが、Dは本当に一貫しているかどうかも分かりません。不確定です。 ABCは狂っているのか?でも3人にとってはそれはご飯を食べなければお腹がすくのと同じくらい当たり前のことと考えています。もしそこに、その考えを得るに至った経緯まで書かれていれば、それは論理だった形で説明できる人間です。異常というのも一般から見て相対的な異常であり、単なるマイノリティな存在というだけかもしれません。その境に3人の狂人か否かの是非は揺れます。 ではDは狂人か?よく分からないけれど殺しているのは本当に狂人の証でしょうか。ただ毎日を生きていて、うどんとそばのどっちを食べようかという迷いを抱いた時に「どっちでもいいや」とうどんを選ぶ。それと相手の生死を決める事とどう違いがあるんでしょうか。万人受けする映画でも面白く感じない人がいるように、人間の命に価値を見いだすかどうかの判断は人に委ねられています。感覚で生きていれば、自分で何故それを選んだのかよく分からないけど気にはしないことだってあるでしょう。 ABCのそれは一つの事を貫き通せる強さでもあり、その反対を求められると対応できない弱さがあります。 Dは、対応できるかもしれないし出来ないかもしれません。それは人間が本来持つ不確定性ですが、強さも弱さもあるかどうかわかりません。窺い知れません。人間らしいはずなのに、人間らしくはない。一貫しているようで、一貫していないような気がする。不確定の癖に本人にしか解らない基準が存在している。 私は、個人的にはDはやはり狂人だと思います。不気味だからです。彼は人間の理性で確認しえない価値観を持った存在です。理解できないものを人は忌避しますから、私もやっぱり忌避します。ある意味殺人鬼は4人とも人間らしいのですが、それでもやっぱりDは浮いています。彼の理論は人類の持つそれから一段飛躍した所にあります。精神的にはもう人間ではないのかもしれません。人の言葉を喋っているのに、その判断基準は人の価値観で説明できないのです。 ぶれてることが人間なのか? ぶれないことが人間なのか? 間を取ったから人間なのか? 判決を下すのは読者ですが、狂人を狂人たらしめるのは作者です。作者がDを生み出すというのは、作者が人間と言うものを区切る明確な線を心に持っていないせいだと思います。でなければDは作り出せません。それともDを生み出した作者が最初から狂っている?それとも私が狂っている? 狂人なんて本当にいるんでしょうか。もうよく分からなくなったので寝ます。 |
・・・っていうの、ありますか?キャラメイキングや実際に小説内でキャラクターを喋らせる際に意識することというか、まぁ理想の主人公像みたいなものです。 例えば馬鹿正直で豪放磊落とか、嘘つかない誠実な人とか、あるいは絶対にものごとをやり遂げる一貫した意思があるとか。そういうのって難しいです。 何人キャラ作ってもこう、自分の中のアーキタイプキャラから抜け出せないような感じがします。で、アーキタイプというのは自分の小さな願望を実行させるのは簡単なのに、大きな希望をやらせようとするときに急に内容が安っぽくなってしまう。それは何故かと言うと、作者の主義主張が邪魔をして完全に独立した一キャラになりきれていないからなんだと勝手に思っています。オリジナル主人公をやる時はこれがネックになっている気がします。あくまで論理的解釈ではなくフィーリングですが。 逆にアーキタイプから逸脱しすぎると、それもそれで安っぽい。作者が狙って書きましたと言う感じがしたり、個性やアクを抜きすぎてお手本キャラみたいな存在になってしまいます。新鮮味もないし、注目すべき点も特にないキャラなんて作ってもしょうがない感じがします。ヤンデレやらツンデレやらショタキャラやらはこれに嵌りやすくて、属性が先行した結果出来上がったキャラが安っぽくなりがちです。 だからその中間あたりに自分の理想を置いてみる。正しいかどうかわからないけど取り敢えず置いています。そうするとキャラを作るたびに頭の隅でさり気なく存在感を主張してきて、アーキタイプとはまた違ったキャラが出来るような気がするんです。 うん、何言ってるんだろう私は。要するに理想とするものがあるのにそれをなかなかキャラに反映させられないって話です。未だにその辺は修行不足。研究中です。 ちなみに今の最大の研究テーマは「女性的な強さ」です。雄々しい女々しいという言葉がありますが、女性が弱いとは限らない訳で。ならば女の強さを手に入れた男は多分最強というONEPIECEのオカマ最強論みたいなのをこっそり研究してます。 ハガレンのエドとか、Dグレのアレン辺りがその強さを持っていると睨んでます。 誤魔化しをしない、とも取れますね。確かに作者の意図がキャラクターの行動を歪めると、どうしても不自然になってしまいますからね。 オリジナリティとか元ネタとかは、考えてもどうしようもありません。 というか私に至っては時々他のキャラを真似て書いてみています。既存のキャラは偉大ですが、動かし方が下手だと活かしきれない。だから真似キャラを作ってみて、どう動かせばあのキャラのいい所を押し出せるのか・・・逆にどんなことをするとマイナスになるのかを調べることで次のキャラの糧にすることもあります。折角先人が用意したお手本がごろごろ転がっているのだから利用しない手はありません。 別に完全オリジナルである必要はどこにもないですし、どこかのキャラを元にしていたっていい。オマージュ作品も立派な作品ですし主人公にバンドーエージとか名付けちゃう人もいるんだから、創作界隈には無限の可能性があると思います。オリジナリティがあるかどうかより、書いた自分と呼んだ相手を納得させることの方が重要。オリジナリティの創造なんていうのはそっちをやりたい人の仕事です。 私が考えて居るのはただ一点。 『バカにしない』 自分のキャラをバカにして、目の前にある答えにわざわざ辿り着けないようにする。こんなの作者の御都合主義以上の物に成りませんから。 普通の人。自分基準ですが、自分が、その自らの創り出したキャラの立場に置かれた時に気付く程度の事をワザと気付かないようにして物語を展開させない、と言う事。 そもそも、これまで人類が産み出して来た物語の中に、自らの創り出したキャラの雛型となるキャラは存在するはずで、其処に新たなるオリジナリティを作り出す事など最早不可能。何処かには必ず登場した事が有るはずですから。 もっとも、それを言うのなら『物語』だって、すべて何かの二番煎じでしかないのですが。 こんな感じですか。 基軸に組み込めるものを理想に据えてればよかったんですけど・・・この理想像というのは私にとってものすごく漠然とした憧れのようなものなんですよ。こんな風な台詞を思いつけるような強さをキャラに与えられる自分でありたいというか・・・ だから組み込むならキャラではなく自分に組み込みたい。でもこれはデータ化できないし文字に書き起こせるような特徴ではない。だからその理想を自分の書いたキャラにちょっとずつ探らせている感じです。一方向であれる強さというのは常に逆方向への弱さを併せ持っていると思うんです。だからそのはざまに立たされた時に、こうなる、という結果の部分でびしっと決められるキャラを育てたいんですね。なんだこれ全部自分の願望じゃないか。 ないですね。ただ、理想ではないにしろ、このキャラクターはこういうことを基軸としてその人格が形成されている。そんな感じの設定入れたりしています。例えば無為徒食を基軸とする人間はどういうアクションを起こそうが決してぐうたらをやめようとはしない、とか。そんな感じでしょうか。 揺らぐことのない一貫とした意思、というのはなかなか難しいものだと思います。それを貫きすぎると人間ではないただの機械になるし、揺らがせすぎるとキャラクターとしての基軸が崩れてしまいます。そこで適度に揺らしておくのが、自分の流儀です。人間なんだし、絶対揺らがないというわけではないと思います。ちょっと暴言ですが、決して揺らがないのは狂人くらいでしょうかねぇ。ぐうたら人間でも餓死したくないから買い物くらい行くでしょうし。 なんだか話が脱線している感じですみませんでしたm(_ _)m |
読み返せば読み返すほどに、誤字。 もう10回は読み返したような作品にも、誤字。 投稿済みの小説に当然のように、誤字。 修正・・・望まれぬ文章を、消去。修正は消去。消去は修正。修正の消去。消去の修正・・・修正?しゅう、せい。静寂を乱す誤変換はどこにある?誤字・・・・・・誤字は、消去されなければならない。消去修正消去修正消去修正・・・・・・・・・はっ!?いかん、正気を失っていた・・・ |
いろいろなキャラクターを演じて来られた家弓さんですが、私はDODのヴェルドレでした。友達はみんな大好きパラガス。他にも沢山の魅力的なキャラクターの声を演じてきたあの人が亡くなったと聞いたのは今日の朝頃だったかな。 いずれ人が死ぬのは天命ですからしょうがありませんが、それでももっと、あの独特のこもった声を聞いていたかったと思ってしまうのは身勝手でしょうか。ご冥福をお祈りします、って言い方は余り好きではないので・・・・・・今まで様々な作品で素晴らしい演技を聞かせていただき、誠にありがとうございました。貴方の声は忘れません。 |
練習投稿やめて通常投稿にしたアレ、アクセス数が露骨に増えてますね。元々練習投稿にしては妙に人が集まってたんですが、注目・・・されてたんですかね?どうも何度か口コミで「こんなのあるよ」みたいなことは言われてたようなんですけど、もう知っている人は知っているものと思ってました。 という訳で皆さん、たまには練習投稿も覗きましょう。ひょっとしたら貴方の発掘で輝く作品があるかもしれません。 |
数多に存在する作品にはその一つ一つにタグがついており、読者の判断基準の一つになってます。そんなタグについてもたまには考えてみようと色々見てみました。以下、良く見かけるタグを独断と偏見でチョイスしてます。内容的には二次創作についている物が多めです。 ・不定期更新 更新速度は保証できない、というそのまんまな意味。作者の謙虚さが垣間見えるようで、計画性のない人が掲げる免罪符のようでもある。更新が途切れて音信不通になる「失踪作品」にはあんまりついていない気がする。仲間に「亀更新」がいる。 ・オリジナル○○ 原作にない展開や技などが登場することを予告したタグ。オリジナルと銘打っておきながらオリジナリティが欠片も無い作品もあるので、このタグがあるから独自性があるとは限らない事に留意した方がいい。 ・主人公最強 主人公キャラが作品開始時点で誰にも勝てないような強さを持っているという意味。様々な種類があるが、主人公の心理描写がいいかげんで自己中心的な行動を取ることが多く、総じて当たり外れが大きい。類似タグに「チート」がある。 ・ヒロインは〇〇 作品が始まる前からヒロインキャラの名前を告知することで、そのキャラクターのファンに知らせようとするタグ。読む前からネタバレ全開であることまで意識しているのかは不明。このように物語開始前から特定のキャラの立場などを暴露することで、読者が抱くであろう不満に対し一種の予防線を張ることも出来る。 ・オリキャラ複数 原作にいないオリジナルキャラがストーリーに絡むことを知らせるタグ。原作キャラ以外に興味が無い人やオリキャラが苦手な人への一種の警告でもある。名前を覚えるのがとても面倒で、作者のキャラ管理力が試される。 ・ハーレム 一人の男性キャラに対して、多数の女性キャラが恋愛対象として対置されている事を知らせるタグ。ハーレム自体賛否が分かれるものなので重要な警告であると言える。ちなみにハーレムは日本的な呼び方であり、学術的にはハレムやハリームが正しいかもしれない。 ・○○生存 原作で死亡するキャラクターが生存するif要素を伝えるタグ。助かったからと言ってその後に活躍するとは限らないので、時たま読者をがっかりさせる。仲間に「○○救済」などがある。 ・多重クロスオーバー 複数の作品を混ぜた世界観や物語になっていることを伝えるタグ。通常のクロスオーバー以上に話や世界観を纏めるのが困難であり、挑戦する作者は比較的初心者が多い。優劣のはっきり分かれるジャンルである。類似タグに「複数クロスオーバー」がある。 ・○○エンド その物語の行きつく先がバッドかハッピーかなどを予め知らせておくタグ。ネタバレ全開であり、バッドエンドが苦手な人がうっかり読まないようにという警告の意味や、最後はハッピーで終わらせるという意思表示だったりする。 ・キャラ改変 原作と異なる人格形成を為したキャラが存在することを伝えるタグ。ギャグ作品に多い傾向にある。時折ひどい扱いを受けているキャラもおり、作者のキャラ愛が試される。行き過ぎると「原作レイプ」に進化するのでリスキーだ。 ・TS 性転換の要素を含むことを表すタグ。一種の警告で、TSが苦手な人は見てはいけないという意味を含む。TSというジャンルは作品を面白くする難易度がとても高いので過大な期待を抱いてはいけない。 ○○○(××のみ) 特定作品の武器や技、キャラのみが作品に参加していることを表すタグ。態々タグをつけている割にはほとんど登場していなかったりどうでもいいところで登場していたりすることが多く、タグ詐欺の一種とも取れる。はっきり言ってタグに乗せる必要が無いものが大多数だ。 ・その他 無駄に馴れ馴れしい口調のタグを見かける。フレンドリーな雰囲気を醸し出したいのかもしれないが、正直取っ付き辛い。人によってはテンションが鬱陶しく感じる。 ・・・・・・とまぁ、自分なりに考えてみました。どうでもいいことが好きですいません。 というか極論を言うと私の呟きの大体は人にとってどうでもいい事なんですが・・・・・・タグにも案外作者の認識が反映されてるものです。タグのつけ方で作者さんの心理が見え隠れすることもあります。 予防線張ったとしてもタグは精々4、5個くらいになると思うんですよ、本当は。それ以上つけてるとしたらもうそれは読者さんにとって必要の無いオマケタグなんです。もしくは小説を見てほしいアピールです。 これ結構怖いんですよ。気付かぬうちに読者が「この人面白くなさそう」って思わせてしまうようなタグの付け方をしてる人がいるんです。なにせタグはネットではあらすじやタイトルと同じタイミングで見る場所ですから、顔につける化粧や香水みたいなもんです。付け過ぎ厳禁、濃すぎると人を遠ざける。 タグにはどれもメリットとデメリットの両面性があるので、付ける時は読者の立場になって一考するのも無意味ではないって感じの話でした。 自分の作品にはいっぱい付けているけど、読む側の場合は気にしないな。 気にするのは原作沿いだけ。これはそもそも読まないから。 それでいっぱい付けている理由は予防線。ハーレムはその典型。女性キャラの人数が増えて来るから。 そもそも、そのすべてに恋愛感情があるとは書いちゃいない(ない、とも書いていないが)。ただ、数が増えて来ると言う事実のみが存在するだけ。 逆に、最強物関係のタグは付けていない。 能力はかなり高い。おそらく、普通の二次なら簡単に無双出来るレベル。 だけど付けると詐欺に成る程度の敵が出て来るから。 私の場合はこんな感じ。……と言うか深く考えてタグを付けて居る作者さんって少ないと思う。 多分、みんなツッコミがコワイから、タグを付けて居るんじゃないのかな。 |
スマブラのCP戦でさえ苦戦する私ですから、コンボゲーなんて無理です。だからいつも動画で見てるだけ。最近買ったスマブラも、正直ちょっとしんどいです。動画サイトで永パとか紹介してるのを見ますが、態々見て試そうとも思わな・・・というか、空中A攻撃のコントロールが基本的に苦手。3DSのグリグリのカバーが取れちゃうし、クリアゲッター埋めるのがしんどすぎるし、持ちキャラだったメタナイトがアホみたいに弱くなってるし・・・・・・ でも格闘ゲームってよく考えたら元々そんなものですね。やり込まなきゃ強くなれる筈もない。他のゲームだってプレイの仕方を覚えてからが本番です。やり方覚えてからが本番という事は、まだやり方覚えきれてない人は始まってすらいないのです。 だから私は今日もサムスの研究をしながらドクターマリオを操りシュルク使いを目指すのです。・・・・・・みたいな無計画な事は小説ではやらない方がいいですけどね。沢山抱え過ぎると大変ですから適切に消化していける計画性が欲しいです。 |
最新話読んだ人は2度目の告知になりますが、この作品を練習投稿に置いておく意義がない気がしてきたので練習投稿を解除しようと思います。つきましては、反対意見も無いようなのでこれから数日の間非公開にし、本文の細かい調整をしたうえで改めて公開します。 これ、ハーメルンでちょくちょく見かけた日記形式を自分なりに真似たものなのですが、他人のアイデア貰っておいて我が物顔で公開というのも嫌だなと練習投稿に放り込んでた作品です。多分来週の月曜には再公開なので。万一読みたい人がいたら、申し訳ないですがそれまで待ってください。 追記:無理してコメントしなくともいいんですよ? 再公開待ってます‼︎ 短すぎてすみませんm(._.)m |
PCが重すぎる!!ここ数日で明らかにパフォーマンスがガクッと低下していたので、これは不味いと思って素人ながらPC整備を行いました。動画が止まる、ページを開くたびPCが一瞬停止する等々・・・・・・小説書くときは全然関係ないページから関係ある参考ページまでいろんなものを開いたままやっているだけに流石にイライラが最高潮になりました。 要らないファイルの一斉移動と削除。使わないブックマークバーの削除。PCに変なものが入ってないか一斉点検・・・パフォーマンスを低下させまくっている謎プログラムと堆積したデータの削除・・・そして、ぶったまげたのがキャッシュです。名前も碌に知らなかったようなキャッシュですが、調べてみると自分には必要ない上に300MB近く容量を喰っているというのだから・・・・・・これだからパソコンというのは分からない部分が多くて嫌いなのです。(八つ当たり気味) 多分合計で1GB近くのデータを虚空の彼方に消し去りました。うん、随分マシになったみたいです。それだけです。オチなし。 しかし・・・・・・マシになっただけで結局遅い。PCそのものが限界を迎えてるのかも。 |
GGO《ガンゲイル・オンライン》の世界に、ゲーム開始当初からただの一度も殺されたことのない、「死なないプレイヤー」がいるという噂がある。 曰く、そのプレイヤーに弾丸を当てる事は出来るらしい。だが、即死級の対物ライフルや爆発物などの類で攻撃すると「必ず仕留め損なう」。気配を察知されたり、辛うじて躱されたり、若しくは予期せぬ乱入で必ず失敗するのだと。更に、当てるまでは上手くいこうとも、絶対に致命傷にならないのも有名だった。通常、弾丸が一発命中すれば防具で固めていない限り大きくバランスを崩す。アサルトライフルの類を使えば、一発当てた時点で勝ちのようなものだ。なのに「絶対に致命には至らない」。 瀕死まで追い詰めたという人間もいる。だが、瀕死止まりでもPK自体には失敗するというのはさらに有名な話だった。そして絶対的優位に立ったと思った瞬間に、そのプレイヤーは反撃を受けて死亡する。 「死なないプレイヤー」を仕留めようと集団が狩りに出ると、同じ目的を持った全く別の集団が違う場所から狩りに来る。さすれば必然的に集団同士で戦闘になり、目標であるはずの存在を見失う。酷い時には「死なないプレイヤー」を含めて四つ巴の泥沼に陥ることさえあるという。 「死なないプレイヤー」は決まった武装を使用しない。その時に持っている武器、その日に奪った武器を使用して戦い、生き残る。狙撃も突撃もオールマイティにこなせるがゆえに、それが一層対策を困難にさせた。それでも「死なないプレイヤー」を狙う人間が絶えないのは、彼の称号が欺瞞であると疑うものや、有名プレイヤーを倒して名を上げようと考える人間が次々に現れるからだ。中には「死なないプレイヤー」が持つ非常に貴重な武器、「バハウザーM571」という化物マグナムを求めている人間もいるが、成功したものは未だ一人としていなかった。 ――システム的な不死ではなく、本物の不死である。 ――彼は見えざる手によって生かされている。 ――彼は神の域へと到達している。 誰もが最初に聞いた時は鼻で笑う。そして、真実を暴いてやろうと「死なないプレイヤー」を追いたてる。だが、どれだけの時間とカネを費やしても、どれだけの薬莢と硝煙をばらまいても、「死なないプレイヤー」の命にその鉛玉を届かせた人間は誰一人としていなかった。 その意味を、銃士Xと呼ばれるプレイヤーは身をもって知ることになった。 「あ……ありえ、ない」 ただ一人を狩る為だけの戦いだったはずのそれは――いつしかそのプレイヤーを討伐しに来た人間、銃士Xを討伐しに来た人間、関係のない乱入者、果ては今までこの周囲では一度も確認されていないモンスターの群れまでもが乱入して本物の戦場のように荒れ狂った。予想外と想定外でごった返したその戦いはあっという間に燃え広がり、見えない化物のようにプレイヤーを食いつくした。 そしてその中で最後まで立っているプレイヤー ――それこそが。 「何故だ……!?死なない筈があるか!!死なない筈が……ッ!!」 銃を握る筈の腕を欠損し、芋虫の様にもがきながら叫ぶ銃士Xに応えたのは、「死なないプレイヤー」の握るバハウザーM571の銃口だった。拳銃の分類でありながら20mm徹甲弾を発射することを前提に設計されたその化物は、装甲車の鉄板さえ容易に貫くことから「アーマーマグナム」の異名を持つ。 そしてそれを突きつけるプレイヤーは、どこまでも淡々と、無表情に、無感動に、そしてどこか疲れたような表情で一言漏らした。 「所詮、遊びだ」 プレイヤー名、「Chirico(キリコ)」。その別名を「触れ得ざる者」と呼ぶ。 ………キリコと言ったらむせる方しか思いつきませんでした。装甲騎兵ボトムズより、主人公のキリコです。 ・・・そ、そうなんですよ~キリコちゃんは女の子なんです!凄い可愛いですよ~?(神様どうかこの人がボトムズの事をグーグル先生に聞きませんように・・・良い作品だけど、知らせない方がいい事もあるよね・・・) キリトとキリコが戦ったら、ルールを定めた決闘ではキリトに勝機があります。でもHP全損が決着の条件ならば絶対に勝てません。いや、恐らく高確率でキリコを倒しきる前に別の要因でキリトがゲームオーバーになります。故にキリコは「触れ得ざる者」なのです。 キリコ「たとえカーディナルにだって俺は従わない」 面白そうでずね キリコは女の子だよね!絶対女の子!装甲騎兵ボトムズは知りませんが… 彼女強そうです‼︎喋り方からして。 キリトとどっちが強いんだろ〜 |
※かなり長文で、しかも言いたい放題です。 「あまり多くを求めないことだ。とくに他人に対しては」・・・これ、レオ・C・ローステンという作家さんの言葉らしいです。 世の中の人は皆何かに追われ、苛立ってるものです。特に私なんかは気が短いので何かとイライラしやすいですし、ネットやツイッターでもアンタは一体何に怒っているんだと聞きたくなるほど攻撃的なことを書いている人を良く見かけます。そしてイラついている時ほど他人に多くを求めてしまいます。 やれああしろ、やれこうしろ、気が利くとか利かないとか、自分でどうにかしろとか。身近な人につい苛立ちをぶつけていたり、思い通りにならなかったせいで怒ったり・・・でもそれらの多くは結局独りよがりな不満でしかありません。そして不満はより良い状態を欲する欲求から生まれます。自分の中で勝手に膨らんでしまった期待値が無自覚に多くを望んでいるんでしょう。 これを見たとき、私は2つの事柄を思いつきました。 一つは自分の事。他人の小説や文章を読んであれが足りないこの表現が鬱陶しいとぶちぶち文句を言っている「読者様」の自分です。可能な限り文句は書かないことにしていますが、それでもいざ読んでみて期待外れだったりすると口で文句をたれてしまいます。この文句こそ「多くを求める」と同じことかも、と思うのです。なまじ長く創作小説を読んでると段々選り好みが激しくなっていかんですね。 で、もう一つ。実際はこっちが本題です。 コメントください、評価ください、お気に入り登録ください・・・・・・という催促文。こんなもの出しちゃいけません。何で評価されないのかなんて言ってはいけません。何でかって?原因が分かりきっているからです。何が原因かは言うまでもないですよね。 面白くないからですよ。 面白くないからくれと言っても貰えないんです。 よしんば入っても半分くらいは同情票です。寧ろ他に評価の低い理由はほぼ無いでしょう。無論ジャンルやタイトル、宣伝文が関係ないとまではいいませんが、最大の原因はそこに集約されている筈です。他人に評価に値しないと思われてます。感想書かなくていいやと思われてます。お気に入りにわざわざ入れる価値が無いと思われています。だから評価が低いんです。 挑発的なことを言っているようですが純然たる事実です。このサイトのレベルが低いか低くないかで言えば、総合的には低いと言わざるをえません。アルカディアとかハーメルン、なろうのレベルが高い方々と自分の文章を比べてみれば嫌でも分かります。文章量、表現方法、語彙、バランス、何より経験。負けまくってます。 もちろん私も負けてますよ。本気の小説家でない人に大差をつけられています。小説家を目指しているご身分じゃありませんが、それなりに敗北感はあるものです。だから未だに自分の小説に足りない所を埋めようとしてます。 本当に評価が欲しいならたかってはいけません。評価されない原因は自分と自分の作品にあるんです。たかったところで評価など得られません。そもそもたかっている時点で「自信があるのにどうしてみんな評価してくれないんだろう」という甘々な意識が丸見えです。何が甘いって、してない努力をした気になってるところがです。 点を入れてくれるように頼むのではなく、読者に点を入れさせてやると思って書かなければいけません。感想を書かずにはいられなくしてやると思ってストーリーを組み立てなければいけません。その為に、他人の小説を読んで自分が目指すレベルを正確に把握しなければいけません。他人に評価されるものばかり書けとは言いませんけど、自分の小説の面白さを伝えたいなら他人に伝える文章力は必要です。 他人に求めるのではなく、他人が求める小説を書くこと。それが本気というものです。 流石に評価はいらない、とまでは考えていないけど(本当かな。かなり微妙)、独自路線を突っ走って居る作者には違い有りませんね、私は。 実際、自分が書いている中の、どの部分が受けてお気に入りを入れて貰って居るのかがさっぱり分からない状態なのに、それでも未だ独自路線を全速力で走り続けて居ますから。 ゼロ魔原作で受けていた『萌え』の部分は排除。ニコポ・ナデポなど知らぬわ。無双? そんな物は認めない。 判り易いギャグ……と言うか劣化パロディなど使わない。 矛盾はすべて排除。その為には多少の筋を変える事も仕方なし。 原作ファンに取っては、ここまで変えるのなら最初からオリジナルでやれよ、と言われるレベルのシロモノですから。 初めから、どの層をターゲットにして書かれた物なのか謎過ぎる作品ですからね。 尚、私が文章力を磨きたいと考える理由は、読者に自分の作品の面白さを伝えたいから、と言う部分が大きい訳ではなく、もっと違う言葉。違う表現方法があるはず。それを自分の言葉として使って見たい。……と言う部分が大きいから。 でも、そう言う人間でなければ、大多数の作品の中で埋もれている一山幾らの作品を百話、総文字数130万文字以上も書き続ける事など出来ないとも思いますが。評価が欲しいから書いているのならもうとっくの昔に投げ出して居ますって。 最後。晩飯は御粥を食べて、少し食欲が出て来ました。食えなきゃ洒落にならない。 知って居ますか。眠るのにも体力は必要なんですよ。本当に身体が辛い時には眠れません。 でも眠れたなら、次に目を覚ませば、少し体力と体調は回復する物です。 入退院を繰り返していた時は、そうやって回復させた物ですから。 高熱を出して(これは意図的に)無理矢理にでも寝る。すると不思議な事に次に目が覚めると……と言う感じです。 病院で、ヤバいから家族を呼べ、と言われた事が有る人間ですから。私はね。 それではまた……。 期待点、ですか。たしかにそうだったのかもしれません。以前は実力以上の評価を受けていたのに、以前に比べればだいぶ実力がついた今は逆に殆ど評価されなくなったので、不安になりすぎていたようです。わざわざ小説まで見ていただきありがとうございました。 ぐさりときたと書きましたが、それは評価されるために書いているのではないと思いながらも、評価されなくて残念に感じる以上、なんだかんだ言って評価を欲しがっている浅ましさに気づいたからでもあります。 最近は「前より上手く書いてるのにどうして評価されないのか」→「私の小説が面白くないからだな」→凹む、の繰り返しです。精進していきたいと思います。 その辺の発掘事情には疎い方なので何とも言えません。 でも、評価を受けられる域にも達していないようなレベルの作品を掲げて評価をたかっている人は、私には許せないんです。宣伝する前に宣伝できるだけの中身を作品に詰めていない人です。何となくではなく明らかに書きこみ量や知識が足りていないと分かるだろうに・・・そんな人が本気出してるなんて誰が言えますか。 宣伝能力も本気で評価されたいなら自分で探り、他人に聞いて方法を研究するべきです。してないのならば・・・別に評価を求めてないか、気付かれる努力を怠っているか、本当の本当に運が悪いかです。その辺は個人の自由だと思います。1番目の人には関係ない話ですが、評価されたい癖に2番目にいる人は本気じゃないんです。 ランキングも評価も小説を探すツールでしかありません。でも、7割くらいは真実を物語ります。評価が高いものが面白いとは限りませんが、低いものに対してはかなり正確な判決を下しています。まあぶっちゃけていうとこの話・・・独自路線や評価要らない人にはほぼ関係のない話なんですけどね(汗)本気で評価されたいならそこまで考えてって話ですから。 というか、体調大丈夫ですか?言葉だけしか送れませんが、身体を労わってくださいね。 広告・宣伝能力の欠如も大きいと思いますよ。 ある程度の文章力が有って、これで何故、評価が入ってないのか、と言う作品はいくつかありますから。 確かに、時代やサイトのニーズに合っていない、と言う部分も有るでしょうが、まとめサイトやスコッパーに発掘されて大きく評価を上げる作品も少なく有りません。友人たちの作品がそうでした。 後、身内で評価し合ったりする作者も居るので、そもそもこの評価、と言うシステム自体を私は一切信用していない。自ら読んで見て判断するだけ。ランキングは一切見ない。 むしろランキングに載った作品は忌避しています。私の肌には合わない作品が多いので。 私自身が、完結もしていない作品の何処をどう評価して良いのか判らない、と考える人間だと言うのも大きいと思いますが。 こんな感じですか。 体調が悪くて頭の回転も鈍い。まして、自分の更新も放り出している状態。 ここまで書くのに、ヤバい事を書いては消し、書いては消しの繰り返しでしたから。 尚、私は他人が求めて居る物を書いているのではなく、自分が求めて居る物を書いて居ます。 それで無ければ、長く書き続ける事は、私には不可能でした。 ……意思が弱いので。 ちょっとマルバさんの小説を覗いてみましたが、固定ファンもちゃんといて点も入っているようじゃないですか。この点の入り方は同情票だけでは断じてありません。恐らく半分以上は「期待点」です。貴方の物語に期待して、投資のような感覚で点を入れているのだと思います。同情点よりも価値ある点です。大切にしましょう。 連載を始めて暫く経てば点やお気に入りの増加数が減るのは当然と言えば当然だと思います。最初の数話で「面白そう」と感じる人と「読まなくていいや」と感じる人に分かれるからです。それは個人差なのであまり深く気にしない方がいいです。減った時に現状で満足するかどうかで、取るべき行動が変わるというだけの話です。 一つ誤解しないでいただきたいんですが、本気じゃないとか評価されなくてもいいという考えは持っていても何らおかしい事ではありません。趣味の範囲で書いているならばなおさらです。小説を書く人間が全員本気でやらなければいけない謂れなどありません。 結局のところ、自分の努力した分だけ結果が帰ってくると言うだけの話ですから。自分が納得できるところで足を止めて良いんです。 私も同じようなことを考えるようになりました。予約投稿の時間になって、しばらくしても評価もお気に入り件数も増えないことを残念に思い、私の小説がつまらないせいなのだと自覚してしまいます。 一番面白くないのは、私が初めて小説を書き始めた頃の、つまり小説などとは口が裂けても言えない程稚拙だった頃の方がよっぽど評価されていたという事実です。 暁で評価を活発に行うユーザーが減ったせいだと考えたいのですが、私はもっと絶望的な予想をしてしまうのです。私の小説には同情票以外の評価点が入ったことはないのではないかと。 だから、私はいつも逃げています。ここに投稿する作品は一ヶ月かけて推敲したような本気の作品ではないのだから、評価されなくてもよいのだと。他人に評価されるために書いているものではないのだと。前者はともかく、後者は言い訳ではなく本音です。こんな態度だからろくに評価されないのでしょう。そんなことを考えてから今回の海戦型さんのつぶやきを読み直して、二重にぐさりときました。 中身の無い長文を書き連ねてしまい、すみませんでした。 |
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2014年 10月 25日 19時 35分