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ソードアート・オンライン 穹色の風

作者:Cor Leonis
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アインクラッド 前編
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前書き
今回は少し短めです(前回が長すぎただけかも知れませんが……)。 

 
 翌日、雅貴は朝からコンピューターの前に居た。だがこれは取り立てて珍しいことではなく、職業柄、一日や二日、コンピューターの前から動かずに徹夜、といったこともしばしば存在する。
 しかし、雅貴が今行っていることは、彼の仕事とは全く関係の無いことだった。

 雅貴の向けた視線の先にあるのは、いつもと同じ四台のモニター。だが、そこに映されていたものはいつもの意味を成さない数字とアルファベットではなかった。円形のチャートの内部に幾重にも張り巡らされた光の道がモニター上に表示され、雅貴の手が動くと同時にモニターに表示されている範囲も移り変わっていく。そして、探査している部分が最深奥に達したところで、

「何だ? コレ」

 という呟きとともに雅貴の手が一瞬止まった。雅貴は数秒間モニターを見つめていたが、その後、もう一度キーボードを叩き始めた。画面に表示されている範囲がみるみるうちに狭まり、しまいには道の一つだけが、しかしさっきまでの数倍といった大きさで画面に映し出された。

「……なるほど」

 雅貴が今度は完全にキーボードから指を離し、脇のコーヒーカップの中身を口へと運び、ふうと温かい息を吐き出して、言葉を続けた。

「こんなモン作って、一体あいつは何する気なのかねぇ……」

呆れたような声色で呟いた雅貴の口元はしかし、獰猛な形に歪んでいた。
そして、雅貴はもう一度コーヒーカップを呷ると、再びキーボードを叩きだした。


 それからしばらくして、ようやく雅貴はコンピューターをシャットダウンし、リビングのコーヒーテーブルの前に置いてあるソファーの上に横になった。そのまま雅貴が時計に目をやると、時計の針は11時半を指し示している。雅貴はしばし考えると、キッチンへと向かった。

 十数分後、茹で上がったフェットチーネと卵、チーズ、ベーコンと黒こしょうを使ったソースとを絡め、器に盛り終えると、出来上がったカルボナーラとフォーク、コーヒーを持ってテーブルに着く。雅貴はフォークを器用に使ってパスタをくるくると巻きつけると、そのまま口に運んだ。

 卵の濃厚な風味に黒こしょうがピリリとアクセントを加えたソースが絶妙な加減で麺と絡まるのを味わいながら、雅貴はたまにはこんな食事も良いものだと思った。いつもは仕事の関係もあり、カップ麺やコンビニ弁当で手早く済ませていた雅貴だったが、別に料理が苦手というわけではない。レシピは一度見れば一語一句違わずに記憶することが可能だし、包丁等の調理器具も一般の主婦レベルでなら扱える。今までは時間が惜しくてまともに料理をしたことなど片手の指で数えられるほど珍しいイベントだったが、その時はもれなく食事に満足した。
 この味がいつも味わえるのなら、これからはちょくちょく自炊をしてみようか――
 そこまで考えが至ったところで、雅貴は吹き出した。自分がそんな気まぐれを起こしたことが可笑しかったからか、もしくは、自分にまだそんな感情が残っていることに驚いたからだろう。だから、雅貴が浮かべた笑いはどこか自分を(あざけ)るようなものだった。

 その後、15分ほどで食事を終えた雅貴は、洗い物を終えると先ほどのソファーに再び横になり、テーブルの上に置かれている高性能スマートフォンを手に取った。パスコードを入力し、待ち受け画面が表示されるのを確認してから、雅貴は電話帳を開き、“菊岡 誠二郎”の名前をタップして、耳に当てる。

 彼は前に総務省がサイバー攻撃を受けた際、雅貴のもとに事件の調査を依頼に来た官僚であり、それからというもの、ちょくちょく国としての依頼を雅貴に持って来るようになった。雅貴は最初はあまり依頼を受けようとはしなかったのだが、国なだけあって当然支払いは良かったし、国からの依頼を請け負うということはバックに国が付くということであり、その莫大なメリットを考慮した雅貴は、菊岡とはそれなりに深い関係を構築していた(あくまで“ビジネス上の”ではあったが)。
 昔から全く変わらないコール音が数回ほど鳴った後、カチャリ、という回線が繋がる音と、次いで真面目そうな青年、といった風な声が電話口から響く。

「菊岡です。あなたがこんな時間に掛けてくるなんて、珍しいこともあったもんですねぇ、橋本さん。……ひょっとして、僕の声が恋しくなったとか?」
「ハハハ、その可能性は熱力学第二法則が間違っているのと同じくらいありえませんから、安心してください」

 雅貴がおどけた風な口調で答えると、「残念ですねぇ」という短い呟きが聞こえてくるが、雅貴は気にしない。これが、この二人が話すときのスタンダードだからだ。

「さて、冗談はこのくらいにしておいて、橋本さん。用件は何ですか?」
「実は、面白そうなパーティーへの招待状が届きましてね。ちょいとばかしそちらに参加してくるので、当分の間、仕事はナシでお願いします」
「へぇ。橋本さんがそう言うなんて、これまた珍しいですねぇ。一体、どんなパーティーなんですか?」
「知り合いが神様か何かを気取ったみたいでしてね。どうやら世界を一つ創っちまったらしいんですよ。で、その世界を観覧して欲しいと頼まれまして。友情に忠実な僕としては、行かざるを得ないんですよ」
「ほほう。美しき友情ですな」

 菊岡はそう言った後、少しの間黙り込んだ。恐らく、雅貴の真意をあれこれ推測しているのだろう。雅貴もそれを分かっているため、その沈黙を破らない。そしていつも通り、その沈黙は作り出した本人によって破られた。

「……承知しました。依頼の方は、委細お任せ下さい」
「いやはや、いつもすみませんねぇ」
「いえいえ、橋本さんにお世話になっているのはこちら側ですから。それでは、また何かありましたら何なりと申し付けください」

 お互い、最後に社交辞令を残して回線を切断する。雅貴は電話帳を閉じると、またもや吹き出した。今度の場合は、前回のような自分への嘲笑ではなくて (実際にはそれも少し含まれているのだが)、橋本雅貴という人格を偽ることにずいぶんと慣れきった自分への苦笑だった。

 雅貴は本来、今のように喋る性格ではない。学校を辞めてからは他人と話すこと自体が珍しいことだったし、他人と話すことに意味が無いとさえ思っていた。そして、その考えは今でも変わっていない。
 しかし、世の中には意味の無いことも必要に迫られればせざるを得ない。量子物理学界に入れば他の学者たちとディスカッションをしなければならないし、ホワイトハッカーとしての仕事も依頼者(クライアント)と話をする必要がある。相手が大企業だったり、もしくは国だったりする場合は尚更だ。だから雅貴は仕方なく、自分を作り出した。“ビジネスモード”とでも言えばいいのだろうか、雅貴は仕事の話をする際、わざとおどけたような調子で喋っていた。この方が、相手に自分の心を読まれにくいからだ。特に菊岡のようなタイプと話す場合は自分の本心を相手に見せることは厳禁だし、何より他人から見たら無味乾燥であろうビジネスライクなこの距離が、雅貴にとっては心地よかった。

 雅貴は口元の歪みを直すと、スマートフォンの画面に表示されているデジタル時計に目をやった。よく言えばシンプルな、悪く言えば非常に素っ気無いオフホワイトで表示されている4つの数字は、只今の時刻が12時7分であると告げている。雅貴はアラームを12時50分に設定すると、スマートフォンをテーブルの上に置き、仰向けのまま手を頭の後ろで組んだ。無機質なベージュ色の天井のちょうど中心にLEDの照明が、まるで自分を誇示するかのように鎮座している光景を、まぶたを閉じることによって強制的にシャットダウンする。睡魔が作り出す心地よいまどろみを味わいながら、雅貴はゆっくりと意識を投げ出したのだった。

 ピピピ、といういかにも機械的な電子音が休んでいた脳を揺り動かし、1秒の狂いも無く12時50分ちょうどに鳴り響いたそれは、雅貴の意識を確実に覚醒へと誘う。雅貴はゆっくりとまぶたを開くと、賑々しい電子音を止めるべく、卓上のスマートフォンへと手を伸ばした。
 音の発信源を片手で素早く操作し、鳴り響いていた電子音を止めた雅貴は、念のために画面上部の4つの数字を確認し、時間通りであると分かると、ようやく体を起こし、左手首を右手で掴んで伸びをする。それと同時にあくびが一つ飛び出してまだ拭いきれていない眠気が自己の存在を主張する。雅貴は口元を手で覆いながら立ち上がると、キッチンでマグカップを一つ手に取り、コーヒーメーカーの前に向かう。数秒後、芳醇な香りを漂わせる黒い液体をカップの中に注いで再びソファーに腰を下ろした雅貴は、まだ湯気を発しているその液体をゆっくりと、少量口に含み、爽やかな苦味が脳に未だに掛かっているもやを晴らしていくのをリアルタイムで実感していた。

 実際のところ、コーヒーに含まれる眠気覚まし成分であるカフェインがその効力を発揮し始めるのは摂取後20分ほどしてからになるのだが、それまで待たずとも、コーヒーが持つ爽やかな苦味と酸味によって十分に眠気を払ってくれると雅貴は感じていたし、雅貴が大のコーヒー好きである理由もそれだった。
 雅貴の仕事は脳をかなり酷使するものであり、特にホワイトハッカーとしての仕事中は、一瞬の気の緩みが命取りになる可能性がある。そしてその主な発生原因である睡魔を退治してくれるコーヒーは、雅貴にとって欠かせないものだった。

 今回も頭を冴え渡らせてくれたコーヒーを飲み干し、コップをシンクへと置いた雅貴は、コンピューターの前の椅子に腰掛けると、昨日茅場から送られてきた二つの機器(パーティーチケット)を引き出しから取り出し、ナーヴギアを頭にかぶり、ソフトをセットしてバイザーに表示された時計と睨めっこを開始した。そして時計が13時を示す直前、雅貴はもう一度椅子に深く腰掛け、椅子をリクライニングモードに入れる。背もたれと足置きがフラットになり、雅貴が位置を微調整するのと同時に時計が13時を告げると、その瞬間、日本中で発せられたであろう一つの単語を雅貴も紡いだ。

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 すると、今まで網膜に映し出されていたオフホワイトの天井が闇に包まれ、次いで様々な色の光の粒が視界を染める。そしてそれが通り過ぎると、恐らくは様々なデータがやり取りされているのだろう、幾つかの円形チャートの中にパーセンテージが表示され、やがてそれらが全て“OK”に切り変わり消えたかと思うと、言語選択のウインドウが出てきて、その後今度はログイン画面が姿を現した。そして雅貴がいつもプライベートで使用しているIDとパスワードを入力すると、アバター製作の作業に入る。雅貴は特にこだわりを持っていなかったため、プレイヤーネームは《Masaki》とし、見た目も適当に作り終える。と、ようやく全ての作業が終わったのか、“Welcome to Sword Art Online!”という文字が画面上に躍り出て、それと同時に雅貴の視界が黒に染まり、突如発生した浮遊感が雅貴を襲った。
(さて、それじゃあ異世界見物でも始めますか)
暗黒の世界を落下しながら、雅貴は口元を獰猛な形に歪めたのだった。

 
 

 
後書き
結局プロローグと変わってませんね……

1/11 章を追加しました。 
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