豹頭王異伝
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奇蹟
煙とパイプ亭
前書き
エピグラフ
「オロは、俺を助けてくれた」
「彼には2回、命を助けられた。スタフォロス城が炎上する時、俺を助ける為に駆け付けてくれたのだ。彼は最期まで勇敢だった。勇敢で、善良で、そして親切だった。行きずりの、縁も所縁も無い俺を助けた事を誇りにして、俺の腕の中で死んだ」
・グイン・サーガ正伝67巻『風の挽歌』、ケイロニア黒竜将軍ランドックのグイン
「済まないな、ダン。
俺に、力を貸してくれないか」
ダンは何故か困惑し、頻りに店の奥を気にしているが。
カメロンは疲労の為か挙動不審に気付かす、強張った筋肉を揉み解しながら柔和な笑顔を披露。
当たり障りの無い世辞の遣り取りに時間を浪費せず、真剣な表情で話し始める。
「アルセイスで、アムネリス様に子供が生まれたんだが。
初めての御出産で、精神的に不安定になっている。
無理もない、トーラスを離れて心細いんだろう」
モンゴール独立を企てる者が、アムネリス救出を企てるかもしれぬ。
大公家唯一の生存者を慕う人々は未だに数多い現状を忘れず万一の可能性を警戒。
新都イシュタールでなく、旧都アルセイスと偽る用心も忘れない。
「アムネリス様に、御子が?
そ、そりゃ、えらい事だ!
トーラスも酷い有様になっちまって、此の先どうなるかと思ってただけども。
わかんねえけど、おらは何をすれば良いんですか?」
カメロンは想定通りの反応、狼狽に微笑み肝心要の用件を切り出した。
「少しの間で良いから一家揃って、アルセイスに来てくれないか。
アムネリスは父上も弟御も失くしてしまい、家族は1人も残っていない。
子供が生まれたらどうすれば良いか、なんて事は全く知らないんだ。
ケイロニアの皇女タヴィアさんと同じ様に、モンゴールの大公様も普通の人間なんだよ。
オリー母さんが傍に居てくれれば心丈夫だ、一緒に赤子の面倒を見てやってほしい。
他に信頼出来る者が居なくてね、とても困っているんだよ」
ダンは何と言って良いかわからず、思わず口を噤んだ。
カメロンは温かい笑顔を見せ、太陽の如く動転と硬直を解きほぐす。
「ダンの家族も、大変だろう。
トーラスが酷い状況になってるのは、良く分かってる。
俺が言うのもなんだが、モンゴールは必ず建て直す。
アムネリス様と、お生まれになったミアイル様をお守りしてね。
新生ゴーラ王国のモンゴール大公領として、復興する様に力を尽くす。
モンゴールの為だと思って、力を貸してほしいんだ」
「で、でも、アリスが、赤ん坊が2人も生まれちまって…。
今、とてもじゃねえけど、アルセイスへ行くなんて…」
ダンが辛うじて出した言葉に、今度はカメロンが仰天。
「何だって!アリスに、赤ん坊が2人?」
カメロンは眼を閉じ、再びテーブルに突っ伏した。
ケイロニアへ去ったマリニアの代わり、と云う訳ではないが。
オリーも寂しがっている事だろうから、一石二鳥の妙案との下心もあった。
だが、まさか、こちらでも子供が産まれているとは思わなかった。
アリの一味が煙とパイプ亭を襲った際、ダンに酷い恐怖を味わわせてしまった負い目もある。
最初の赤ん坊が産まれた直後のアリス、正真正銘の初孫を得たオリーを引き離す事は出来ない。
重苦しい沈黙を吹き飛ばす勢いで、オリーが肉まんじゅうを持って来た。
モンゴール大公家の一大事、アムネリスの出産。
男児の誕生を知り、オリーは爆発した。
「アムネリス様に、お子が出来なさったのかい!
なんて大変なこった、そりゃ、あたしがいれば、赤ん坊は大丈夫だよ!!
あたしゃ、オロもダンも、マリニアだって風邪ひとつ引かせた事なんかなかったんだからね!
あぁ、でも、どうしよう、アリスにゃ赤ん坊が2人もいるんだよ!!
とっつぁんだってあたしが面倒を見なきゃなんないし、店を空ける訳にも行かないし!
あたしゃ一体、どうすりゃいいんだろう!!」
思考が纏まらず錯乱状態一歩手前で両手を揉み絞り、困惑と感情を矢継ぎ早に迸らせる。
ヴァラキア随一の提督も饒舌の奔流に圧倒されるが、ダンが慣れた様子で宥め漸く舌峰も緩和。
オリーにゴダロとアリスを呼びに行って貰い、4人が揃った所で。
カメロンは再度、話を繰り返した。
「迷ってる暇なんざあるか、愚図愚図してねぇで行って来い!
カメロン様の御話じゃ、アムネリス様が困っておられるそうじゃねぇか!!
モンゴールの者が御助けしなくてどうすんだ、大公様の御役に立って来い!
ダンを助けなすってくれた命の恩人、カメロン様の御頼みなんだぞ!!
わしらにお返し出来る事をするなぁ当然のこった、店は何んとでもなる!
ダンとアリスがいるんだ、何も心配する事なんかねぇだろう!!
わしの事なんざどうだっていい、ぎゃあぎゃあ騒いでねえでとっとと行って来い!」
盲目のゴダロは真っ赤になって怒鳴るが、オリーはおろおろと前掛けを揉み絞る。
ダンも流石に、1人で行け、とは言い難い。
両親を見比べ、困惑の表情で沈黙。
思わず溜息を吐く、新生ゴーラ王家の後見人。
カメロンの耳に、思い掛けない声が響いた。
「あたしも、連れてってください」
子供の様に澄んだ儚い声に皆が驚き、一斉に発言者を振り返る。
アリスは、更に、小さくなった。
「あのう、わたし、思うんです。
タヴィア姉さんが、マリニアちゃんを産んで、オリー母さんと一緒に、育てる様子を傍で見てたけど。
それでも、初めて、自分の子供が産まれると、全然、どうすれば良いか、何にも解らなくて。
オリー母さんがいてくれなかったら、夜も、昼も、少しも眠れないくらいに、私、不安なんです。
きっと、アムネリス様も、わたしより、ずっと、ずっと、不安だと思うんです。
でも、わたしも、オリー母さんが、傍にいてくれないと、不安だし。
タヴィア姉さんだって、マリニアちゃんを連れて、ケイロニアに行ったんだし。
また、戻って来れるんでしょう? なら、みんな、一緒の方が、良いと思うんです。
ダンも、オリー母さんも、ゴダロ父さんも一緒に行っちゃ駄目ですか?
アルセイスに行った事は無いけど、カメロン様の近くなら安心だし。
小さくてもいいから家を借りて、一緒にお店をやれたらいいなぁって思うんです」
カメロンは新都に向け、再び馬を駆る事となった。
安堵した事に初産直後の王妃は信頼を寄せる義父、密かに慕う快男子の帰りを待っていた。
出産直後のミアイル王子を片時も離そうとせず、乳を与えている内に心が揺らいだらしい。
赤子が泣き止まぬと対処する術を持たぬ新米の母親、アムネリスは狼狽の極に達した。
光の公女も背に腹は代えられず、遠去けていた女官達へ助けを求める事も辞さなかった。
モンゴール出身の女官長アイラニア、侍女メア達が狂喜した事は言うまでも無い。
彼女達は騒ぎ立てながら赤子の世話を焼き、ゴーラ王妃に愛児が誕生した事実を吹聴して廻った。
宰相不在の王宮に、口止めする者は誰もおらぬ。
王子の誕生は瞬く間に、ゴーラ全土へ知れ渡るが。
ドリアン、改め、ミアイル王子の誕生を囁く声と尾鰭を付けた噂の数々は。
新生ゴーラ王国全土に重大な衝撃、思い懸けぬ波及効果をもたらす事となった。
「旧ユラニアを滅ぼし、モンゴールを血の海に沈め、戦上手の簒奪者が創り上げた新興勢力。
神聖ゴーラ帝国ならぬ新生ゴーラ王国は一代限りの幻、泡沫の夢と消えずに続いて行くのだ…」
言葉にすれば其の様な想いが新生ゴーラ王国、旧ユラニア領の全域を駆け巡った。
王子の誕生を囁く声が巷に溢れ、国王夫妻と義父の肖像画が再び脚光を浴び新都の各地に掲示。
人々は美男美女の新王家を戴いた歓喜の瞬間を想い起こし、改めて新国家の発足を実感。
それは新生ゴーラ王国の曙、ユラニア大公家の残党も復活を諦めた最後の日かもしれなかった。
アムネリスの無事を確認した直後、カメロンは流石に無理が祟り寝込む事になった。
「どうしたの、カメロン! こんなに憔悴して、何があったのよ!!」
アムネリスにもそう言われた位、酷い有様ではあったのだ。
「何も心配要らない、トーラスに行って来た。
懇意にしている一家が此処に来て、赤ん坊の面倒を一緒に見てくれる事になったよ」
そう告げて早々に退散しても、アムネリスでさえ愚図らなかった。
抜け目の無い宰相は鏡を見て一計を案じ、不在を巧みに隠蔽。
面会を望む数多の人々に和タルザンと区切り、寝台に仰臥した儘で釈明。
「流行り病でえらく憔悴しているので、更に数日間の休養を取らねばならない」
数日前から寝込んでいた、漸く快方に向かい始めたと関係者全員に納得させた。
奇妙な事に以前から密かに抵抗する勢力が首を揃え、掌を返した様に協力の態度を表明。
実に見事な豹変であり何等かの謀略ではないか、と思わせる程であったが。
ブランが密かに調査、報告した内容は実に拍子抜けするものだった。
宰相不在の間に万事が滞り、困窮した人々に突上げを喰らい進退に窮していたのだ。
しょうも無い豹変の理由を聞かされ、カメロンは呆れ果てた。
「こんな事なら、もっと早く仮病を使ってやりゃ良かったな」
「親父さんが留守の間、連中を撃退し続けるのはえらい難渋だったんですよ!
続けてズル休みするのは勘弁してください、今度は俺が仮病を使う番です!!」
カメロンの人望を失墜させる為に、サポタージュが行われたのだが。
ブランの一存で『何もかも滞らせた張本人』と噂を流し、足を引っ張る連中の名を挙げ逆襲。
ドライドン騎士団の情報操作能力を如実に示した実績、であったのだが。
ぼやく元船長に間髪入れず海の兄弟が返し、2人とも久々に腹を抱えて大笑いした。
ゴーラ宰相カメロンが仮病を止め、政務に復帰して数日後。
ドライドン騎士団の副長、ブランが執務室に駆け込んで来た。
「おやじさん、元ユディトー伯爵ユディウス・シンを名乗る者が現れました!」
「ユディトー伯ユディウス、ユラニアの誇る軍師だとぅ!?
アキレウス大帝の毒殺を謀み、ケイロニアで処刑されたと思ってたが。
何でまた、今頃になって出て来たんだ?」
「私に聞かれても、知りませんよ」
ブランが呆れた様に呟き、カメロンも思わず吹き出した。
後書き
モンゴールといえば、煙とパイプ亭は外せません。
カメロンには酷かと思いましたが、トーラスへ早駆けしてもらいました。
ゴダロ一家の登場する第67巻『風の挽歌』を、お読みいただければ幸いです。
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