「来てやったぞ」
星が輝く夜空の下で、無愛想に双葉はにまにま笑う少年に告げた。
「お~待っとったでぇ。未来の花嫁はん♪」
“ボカッ”
直後、岩田が食らったのは双葉のアッパーカット。
「誰がお主の嫁だって」
「じょ、冗談やで。……半分な」
その言葉にまた鋭い目つきで拳をかまえる双葉。岩田は苦笑いを浮かべた。
「怒った顔も好みやけど、やっぱあんさんは笑っとる方がええよ」
「一度も見たことないくせによく言う」
「それもそうやな」と岩田はまた笑いをこぼす。
――本当によく笑う男だ。
呆れた表情を浮かべるが、双葉は嫌な気持ちにはならなかった。
『笑顔』はもとから好きであり、岩田の笑顔は沈んでる空気の中にいる仲間達を元気づけている。そんなチカラを持つ彼を悪く思わない。
「お主は笑ってばかりだな」
呟きに近い発言に、きょとんした目で岩田は答える。
「そやかて、ヘコんどったってしゃーないやん。気ィ重うなって泣いてばっかで、ええことあらへん。せやけど笑っとると胸が弾んでみんなとごっつう楽しく過ごせて、ええことずくしや」
にっこり笑う岩田。笑う門には福来たるというように、『笑顔』は人々を幸せにさせるとても不思議なチカラがある。
そう感じるのは双葉も同じだった。
実は意気投合してる事など知らぬ岩田は、笑みを浮かべたまま彼女の顔を見て言った。
「せやから双葉はんも笑いなはれ」
「なぜお主に言われて笑わなければならない」
「お堅いな~。高杉はんの言う通りやわ」
困ったように頭を抱える岩田だが、ふと何か思いついたように話を切り替える。
「ところで、あんさんはなんで戦っとるの?」
「なぜそんな事を聞く」
「女のあんさんが男ン中混ざって戦うって大変やろ」
「心外だな」
双葉は半ば怒りを含んだ声で言う。
「なら何故男は戦うことが許される?……女は弱い、女だから駄目だ、女は戦えない。そんなこと誰が決めたわけでもないのに誰もがそう言う。私はそれが腹立たしくて仕方ない」
戦場に立つと決めた時、当然兄に反対された。周囲の仲間からも痛い目で見られた。
確かに女の身体は、男に比べれば非力だ。けど、だからといって戦える力がないわけじゃない。侍としての強さも覚悟も持てる。
「『女』だって、十分戦えることを証明できる」
「それがあんさんの戦う《ワケ(理由)》なんか」
「違う。……仲間の……笑顔を護るためだ」
「『笑顔』?」
首を傾げる岩田に双葉は少し迷ったが、話すことにした。
自分と同じ考えを持つこの少年に。
「私はみんなの笑顔に何度も救われてきた。だからその笑顔を消す《アイツら(天人達)》は絶対に許せない。これ以上笑顔を消させないために、私は戦ってるんだ」
双葉は心強く語るが、岩田は眉をひそめた。
「そりゃおかしいで~。笑顔護る言っとる人が笑っとらんでどないすんの?」
「……兄者にも言われたよ。でも何だか笑う気になれなくてな」
溜息混じりに肩をすくめる双葉。
怠け者の銀時を叱るため、幼い頃から仏頂面を通してきたせいかもしれない。
「なら安心してや。ワイが近いうち絶対笑わせてみせますわ」
岩田は得意げに宣言した。
双葉は苦い表情を浮かべるが、そこに不機嫌な色は混ざっていなかった。
「にしても笑顔を護るためでっか。ええ話や。スマイル&ピースやな」
「そういうお主はなぜ戦う?」
「ワイでっか?」
自分を指差して聞き返す岩田に、双葉は小さく頷く。
すると岩田は妙にたくましさに満ち溢れた顔で答えた。
「ワイは姉ちゃんのためや」
「姉の?」
「せや。ワイの姉ちゃん大阪におるんやけど、身体弱くて根暗で塞ぎこんどるんや」
明るい口調で語られたのは、実に暗い話だった。
岩田の姉は生まれつき身体が弱く、おまけに幼少時に天人の暴行を受け、極度の天人恐怖症になってしまったという。それが原因で卑屈になってしまい、治療にも専念できず、岩田の姉は日々弱っていくしかなかった。
岩田はそんな姉が治療に励んでもらえるよう、この攘夷戦争に参加したという。
「ワイも頑張っとるから姉ちゃんも頑張ってやって、元気づけてやりたいんや」
「……姉想いなんだな」
「いやいや。双葉はんには敵いまへんて」
双葉はその意味が分からず、首を傾げた。だが、岩田は深くは語らなかった。知らない方が彼女のためだと思ったのだろう。こういう所は良く気が利く少年である。
話を逸らしてから、岩田は真っ直ぐな眼で夜空を眺めた。
「不思議なもんやな。あんさんは笑顔のため、ワイは姉ちゃんのため、みんなは国のため。《ワケ(理由)》はちゃうのにみんな肩並べて戦っとる。ワイ、思うんよ。歩む道はちゃうても、目指す場所は同じやて」
「同じ場所?」
「みんな『護る』ために闘っとるやん」
この夜空に輝く一億の星と同じぐらい人がいる。その数だけ出会いがある。
すれ違うだけで終わっていたかもしれない人と人が、共に力を合わせて闘っている。
それぞれ理由は違うが、誰もが何かを『護る』ために闘っている。こんなに多くの侍がいても『想い』が通じていることに、岩田は神秘的なものを感じるのだ。
「想いは同じということか」
「せやからみんな仲良うできて一緒に戦えるんや。まぁ、人生山あり谷ありで喧嘩してしまう時もありますわ。もしかしたらバラバラな道歩むはめになって、いがみ合うようなってまうかもしれへん」
「まるでこれから私たちが敵対するみたいな物言いだな」
溜息をつきながら双葉は言った。
実際、遠くない未来でそれは現実となるが、今は冗談めいた言葉にしか聞こえなかった。
「せやけど目指す場所が同じやったら、いくらでも仲直りできまっせ。それは天人はんも同じはずや。せやから今は刀交えとる天人はんたちとも笑える日が来ますやろ。ワイはその日が来るまで護りたいモン護るだけや」
「………」
意気揚々と語る岩田。双葉は内心複雑だった。
天人と笑える日?そんな日が本当に来るのだろうか。
今の自分にとって『天人』は大切なモノを奪っていく憎む以外の何者でもない。
そんな奴らと笑いたいと思えない――そう考える彼女の表情は暗く沈む。
「双葉はんどないしたんでっか?」
「……いやなんでもない」
心配そうに岩田が顔を覗きこんできたが、双葉は口にしないでおいた。膨らみ続ける胸の憎悪で、岩田の笑顔を崩したくなかったからだ。
彼女のそんな気持ちを知らない岩田は、的外れな発言をする。
「もしかして高杉はんのこと考えてて、今のワイの話聞いてなかったんでっか!?」
「……かもな」
「嘘やろ~。せっかくええ話して惚れさせよう思っとったのに~」
「そんなので私は惚れない。……だが今の話は悪くないぞ」
「なんや聞いとったんやないか。冗談悪いでっせ」
文句を含んでるものの、岩田は笑みを浮かべながら言う。
「でも今のでちょっと惚れたやろ?」
「ないな」
双葉はあっさり言った。
「だいたいお主は信憑性がない。そうやって軽々しく『好き』だの『惚れた』だの言われても何も――」
そこで双葉の言葉は急に途切れる。
後ろから静かに抱き締められたからだ。
「ワイは本気やで。ホンマにあんさんに惚れとるんや」
岩田は双葉の耳元で囁く。
次にそっと彼女を自分と向き合わせる。
目の前にいるのは、刀を振るい勇ましく戦場を駆け抜ける一人の侍。
だがそうでなかったら、一人の少女だ。
丸みある輪郭の顔と、未だ熟してない端正な容姿。
胸だけは極めて熟してるが、それ以外を見ればまだ成人になり切れていない少女。
一人の男としてこの少女を支えたい、と岩田は思う。
彼はまだ幼さが残る瞳を優しく見つめ、彼女に顔を寄せる。そして――
“ボカッ”
「アイタタタ。……やっぱチューは駄目でっか」
岩田は殴られた頬をさすりながら苦笑めいた。
対する双葉は、キスされるような隙を与えてしまった自分に恥じらいを感じているのか、振り切るように彼から顔を背ける。
そして、そのまま何も言わず砦へ戻っていく。
不機嫌に顔をしかめる双葉。だが、内心は思うほど嫌な気分にはなっていなかった。
誰かを幸せにできる笑顔と彼が戦う理由。
今日話して『岩田光成』という男に対する気持ちが少しだけ変わった。
それが恋愛的に変わったかどうかは別として。
ただこの時、双葉は思ったのだ。
彼の笑顔も護りたいと。
去っていく彼女を、岩田は情けない声で呼び止める。
「待ってェな、双葉は~ん」
止まらず去って行ってしまう。
岩田はがっくし肩を落として地面に座り込んだ。
「はぁ~。フラれてもうたかな~」
意気消沈したかのように溜息をもらすが、
「でもまぁ、ええわ。チャンスはいくらでもあるやろ。絶対チューしたる」
素っ気なく明るくなって、岩田は夜空を見上げた。
そんな叶いもしない望みを呟きながら。
* * *
重く暗い鉛色が広がる空の下。
武器を備えた男達は戦場へ向かい、双葉も兄達と同じように武装に身を固め歩いていた。
無論、天人をこの国から追い返しに行くためである。
打倒天人を中心に戦いを続けているが、兵士の数においても武力においても圧倒的に敵の方が上であった。刀や槍などといった接近戦の武器しかない侍と違って、天人は遥か高度な文明で造られた砲弾を備えた艦隊を幾つも持っている。また超越した身体能力の彼らとまともにやり合えば、すぐに勝敗はついてしまう。
だがどんなに高い武力でも、隙を突けばもろく崩れ去るものだ。戦闘準備がままなっていない場所を攻めれば戦況は変わる。
故にこの時代の侍たちは、奇襲を仕掛けて敵を混乱させるゲリラ戦を主な攻め方としていた。
ただ、これは小競り合いにしかならない。いわば終わりの見えない戦いだ。
しかし国のため、あるいは大切な人のために、男たちは戦い続ける。
そうして戦いに身を注げる侍たちは、いつも張り詰めた空気の中にいた。
だがそんなの全く気にしてないかのように、銀時は軽くあくびをする。
「緊張感のない奴だ」
隣で歩く桂が呆れたように言った。
これから命を落とすかもしれない戦地へ赴くのに、銀時には気怠い雰囲気しかない。
「気を抜くなよ、銀時」
強めな声で桂は警告するが、銀時は彼にとって最も失礼な言い方で返す。
「てめェも足引っ張んじゃねぇぞ、ヅラ」
「ヅラじゃない桂だ!」
額に図太い血管を浮かべて桂は怒鳴るが、銀時は生返事するだけ。
その態度にさらに怒りがこみ上げる桂に、岩田が横入りしてきた。
「まぁまぁヅラはん。そないに怒っとったら血登って頭がパーンしちゃいまっせ」
「だから桂だ」
「わかってまっせ~桂はん」
「桂じゃないヅラだ!いや違う違う、桂だ」
生真面目にキッチリと言い直す桂。その様がおもしろいのか岩田は笑い出し、周囲の侍達もつられて笑いがこぼれた。張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。
その後も岩田は何かとフザけたことを言ったりボケたりたまにツッコんだりし、その度に場の雰囲気は和んでいく。彼らの笑顔を眼にして、男の中に混じっていた少女もまた心の緊張が解れていった。
だが、楽しい時間ほどはやく終わってしまう。
「ほな、ワイらはここで」
岩田が足を止める後ろで、歩いていた侍たちがほぼ半分の人数に分かれ始める。
奇襲は至る所から攻めた方が効率が上がる為、より人数を拡散して攻撃を仕掛けた方が良い。高杉率いる鬼兵隊も別の側から攻める為、一足早く戦地に向かっていた。
そして岩田もまた、銀時たちから離れ別の方向から攻めこみに行く。
「気をつけるんだぞ」
「桂はんもヅラ取れんように気ィつけなはれ」
「大丈夫だァ。ヅラは接着剤でズレねぇようにしてっから」
「せやったな」
「違うぞ!お前らいい加減にしろ!!」
桂の怒鳴り声が響くが、岩田は笑って流し、銀時も気にせず無視した。
そうして、別れの時は訪れる。
ほな、と岩田は手を振って歩こうとした。しかしその時、一人の少女が前に出た。
「おい、双葉」
「そっちは兄者達がいれば充分だろ」
双葉は銀時とは別の――岩田たちと同じ方向に歩いていく。
いきなりの行動に男三人は驚いた。だが岩田は嬉しそうに銀時へ振り返って告げる。
「お義兄さん、心配無用や。妹はんのことはワイに任せといてや」
明るい笑顔を見せて、岩田も銀時たちから去っていく。
自分の元から離れていく妹の姿を、銀時は憂鬱そうに眺めた。
「銀時、妹が心配か」
怪訝そうに桂が尋ねる。
「アイツはそこらで潰れるタマじゃねーよ」
「ああ。俺たちが思ってるほど、双葉は弱くない。岩田もああ見えて実力はある男だ」
「……だな」
桂に促され、しかしどこか引っ掛かりを感じつつも、銀時は頷いた。
そして彼もまた戦地へ歩いていく。
見えない所で惨劇が起こるなど知らずに。
誰もが武装に仕組まれた鉄の重さを感じて歩く中、岩田は軽やかに足を弾ませていた。
「いや~双葉はんがワイのとこに来てくれて嬉しいわ~」
「勘違いするな。お主の戦いぶりを見たくなっただけだ」
「それでもごっつう嬉しいでっせ。お義兄さんと離れて寂しいはずやのに」
「なぜそこで兄者が出てくる?」
「いやいや。なんでもあらへん」
何か見知ったような表情を浮かべながらも、岩田は曖昧に誤魔化した。
「でも安心してや。いざとなったらワイが――」
「護る必要はない」
岩田の発言を遮るように双葉は冷たく言った。
対する岩田は「ちゃうちゃう」と首を横に振る。
「あんさんみたいな気ィの強い女、護られるこたあらへん」
「じゃあ何だ」
「ワイが支えたる」
岩田はいつになくキリッとした表情で宣言した。
「支える?」
「支えるぐらいやったらええやろ」
「……勝手にしろ」
にっこりと笑う岩田に、双葉は呆れたように呟いた。
それはまるで彼の発言に頷いたような響きだった。
=つづく=