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冥王来訪

作者:雄渾
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第三部 1979年
戦争の陰翳
  苦境 その3

 
前書き
 過激な話を書いてみたくなったので書きました。 

 
 それまで黙っていた東ドイツの議長が口を開いた。
話しかけた相手は、米国の大統領ハリー・オラックリンである。
大統領閣下(ミスタープレジデント)、私は正直、あなた方の国に不安を抱いております。
先のハンガリー動乱の件といい、12年前のチェコ事件といい、中途半端に妥協なさる点がある」
 その場が、氷で包んだような冷え冷えとした空気で支配された。
傍目で見て、男の脇で通訳を務めるシュタージ中央偵察局の職員の顔色も優れないほどだった。
 西ドイツの首相代理であるヴィリー・ブラントが、男を諫めた。
「サミットに招待されて、その言葉はないでしょう」
「ブラントさん。
貴方が運よく、首相に返り咲いたのは、我が東ドイツにとっても幸運な事と思っております」
 男の言葉に、ブラントは押し黙った。
彼が一度辞職せざるを得なかったのは、シュタージスパイのせいだったからである。
 こういう公式の場で、誤解を招くようなことを言われては、さしものブラントも言葉がなかった。
「不幸な事件でした。
作戦を指揮したミルケも、アンドロポフも役職から離れましたから終わった話ですが」
 なぜ、一度辞職したブラントが、首相に返り咲いたのか。
 それは、蘭王室事件の連座を問われ、ヘルムート・シュミットが内閣の総辞職させたからである。
そして、首相指名選挙が行われるまで、ブラントが代理の立場で、首相に返り咲いたのだ。


大統領閣下(ミスタープレジデント)、お一つお尋ねしたい事がございます。
あなた方の国は、どうしてユダヤ人や同性愛者(ホモセクシャル)などの顔色をうかがう政策を行うのですか」
 男は、そういって話を元に戻すことにした。
「いくら票の一つとは言え、大多数の一般民衆の事を無視し過ぎではありませんか」
 東独議長は皮肉たっぷりに、オラックリンに聞いた。
男の言葉に、米大統領は動揺の色を表す。
「そ、それは……」
「復員兵に恩給も与えず、街では餓死する乞食(ルンペン)も多いと聞き及んでおります。
それなのに、ユダヤ人に媚びを売り、ホモセクシャルの票ばかりを気になさる……
そのようでは……これから先、あなた方との関係がどうなるのか不安なのです」
 ハリー・オラックリンが、ジェラルド・R・フォードとの選挙で勝った一つに、少数者の票田の開拓があった。
それまで注目されていなかった東欧系ユダヤ人や、社会から疎外されていた同性愛者(ホモセクシャル)などの元を渡り歩き、丁寧に掘り起こした。
そのことが、半年間の選挙戦を勝利に導いた要因だった。
 そういう経緯もあって、1977年1月20日の政権獲得以来、ユダヤ人票と同性愛者(ホモセクシャル)票が政権運営の重大事項とされることとなった。
1978年にマサキがゼオライマーと共に、突如として共産支那に現れるまでBETA戦争が遅れる原因の一つだった。
「それは、我が国の内政問題です」
 押し黙る大統領に代わって、大統領補佐官のブレジンスキーがロシア語で口をはさんできた。
ブレジンスキーのロシア語に、議長は一瞬渋い顔をする。
ブレジンスキーは、虎の尾を踏むなと、暗にいってきたのだ。
 義息ユルゲンの、預け先の男の言葉。
 何か裏があるはずだ。
この言葉を警告として受け取った。
「そもそもドイツは、ユダヤ人への戦後補償も謝罪も不十分ではありませんか。
東ドイツがイスラエルに多大な賠償金を払ったという話は寡聞にして聞きません」
 会議に同席していたヘンリー・キッシンジャー博士が、バイエルン訛りの強いドイツ語で議長に問いただした。
キッシンジャーは、ユダヤ系ドイツ人としてバイエルンに生まれ、1938年に米国に移住した人物。
 1945年の終戦後、短期間だけ米軍下士官としてドイツに諜報員として滞在したことがある経験の持ち主だ。 
そういう環境のせいか、終生、バイエルン訛りのドイツ語と英語を話した。
「すでに我が国における戦後賠償は、すべて解決済みであります。
ドクトル・キーシンガー」
 議長は、皮肉たっぷりに訛りのないドイツ語で、キッシンジャーに言い返した。
東独政府は、1953年の協議でソ連との間では賠償放棄が確約していたからである。
またポーランドやハンガリー、チェコスロバキアとの個別交渉でもすべて解決済みであるとして、双方が賠償を放棄していた。
 これは、ワルシャワ条約機構軍内のいさかいを抑えるためにソ連が行った措置であった。
そしてその立場は、1970年代初頭の西ドイツの東方外交でも維持されることとなり、賠償問題は解決を見ていた。
 もっとも東ドイツの場合は、デモンタージュと呼ばれる過酷な現物賠償によって、すでに相応の金額を戦勝国に支払い済みだった。
工作機械や資材は勿論の事、有能な技術者や労働力をソ連に十二分に提供した後であった。
「では」
 キッシンジャーは、デモンタージュなど知らぬとばかりに、開き直る。
大統領補佐官の彼も東独議長の言に、引けるに引けなくなっていたのだ。
「貴国への援助を止める方向で、考えるしかありませんな」
「そうなるとソ連赤軍が再びエルベ川を越えてくる事態になりますな。
三度、ジンギスカンの悲劇をご覧になりたいのですか!
そうなると困るのはあなた方ですよ」
 大統領の傍にいる空軍将校の一人が、こう議長を威嚇した。
米国随行武官の中で、ただ1人70歳を超えており、最高齢の人物だった。
「そうでしょうか。
我が国は持てる空軍力をもって、あなた方の国土に出入りする不逞の輩を焼き払いましょう。
西ドイツ政府さえもたじろいだ、究極の戦術展開によって!」
 男の名は、カーチス・エマーソン・ルメイ。
ドイツ全土に絨毯爆撃を行い、昼夜関係なく爆弾の雨を降らせて、10万単位の人間を焼き殺した人物だった。
 後にケネディ政権下で国防長官を務めるロバート・マクナマラは、ハーバード大学助教授時代にこう評した。
「ルメイは、異常に好戦的で、多くの人が残忍だとさえ思える」
 そしてそのことを裏付けるように、世人は彼の事を、「鬼畜ルメイ」や「皆殺しのルメイ」と呼んだ。
 退役したルメイを呼び戻したのには、理由があった。
新型のG元素爆弾の運搬を扱う部署の設置を巡って、陸軍と空軍でもめた経緯があったためである。
 ルメイは、陸軍航空隊出身で、ケネディ政権下で空軍大将を務めた人物である。
 そこで退役済みであったルメイに、白羽の矢が立ったのだ。
彼は、最後の御奉公として、喜んで軍服を着こみ、中央政界に戻ってきたのだ。
「では長期戦も辞さないと……」
 押し黙る東独議長に代わって、西ドイツ首相のブラントが、ルメイに問いただした。
ルメイは、悪魔的な笑みを浮かべ、こう答えた。
「地上兵力を送らず、爆撃を繰り返せば、短期間でカタは付きます。
BETAも同じです。新兵器さえ十分な数が揃えば、わが軍は労さずして平和を手に入れられます」
 ルメイの空爆に対する考えは、一貫していた。
それは空軍力の独立と強化であり、先の大戦での絨毯爆撃の推進もその一つだった。  
 ルメイの思想的な父とされる人物に、ヘンリー・アーノルド元帥がいる。
彼は陸軍元帥になった後、空軍元帥になった唯一の人物である。
 アーノルド元帥は、あの過酷なドレスデン空爆の提案者の一人だった。
そして日本家屋への焼夷弾投下の命令者でもあった。
アーノルド元帥を過激にさせたのは、戦略爆撃という思想だった。
 アーノルド元帥は、ウィリアム・ミッチェル准将(死後:少将に追贈)から陸軍航空隊に根強くあった空軍独立運動を引き継いだ人物だった。
 ウィリアム・ミッチェルは、米空軍の父と呼ばれる不世出の空軍軍人だった。
第一次大戦前から航空隊に参加し、大戦後に今の戦略爆撃論の基礎を作った人物である。
イタリアのドゥーエ陸軍少将の影響もあって、盛んに独立した爆撃機集団の設立を説いた。
 一方、1920年代後半という早い時期から戦艦不要論を説き、海軍関係者から疎まれていた。
時の大統領、カルビン・クーリッジからの不興を買い、1929年に降格の上、退役させられた。
不満をかこったまま、ミッチェル大佐は、56年の生涯をバーモンドの寒村で終えた。
 爾来、陸軍航空隊の中では、空軍独立論が継承され、その実現のために戦略爆撃が重要視されたのだ。
つまり、大都市への絨毯爆撃は、アーノルドの空軍独立のための政治的な実証実験だったのである。
 そういう人物から薫陶を受けた人物の一人が、ルメイであった。
彼は1961年のキューバ危機の際、キューバ軍のミサイル基地に大規模な空爆を検討した人物であった。
この提案はケネディによって否定され、キューバ危機は回避されるのだが、詳しい話は後日ご紹介したい。

 首脳同士の結論の出ない話を聞いていたのに飽きたマサキは、会場から抜け出していた。
人目をはばかるようにしてアイリスディーナを連れ出し、中庭に来ていた。
 周囲に誰もいないことを確認した後、アイリスディーナに声をかけた。
呆然としている彼女の傍まで来ると、何時も如くタバコに火をつけた。
「アイリスディーナ、どうしたんだ。浮かない顔をして」 
「ええ……」
 アイリスディーナは、一瞬戸惑ったような表情になる。
しかし、困惑を隠すように無表情になると、マサキの胸にしなだれかかってきた。
「平和のためとはいえ、大量の核戦力が必要なのでしょうか」
 アイリスディーナの表情に、たくらみは見えない。
まるで子供が、無邪気に質問の答えを求めている。
そんな風だった。
「戦争に勝つためには、仕方がないという事で作ったんだろう」
「国土を守るためなら、BETA由来の超兵器も仕方がないというんですか」
 アイリスディーナの(おもて)に、わずかに怒りの色が見られた。
マサキは彼女のそんな表情を見ながら、少し動揺した。
「おい、おい、何をそう怒っているんだ?
日本は、常に敵国から狙われている。
何時、強力な兵器を持った侵略者が攻めてきてもおかしくない……
そういう時のために超兵器の一つ、二つがあった方が、まず心配がない」
 アイリスディーナは、マサキにじっと眼を注いだまま、ふっと大きなため息をついた。
目が愁いを帯びたかのように、わずかに潤んでいた。
彼女の悲憤が、マサキにそのまま伝わってくるかのような、優艶な表情だった。
「侵略者がそれ以上の武器を持っていたら……」
 マサキは、そっと煙草を灰皿に置くと、両手で彼女の両手を包んだ。
体から火山流が湧き出るように、急激な興奮が高まりつつあった。
「それを、凌駕する超兵器を作ればいいだけさ」
 全身を痺れるような感覚が走っていく。
アイリスディーナの視線が、マサキを燃え盛らせているのは明らかだった。
「それでは、キリがないじゃありませんか。
まるで、終わりのないマラソンを続けているようで……
いつかは、血を吐いて倒れる悲壮なマラソンです」
 アイリスディーナは、じっとマサキの目を見つめながら言う。
その瞬間、マサキには彼女の目がきらりと輝いた気がした。
「そんな事を続ければ、何時か、何時か、この国も血を吐いて倒れてしまうでしょう」
 アイリスディーナの頬は、薔薇色に染まっていた。
何とも言えない、婉麗な表情になっている。
 こんな表情のアイリスディーナを見るのは、初めてだった。
マサキは、年下の恋人の顔を見るだけで、高ぶってくるのが実感できた。
「だが……」
 そう言おうとした瞬間、視線がぶつかった。
 一瞬、マサキはひるんだような表情を、アイリスディーナに見せる。
しかし、何か確固たる意志を目に浮かべ、顔を近づける。
「超兵器の開発競争だけが、国土を守る手段ではないのかもしれないな……」
 マサキが突然、顔を近づけてきた。
迷いが一瞬のすきになったのであろう。
 アイリスディーナは避けることが出来なかった。
唇が重なり合う。
 アイリスディーナは、唇を離した。
マサキの口の間から、行き場を失ったかのように舌がこぼれ出る。
「アイリス、反戦平和の思想もお前の口からきくと、甘美な愛の歌のように聞こえる。
たまにはこういう哲学的な話も、違う刺激になって楽しいものよのう」
 アイリスディーナの体に、マサキの腕が回された。
マサキは、痛いほどきつく、アイリスディーナの体を抱きしめた。
 アイリスディーナは、マサキの胸に顔を埋めた。
黒い大礼服から、仏教寺院で焚かれる線香のような香りがして来た。
 伽羅(きゃら)の香りだ。
古来より武士が愛用した沈香(じんこう)という高級香木の匂いである。
 アイリスディーナは伽羅(きゃら)の香りを嗅ぎながら、体が内側から溶けていくような感覚を味わった。
多分、マサキ以外にされたら、嫌悪感を感じて、悲鳴を上げたであろう。
「俺は、やはり冷戦構造の中での軍拡競争というひと時の平和という方法しかないと思っている。
いずれにしても、この終わりなきマラソンを続けていれば、ソ連の方から根を上げてくるだろう。
優れた科学技術さえ見せれば、根が野蛮人の露助どもは、自分から兜を脱ぐ」
 マサキの言葉に、アイリスディーナはビックリしたかのように顔を上げた。
マサキの目に、冷たい目の輝きが浮かぶ。
「どうして、そんなようなことを……」
 マサキは、意を決して、アイリスディーナの目を見据えた。
「俺は、自分自身と所属する国家の幸せを追求するのに、貪欲というだけさ」
 アイリスディーナは、明らかに動揺していた。
マサキは、頬の端に毒のある笑みを浮かべた。
「わかってほしいな、アイリスディーナ。
俺はBETA教団の気違い共のように、運命なぞというものを受け入れて死んでいくという事は出来ないのだよ」
 アイリスディーナは、マサキの言葉を受けて精神的なショックを受けてしまった。
そんな気持ちを察しながらも、マサキは、己の不安を隠すかのように哄笑を漏らすのだった。 
 

 
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