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豹頭王異伝

作者:fw187
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  第二の基点

 
前書き
エピグラフ
「裏切った人々の恨みをかって、悪夢にうなされた挙句に、その呪いによって無残に追い落されてゆく――奴のそんな未来を見る為に俺はヴァラキアを捨てたんじゃない。俺は、奴をあまりに深い闇の道に踏み迷わせない為にこそ、ヤーンに導かれて此のトーラスに辿り着いたのだと思っている」
・グイン・サーガ正伝67巻『風の挽歌』、モンゴール右府将軍ヴァラキアのカメロン 

 
 パロ聖王家の予知姫にも優るとも劣らぬ美貌を備え、大輪の花と讃えられた豪華な金髪の女性。
 モンゴール大公家の後継者として苦難の道を歩み、ゴーラ王妃の座を射止めた光の公女アムネリス。
 イシュトヴァーンに裏切られた彼女は絶望の淵に佇み、自力で産んだ赤子の鳴き声に耳を傾けていたが。
 エメラルド色の瞳を閉ざし、最期の、終末の刻を迎えようとしていた。

「ねえ、カメロン様…貴方は…私の事を…少しは…美しいと思っていてくれた?
 …僅かにでも、愛おしいと…」
 赤子の泣き声が弱く、小さくなった気がする。
 カメロンの裡に動物的な直感、野生の勘が閃いた。

「…美人、なのになぁ。
 アムネリス、俺は、間違ってたかも知れん。
 お前は、俺の大切な家族だ。
 なのに俺は何時もお前を大公様、アムネリス様だのと他人扱いしていたんだな」
 沿海州で最も尊敬される提督は虚飾を捨て、率直に語り始める。


「俺は海軍提督にまで取り立ててくれた恩人より、イシュトを選んだ。
 沿海州海軍を蝕む陰謀を暴く事もせず、ヴァラキア公を見捨てた裏切り者だ。
 トーラスの裁判でも、亡霊に逆上して宰相を斬ったのは俺だ。

 お前がイシュトを憎むのは尤もだが、本当に憎まれなきゃならんのは俺の方なんだよ。
 アムネリスには1人の女性として、幸せになって欲しいと俺は思うんだが。
 モンゴール大公家の体面に囚われ過ぎて、自ら不幸を招いている様に思えるよ」

 感情を激変させ癇癪を破裂させる小さい子供、心理的に不安定な世界を滅ぼす運命の孤児。
 万華鏡の如く豹変する最愛の悪魔、イシュトヴァーンに語り掛ける時の様に。
 シルヴィアの理不尽な暴言に耐える豹頭王の如く、幼児を宥める様に優しく続ける。


「ノスフェラスの戦いで、マルス伯爵が亡くなった時も同じだ。
 イシュトがお前を裏切ったんじゃない、あれはグインが授けた計略だったんだ」
 以前、イシュトヴァーンから聞いた。
 グインに申し訳無い、と思うが已むを得ない。
 心の内で詫び、アムネリスを刺激せぬ様に表現を選ぶ。

「強大な軍勢に追い詰められ、生き残る為には行動しなければならなかった。
 イシュトは自分の意志で、アムネリスを騙したんじゃない。
 グインの計略に従って動いた端役、脇役の一人に過ぎないと思うんだが」
 反応は、無い。

 初産の直後で気の昂っている光の公女、アムネリスを刺激せぬ様に。
 一言一言を区切りながら、ゆっくりと口にする。
 寝台は暗く、様子を見て取る事が出来ぬ。
 カメロンは焦る心を懸命に抑え、言葉を継いだ。


「ヴラド大公は、無辜の民が幸せに暮らして行ける様に、そう、願っていたんだろう。
 アムネリスが生まれる前、モンゴール地方は誰も欲しがらない未開拓の荒地だった。
 ルードの大森林も謎の屍喰い、灰色の喰屍鬼《グール》が棲む魔の森と畏れられていた。
 ゴーラ皇帝領として残されていたのは、自給自足も困難だったからなんだ。

 サウル皇帝の騎士、ウラド・モンゴールは元々豊かな地方を奪って独立したんじゃない。
 細々と暮らす人達の先頭に立ち、豊かな生活を送る事が出来る様に発展させた指導者だ。
 オーダイン、カダインの辺りも数十年前は鬱蒼とした密林地帯だった。
 クムもユラニアも欲しがらなかった位、見捨てられた土地だったんだよ。

 ウラド大公は単なる独裁者じゃない、自由開拓民を組織して新たな道を切り拓いた勇者だ。
 だからこそ、モンゴールの人々は絶望的な状況にも屈せず連合軍に立ち向かった。
 クム軍が黒竜戦役の最後に現れ、モンゴール軍を壊滅させた時にも。
 アムネリスを護る為に最期まで戦い、1人の脱走兵も出していない。
 

 俺は痩せた土地を協力して開拓する人々の、真っ直ぐな気性が好きだ。
 肥沃な土地に安住しているユラニア人より、モンゴール人達の方が余程好感が持てる。
 団結して困難に立ち向かう国民性だからこそ、一時は世界最強の強国にまでなったんだと思う。

 お前は、父親の志を受け継いで、祖国の復興に尽くして来た。
 とても、立派な事だと思う。

 アムネリスが力を貸してくれたら、モンゴールは必ず建て直せる。
 俺は、モンゴールの人々が、自分の国を誇りに思える方向に持って行きたい。
 モンゴールの民は素晴らしい強力な味方となって、ゴーラを助けてくれるだろうしな」

 実直なダンの顔が、心に浮かぶ。
 盲目のゴダロ、オリーの笑顔も。


「トーラスには、馴染みの居酒屋があってね。
 下町に住む人達にも、毎日を幸せに暮らして行って欲しいと願っているんだよ。
 モンゴールの人々が、幸せに日々を送れる様になる事。
 それが父上の心に適う事、なんじゃないかな」

 息を殺し、闇に包まれた寝台の様子を窺う。
 微かに、気配が変わった様な気がする。

「今すぐに気持ちを変えようなんて、思わなくて良い。
 イシュトを憎んだ儘でいても、構わない。
 ただ、少しだけ待って貰う事は出来ないかな。

 ほんの少しだけで良いから、俺に時間をくれないか。
 お前はモンゴール大公国の亡霊に呪われて、判断を誤っている様に見えるんだが。
 俺がアリの亡霊に逆上して、サイデン宰相を斬った時みたいにな」


「…私、わからない。
 …何も、わからない。
 イシュトヴァーンを憎んでいるのかどうかも、わからなくなってしまった。

 …カメロン、貴方の言いたい事は、良くわかるわ。

 何て、私は弱いんだろう。
 何て、私は愚かなんだろう。

 …私は、どうしたいんだろう…。
 何もかも、わからなくなってしまった。

 私は、また希望を持とうとしているのだろうか…。
 何度も裏切られて、もう2度と、こんな事はしない、そう、固く決めた筈なのに…」


 無意識の緊張で張り詰めた筋肉が緩み、カメロンは大きく息を吐いたが。
 己を叱咤し、慎重に気配を探る。

「アムネリス、ひとつだけ、頼みがある。
 俺を家族だとおもってくれるのなら、子供の名付け親にさせてくれないか。
 ドリアンという名は、あまりにも可哀想だ。
 お前も、お前の赤子も、俺の、大切な家族なのだから」

 沈黙が続き、カメロンは限界まで忍耐力を試される事となったが。
 数タルザン後、暗闇に覆われた部屋の奥から再び声が響いた。


「…ありがとう、カメロン。
 貴方なら、何と名付けるのかしら…」

 煙とパイプ亭を訪れた際、トーラスの下町に暮らす人々から様々な噂話を聞いた。
 モンゴール建国を果たした英雄ウラド、大公家と公女将軍を襲った悲劇の数々を。
 アムネリスの心に希望の明りを灯し、凝り固まった憎悪を解く可能性を秘める名前は何か。
 カメロンは己の推定に確信を持てず、沿海州の船乗り達が信奉する神に祈った。

 ドライドンよ、御加護を。
「ミアイル、と」



「おい、ブラン!
 トーラスへ急用が出来た、留守を頼む。
 俺が戻るまで、急病で誰にも会わんと言われた事にしとけ。
 周りが騒ぎ立てても、面会謝絶で押し通せ」

「ちょ、ちょっと、おやじさん!
 一体、どういうこってすか?
 何が何だか、さっぱり分かりませんってば!
 私にも理解出来る様に、落ち着いて話してくださいよ!!」

 気心の知れた海の兄弟が珍しくも、普段は決して出さぬであろう狼狽した声を挙げる。
 カメロンは己の振る舞いを自覚し、思わず苦笑。
 表情を綻ばせ、言葉を足した。

「トーラスに、煙とパイプ亭って居酒屋があったろう?
 グイン陛下と、お会いした所だよ。
 アムネリスが出産したんだが、精神的に不安定で何を仕出かすかわからん。
 あの一家がいてくれりゃあ、落ち着くだろう。
 世継ぎの王子様の誕生は目出度い限りだが、あまり彼方此方に知られたかねぇ話だからな。
 回りくどい手間を掛けずに俺が直接行って、話を付けちまう方が早い」

「アムネリス様に、御子が?
 でも、今、おやじさんが、イシュタールを空けちまって、大丈夫ですかね?
 他の連中にゃ、何も決められなくなっちまいませんか。
 クムが攻めて来たりでもしたら、危いんと違いますかね?」
 海の快男子は、実直な腹心の情勢判断を尊重。
 好意的な微笑を見せ、決断を下す。

「タリクに、そんな度胸は無ぇだろう。
 ユラニアも、モンゴールも言っちゃあ悪いが、実務家が揃ってるってな訳じゃねぇからな。
 下手に訳の分からん決定をされる位なら、俺が戻るまで何も決まらねぇ方が良い。
 中原を代表する美人の新生ゴーラ王妃、光の公女アムネリス様に自殺されるよりゃマシだ」

 アムネリスの幽閉場所、アムネリアの塔は精神に悪影響があると判断。
 新都イシュタールの北方、純白の小さな建物クリームヒルドの塔へ移す。
 イシュトヴァーンに王子の誕生を報らせる為、ドライドン騎士団ワン・エンを派遣。
 カメロン自身は昼夜問わず馬を駆りユラ山地を抜け、一路トーラスを目指す。

 疲労で速度が落ちたと見れば代馬に乗り換え、寝る間も惜しみ赤い街道を疾走。
 ドライドン騎士団の精鋭も、次々に脱落するが。
 カメロンは気にも留めず、目的地で合流を指示。
 体力の限界に達した従者達に休息を命じ、単騎行を選択。
 トーラスを暁の光が染める頃、下町の居酒屋に疲労困憊の騎士が駆け込んだ。


「まぁ、カメロン様!
 どうして、わざわざこんなところに来なさったんですか!?
 あれまあ、随分とお疲れの様じゃないですか!!
 今、肉まんじゅうを温めますからね、少しだけ待っててくださいまし!
 すぐ、お持ちしますから!!」

 オリーは豊穣な感情を映し、普段は和やかな眼を真ん円に見開いたが。
 盛大な絶叫で出迎え、一頻り騒ぐと急いで台所に逃げ込む。
 雄弁な溜息を吐き、古呆けた椅子に座り込むカメロン。
 寝不足の上、体力を使い果たし体中が痛い。
 グインを援けた黄金の心を持つ勇者、オロの弟が店の奥から現れる。 
 

 
後書き
 正伝『ドールの子』を覆そうと試みました。
 第86巻『運命の糸車』冒頭~90ページ第4行からスタートです。
 グイン・サーガ・ワールド収録の『草原の風』を読んでイメージが生まれました。
 アムネリスにもっと生きていてほしかった、のコメントに全く同感です。
 自殺を思い止まって貰った所、思いがけずドリアン王子の名前が変わってしまいました。
 ミアイル公子を御存知無い方には、第9巻『紅蓮の島』をお読みいただければ幸いです。 
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