「冥王来訪」の感想一覧

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僕は『東西ドイツは1990年に統一しない、そのまま分断の方がいい。』と言いたはずでしたが、この話しでは【白色雅各賓派】というTwitterのユーザーでのコメントを読みましたから。

ある人は東西ドイツの統一の例として台湾と中国の統一すべきだと論述します。

【白色雅各賓派】は東ドイツへ行った者たちは知っている、東ドイツと西ドイツにおける国民の認同でもインフラのレベルでも教育の水平でもの視点と考え、東ドイツと西ドイツの分断の方がいい。東西統一の結局、若い者たちはドイツ東部からドイツ西部への引っ越し、ドイツ東部に残った年寄り者たちは恨みを生まれ、選挙でLinkeやAfdに投票する、西ドイツは東ドイツについて消化できない、台湾と中国の統一の結局は台湾が第二の海南島になります 
作者からの返信
作者からの返信
 
>中台統一
そもそも台湾は17世紀の鄭成功の反乱以前、歴代支那王朝に従属していましたか?
16世紀末の豊臣秀吉の唐入り(朝鮮征伐)の際、秀吉は台湾にも使者を送るのですがまとまった支配者がいない地域だったので返事は梨の礫でした。

 台湾は清朝時代に支那の支配に入りますが、それも一部地域だけで台湾全島を制圧していません。支那本土からの流民や原住民の高砂族などの反乱で、「五年一大乱、三年一小乱」と言われるくらい不安定で、熱帯性の伝染病の猖獗する地域でしたから、清朝の支配システムだと統治しきれなかったのでしょう。

 これは香港やマカオにも言えますが、台湾は植民地化のおかげで住民生活が向上し、近代化しました。
50年間に及ぶ日本統治の結果、住民のアイデンティティー(identity)は支那人とは別なものになりました。
大東亜戦争が起きていない、または台湾や朝鮮を割譲しない形で終戦したならば、台湾は現在の沖縄県のようなポジションで日本に残ったでしょう。

もともと独立国で、個別の王朝のあった朝鮮は、おそらく住民投票や李朝の王室の関係で再独立という形で1960年代に独立させたでしょう。
 日本の海外領土経営で、一番資金を持ち出したのは朝鮮半島でした。
台湾や南洋群島はむしろ黒字経営だったのです。

>海南島
海南島は貧しい漁村です。支那に近いため、歴代王朝の支配も影響も台湾より早く受けていた形跡があります。
軍事拠点の一つではありますが、参考になるのでしょうか。

東ドイツと西ドイツは一応、1871年の帝政ドイツのドイツ統一以来、同じ国家でしたし、なによりドイツ人という意識が両者に共通していましたから、住民感情として再統一は悲願でした。
この点は、今一つ及び腰な南北朝鮮の統一とは好対照です。
 冷戦期の分断国家、南北イエメンに南北越南、この両方とも武力による赤化統一でした。
イエメンもベトナムも言えることですが、王室が存続していれば違った形になったでしょう。
(これは朝鮮にもいますね。朴正煕は李朝の李垠を王として即位させるべきでした。
李朝と日本の皇室は姻戚関係にありますから、日韓の結びつきは今以上に強固なものになったでしょう)

>東西統一の結果、若い者たちはドイツ東部からドイツ西部への引っ越し
青年層の流出は東ドイツ建国以来の課題でした。
一説に1961年まで300万人が流出したと言われています。
壁の建設前、移住しなかった東ベルリンの若者は西ベルリンに買い物に行って映画を見て帰ってきましたから、ジーンズを履き、ロックンロールダンスを踊って、ビートルズなどの流行歌を口ずさんでいました。
壁ができてからも、個人の住宅や教会で洋楽を聞いたり、ダンスパーティをやるのはシュタージも黙認するほどでした。
(教会とシュタージとの関係は資料を集めてから、作中で改めて書きたいと思います。
これはアイリスディーナの行動にも関係する話になるためです)

 日本人から見て良策は、台湾から国民党が本土に引き上げて、支那全土を奪還し、台湾は台湾人が決めればいいと思ってます。
 台湾の場合は独自の王も不在で、統一政権もありませんでしたから、どうしても隣国の支那の影響を強く受けるのは仕方ないと思います。
 台湾と支那本土の距離が、支那と沖縄ほどの距離でしたら、また違ったでしょうが……
 
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雄渾さん、次回またはアメリカにおける産業が国際金融資本によって中国でoriginal equipment manufacturerの搾取工場を築き上げることができるについて描きますが?

現実には中国のoriginal equipment manufacturerの安い値段と市場開放でアメリカにおける製造業はアメリカから海外へに移しますからとラストベルトの工員たちは羽目に陥ります。

 
作者からの返信
作者からの返信
 
>国際金融資本による赤化支那の工業支援
支那をはじめ、韓国や台湾に関しては、先に読者様からご意見をいただいたF5フリーダムファイターの件で触れようと思います。

>OEM生産
この時代の中共はソ連のライセンス品の違法生産でしょうね。
戦術機は資料集を読むとそのままライセンス品を作ってる形じゃなくて、少しデザインを変えた特許対策品ですし。

 いずれ知財泥棒の話もやるしかないのかな……
正直、東アジアの話は、生々しいので悩みますね。

 
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前に言った張作霖や吳佩孚はソビエトとの破棄についてことが、僕は劉仲敬先生のTwitterにおけるコメントをもう一度読みました

1、張作霖とソビエトの破棄するのはソビエトのスパイによって郭松齢の乱を起こりました。だが、ソビエトのスパイは奉軍の内に忍び込むと郭松齢を買収できるのは、張作霖とソビエトは白系ロシア人の管理して中東鉄路を分割し、奉系はソビエトの協力によってハルビン共和国を合併できます。
2、吳佩孚はソビエトとの破棄して表面な理由は外モンゴル、深層な理由は京漢鉄道ストライクです。なぜ京漢鉄道ストライクが起こるのか、吳佩孚はソビエトから第一次世界大戦における鉄道と物流の協力を貰いたいですから、ソビエトのスパイは直系の内に潜入できのです。

これにしてみれば、張作霖と吳佩孚も孫文にような無罪ではありません。 
作者からの返信
作者からの返信
 
19世紀末から政治活動をする者は共産主義者と無関係というわけにはいかなかったでしょう。
支那ばかりではありません。日本や朝鮮の活動家なども大なり小なり関係してますね。

ソ連の有害工作に関しては当事者のロシア自身が勝ち誇ったように資料を残していますから調べられますが、調べれば調べるほどうんざりとするものです。 
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日本によって建設して満州がしっかり立ちたいのシナリオは二があります

1、エドワード・ヘンリー・ハリマンの条件を受けます
2、ハル・ノートを受けます

元々、満洲の存在とは石原莞爾によって計画した『日米決戦』のため。 
作者からの返信
作者からの返信
 
>ハリマン協定の破棄
小村寿太郎はハリマン協定には反対しましたが、モルガン財閥の満州進出には積極的だった面がありますし、米国側も大規模な資本投下を考えていた節があります。
 どちらかというと満州事変囲碁のリットン調査団の報告書を受け入れなかったことの方が問題を悪化させたと思います。
 リットン報告書は、内容をよく読めばたしかに日本の行動を非難していますがその原因は志那の混乱にあり、満州国が出来た今、現状変更は難しいという内容で、かなり日本側の立場に立った報告書でした。

>ハル・ノートの受諾
ハル・ノートには二冊あります。
今日知られている対日強硬案はワシントンDCで書かれたものではなく、モスクワで書かれたものを英訳したもので、NKVD北米副局長であったヴィターリー・グリゴリエヴィッチ・パヴロフがハリー・デクスター・ホワイトに渡したものです。
ホワイトはモーゲンソー財務長官の私案を基にこの秘密計画に沿って書き上げたのが、今日知られるハル・ノートです。

もう一通はハル長官の直筆のもので、対日政策はずっと融和的でした。

仮に日本政府がハル・ノートを受諾しても、米国はドイツ参戦の口実として対日戦争を望んでいましたから、フィリピン沖の哨戒艇などを使った工作や別な形で戦争を招いたでしょう。

>満洲の存在
満州国の存在は満洲人自身の望みでした。これは紫禁城の黄昏やリットン報告書を見ていただければわかります。
また日本政府の立場としては対露防衛の観点から満洲と朝鮮半島に軍事力の配備は急務でした。
これは石原莞爾などではなく明治以来の政策です。

古代より日本にとって朝鮮半島に親日的な政権の樹立は重要な政策でした。
朝鮮半島に初めて王朝のできた三韓時代の前より、日本人は積極的に半島の南部に移住し、その影響力を行使していたことは、12世紀に編纂された朝鮮の正史である「三國史記」に記されています。
また、埋蔵物や陵墓より発掘された遺骨のDNA鑑定の結果からもそのことはほぼ間違いのない事実です。

朝鮮半島に足場を築いても地続きの満州から兵力を入れられたらひとたまりもありません。
6世紀後半にあった唐朝の高麗征伐や蒙古の侵入、17世紀の丙子の乱(『丙子胡亂』あるいは丙子之役)など、例を挙げればきりがないでしょう。

朝鮮半島の維持のためには満州は必要な土地でした。
以前も書きましたが1924年の馮玉祥のクーデターで紫禁城を追われた溥儀を保護した時点で、満州国建国に走るべきでした。
(もっとも溥儀の意識が変わったのは1928年の東陵事件であったと自伝の『わが半生』に書いてあったと記憶しています)


 
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なぜキリスト恭順派と難民解放戦線は西ドイツから資金援助させました? 
作者からの返信
作者からの返信
 
なぜ西ドイツがそんなテログループに資金提供をしたのかよくわかりませんが、戦術機開発と並行して米国の世界戦略を崩すために仕掛けたと言う事は想像がつきます。

マブラヴ原作中ではマスター(テオドール)は欧州連合内の諜報機関との接触を示唆しています。

EUもそうですが、ソ連も米国に資金援助を受けながら国際謀略活動をしていて、CIAはよく黙ってみているのだなとあきれています。
 
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『それまで受けていた軍事支援の額は米国やドイツを抜いてソ連が一番でしたから。』

例: 中華民国側にはアレクサンドル・チェレパノフとワシーリー・チュイコを主としてソビエト軍官たち、長沙作戦や崑崙関の戦いなど参戦と指揮しました。 
作者からの返信
作者からの返信
 
>中華民国側にはアレクサンドル・チェレパノフとワシーリー・チュイコフを主としてソビエト軍官たち

当時の日本政府の政策は『対ソ静謐』というもので、ソ連側が満洲里を超えて進行してこない限りは基本的にこちらから仕掛けないことでした。
張鼓峰事件やノモンハン事件はソ連側の挑発で発生した事件であり、満蒙国境は清朝時代の国境線を維持していた日本側のすきを狙って越境し、秘密裏に国境線を削っていたソ連側に非があります。

日本でなければ、支那事変中の度重なる軍事挑発は対ソ開戦理由になるものでした。

あと関東軍特別軍事演習、俗にいう「関特演」はソ連への軍事侵攻計画などではなく、通常の軍事演習の一環でした。

過ぎたこととはいえ、12月8日に真珠湾ではなく、ウラジオストック港の攻撃で日ソ戦が始まったのであれば、全世界を覆ったソ連社会主義の悲劇というのは違ったのかもしれません。
また、朝鮮半島や台湾の辿った運命も違ったものになったでしょう。 
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1500万人は666中隊の犠牲によって助けていましたか、1500万人の中は何人にキリスト恭順派や難民解放戦線に入りますが?666中隊の犠牲に価値がありますが? 
作者からの返信
作者からの返信
 
>1500万人
1980年代の東ドイツの人口は1800万人ですから、約300万人が戦争で犠牲になった統計です。
先の大東亜戦争では1億の人口のうち、300万人が犠牲になりました。
内訳は軍人・軍属で230万、在外邦人30万、国内50万です。
その多くが実際の戦闘ではなく、飢餓や疾病によるものでした。
戦死者の人口における割合は3.1パーセントでしたが日本社会に暗い影を残しました

 東ドイツの場合は、わずか5年で人口の16パーセント強が失われているわけですから、その被害は絶大だったでしょう。

その前の年の段階で人口が3500万人しかいないポーランドで1500万人が死亡しています。
(犠牲者数は、隣国のチェコスロバキアの総人口とほぼ同じです)
東ドイツ政府はパレオロゴス作戦で米軍がポーランドのワルシャワに進駐した際に、西との融和を図るべきでした。


>キリスト教恭順派や難民解放戦線
『冥王来訪』では1970年代に米国西海岸でヒッピー文化の中で発生したことにしましたが、原作ですと1990年代に米国国内にあった諸派閥を西ドイツの資金援助を受けたテオドールが組織化したとされます。
難民解放戦線はアフリカや南米に避難した欧州の避難民から出たのが間接的に語られていますから、東ドイツから逃げた連中に入っているのでしょうね。

>666中隊の犠牲に価値がありますか
これは先次大戦における日本軍の特別攻撃隊への考察に似たものを感じます。
その精神性は素晴らしいでしょうが、軍事的に見た場合、果たして正しかったか、どうか。
エースパイロットの個人の技量に頼っているわけですから、早晩崩壊するのは目に見えていました。
これは武装警察軍の人狼大隊にも言えます。

日本軍もドイツ空軍も先次大戦の折、戦闘機のエースパイロット部隊を組織しますが、それは戦局が悪化してからで、物量に勝る米軍の進撃を止める事は出来ませんでした。

BETAは人間と違い、作業機械です。
意思疎通の手段がない彼らとの間では、講和も停戦条約も結べません。
核飽和攻撃をするなどして、時間を稼ぎ、国外避難の手はずを取るべきでした。

あとのマブラヴ本編の歴史だと、グリーンランドやアイルランドに東ドイツ国民は移住するのですが、無人の荒野のグリーンランドはともかく、アイルランドは独立国で現地人の政府もあります。
いろいろもめることになったのは想像に難くありません。 
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僕と雄渾さんは早々で、トム・クランシーとジョン・ル・カレのような考據家になります。 
作者からの返信
作者からの返信
 
マブラヴのファンはキャラクターの思想とか恋愛関係、戦術機の考察ばかりに興味が行っていますが、そんなのはそういうキャラクターとかいい男だから、いい女だから好きになったで終わりにすればいいのですよ。
幸いシュヴァルツェスマーケンの場合はアイリスディーナ、カティア、ベアトリクス、リィズに関しては両親の名前と職業が明らかになっていますので、どうしてこういう人物になったかは思想信条を含めて非常に考察がしやすいのは事実です。

ただ彼女たちは家族が健在ならすむ話で、考察に深みはありません。
戦術機は既にファンの間で既存兵器より弱い役立たずのロボットとの結論が出ています。

そうするとどうしても世界観の考察になりますが、日本帝国の話以外はあまり考察がなされていないのが現実です。
日本帝国が女性に解放された世界とか言って二次創作しているものが居りますが、篁祐唯と鳳栴納
の結婚を見ていれば、旧態依然とした男女差別のある社会であることが分かります。
篁祐唯の本当に愛した女性は、ミラ・ブリッジスであることは劇中の展開を見れば、明白です。


まあ男女の色恋は書くのが楽しいですし、小生も外伝でベアトリクスとユルゲンの色恋を書いていますからその気持ちもわかるのですが、話の伸びしろがないのです。 
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マブラブ世界にてアメリカは金本位制復活を堅持する原因とは

1、国内から有権者のため(ラストベルトの工員たちやハイエク思想を擁護して知識人たち)
2、マブラブ世界にて国々の軍隊は対BETA戦争を基に、変動相場制の必須し、変動相場制の甘さを味わいました。

どっちが原因とはウォールストリートの金融業者たちについて不利します。 
作者からの返信
作者からの返信
 
>金本位制
再度資料集を確認したところ、資料集の220ページに金本位制に対して言及した部分があります。
確認のために引用いたします。
『1987年、増大する米国の赤字が危惧され……米ドルが一時的に売り込まれる局面があったが、これに対し、FRBのE・ゴールドスミス議長は、
『米ドルの信頼性を世界が懸念するのであれば、米国は金本位制の復活を検討する。
BETA大戦によって情勢が混乱し、経済規模の縮小した世界では米ドルの兌換紙幣化こそ世界経済の安定化に繋がる』と発言。
FRBに保有されている8000トン以上の金塊を背景に国際社会を恫喝した』とされます。


ニクソンショックから15年もしないうちにFRB議長がこのような発言をすると言う事は何かしらの意図があったとしか思えません。
現実の世界のFRBは、民間銀行なのでウォール街や外交問題調査会、その他ホワイトハウスに出入りする商人たちの影響を受けます。
この様なことを言った時点で、ゴールドスミス議長は首ですし、たぶん通貨市場は暴落するでしょう。
むしろ金塊を山のようにかき集めていた西ドイツなどは歓喜しますよ。
 
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菊タブーだけど、なぜ皇帝は男、悠陽と冥夜の2人は皇室の姫を設定しない? 
作者からの返信
作者からの返信
 
>皇帝は男、悠陽と冥夜の2人は皇室の姫に設定しない
一応、2003年のマブラヴ18禁版発売当初は悠陽は女帝の設定でした。
そうすると冥夜は悠陽の姉妹ですから自動的に内親王(支那語で公主)の扱いになります。

近代以降の慣例を考えると悠陽と冥夜の父親は践祚して皇帝になっているはずです。
一応父親が天皇の御位に就いていない光格天皇というお方が居りますが、このことは尊号一件ということで非常に難しい政治問題を残しました。

古代には斉明天皇や元正天皇など父親が皇位についていない方もいましたが、それは摂位いう考えで、臨時の天皇と考えられたためでした。

斉明天皇は亡き夫舒明天皇との嫡子、天智天皇を即位させるためでしたし、元正天皇はおいの聖武天皇の成人するまでの摂政に近い立場でした。

古代以降、女帝が廃れたのは孝謙天皇の周囲で権勢をふるった僧侶・道鏡の存在があるためです。
道鏡は孝謙天皇の病気治療のために呼ばれた僧侶で、現在で言うカウンセラーに近い立場であったと考えられています。

天武天皇から聖武天皇までは血による正当性を固めるために非常に濃密な血縁関係にある女性を妃に迎え入れました。
そのせいでしょうか、天武帝の嫡子草壁皇子をはじめ、その孫の文武天皇、ひ孫の聖武天皇まで病弱でした。
聖武天皇には一応何名かの男児は存在しましたが、近親婚の影響で男児がほぼ成人せず、聖武天皇が譲位するときには嫡子はいませんでした。
 孝謙天皇は聖武天皇とその皇后である光明子の娘ですが、成人しても結婚も出来ずに留め置かれ、20歳で立太子されました。
これは非常に異例なことで、現在も日本史における女性皇太子は孝謙天皇、ただ御一人だけです。
 日本の皇室の不文律で女性天皇や女性の摂政は終身独身でなければなりません。
即位前に結婚するのは許されていますが、即位後は終身独身です。
これは古代からずっと維持された決まりです。
 孝謙天皇は立太子された時点で終身独身が決まったようなものでした。
さぞお辛かったことは想像に難くありません。
孝謙天皇は一度譲位して、病気に伏せられます。
その際、看病にあたったのが道鏡でした。
道鏡の看病でご回復なされた孝謙天皇は、再び重祚されて称徳天皇となられます。
重祚後、看病中に相談役でもあった道鏡が寵の対象になるのは自然な事であったと思います。
独身の孝謙天皇には後継ぎがいませんでしたし、天武天皇の系統には嫡出の皇子がいませんでした。
(今の皇統は天智天皇の庶出の皇子の子孫です)
そこで孝謙天皇の寵を受けた道鏡が天皇に推薦さ事件が起こりました。



 長々と書きましたがそのようなことを避けるために日本人は女帝というものをタブー視します。
悠陽と冥夜の2人が皇女ならば、その相手の白銀武は道鏡のようなポジションになるのではと、内心恐れてしまうのです。

このことを避けるには悠陽と冥夜の2人に男の兄弟がいれば、話は非常に簡単でした。

また繰り返しになりますが2000年代前半は日本の国論を騒がした皇位継承問題で荒れていた時期です。
架空の国家ならばいざ知らず、日本の名を使っていますからどうしても微妙な問題なのです。
ゆえに途中から五摂家とか元枢府という意味不明な設定をしたものと思われます。

>皇帝は男
これが無難なんでしょうけど、そうすると主上と皇女では国政を動かせる範囲が違いますし、影響力も違います。
皇女が騒いだところで、政府も軍も動きませんよ。
しかし一度御位に就いた人物の影響力は絶大です。
2017年の譲位をめぐる一件をお調べになればお分かりいただけるでしょう。

 
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マブラブ世界観について突っ込み質問があります

1、もし幕府がいれば、廃藩置県ができますが?
2、カサブランカ会談にて、無条件降伏を要求する、大日本帝国の五摂家と連合国軍の協定とするつもりますが?
3、大日本帝国の五摂家はソビエトを満州国の工業と武装てくれ、大日本帝国の官兵たちは日本へ撤退させてのことに交換する協定の可能性がありますが?
4、アメリカはドイツへの原子爆弾投下すれば、アメリカとソビエトは分割占領のことが成し遂げたつもりますが? 
作者からの返信
作者からの返信
 
>幕藩体制のような元枢府に廃藩置県を実施できたか
これは非常に難しいと思いますよ。

歴代の幕府という機関はけっして日本全土に影響力を及ぼす機関ではなかったためです。
鎌倉幕府の実際の支配地域は関東近辺でしたし、室町幕府に至っては京都の周囲だけを維持するのみでした。
江戸幕府は時代劇や漫画などの創作を見ていると日本全土に命令を出しているように感じますが、ほとんどは藩や代官所などの地方自治の強い組織でした。

 急速な中央集権化は明治維新によってなされ、今の制度の大本は大正末期に完成します。
ただ世界大戦をはさみましたので、本当の意味での大都市圏と地方の格差が低減されたのは1970年代に入って以降ですね。
 
マブラヴ世界は天皇の影響力が江戸時代並みに弱いか、それ以下なので、中央集権化をどれほど進められたか疑問です。
アンリミテッドであった活火山の噴火から避難しない住民などを見ると、史実の日本より地方への統制が弱いのかもしれません。

>五摂家と連合国軍の協定
五摂家に関する扱いは史実の天皇に対する態度と同じとみてよいでしょう。
ただ2001年の段階で五摂家の各家ごとに独立警備小隊を配置し、その数は20近くありますから、何かしらの秘密協定はあったでしょうね。
(冥夜につけられた警備小隊の番号は第19独立警備小隊です。そのため20あるものと考えて、考察しました)

>五摂家はソ連に満洲を渡して、関東軍を撤退させる
これはありうると思います。
史実の首相であった近衛文麿は周囲に親ソ容共の人士を置いていましたし、ソ連への仲介工作を盛んにした人物でもあります。
またソ連側も近衛のことを重要視し、子息の近衛文隆をシベリア抑留しています。
しかし日本側はソ連の要求通りには動かず、また子息の近衛文隆もKGBの誘いに乗りませんでした。
文隆公は1956年にソ連からの帰国を待つ直前に不審死し、悲劇の一生を終えます。

 その辺の経緯は西木 正明著『夢顔さんによろしく ―最後の貴公子・近衛文隆の生涯』と、V.A.アリハンゲルスキー『プリンス近衛殺人事件』(露語からの訳書、原題『シベリアの原爆』)に詳しく書かれています。


>米国の原爆投下でドイツの分割占領政策に影響が出たか
考えられるのはソ連軍が史実より早くベルリン近郊まで迫ったと言う事です。
史実では原子爆弾投下の目標は戦争終結のためではなくソ連への牽制のためにすでに降伏を打診していた日本に落とされました。
広島、長崎の後は、8月19日に東京に落とされる計画があったことは機密指定を解除した資料で明らかになっています。
トルーマン大統領は東京への原爆投下を憂い、駐米英国大使にそのことを相談するほどでした。

あとは地方都市に落とされてもNSDAP政権が日本政府の様に降伏を選ばなかったか、連合国側が受け入れなかったかのどちらかでしょうね。

史実では広島の原爆投下の前から、これ以上の無用の犠牲を避けるため、日本政府は玉音放送を計画し、8月に入ると秘密裏に昭和天皇の詔勅を録音します。
8月15日の放送にこぎつけるまではいろいろな混乱がありましたがその経緯はここでは省きます。

そういう事を勘案すると、ベルリンに2発の原爆が落とされて、ソ連軍は進撃を停止したことが考えられますし、NSDAP政権は原爆で外交交渉を進める首脳が吹き飛んだ可能性もあります。

(別な資料ですとマブラヴ世界ではドイツに原爆が4発投下されたことになっています)

 
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もしマブラブ世界における本来の時間線に1997年では

1、郝柏村と連戦をリーダーとして中国国民党は李登輝をリーダーとして台湾から出身の官僚を押し返して、対BETAという大義で動員戡乱時期臨時条款を維持し、中華民族という名義で中国共産党を受け入り、BETA教団という罪名で台湾民族主義と野百合学生運動を弾圧します。
2、台湾民主進歩党が『平和抗争』と『武装抗争』の二つになる、『武装抗争』はBETA教団に入り、『平和抗争』は平和抗争けど、アメリカから重視しない。

『冥王来訪』の時間線に1978年では

1、中国と台湾は現実の冷戦に似合っている
2、だが、BETAのお陰で、中国はチベットと新疆を支配コストは減りながら、支配力はさらなるに強化します。
3、現実のロシアよりもソビエトの軍事権が少数民族に早くで落ちます。 
作者からの返信
作者からの返信
 
>マブラヴ本来の時間線の台湾
1986年に台湾政府(国民党政権)は、中共党を迎え入れます。
そこで第三次国共合作が成ります(『公式資料集』,p232)
 
 1997年の段階では明言されていませんが、第三次国共合作が続いていることを考えると台湾政界の中に親中派が史実以上に増殖して浸食されているのでしょう。

>武力闘争にBETA教団が入る
ありうるでしょうね。
西ドイツが金を出して後方で攪乱しているので、民進党に肩入れしそうです。
アイリスやカティアの夢であった東西ドイツの統一失敗に失望したテオドール・エーベルバッハもBETA教団に参加したのはこのころですから、暗躍するでしょう。




>『冥王来訪』の時間線に1978年
読者様の質問ということで特別に話しましょう。


まず台湾情勢ですが、史実と差異はございません。
基本的に書かれていない事項は、すべて史実準拠と考えてもらって結構です。

ただ、大日本帝国が台湾と朝鮮半島を領有したまま停戦条約を結んでいますので、台湾と朝鮮の独立の経緯は違ってくるでしょう。
このことに関しては、本編で触れるつもりです。
(資料集には一切記述がございませんので完全な二次創作になります)
 
 中共のチベットと新疆の支配体制に関して。
新疆はカシュガルはじめ、すべてBETAに荒らされており、甘粛省蘭州市の西方150キロの地点まで侵攻を許しています。
チベットは無傷ですが、文革とBETA戦争が同時進行した状態なので、中共の治安維持は大変でしょう。
暁版ではぼかしてありますが、ハーメルン版では注釈において、毛沢東と4人組のせいでBETA戦争が停滞したことが書いてあります。

 ソ連の軍事統帥権
設定資料集によりますとソ連軍の指揮系統はBETA戦争で壊滅状態にあり、KGBも政治総本部も統帥が出来ない状態にあります。
その為、民族ごとの部隊編成にしたと231ページに言及があります。

一応、読者の理解を深めるために簡単な経緯を『崩れ落ちる赤色宮殿』のエピソードの中で語りました。

歴史上のソ連はロシア語での意思疎通ができない少数民族や中央アジア系のせいで軍の士気低下と組織的な軍隊内暴力(ジェドフシーナ)(Дедовщина、Dedovshchina)が横行します。

史実では少数民族や中央アジア系をアフガン戦争に投入しましたが、それはアフガンに接していて距離が近い面もあります。

マブラヴ世界の場合は資料集にはっきりと『ソ連政府は……恐怖政治を……採用しており、ロシア人以外の異民族を最優先に最前線に投入した』(p231)と書かれています。

また『人種別格差を嫌忌した反乱などが各地で勃発』(p221)した状態なので、支配体制はガタガタなのでしょう。
そのことも作品中に書いたつもりです。

また作品中で、わからない話があったら質問ください。
今後の展開に差し障る話以外はすべて明らかにするつもりです。


 
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『日本では中越戦争で中国が負けたというベトナムのプロパガンダが何故か広まっていますが、清朝以来の国境問題の解決や終戦処理などを見ていると中国の軍事・外交的勝利と思っています』

1、中国を敵視して者によって仕業であります。
2、中国の勝利のは外交だけ、軍事では完全に敗北します。例えば、許世文など軍官たちはアメリカから情報がいなければ、ベトナム人民軍に全滅されてと逃げません。ちなみに、中国人民解放軍は諒山の辺りで虐殺にしました、理由はベトナム人民軍はベトナムの全民に武装させました。 
作者からの返信
作者からの返信
 
>許世文など軍官たちはアメリカから情報がなければ、ベトナム人民軍に全滅されて
これは初耳ですね。
米軍からの航空偵察や通信傍受、衛星写真の情報を貰っていたのですか。

>中国人民解放軍は諒山の辺りで虐殺にあいました。理由はベトナム……はベトナムの全住民に武装
人民解放軍の指揮系統が文革で破壊されたいたため、敗走したという説が日本では盛んに流布されていますが、一応ベトナムも民兵組織まで活用したんですね。
まあ5年前まで戦争していた国と、中ソ紛争以来他国と戦闘経験がないの国では違いがありましょうが……

あと鄧小平に反抗的な地域や反対派の人間を戦争の理由で処分したという点はないでしょうか。
支那史を見ていますと、わざと反対派や危険な人物を不慣れな地域に出兵させて敵に殺させるということが多数ありますので。
 
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日中戦争を望みの第一はスターリンとか第二は蔣介石とか、もし満州国はしっかり立てれば、蔣介石の中華民族というが倒産にもかかわらず、大日本帝国によって満州、蒙疆、東トルキスタン、チベットの四つ国は対共産主義の地帯として、ソビエトへさらなるに圧力をかけます。 
作者からの返信
作者からの返信
 
>チベット
1930年代当時は鎖国状態でしたからね。
ダライラマ13世の親衛隊長は日本人が務めていた時期がありますが、14世に代替わりしてからはほとんど接触はなかったでしょう。
一応、インド駐留の英軍がヒマラヤ山脈を越えることは拒んでいますから消極的に日本側の立場を取ってくれましたが。

あと映画版の「セブンイヤーズ・イン・チベット」(『Seven Years in Tibet』)は誇張された内容です。
著者で、優れた登山家でもあったハインリヒ・ハラー自身がそのことを認めています。
(一例をあげれば、ラサ到着前にハラーは日本の終戦をラジオで知りました)

>東トルキスタン
戦前からずっとこの地域はソ連の影響下にありましたよね。
ソ連は二度も傀儡政権を立てて、いろいろと工作をしていましたし。
日本も一応工作をしていましたけど、地続きだったソ連のほうが人員も物資も運び放題でしたし。
隣国アフガン王国も比較的親ソ的な外交姿勢を崩しませんでしたから、ソ連側は何の制限もなかったはずです。 
(非会員)
 
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劉仲敬先生は一つシナリオを触れました。旧満州国の全土を占拠する中国共産党は毛沢東を排除し、リーダーは劉少奇と周恩来に変えします。この黄露系によって控制した中国共産党とスターリンから提案の条件(新疆、内モンゴル、満州の三つ地は表の上で中華民国によって所属し、裏の中で親ソビエト者たちによって自治します)に応じた蔣介石政権や蔣介石ではないのほかに中華民国政権は雙十協定を達成します。そして、この中華民国はソビエトから影響でのピンク政権になり、ソビエトはこのピンクな中華民国と華僑を利用し、東南アジアへ浸透をカバーとします。

うまく翻訳できない、すまない。 
作者からの返信
作者からの返信
 
>親ソ派によって支配された中共党とスターリンから提案の条件に応じた……中華民国政権は二重協定を達成

 蒋介石自身にソ連を利用しようとする考えもあったのではないでしょうか。
国共内戦で反ソになりますが、それまで受けていた軍事支援の額は米国やドイツを抜いてソ連が一番でしたから。

>中華民国はソビエトから影響での容共政権
これって1928年の北伐前や第二次国共合作時と同じでは?
もう10年ほど前になりますが、南京城を守備していた唐生智はすでに対日戦争のころから共産党員だったと聞いています。

既に上海を落とされた時点で価値のなかった南京死守を主張し、籠城戦を選び、双方に多大な戦死者を出す原因を作った人物です。

共産党は劉少奇を始めとして日中戦争を望み、その結果、国民党が弱体化したことを喜んでいました。
(毛沢東全集にも日本社会党からの謝罪を拒否し、日本軍のお陰で支那を共産化できたと喜んでいる記録があります)
 
死守を命じながら、司令官以下幕僚が暮夜密かに南京を脱出し、城内の混乱を招いた不手際を見ると、これが意図的になされたものであるならば、唐生智が共産党員だったという説は根拠があるように思えます。 
(非会員)
 
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では、ロシアとウクライナ戦争における派閥に対して解説が続きます

エルドアン:オスマン帝国を復活のため、二次大戦のスターリンの大日本帝国をはかったようなロシアをはかっています。
プーチンを棟梁としてFSBの同僚や部下たち:大ロシア帝国を確保ながら、自分が一味の権力と利益を保身します。
メドヴェージェフを棟梁としてヨーロッパの中道自由主義者たち:大ロシア帝国を確保したいながら、ヨーロッパ(主にフランスとドイツ)の子分になりたい、代償ではプーチンたちは生贄になり、そして、この中道自由主義者政権のロシアとヨーロッパの手を組み、中国を反対します。
習近平とその徒党:プーチン政権の倒れるやロシアの崩壊を止めることがする、さもなければ、中道自由主義者政権のロシアは対中包囲網へ加勢する、あるいはロシアの崩壊で、ロシアの全土における軍閥の紛争が中国へ逆流する、およびイスラム国はロシア軍がいないの中央アジアによって新疆へ入ります。

これと前の分析は劉仲敬先生です、僕の論点ではありません。 
作者からの返信
作者からの返信
 
>劉仲敬先生
たしか彼は新疆育ちで新疆の公安幹部だったと聞きましたが、新疆やイスラム圏に関する分析は鋭いものがありますよね。

>イスラム過激派が中央アジアから新疆に流入
この辺の国境地帯は管理が難しそうですしね。
1990年代の中央アジアの騒乱の時にかなりアフガン経由でテログループが出入りしたのではないでしょうか。
ソ連のアフガン侵攻の際はCIAは新疆経由で人民解放軍から武器弾薬を調達したという話を聞きますし、アフガンゲリラの武装は人民解放軍の56式自動歩槍や63式自動歩槍でした。
 
(非会員)
 
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ロシアとウクライナ戦争におけるそれぞれの派閥の目指す

ポーランド: ポーランド・リトアニア共和国
イギリス:ロシアを解体して、第二のラテンアメリカの市場とします。
バイデンとほかに反ロシア一味:冷戦の宿願が遂げられてヨーロッパをさらに遠く従属させています。
フランス:ロシアの市場および国として確保の考え、フランスの国益とフランス産業の利益
ドイツ:フランスと同じだが、敗戦国として、ウクライナへ軍事援助が遅いながら、ロシアも堂々正正に支持できない、国におけるAFDとほかにヨーロッパにおける極右たちはロシアを明確な支持し、さらに、ヨーロッパにおける極右たちはウクライナがソビエト共産党によって創造した傀儡政権、プーチンのウクライナへ侵攻は共産主義を消滅すると思います。

これまで、後のロシアとウクライナ戦争にはほかに派閥の目指す、暇な時に続きます。 
作者からの返信
作者からの返信
 
>ヨーロッパの極右
これは冷戦時代からKGBが資金をばらまいて育てたグループも多く存在します。
先のスコットランド独立運動の隆盛にはロシアのFSBの影がありましたし、1861年の南北戦争の際も南部を支援すると言う事でロシア帝国は米国近海に艦艇を派遣して威嚇しています。
(当時の米国の水上戦力は、今日考えられているものよりずっと弱いものでした)

>フランス
仏露の関係は帝政時代にさかのぼります。
ロシアの貴族社会で話された言葉はフランス語でした。
当時の国際儀礼の慣行として、フランス語が欧州の外交公用語だったためです。
(これは東洋における外交公式文書が漢文であったのと同じようなものです)
ナポレオン戦争関係なしにエカテリーナ2世が近代化のモデルとしてフランスの進歩思想を積極的に受け入れたのもあります。

知識人や医師などはドイツ語を愛用しました。これはドイツ系移民の影響も大きいと思います。

フランスに関してはソ連ともうまく立ち回っていた話があります。
T80戦車を英米の諜報機関が秘密裏に探っていたところ、フランスの情報機関は公式ルートでソ連軍に尋ねたら、正式に見学させてもらったという冗談が伝えられています。
 
(非会員)
 
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マブラブ世界で、アメリカとイギリスのどんな関係でしょう?(1981年以降の特別な関係ですが?1861年に南北戦争から1956年にスエズ危機までの植民帝国としてイギリスと脱植民地化を支持してアメリカの関係ですが?) 
作者からの返信
作者からの返信
 
>米英関係
公式資料集『Muv-Luv Alternative Integral Works』に準拠、引用した説明をします。


>米国
 まず米国ですが、軍事費の拡大で戦時国債の大量発行をせざるを得ない状況にあります。
ただBETAの直接侵略を受けていないので、国民の生活水準は戦前同様に高いままで、民需も娯楽もそのまま維持されています。

 外交関係ですが、『裏庭であたる南米諸国に対して……米国の軍事力の保護下』(『Muv-Luv Alternative Integral Works』,p220,)になっています。


>英国
『欧州連合の盟主は名実ともに英国であり、……海外領土や英連邦内に……生産・経済拠点やそして本土を守り抜いた軍事力によって今なお米国や日本帝国に次ぐ国力を誇る』(前掲著,p220,)
という状態ですが、旧植民地のエジプトは事情が違って、『エジプトに租借地を持つ西ドイツ』(同前,p220,)
というよくわからない状況になっています。

アフリカですが、『欧州陥落後……広範な租借地を提供、アフリカ沿岸部、中部を中心に……(中略)……欧州による「再植民地化」が進んでいる』という状況になっています。

 資料集には、英米関係に関しては詳しく書いてありません。
ですが世界情勢からみると英米関係は融和というより対立関係に進んでいるように思えます。
作中で脱植民地化を進めた米ソと冷戦に逆行して再植民地化を進める欧州列強とのあつれきは広がっていると思います。

 
(非会員)
 
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続く、ニクソン・ショックとトランプの軍事費負担の拡大要求のは、国々は安全保障のことがアメリカ軍に任せて、自国の福利を專注だけいい、これがアメリカ人に負担させてくれのは重いになります。 
作者からの返信
作者からの返信
 
>軍事力の米国への負担
トランプ大統領がメルケル首相に対して激怒したとされるのがドイツ軍の装備の脆弱化と軍事作戦の丸投げであったという話はつとに知られています。
 
 2018年のドイツ各紙の報道などによりますと、当時稼働可能だったタイフーン戦闘機は10機で、即座に実戦配備できるのは4機だけでした。
また水上艦艇もひどく、新型のフリゲートは船体も傾き、対空装備もない貧弱なもので、予算ばかりかかる役立たずでした。
6隻しかない潜水艦もすべて故障中で、対潜哨戒はポーランド軍や米軍に依存していました。
 かつて2000両を誇ったレオパルド2戦車は、その9割がシュレーダーとメルケル政権下の軍縮によって第三国に売り払われ、国内に残った250両は整備不良で100両ほどしか稼働できませんでした。

また兵士の個人装備もひどく、新型小銃の不備や機関銃の更新をめぐるトラブル、冬服や軍靴の著しい欠乏など、記せばきりがありません。

これはドイツの軍事予算が少ないためと、その予算の中からドイツ軍の退役将校に払う年金を捻出するためです。
2005年以降、旧東ドイツの国家人民軍に服務した将校、下士官に対してはドイツ連邦軍と同じ扱いを与えることが決まり、彼らの身分はドイツ軍人と同じものとなりました。
法的には「国外勤務者」となって、退役時の身分に応じて満額の年金(軍人恩給)が付与されることとなりました。

このせいで、冷戦以後、兵器更新の遅れていたドイツ軍は近代化がさらに遅れることになって、海軍の艦艇増強に予算を取れれた陸軍などは、戦車や歩兵先頭車の大幅な削減にかじを切りました。

 
 日本の情勢に関して言えば、オウム事件のような国内騒擾事件と阪神大震災以降相次いだ自然災害、北鮮の度重なる核ミサイルによる恫喝で、国論は一気に変化し、軍事力強化へと舵を切りました。
ただ、海軍艦艇の大規模な強化と戦闘機の更新で軍事予算を取られ、陸上自衛隊の兵士の個人装備までは十分な近代化ができていないのが実情です。

本来ならば、戦前の様に選抜徴兵制を設けて、高等教育機関に軍事教練の科目を設置するなど人員増強の方策を取るべきなのでしょうが、人手が足りないと称して婦人自衛官の戦闘職種への参加を認めるなどという見当違いの方策ばかりをしています。
(女性兵士の問題は散々述べましたので、ここでは新たには申しません。)
 







 
(非会員)
 
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『敗戦のくびきから自立できまい』

これがドイツではロシアとウクライナ戦争について、ウクライナヘ軍事援助は遅々として一つ原因、同じ日本にもカンボジアへ人道援助だけ、逆にカンボジアへ軍事援助は中国に任せます。 
作者からの返信
作者からの返信
 
>軍事援助
日独とも今回のウクライナ戦争には及び腰だったのは否めません。
ドイツは直近20年での急速な軍備縮小ということが一番大きいと思いますが、住民感情として反軍運動が日本よりも盛んです。
1968年のドイツの学生運動でそれまであった第二帝政時代やワイマール共和国、第三帝国への憧憬が一気に失われた結果、ドイツでは軍に対する感情が180度変わります。
国民の義務として受け入れていた徴兵制への忌避が始まり、結婚や家庭生活など既存の価値観の否定が一気に広がりました。

逆に日本は戦争から時間がたつほど、かつて過ぎ去った時代への追憶が強くなり、美化された帝国海軍像などが流布された結果や近年増加する災害派遣での陸上自衛隊の活動もあって、自衛隊への国民感情は終戦直後に比してだいぶ緩和されました。

もっとも日本は戦後一貫して東亜の中で志願兵制を取り続けた国でもあり、主要国のG7でも徴兵制度のない国でしたから、特殊な事例の一つでしょう。

 

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