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【銀桜】5.攘夷篇・第一部

作者:Karen-agsoul
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第5話「悲しい時ほどよく笑う」

 厚い雲に覆われた空から光が地上に届くことはない。
 光のない戦場で響くのは、金属同士がぶつかり合う音、人体を裂く生々しい音、そして闘志に燃える者たちの声のみ。
 人間と天人の激しい戦闘が勃発していた。
 双葉は刀を振り上げ、天人を次々と斬り殺していく。
 舞うように、しかし確実に敵の急所を突きながらトドメを刺して敵を倒し、また次の敵へ攻撃を仕掛ける。
 だが敵を倒すたびに消費する体力は大きく、ほんの少しずつではあるが双葉の息は荒くなっていった。男との体力の差に苛立ちを感じるが、その気持ちを天人に対する憎悪と合わせて力に変えて、今は戦いに挑んだ。
「双葉はん。大丈夫でっか」
 たまたま隣に居合わせた岩田が明るい口調で問いかけてきた。
「他人より自分の身を案じろ!」
 叫ぶように言い放ち、双葉は目先の天人へ突進する。跳躍して、自分よりも遥かに大きい背丈の天人に刀を振り下ろした。
 眼を潰す勢いで攻撃するが、僅かに避けられてしまった。刀と剣がぶつかり合う金属音と共に、双葉は跳ね返されてしまう。とっさに身体を構えて着地し、体勢を整える。
 すぐに反撃をしようとするも、天人の方が速かった。
 見上げた時には刀が振り下ろされていた。双葉は寸前で攻撃を受け止めるが、相手の力の方が強く中々押し返せない。
 その小さな反抗を嘲笑うかのように、目の前の天人は双葉を蔑んだ。
「素直に我らに従ってれば、こんな所で無駄死にせずにすんだものを」
「そうさせたのは貴様らだろ!」
 憎悪に満ちた眼で、双葉は鋭く睨んだ。
 だが増幅する怒りとは裏腹に、双葉の刀はどんどん押されていく。
――このままでは……
 殺られる。
 全てを奪われ、仲間の仇討もできず、どこかで生きているはずの恩師にも会えないまま。
 終わる。終わってしまう。
――……クソッ!
 双葉の中で憎悪と悔しさが入り混じった気持ちが走る。
 しかし攻撃は容赦なく彼女を追いこんでいき、死は確実に目前へと迫った。
 だが。
「どりゃあああああああああああああ!」
 怒涛の掛け声と共に、一本の刀が乱入する。
 岩田だ。彼は渾身の力で天人の刀を押し戻していく。
 同時に余裕が生まれ双葉は岩田と共に天人を押し返し、直後に跳躍してトドメを刺した。
 一安心したせいか、双葉はその場に座りこんでしまい、荒れた呼吸をこぼす。
 そこに彼女を励ますように手が差し出された。
「言うたやろ。ワイが支えたるて」
 岩田が片目をつぶって言う。
 双葉は仏頂面を浮かべながらも、彼の手を掴んで立ち上った。
「余計なことを。……借りを返さなくてはならなくなったではないか」
「恩返しやったらチューでええよ」
「誰がそんなことするか」
 吐き捨てるように断言され、岩田は分かりやすくしょんぼり肩を落とす。
「……だが必ず礼はする。この戦いが終わったらな」
 背中越しに言われた彼女の言葉に、一気に眼を輝かせ岩田は攻撃を再開した。
 双葉もまた『笑顔』を護る決意を胸にして、刀を握る力を強め再び戦場を駆け抜けるのであった。

 だが少女はまだ知らない。
 奥底で眠る『獣』の目覚めが間近であったことを。

* * *

 戦場に安息はなく、ただひたすら敵を殺していくしかない。
 そうでなければ、自分が殺され全てが終わってしまう。
 血の雨が降り注ぐ中を走り、双葉はひたすら刀を振るい敵をなぎ倒していた。
 相手の急所に狙いを定め、確実に殺してまた次の敵へ目指す。
 向かってくる自分に振り下ろされた剣を躱し、双葉は天人の眼球を突き刺した。途端に相手は怯み、目をおさえてもがき苦しみ始める。
 天人が上げる悲痛な声が双葉の耳に染みこんでいく。
 ……ほんの一瞬だけ、彼女はどうしようもない『悦び』を感じた。
 そんな自分を異常に思うも、双葉はトドメの一撃を加える為、胸から腹部にかけて凄まじい勢いで刀を振り下ろした。
 肉塊、その次は骨を刀が滑る。
 斬り裂く感触が刀から手へ伝わり、『興奮』に似た殺傷感が全身を駆け巡る。
 そんな感覚を何度も味わう中で、何かが蠢き始めた。
 斬り殺すたびに口元は徐々につり上がり、次第に胸の鼓動の高鳴りが増してゆく。
 どこかで鳴る音楽のリズムにノるかのように、少女は身体を弾ませ向かってくる敵を何体も殺し続ける。
 だが、敵は前からやってくるとは限らない。
 突如後ろから猛烈な殺気が沸き上がり、双葉は勢いよく身体を回転させ刀を振り回した。
 背中を狙って奇襲を仕掛けつもりだったようだが、逆に返り討ちにあった天人は双葉の刀で首を大きく斬り裂かれた。
 同時に凄まじい勢いで首から噴射された血が、双葉の顔に直撃する。紅い血飛沫は口の中にまで入りこんだ。
 だが双葉は吐き捨てることもせず、血を染みこませる。
 口に広がる鉄の匂い。
 匂いが味へ変わり、舌の上で踊っている。
 味わったことのない、何ともいえない絶妙な舌ざわり。
 双葉は口の中に侵入した異物を存分に味わった。
 そして。
 ぽつりと呟いた時、彼女の中で新しい感情が生まれた。

「おいしい」

* * *

 応戦して天人たちの数を減らしていく。
 だが、いくら倒しても敵は出てくるばかり。逆に自分達の仲間の数は確実に減っていた。
 今や味方の人数は最初にいた頃の半分にも満たっていない。
 更に最悪な事に徐々に囲まれつつある。このまま一カ所にまとめられたら、ハチの巣にされてしまう。
――こりゃちとキツイかもしれへんな。
 珍しく岩田は弱音にも似たことを内心で呟いた。いや、彼がそう思うのも無理はない。そもそもこの戦闘は早過ぎる戦いだった。
 予想していた場所よりも先に天人と遭遇してしまい、戦いに至ってしまったのだ。
 勘づかれたのか、ただ運が悪かったのか分からない。どちらにせよ、この戦況は自分たちにとって非常に不利である。
 だが別の側から攻めに入った鬼兵隊や、銀時たちがこちらに向かっているはずだ。
 彼らが駆けつけるまで、なんとかこの場を持ち堪えなければならない。
 何人かの味方に背中を預けながら、岩田はそう考えていた。

 だが、戦況は一つの出来事で大きく変わる。

「……クフフ……」
 隣から声がする。
「双葉はん?」
「……クフフフフ」
 微笑にも似た声が。
「どないしたんでっか?」
 聞いても双葉から返事はない。あるとすれば、薄気味悪い微笑のみ。
 いつもと違う少女に、岩田を含む仲間全員がゾッとするような感覚に陥った瞬間――それは起こった。
 双葉は真後ろにいた仲間の背中を斬り裂いた。
 紅く火照る眼で楽しそうに笑いながら。

* * *

 舞う。
 血飛沫(ちしぶき)が舞う。
 肉を刀で抉るたびに。
 流血が飛び散る。
 少女の顔に深紅の血が貼りつく。
 歪んだ口元から笑みがこぼれ落ちる。
 無邪気に殺戮(さつりく)を楽しむ笑みが。
 斬る。斬る。斬る。
 笑う。笑う。笑う。
 流血が銀色になびく髪を紅くする。
 鮮やかに染め上げる。
 遥かに超越した天人を。
 彼らに比べてちっぽけな人間を。
 斬る。斬る。斬る。
 そこから生まれる感情が少女を包む。
 嬉しい楽しい恍惚と快楽が。
 新たな狂気と殺戮を生み出す。

* * *

「双葉はん!」
 何が起こったのか分からなかった。
 目の前に広がる光景を見て、岩田は絶句した。
 楽しそうに実に楽しそうに笑いながら、双葉は敵はおろか味方さえ見境なく殺していく。
 何度呼んでも何度声をかけても、双葉は止まる事なくそこにいる全ての者を斬り裂いていった。
 刃向かう者がいるなら喉をかっ斬り、逃げ出す者がいるなら背中を貫いて、踊り狂った悦楽を戦場で歌い上げる。
 異常だと誰もが思った。逃げ出すのが当然だった。
 だが岩田は何の躊躇いなく、双葉の前に立ちはだかった。
 惚れた女の殺戮を止めるために。
「やめんか双葉ァ!」
 次の瞬間。
 血まみれの刃が岩田の胸を貫いた。

* * *

 また笑う。また殺す。
 殺して笑って殺して笑って殺して笑って殺して笑って殺して笑って――

「…や…め…ェ……もう…ええ…」
 胸を貫かれても少女を止める
「……双葉…もう…ええ……戦わなくて…ええん…よ……」



 優しく微笑む少年の笑顔を――

「うへへ」

“ズバッ”

 笑って、殺す。
 黒く染まった空の下で少年は倒れた。
 そして少女は―― 








* * *

『みんなの笑顔を護るために私は戦う』

 それが少女の戦う理由だった。
 人々の『笑顔』が好きで、それを奪っていく天人たちがどうしても許せなくて、護るために刀をとり、戦場に立ったのだ。
 だが……護ると決めた仲間達の笑顔は、今はどこにも見当たらない。
 気がつけば、雨音しかしなくなっていた。
 何が起きたのか分からず、真っ白な頭で周りを眺めた。
 声にならない悲鳴が上がった
 斬り殺された天人と護るはずだった仲間たちの屍に囲まれていた。
 そしていつも笑みが絶えなかった岩田の顔は、無残に斬り裂かれていた。
「……あ…あぁ……」
 それを目にした途端、一気に蘇る。
 殺戮の快楽と狂気に溺れた自分が。
 仲間達の命の灯を自らの手で消した記憶が。
 彼の笑顔を潰した瞬間が。
「……あ…あ……」
 双葉は呆然と周囲を眺める。
 護りたかったモノを探すかのように。
 だが、見えるのは天人と仲間達の残骸。
「……どこに…笑顔がある?……誰が…笑ってる?」
 そうして、足元の水面に瞳を向ける。
 地面に広がる血だまりに映るのは――
「私しか笑ってない」
 血に染まり、狂気に歪みまくった『笑顔』だった。

* * *

 曇天の空から冷たい雨が降り注ぎ、冷やかな空気が灰色の荒野を包んでいた。
 その中を頭に鉢巻を巻いて、腰に刀を備えた高杉が荒々しい息を立てながら走っていた。
 鬼兵隊を率いて他の仲間とは別方向から奇襲を仕掛けるはずだった。
 だが、思わぬところで天人の軍団の待ち伏せをくらい、逆に攻撃を食らってしまった。
 無論、侍である高杉と鬼兵隊の男たちは臆せず突き進んで立ち向かった。
 だが圧倒的な武力の差から、集団で攻めていた侍達はバラバラに散らされてしまった。自分達の戦力を極限に減らされてしまい、撤退を余儀なくされた。
 敵の手で討たれるよりは、と自ら腹を斬る者もいた。それが『侍』として立派な最期であり、敵に勝つ唯一の方法でもあった。
 しかし生き延びるのも、敵に勝つための術(すべ)。
 ここでくたばって奴らに負けるわけにはいかない。どこかにいるはずの恩師を助けるためにも、高杉は生き残らなくてはならない。
 だが、自分のせいで敵に倒された仲間たちへの後悔念だけは拭い切れない。悔しさに胸が張り裂けそうになる。
 しかし、高杉は生き抜くため雨に打たれながら走る。ただ、このまま身体を濡らせば急激に体温が下がり体力も失われてしまう。どこか雨宿りできるような場所で、傷ついた身体を休めなくてはいけない。
 しばらくして、茂みの中でボロ小屋を見つけた。高杉はそこで雨を凌ぐことにした。
 もう何年も使われていないであろう小屋の戸を開けて、中に入った。

 この時――小屋に入ったのが彼でなく兄だったなら、少女の運命は大きく変わっていただろう。

* * *

「!!」
 入った途端嗅覚を襲う、強烈に血生臭い匂い。
 高杉は思わず腕で鼻を覆う。悪臭がどこからきているのか探そうとするも、小屋は暗闇に包まれよく見えなかった。
 だが、気配を感じる。人間か天人か、誰かいるのは確かだ。
「誰だ」
 敵かもしれないと警戒しながら、高杉は相手の反応を確かめる。
「……た…か…すぎ……」
 返ってきたのは、とても……とても弱々しい少女の声。
 それが幼少の頃から同じ私塾に通い、今は共に戦場に立つ仲間の声だと分かって、高杉は安堵した。
「双葉、そこにいんのか?」
 少女からの返事はない。
 何かおかしい。
 いつも彼女が持つ強気は、どこからも感じられない。
 いやそれどころか生気すらも……。
 妙に思っていると、ボロ小屋の僅かな隙間から外の微弱な光が入ってくる。そして 暗闇に慣れた高杉の瞳に見えなかった少女の姿が浮かび上がる。
 少女は――双葉は頭の毛先から足の爪先に至るまで深紅に染まっていた。

「双葉!」
 全身血だらけの双葉に驚愕しながらも、高杉は彼女の元に駆け寄った。
「どこを殺られた!?」
「……ない……」
 口からこぼれる微かな声に、高杉は眉をひそめる。
「……わた…の…じゃ……天人…みんな……血……」
 今にも消えそうな声で双葉が呟く。
 次第に何かを怖れるように、彼女は小さく震え出した。
「……岩田の…潰した……みんな……笑顔……わ……たし…が……」
 見開かれた瞳で虚空を見据えながら、支離滅裂に言葉を吐く双葉。
 普段冷静に満ちた姿からは想像できないほど、酷く怯えている。別人かとさえ思うほどだった。
 錯乱する彼女に愕然としつつ、高杉は落ち着きを取り戻すよう双葉の眼を真っすぐ捉え、声をかける。
「落ち着け。何があった?」
「……わたしが……わた…しが……」
 肩を掴んで大きく揺さぶっても、双葉はうわ言のように呟くばかりだった。


「あはは……ハハ……ハハハ」
 呆然としていた顔がほころび始める。
 いつしか動揺は何かに変わり、彼女の口元を引きつらせていく。
「私が岩田を殺した。天人もみんなも殺した」
 そこで双葉は初めて高杉に瞳を向けた。
 泣いてるのか笑ってるのかさえ区別できない表情で言いながら。
 高杉はそんな彼女をただ黙って見ているだけだった。
「殺すと無性に嬉しくなって。殺したい衝動に押されて」
 異常な恍惚感に満たされた双葉は、殺戮を楽しむバケモノと化した。
 そして目覚めた狂気に動くまま虐殺を楽しんだ。
「私が消したんだ。護ると決めた『笑顔』を……私が壊した」
 あれだけ散々言っておきながら。
 兄にも岩田にも高杉にも『護る』と豪語しておきながら。
 この手で大好きだった『笑顔』を消した。
 そしてあの戦場で笑ってたのは自分だけ。
 なんて馬鹿げた話だろうか。
「……ハハハ……」
 諦めたような疲れたような、力のない声がこぼれる。
 いいや、もうそんな声しか出なかった。
 もう笑うしかなかった。
「……ハハ」
「………」
「アハハ……」
「………」
「……ハハハ…アハ……アハハハんん!」
 笑いがこぼれる口が急に閉ざされる。
 双葉の唇に重ねられた、高杉の口づけによって。
「やめろ!こんな時に……」
 やっと正気に戻った双葉は、彼の唇のぬくもりを強引に突き離した。
 だが高杉は真剣な眼差しで双葉を見つめ、そして血に濡れた唇で当然のように告げた。
「言っただろ。同じだって」
「……同じじゃない。お前さえ殺してしまうかもしれない」
「殺したいほど愛されてんなら、俺は嬉しいぜ」
 フッと笑みを浮かべて、高杉は双葉を強く抱きしめた。
「やめろ……私を……許すな……」
 引き千切れるような声を上げ腕の中でもがく。
 けれど、高杉は離そうとしなかった。



「私は……みんなを……岩田を……」
「もういい。もうやめろ。そうやって《テメェ(自分)》を責めんのは」
「……駄目だ……許されない……」
「俺が許す」
「……許されたら……またみんなを……殺してしまう」
「俺が絶対止めてやる」
「……そんな……」
「俺を信じろ」
「…………」
 己に課した罪は一つ一つ愛する男に解かれ、また唇が重ねられる。
 そうして、深い愛が注がれていく。
 それは双葉が求めていたモノだった。
 だが、こんな形で欲しかったわけじゃない。
 縋るように抱かれたかったわけじゃない。



 



 いけない、と心が訴えた。
 咎める声が全身を駆け巡り、一度は拒もうともした。







 だが追いこまれた人間ほど、優しさに惹かれてしまう。
 血みどろのバケモノを受け入れる彼の優しさに溺れてしまう。
 双葉は高杉に身を委ねるしかなかった。

 この後に、『銀桜』と呼ばれた少女が戦場を舞い踊る。

=終=

 
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