良い点 / 悪い点 / コメント |
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劉仲敬氏は、西晋での五胡、フラウィウス・アウグストゥス・ホノリウスでのローマ略奪、淝水の戦いでの苻堅と慕容垂と姚萇、蕭衍での侯景の乱、李隆基での安史の乱などの例でロシアの最期を形容します。
作者からの返信
2023年 06月 24日 11時 59分 現状の統治機構を残したままにする方が良いとされている部分もあるでしょう。 仮に反乱がおきても、ロシア政府を支援するのではと考えています。 それに茶番の戦争ができる相手であった方が西側には都合が良いでしょうから…… (ただ反露色の強い東欧系ユダヤ人の人士が大手をふるっている現状を考えると、そうなるともいえませんが) |
お詫びいたします、僕は実に言ったのは現実でのワグネルのことでしたか、『冥王来訪』での世界線と考えば、黒い一月事件、チェチェン紛争などに参照しませんが(しかし、BETAによる平らげる、地理の疎隔と地元のエリートは消え、独立や割拠の資本となりますが?)
作者からの返信
2023年 06月 24日 11時 12分 プーチンとプリゴジンの話は茶番と思っています。 プリゴジンはプーチンの包丁人だった男です。 まず、KGBにいて暗殺のイロハや裏切りを知っている男が、少しの事で慌てふためく人物を重用するでしょうか。 信頼関係がなければ台所という重要なポジションを任せぬでしょう。 古代より包丁人や側仕えより出世した人物は数多くいます。 自分としては今回の件は、ロシア国内の不満解消のための田舎芝居と思っています。 >チェチェンを参照にした チェチェンを参照とは言いませんが、ある程度は旧ソ連の史実を利用したのは事実です。 ラトロワ中佐の夫はグルジア人という設定がありますので、そこから話を膨らませて、政治局員の息子ということにしました。 ラトロワ中佐も政治と何かしら縁がなければ、42歳まで生き残れるとは思えませんので、そうしました。 この人もベアトリクスと同じ1959年生まれですから、BETAが来ない世界線でしたら、早婚のロシア人です。 孫でも抱いて、嫁ぎ先のグルジアで静かに暮らしたのではないでしょうか。 (今でもロシア人とグルジア人の関係は言うほど悪くはございません。政府間の関係は最悪ですが) |
雄渾さんは後からユーラシアで軍閥同士の乱戦と思いますが?
作者からの返信
2023年 06月 24日 10時 33分 ソ連指導部は木原マサキひとりとゼオライマーたった一機に無残にも負けていますから、そのことで政権を担う正当性を失っています。 東欧は、ブルガリア、ルーマニア以外、すべてワルシャワ条約機構から離脱しています。 アルバニアは、1977年に米軍に占領され、ホッジャはソ連に逃亡後、処刑されました (このことは『慕情(ぼじょう)』の中に書いてあります) ユーゴスラビアは、どうするか思案中です。 中共に関しては、後日改めて、その行く末と、米国や日本の狙いを書きたいと思っています。 |
質問者:南軍が勝利し、アメリカが 2 つの国に分かれている世界で (北側はスイスのモデルを受け入れることしかできず、帝国の野望を失うことになる)、イギリスはアメリカ北部の支援を得て、自由世界を率いてドイツを倒し、冷戦でのソビエトを撃破のことができるでしょうか? 劉仲敬氏:南側が勝利した世界では、総力戦のモードは生まれて希望はありません。世界での初の総力戦モデルは南北戦争において北軍によって製造された。もし南軍が勝利した場合、つまり紳士や貴族、エリートソルジャーが民間人による組み合わせ軍隊を破った場合、北側の軍事模範ではなく、南側の軍事模範が世界の主流となるでしょう。 アメリカの統一は、ドイツとイタリアの統一の良い例です。もともと普仏戦争中は統一という問題に正当性はなかった。プロイセン軍もまだ精鋭軍であり、大規模動員の戦争ではなかった。普仏戦争中、両当事者は政治と経済を統合するためにすべての民間人の資源を動員することを考えていませんでした。もし南部が勝てば、ヨーロッパの貴族政治はその後よりもずっと強くなるはずで、大衆民主主義が勝つ可能性はほとんどないので、我々が見ている民主制の国民国家はヨーロッパ自体では起こり得ません。
作者からの返信
2023年 06月 24日 07時 07分 北軍もかなり無理をして兵力をかき集めましたからね。 後に世界大戦に持ち込まれる戦争の犯罪化も南北戦争が起源であったように覚えています。 それまでの戦争はいわばスポーツゲームの延長で、敗戦者を犯罪人として裁くようなことはなく、支払い可能額の賠償金を払って終わりだったはずです。 |
質問があります。アメリカ内戦にはアメリカ合衆国の勝利とアメリカ連合国の失敗はプロイセンによるドイツ諸国を統一することについて影響がありますが?
作者からの返信
2023年 06月 23日 16時 40分 ドイツの統一戦争に関しては詳しく調べていませんので現時点では何とも言えませんが、日本にはこの南北戦争は影響します。 米国は1858年に日米修好通商条約を結び、日本の外交関係に大きな影響力を及ぼすように見えたのですが、南北戦争の影響で、その後は明治10年前後まで日本との通商や友好より内政の処理で手一杯でした。 変わって英仏が幕府と新政府を支援し、代理戦争になるかの様相を見せますが、結果的には幕府の官僚機構や人材を新政府内に受け入れる形で終わりました。 (明治維新の話も小説の中で語るしかないのかな……マブラヴ世界の日本は1867年以降違う道をたどっていますし……) |
第一次世界大戦の爆発はドイツ統一で国際のバランスが崩れますけど、長い原因は国家権力の集中と普通選挙の拡大です。
作者からの返信
2023年 06月 23日 05時 20分 おもえば続く第二次大戦も結果的に民主主義の多数決によって起こった戦争という見方もできますからね…… |
カペー家のchambre des comptes(中央集権)とCompagnie d'ordonnance(常備軍)および20世紀のマルクス主義(階級と財産権を破れ)とルーデンドルフ独裁(総力戦)にもユダヤ人の陰謀ですが
作者からの返信
2023年 06月 22日 16時 19分 既存の価値観が変容したフランス革命以前はユダヤ人の勢力は小さいものでした。 現にユダヤ人財産家のロスチャイルド一族の発展はナポレオン戦争によるものでした。 ユダヤ人を過剰に持ち上げたり、恐れたりすることは、逆によからぬ勢力に悪用されますし、事実でないことを述べれば、攻撃材料を与えることになります。 >chambre des comptes フランスの会計検査院の制度は、中世にできたもので、ナポレオンが着目するまで忘れられた存在でした。 ユダヤ人の関係は薄いでしょう。 今日ユダヤ人として知られる人々の多数は、東欧系ユダヤ人の祖先をルーツに持つ人が全世界のユダヤ人人口の8割近くを占めます。 このことはコロンビア大学教授で、自身もユダヤ人であるツヴィ・ギテルマン教授の著作、『葛藤の一世紀―ロシア・ユダヤ人の運命』("A Century of Ambivalence: Jews of Russia and the Soviet Union - 1881 to Present"London: Viking, 1988)に詳しく書いてあります。 マルクス自身はユダヤ人で、ラビの家系の人物です。 マルクスの母親は、ロスチャイルドにつながるコーエン一族の遠縁にあたる人物です。 妻は、プロシアの内務大臣を務めたフェルディナント・フォン・ヴェストファーレンの異母妹にあたります。 日本では最近、在野の研究者の林(はやし)千勝(ちかつ)先生がそのことを詳しく研究なされております。 今までの研究と違い、かなり実証的に一次資料にあたって研究されてます。 >ルーデンドルフ独裁 ルーデンドルフ自身は反ユダヤ感情を強く持っていましたからね。それはないでしょう。 ただ、そのことは敵対した人間に利用された節はあると思います。 |
しかたない、第一次世界大戦は大衆民主主義を伴うナショナリズムによる、ドイツの統一で国際のバランスは破れました。
作者からの返信
2023年 06月 21日 21時 05分 第一次大戦に関して、ベルエポックの平和な時代を終わらせたのは英国ではないかと思っています。 サラエボ事件や19世紀後半からのドイツの軍拡は、そのきっかけの一つにしか過ぎないと思ってます。 第一次大戦時、海軍大臣であったチャーチルの狙いは急速に海軍力を増強していたドイツ潰しでした。 これは、のちに首相になってからも変わっていません。 そうすると今まで以上にロックフェラーやロスチャイルドにも言及せざるを得ないでしょうね。 |
『あとで小説の中でプロシア王国の時代以降、ドイツが苦心して、連邦国家になり、近代化したのかの話をしましょう。』 ドイツ帝国におけるプロシア(ヨーロッパ東部における勢力を対抗の防人とヨーロッパ東部における住民を開化の先鋒)はバイエルン(フランスとの同盟関係であったカトリック諸侯)とドイツ西部(イギリスとの貿易関係であるラインラントにおける諸国)との内部対立、まだユンカー、ドイツ社会民主党、ドイツ中央党、ドイツ海軍の建設を支持し、ドイツは海外への植民をしたいのドイツ統一によって利益を得る新しく興った商人とそれぞれの派閥抗爭のことを言えますが?
作者からの返信
2023年 06月 21日 18時 20分 ご感想ありがとうございます。 >対立と内部抗争 大雑把な話をしようかと思っていますが、資料がないので資料を集めているところです。 時々思うのですが、18禁ゲームの外伝なのにえらく小難しい話ばかり多いなと一人自嘲するときがございます。 |
ミクが可愛く反応するのが良い。 コメント マサキは妻に厳しいタイプか?と思いました。ドイツは貧しいのに軍事国家体制を作れたのですね。
作者からの返信
2023年 06月 20日 17時 19分 ご感想ありがとうございます。 >美久 彼女は推論型AIという人間の反応を学習して自己成長をする電子頭脳を搭載したアンドロイドです。 OVA4巻での反応などを見るに、より人間的な反応を学習して、人間以上に人間らしい、女らしい反応をするのではないかという事を考えて、今回の話を作りました。 >妻に厳しいタイプ? 外国人と結婚した夫婦でもめるのが、文化の違いによる食事ですね。 有名なところでは、欧米人は山野に自生するゴボウを薬草にしますが、日本や韓国の様に食用にはしません。 後ほど詳しく話しますが、ドイツ人は経済的に豊かになった今日でも決まった物しか食べない習慣があるので、多種多様な食材を食べる現代日本人からすると献立に非常な不満を覚えるのです。 >ドイツは貧しい 今日の経済大国ドイツからすれば、貧しい国というと連想できませんが、少なくとも19世紀中ごろまでは貧しく、主要な輸出品は海外移民でした。 船に乗れる経済的余裕のある人間がアメリカに、貧しい農民などはロシアにという形で数百万人が移住しました。 アメリカでは全人口の15パーセントがドイツ系で、ロシアでは2パーセントほどの200万人に上ります。 ドイツは、北緯52度で、過酷な環境です 夏は17時間の日照時間で、乾燥した暑さが続き、寝不足になりやすく、年間降水量も少ないので夕立どころか、雨も降りません。 そのせいか、飲料水も少ないので、人々は生の水よりビールを飲みました。 今でもドイツでは、水よりビールの方が安いです。 また水は硬水なので、日本の軟水と比べるとすごい飲みづらい水です。 降水量が少ないので、稲のような穀類は種類を選んだものしか育てられない土地でした。 (比較にいえば、化学肥料が登場する前のドイツの小麦収穫量は三倍で、一方の支那は40倍でした。いかに痩せていた土地であったか、わかります) ジャガイモが17世紀以降入ってくるまでは、農民は、いつ焼いたかわからない硬いライムギの黒パンを削って、冬に入る前に燻製にした豚肉などを食べていました。 ドイツ人がハムやソーセージを好む理由はそういう理由があるのです。 冬は、7時間ほどしか日照時間がない期間が長いため、くる病やうつ病などにかかりやすく、作物もあまり育ちません。 ですから小麦やライ麦などはそんなに取れず、マメ科の植物を食べ、夏に準備した豚肉や油漬けの魚をナイフで切って、手づかみで食べていました。 (フォークが庶民レベルで普及するのは19世紀後半) 温かい食事を日に一食しかとらないのは、薪木の節約でした。 パンも三日に一回焼けばいい方で、一週間分をまとめて焼いていましたから、硬く刃物が通らないほど焼きしまっており、それを薄い豆のスープや油に浸して食べていました。 森林におおわれている現在のドイツからすると不思議ですが、これは17世紀の30年戦争以降に植樹した森林です。 参考までに、30年戦争当時のドイツは、村々は荒れ果て、山ははげ山で、食い詰めた農民が夜盗に化け、傭兵が集落や貴族の邸宅を荒らし、妻や娘を戦利品に奪い去るという地獄絵図を広げた世界でした。 そういう国ですから9月までに冬を超える準備をしないと文字通り死ぬのです。 童話「ヘンゼルとグレーテル」は、18世紀まであった森に子供を捨ててくる習慣を今に伝える話です。 季節外れの寒波が来た秋口に、生活苦にあえぐ木こりの夫妻が子供を山に置いてくる口減らしの話で、ヘンゼルとグレーテルは幸運なことに助かりましたが、大部分の子供はそのまま森で朽ち果てたでしょう。 (ちなみにグレーテルは、元は、グレーテちゃんという意味のドイツ語で、マルガレーテの愛称です) ちなみにイタリアやスペインなどはそこまで冬や飢饉は厳しくありませんでした。 村の名主や地方の貴族が小麦を備蓄しておいて、飢饉時には開放するなどしていました。 また、対岸の北アフリカやトルコなどから金銭で購入するなどの方法もドイツよりずっと有利でした。 >軍事国家体制 これに関しては、述べると非常に長い話になるので、あとで小説の中でプロシア王国の時代以降、ドイツが苦心して、連邦国家になり、近代化したのかの話をしましょう。 長々と話しましたが、楽しんでいただいてもらった様で、幸いです。 |
改正 シャティッツ=Fred Scholtus 国家主義者の力=民族主義者の力 胡石=胡適 兪斌=於斌 スン・メイリン=宋美齢 |
改正 廖炳範=廖秉凡 |
改正 川や湖のルール=江と湖の掟 国民民主勢力、国家民主権力=民主な民族の力 オールド・ダイ=モデルはチン・ミン・ザ 謝偉思=ジョン・スチュワート・サービス Shang Zhen=商震 Zhang Fakui、張発快=張発奎 孫立仁事件と雷鎮事件=孫立人事件と雷震事件 蔡文志=蔡文治 太畝戦争= 台児荘の戦い 東中国会社=華東会社 王志(施新)=王之(石心) 李奇偉= マシュー・リッジウェイ 黄炳恒=黄秉衡 |
困りました、文は発出だけ、改正できません。
作者からの返信
2023年 06月 18日 22時 16分 固有名詞の怪しいものに関しては、原文を書いてくださいと後で頼みますので、そこまで気になさらないでも大丈夫です。 ただ長文なので、返信の感想は遅れますが。 |
劉仲敬氏の《クルセイターズとミラーイメージ》はアメリカの理想について論述した一つ文です 『米国は建国以来、常に特別な使命感を抱いてきました。 十字軍とピューリタンの性格を持つアメリカの特殊主義は、現実主義者にとっては非現実的な幻想です。 彼女は自分が道徳的に高貴であると考えており、利益のために傭兵をしている古い植民地主義者と手を組むことを拒否しています。 空想に駆り立てられ、彼女は神秘的な東洋で自分と同じような支援に値する人々を何度も何度も探した。ちょうど水の中で自分の鏡像を探していたナカナスと同じだった。 グレアム・グリーンのような洗練されたカトリック教徒にとって、アメリカの宣教活動はマキャベリの陰謀よりも破壊的である。 「静かなアメリカ人」は冷戦初期のサイゴンを舞台に、彼らの盲目さと幻想を描いている。 フランス人、カトリック教徒、カオダイ人、ホアハオ人、ベトミン人は皆、幻想のない戦略家であり、現場のスローガンが部外者(特にアメリカ人)を欺くためにのみ使用されていると十分に承知していた。 アメリカ人だけが、ベトナムにはある種の崇高な「民族民主勢力」が存在すると真剣に信じており、この黄色い肌の弟たちを連れ出し、植民地主義でも共産主義でもない広い道に導く必要があると感じている。 彼らが想像していたベトナム人のジェファーソン(小説では「ダイ将軍」または「オールド・ダイ」)が、アメリカ人の空想を利用してアメリカ人から資源を騙し取りたいだけの冷酷なマキャベリストの一群に過ぎないのは残念だ。 そもそも見た目が良いのは、力がないからに過ぎません。 ベテランのマキャベリストたちは、互いに投げ合う過程で、多かれ少なかれ、川や湖のルールに似たものを形成してきました。 その危ういバランスが崩れると、世界のルールすら崩れてしまう。 その結果、アメリカ国民が期待を寄せる「国民民主勢力」が新たな混乱と流血を引き起こしており、その混乱を収拾するには、実はあまり見栄を張らない裸の暴力分子が必要とされている。 グレアム・ロレインには宣教的な要素は一切なく、「東洋人には私たちと同じように不滅の魂がある。彼らが苦しんでいるなら、私たちは黙って見ているわけにはいかない。」という感傷的なグラッドストンのナンセンスは少しもありません。魂が何であるかを知りません。 ベトナム人女性はペットや家畜のようなもので、育てたり愛撫したりすることだけに反応します。 あなたが彼らに快適な物質的な生活を与えれば、彼らは体であなたに報いる、それだけです。 今日あなたがいなくても、彼らは翌日には次の養子の家に寝具を気前よく運びます。感情があるかどうかは問題ではありません。 アメリカ人が愛について語ると、彼らは偽善的で嫌悪感を抱くだけだろう。 これらの素晴らしいアイデアを聞いて、「物静かなアメリカ人」は、ヨーロッパ人は道徳的に腐敗しており、植民地主義の遺産は排除されなければならないと感じています。しかし、米国情報局の草案チュートリアルに含まれる可能性のある彼の理論は、いたるところで壁にぶつかり、最後には自分の命さえも犠牲にした。 腐敗したヨーロッパ人は、政治的にも恋愛的にも、象徴的に純朴なアメリカ人を打ち負かした。 19世紀の古いヨーロッパの文学的レトリックでは、女性には弱さ、堕落、独創性の欠如といった「東洋的」な特徴が含まれていました。 第二次世界大戦まで、エミール・ルートヴィヒは依然として大英帝国の植民地事業を「東洋の結婚」と呼んでいた。 「東洋式結婚」には西洋式結婚のような財産契約関係はなく、花嫁や持参金は夫の財産となります。 ヨーロッパ人は植民地帝国を失った後、アメリカの宣教師スタイルの帝国主義に対して多くの反植民地理論を生み出しましたが、それにはアメリカ人に対する自分たちの無力に対する憤りの感情が大きな役割を果たしました。 日本人が「感情の錬金術」と呼ぶ意味において、グリーンが創造した「グリムの国」は、これらの執念深い理論の文学的鏡像と何ら変わらない。なぜなら、グリーンの概念は文学的創作であるだけでなく、古いヨーロッパ人が強い精神を持っていたからである。アメリカ人に対する印象は、無謀な反植民地主義がそのように捉えています。 ヨーロッパ人と東洋人の愛人たちは、邪魔なヤンキーたちを排除するためにテロリストを使おうと躍起になっている。 「静かなアメリカ人」の現実版は数多くあり、1956 年のスエズ危機もその 1 つです。 アイゼンハワーはナセルに「国民民主勢力」の影を見出し、英国とフランスを中東から追い出した結果、その後数十年間、これら「国民民主勢力」が引き起こした反米運動に苦しめられることになった。力」。 現代中国は、アメリカ流のドン・キホーテのもう一つの主要な対象であり、十字軍の敗北というもう一つの悲劇的な歴史でもある。 『中国におけるアメリカ十字軍』は歴史作品としては精彩を欠いているが、歴史の象徴としては非常にふさわしい。 事後対策として多額の融資が行われていた時代の早くから、ウィルソン大統領は植民地主義者が「中国の行政的独立」を破壊する機会を与えないよう懸念していた。 アメリカ人の度重なる亡命と黙認がなければ、中華民国の歴代政府が生命線であり魔法の武器として依存してきた否認と契約違反の手法は、とうの昔に継続できなくなっていただろう。 エジプトとインドも同様の賢さのせいで債権者の植民地となった。 中国人が自分たちを守ることができなかったとき、アメリカ人は、自らのディアスポラや利益を犠牲にしてまで、繰り返し中国を守ってきた。 ヘンリー・ルース、パール・S・バック、スン・メイリンらの共謀により、アメリカ人は蒋介石に「キリスト教信仰と民主主義原理の核心」を発見した。 日本人の主な恐怖は米国にあり、中国人の主な希望もまた米国にある。 しかし、親密さはファンタジーの天敵です。 国民党が初期段階で自分たちの好きなことをやって成功したことが、後の摘発の直接の原因となった。 アメリカ人が幻滅すると、再び蒋介石を追い出した。 現実主義者なら、これら 2 つの選択のタイミングも同様にひどいものであったと間違いなく主張するでしょう。 そもそも蒋介石のために日本を犠牲にして極東に危険な政治空白を残すべきではなかったが、日本人を犠牲にした以上、再び蒋介石を犠牲にしてさらに危険な状況を残すべきではなかった政治的空白。 しかし、アメリカ人は主に自らの認知構造の必要性から、存在しない「国家民主権力」を求めており、選択の対象そのものはそれほど重要ではない。 宣教師は外交官ではないので、希望が尽きることはありません。 蒋介石が幻滅するずっと前から、代替候補者の擁立はすでに本格化していた。 アメリカの資源の膨大さを考えると、最も皮肉なマキャベリストでさえ、アメリカの大切にしている理想を公然と尊重しないわけにはいきません。 結局のところ、李嘉誠が喜びの瞬間に投げ捨てた赤い封筒は、貧しい人々の手に渡った棚ぼたのようです。 謝偉思と太平洋協会は、延安市のイメージをニューディール左派のような、アメリカ人の頑固な期待にできるだけ近い「穏健な改革者」に変える貴重な機会を捉えたいと本気で考えている。民主主義。 もちろん、最大の恩恵を受けるのは依然として漠然とした第三勢力だ。 「幽霊を描くのが一番簡単」という原則に従って、ぼかしたほうが想像しやすく、形にしやすくなります。 バーバラ・タッカーマンの『スティルウェル』における同情のイメージは、実際には『静かなアメリカ人』における皮肉のイメージと大差ない。 スティルウェルはどういうわけかShang ZhenとZhang Fakuiが好きで、すべての功績を彼らに置いています。 マーシャル氏が調停を断念した際、中国の希望は「政府内のリベラル派と小政党」だけだと宣言した。 結局のところ、「反蒋介石、反共産主義」こそがアメリカ人にとっての本当の理想の基準なのだ。 朝鮮戦争後であっても、蒋介石に対するアメリカの支持はむしろ不本意なものであった。 孫立仁事件と雷鎮事件が米国と蒋介石の意図の微妙な違いを露呈させたとすれば、「第三勢力運動」や「自由中国運動」は、米国人が彼らの期待にどれだけの対価を払う用意があるかを証明したことになる。 万立娟は『1950年代の中国における第三勢力運動』の中で、「第三勢力運動」あるいは「自由中国運動」の前身は、李宗仁と張発快が密かに資金提供した香港の「自由民主同盟」であったと指摘した。 。 彼らの雑誌「フリーダム・フロント」は次のように宣言している。「第三勢力の使命は…資本主義と社会主義の間の矛盾に新たな道を見出し、世界平和へのスムーズな道を模索し、人類の歴史を合理的で正常な方向に導くことである」広東・広西族の残存勢力が崩壊すると、これらの人々はすぐに食べるものがないというジレンマに陥った。 このとき、香港駐在のCIA局長シャティッツが彼の「ダイ将軍」を発見した。 次のストーリー展開は、場所がサイゴンではないことを除いて、「静かなアメリカ人」とまったく同じです。 新たな「第三軍」のリーダーである蔡文志氏は黄埔生まれで太畝戦争にも参加し、特に英語に堪能で蒋介石とのカイロ会談にも出席した。 当時の「国家主義者の力」を判断する主な基準は英語の会話能力であった。なぜなら、評価の権限は中国語を理解できないアメリカ人の手にあったからである。 スティルウェルは、英語を理解する国民党の将軍をリベラルで善良な人々、英語を理解できない将軍を筋金入りの腐敗分子と表現することに慣れていた。 この間違いを犯したアメリカ人は決して彼だけではない。 孫立仁は米国と蒋介石の間の闘争の狭間で亡くなったが、これは彼の英語力と大きく関係している。 1950年代初頭に蔡文志が台頭したのもこれが理由だ。 蔡文志は香港に亡命した後、米国の資金を吸収して汎リベラル派の著名人を招聘した「東中国会社」を設立した。南京大学時代の偉人である胡石と兪斌はいずれも、彼の顔を買った。 彼の組織は「すべての政党とその軍隊を結びつけ、民主的で自由な政府を樹立し、独立した外交政策を実施し、独立した国民経済を確立する」と主張しているが、このスローガンは亡命中国人の支持を集めるためというよりも、むしろ次のような目的がある。米国を操作し、人々の感情を守ります。 蔡文志は抗日戦争後期の早い時期からウェデマイヤー将軍と親密な関係にあり、アメリカ人の好みを知っていた。 朝鮮戦争勃発後、蔡文志はベースキャンプを東京に移した。 米軍は資金を提供しただけでなく、グアムとサイパンの軍事基地を利用して彼の将校を訓練した。 サイパンの「軍事・政治幹部学校」は、元国民党軍人でウェストポイント陸軍士官学校卒業生の王志(施新)が校長を務めているが、これは蒋介石がなぜこれほど疑念を抱いているかを説明するのに十分である。サン・リレンのアメリカ出身。 本社は日本の茅ヶ崎市に移転しましたが、依然として香港に人材募集事務所と諜報機関を維持しています。 当時、香港には本土から亡命した元軍人が多く、特に生活に困った人が多かった。 彼らのうち数千人が、少なくとも自分たちが慣れ親しんだ唯一の仕事をするために、蔡文志の募集所に亡命した。 蔡文志は名ばかりの指導者として張発快を支持し続けたが、実質的にはアメリカ人との接触ルートを独占し、自らを「東洋のシャルル・ド・ゴール」とまで称した。 彼の軍隊も第二次世界大戦中の「自由フランス」をモデルにしていました。 蒋介石は北朝鮮への派兵に熱心で、アメリカ軍を追って本土に戻ったが、無慈悲に拒否された。 しかし同時に、李奇偉は蔡文志の小軍を彭徳懐の後方に派遣した。 一人の親族と一人の疎者、繁栄と衰退はまったく異なります。 問題は蒋介石の方がペタン元帥よりも迷惑だが、蔡文志の生活環境は「自由フランス」よりもはるかに悪いということだ。 1940 年の降伏条約ではフランスに広大な自由地帯と多くの権利が留保され、ドイツ国防軍の古い貴族的な習慣は非常に強かった。 ゲシュタポですら、実証的なテロ抑圧に満足しており、国民全体に浸透した「シュタージ」のような草の根監視システムを導入するのに十分な能力と人的資源を持っていなかった。 サイゴンの「静かなアメリカ人」で描かれているように、蔡文志の活動のほとんどは迅速かつ厳しい報復攻撃を引き起こし、周囲の住民に影響を与えた。 朝鮮戦争の終結により、彼のチャンスは永久に失われた。 1954 年以降、「第三勢力運動」は内部から急速に崩壊しました。 香港の政治家や文人は本土に戻るか米国に移住した。 米国への移民という部分も足場を築くのが難しく、李宗仁氏と胡適氏のように冷却期間を経て、それぞれ本土と台湾に戻った人がほとんどだ。 グアムとサイパンの訓練基地はアメリカ人の支援を失い、軍人たちの活躍の場は民間人に比べて狭くなっていた。 孫文の元従者で空軍大尉の黄炳恒はかつて蔡文志の将校に教訓を与えたが、最終的には蔣介石の指揮下に戻った。 廖炳範はグアムで反スパイ活動を担当していたが、最終的には本土に亡命し、中国人民政治協商会議広東省委員会の委員となった。 蔡文志自身もアメリカ国民となり、台湾で地元勢力の台頭を目の当たりにし、当初の敵対していた二つの勢力に恐怖を抱き、大中華圏の枠組みを維持するために団結するよう懇願した。 この時点ではまだ彼に興味を持っているアメリカ人は誰もいなかったが、そうでなければおそらく彼らは「物静かなアメリカ人」と同じように「ダイ将軍」に安堵のため息をついただろう。 しかし、アメリカの希望的観測に基づく十字軍精神は、こうした敗者によっても消えることはない。冷戦終結後、新たな期待と幻滅が引き続き展開されるだろう。』
作者からの返信
2023年 06月 20日 17時 31分 19世紀初頭の英国の総人口は1000万人を超える程度でした。 これは同じころの日本の3分の一以下で、多数の植民地獲得競争が如何に英国を豊かにして、一大帝国を築きあげる原因になったかを考えさせられます。 >香港 1970年代当時、英国の財政が傾いていましたから、どちらにしても植民地や保護国は手放さざるを得なかったでしょうね。 いっそ、独立国にすればよかったでしょうが、香港は飲料水を本土に依存しているので無理だったのかなと思っています。 その点、台湾は一つの国としてやっていける条件がそろっていますから幸運でした。 |
南ベトナムの問題はカトリックと仏教、ゴ・ディン・ジエムと地方の有力者の紛争、共産党の浸透にさせます。(Austria_LeeのTwitterではコメント一つはゴ・ディン・ジエム政権について論述します) アフガンの問題はタジクとパシュトゥーンの紛争、パシュトゥーン人にタリバンへの加勢させ、タジク人の專政を抵抗のためになります。(民族紛争にもかかわらず、まだ中華人民共和国、ハッカーニ・ネットワーク、インド人民党、バキスタンの軍統合情報局、トルコ軍およびウイグル軍団、イスラム国ホラサン州などそれぞれの派閥対抗があります、このストーリーは長いで、消化は難しいです。) アメリカの外交の問題は『順民』という存在があることを認めないと民族国家(同じ価値観の共同体)を建てる、これはイギリスの外交および植民地との違います。(劉仲敬氏談)
作者からの返信
2023年 06月 19日 17時 23分 米国が驚くぐらい植民地経営が下手なのは、白人の人種構成にドイツ系が多いせいなのか、プロテスタント特有の思想的問題なのか。 単純に経験不足なだけか。 |
現実のアメリカ人は卑怯な狡獪というよりも甘い贔屓といます。それにアメリカの実力は巨大ですから、時々に外人たちは情報の非対称性でアメリカ人を騙します。
作者からの返信
2023年 06月 18日 16時 54分 今年、百寿になるヘンリー・キッシンジャーにしろ、既に亡くなられたズビグニュー・ブレジンスキーにしろ、東欧系の人間ですから、東亜の事は詳しく知りません。 彼らに共通するのは東亜と言ったらまず支那の事なのです。 大規模な海軍を持っていた英仏と違い、ドイツやポーランドが陸軍国なのもありましょう。 どうも、日本を軽視して、支那の虚像にだまされ、引き込まれるのでしょうね。 >米国の依怙贔屓 これはあると思いますよ。 米国は巨大すぎる国家ですから、日本人以上に自分自身の事を分かっていないのではと思う面があります。 あと、キリスト教プロテスタントの理念で作った国家ですから、その価値観が普遍的だと勘違いしている節があります。 南ベトナムやアフガンに金と選挙制度を渡せば、民主化できると思って莫大な投資をしましたが、結局無駄でしたし。 |
突然に質問です、実は劉仲敬氏の論点に、日本は第一次世界大戦で戦功があるけど、顧惟均とウィルソン大統領は『公理は強権との戦いで勝てる』の理由で、ドイツは山東での権利を日本によって相続の要求を否決します。これは日本において条約派の元老の威信が大幅に減少し、汎アジア主義者に登壇させて準備します。
作者からの返信
2023年 06月 18日 14時 08分 第一次大戦中の山東省の権益は、大戦後のパリ講和会議でも認められたものでした。 それに日本政府が出した21か条要求は、北洋政府の袁世凱の求めに応じて、日本政府が発表したものでした。 21か条要求の反対運動である五四運動はソ連の資金援助を得ていた資料も出てきていますので、日中離間を図った工作であるのは間違いないでしょう。 >ウィルソン大統領 ウッドロー・ウイルソン大統領は、最新研究で出自はユダヤ系とされ、外交問題評議会(CFR)を作ったマンデル・ハウス大佐の操り人形でした。 ハウス大佐はロスチャイルド系とされます 米国には19世紀から支那権益を求めるグループと日本権益を求めるグループが分かれています。 1853年のペリー来訪に先駆けて、1845年に米国下院に日本開国要求の決議案を提出していて、提案の起草者は国際金融資本家ロスチャイルドの代理人とされる人物、パーマーでした。 パーマーは日本がいずれ近代化し、海軍国になることを予想して日本開国を仕掛けた人物でもありました。 (一方、支那利権に食い込んだのはロスチャイルドもそうですが、ロックフェラーも熱心でした。 1920年代に様々な大学や研究施設、病院などを作って、今も北京協和医学院などの形で残っています) |
僕の質問したいのは一つがあります、第一次世界大戦で、ドイツの太平洋艦隊は日本に殲滅されましたが?
作者からの返信
2023年 06月 18日 12時 18分 ドイツ海軍は日露戦争に勝利した帝国海軍を恐れ、直接対決を避けています。 この東洋艦隊はバルト海から出られなかったドイツ本国の艦隊とは違い、自在に動いてインド洋上で通商破壊を行っています。 巡洋艦エムデンなどは有名でしょう。 南洋にいた東洋艦隊を南米経由で避難させようとしますが、途中に待ち構えていた英国海軍との海戦(1914年12月8日のフォークランド沖海戦)の結果、そのほとんどを失ってしまいます。 (その他、中立国であった米国のハワイに逃げた艦艇もありますが、鹵獲を恐れ、自沈しています) 膠州湾のドイツ海軍基地にいた少数の旧型艦は日本海軍と戦って、帝国海軍の旧型艦である高千穂を撃沈しています。 (なお高千穂撃沈まで帝国海軍の艦艇では敵艦の戦闘で損失はありませんでした) 東洋艦隊の残存兵力は日本海軍に艦艇を鹵獲されることを恐れて、艦艇を自沈させ、中立国であった支那警察に拘束され、武装解除しています。 「ファーターラント」「オッター」などの長江にいた旧型の砲艦は支那に鹵獲されて、のちに支那海軍に編入されています。 |
ソ連は広州の中国国民党を援助しますけど、ソ連は中国国民党の北伐を望みたくない、逆に、中国国民党は広州に残るを望みたいです。北伐と統一したいのは孫文と蔣介石です。
作者からの返信
2023年 06月 18日 01時 12分 ブリュッヘルらの軍事顧問団が積極的に支援していましたから、ソ連こそが北伐を望んでいるとばかり思っていました。 1937年当時書かれた”Japan in China : her motives and aims.”(邦題『シナ大陸の真相 1931~1938』)などではソ連が裏で糸を引いているような書き方でしたから、孫文の意志はあくまでソ連側に利用されたと考えていました。 お話を聞いていますと、ソ連を利用して、孫文と蒋介石がそのような軍事行動に出たとか考えるのが正しいようですね。 |
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2023年 06月 24日 11時 30分