ソードアート・オンライン 穹色の風
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アインクラッド 前編
Prologue
前書き
お初にお目にかかります、Cor Leonisと申します。
拙い文ではありますが、ご意見・ご感想等ありましたら是非感想版への書き込みをお願いします。
都内にあるごく普通のマンションの一室、おそらく、本来の用途は寝室であろう部屋。しかし、ベッドや布団などといった寝具の類はまるで無く、あるのは高級感といった言葉にはまるで縁のなさそうなこの部屋とはあまりに不釣合いな、見るからに最新、高機能、そして値が張りそうなデスクトップコンピューターが2台と、それらに繋がったモニターが1台につき2台づつ、それら全てを収納・配置してある机がたった一つのみだった。
そして、平均よりも少し白い肌の色と細い線を持ち、あまり手入れされていないように見られる髪の下から少し冷たい光を携えた瞳を覗かせながら机の前に座っている、男性――と呼ぶには少し幼い顔つきをした、それでいて少年と呼ぶにはあまりにも大人びた表情を浮かべた人物が、4台のモニターを周期的に見回しながら、2つのキーボードを同時に操作していた。
彼の目は時々4台のモニターのいずれかでしばし止まるものの、両手は動きを止めることなくキーを叩き続ける。そして、15分ほど時間が過ぎたころ、彼の両手と両目が、初めて同時に動きを止めた。彼はそのまま体重を椅子の背もたれに預け、脇に置かれているカップに口をつけた。途端に、ブラックコーヒー特有の爽やかで濃厚な苦味が味蕾を刺激する。
彼――橋本雅貴は一度ふうと息をつくと、カップを机上に戻し、モニターを睨みながら呟いた。
「……こいつか」
そして、4台のモニターのうち3台の画面を切り替え、再びキーボードを操作し始めた。
それから小1時間が経過したころ、雅貴はコーヒーを啜りながら、スマートフォンを耳に当て、電話をかけた。数回の発信音の後に、「私だ」といういかにもお偉いさん、というような老齢の男性の声が聞こえてくるのを確認してから、雅貴は用件を伝えた。
「橋本です。たった今、ウイルスの感染経路と相手コンピューターの位置が特定できました」
「流石、速いな。……了解した。後はこちらで行う。報酬はいつもの口座で構わないか?」
「ええ、それでお願いします」
「分かった。これからも、何かあれば頼むよ」
「喜んで」
相手が回線を切るのを確認し、雅貴はもう一度コーヒーを啜った。カップの中が空になってしまい、雅貴は二杯目を注ぎに行ってくるか否か、しばし逡巡すると、机の引き出しからこれまたスペックの高そうなノートパソコンを取り出して、電源を点けた。やがて、起動が完了すると、今度はワードを開き、一般人に見せようものなら一瞬で相手がめまいを起こして倒れそうな、難解な専門用語と記号がひしめく論文を読み進めていき、気になる部分を訂正していく。
この作業にも、時間はそこまでかからなかった。推敲が終わった後、雅貴は一度キッチンへ向かい、コーヒーメーカーからホットコーヒーをカップへと注ぐと、その湯気と香りを漂わせながら部屋へと戻った。そして、そのまま机の前に座り、今度は机の引き出しの中から、まるでF1に使うヘルメットを縦に真っ二つに割ったような形をしたヘッドギアを右頭に装着し、椅子の背もたれに体重を預けた。
「さてと、始めますか。……リンク・スタート」
呟くと、雅貴は左手を椅子の肘掛に乗せたまま、右手だけでキーボードを操作し始めた。途端に、つい先ほど、2台のコンピューターを使っていたときとは比べ物にならない量の膨大な数字とアルファベットがモニターに表示され、一瞬のうちに画面外へと流れていく。雅貴の右の眼と手はさっきよりもせわしなく動き、だが逆に左手は肘掛の上から1ミリたりとも動かず、左目にいたっては瞳孔が開いている。しかし雅貴は気にも留めず、ただ黙々と右の手と目を動かし続ける。
やがて、雅貴が作業を開始してから5分ほど経った頃、今まで黒のバックグラウンドに白の文字列を写しているだけだった2台のモニターが、不意に青い光を放ち、赤色の“Congratulations!!”という単語が画面上に躍り出た。雅貴はそれを確認すると、ゆっくりと右頭のギアを外し、ようやく左手を動かした。
「時間の短縮は順調だが……、やはり脳への負担が大きいな。この調子だと、俺でも最大連続使用可能時間は15分ってとこか。……やれやれ、新しいシステムの確立ってのも、中々に面倒だ」
言い終えると、雅貴はコーヒーのカップを口に運び、新着メールと机の上に無造作に積み上げられた手紙とに目を通し始めた。
日本語のみならず、英語やドイツ語、さらにはポルトガル語や中国語などで書かれた手紙やメールはしかし、全てが同じ内容だった。差出人 (この場合、送ってきたのは個人ではないが)はほとんどが大学で、自分の大学がいかなる理念を掲げ、いかに素晴らしい環境を持っており、いかに橋本雅貴という人材を欲しているか、といった、勧誘の文章が書き連ねられていた。だが、真に驚くべき点は、全ての学校が雅貴を生徒としてではなく、コンピューター関連や量子物理学、もしくはその両方の講師として勧誘している点だった。しかし一方で雅貴は、一欠片も表情を崩すことなく、読んだ先から手紙をゴミ箱へと投げていく。
彼、橋本雅貴という人物を形容する言葉は、実は少なくない。が、その全ては天才や神童といった、一般人では一生に一度も言われることがない類のものであり、彼がそのように言われ始めたのは、その実ごく最近のことだった。
雅貴がそこまでの頭脳を得たのは、たった四年前。雅貴が中学一年生の冬だった。雅貴とその家族が乗る車に、飲酒運転をしていた対向車が突っ込み、両親は死亡。雅貴は奇跡的に一命を取り留めたが、すぐに異常が現れた。
――記憶が、消えないのだ。
両親が死んだ、という、心の奥底に刻み付けられていそうなことだけでなく、朝食のメニュー、回診で何を聞かれたのか、ナースと何をしゃべったのか。挙句の果てには、同室の患者に、いつ、何人の見舞いが来て、何を喋っていたのかまで。しかも、その記憶は全て、言葉や音声ではなく、まるで録画したテレビのように、映像で雅貴の頭の中に残っていたのだった。
雅貴がそのことを担当医に告げると、すぐに専門医の居る病院へと移され、精密検査が行われた。事故の影響で、脳に損傷がある可能性があるためだ。しかしその結果は、「全てにおいて問題なし」というものだった。
が、問題は無くても、異常は存在した。雅貴の脳は、全体が一般人とは比べ物にならないくらい活性化していたのだ。そしてこれは、驚異的な記憶・洞察・理解力などとして、雅貴にフィードバックされた。
雅貴はこのとき、自分の脳の異常を喜んだ。自分が天才と呼ばれる人種に仲間入りすることが出来たからだ。そして雅貴は叔父夫婦に引き取られ、1ヵ月後に退院。学校にも復帰し、順風満帆な人生を送る――はずだった。
晴れて天才になり、意気揚々と学校に復帰した雅貴を待っていたのは、同級生からのいじめだった。彼らは最初こそ、雅貴の才能を羨んでいたが、その感情はすぐに嫉妬や嫌悪へと変わっていき、最後には雅貴という存在自体を憎むようになっていた。
また、それが勉強面だけならまだ良かった。人間の脳というものは、小脳といわれる部分で運動を司っているため、雅貴の運動神経も、事故の前とは比べ物ものになるはずも無かった。筋力や体力を必要とするものはそこまでではないが、集中力や反射神経、相手の挙動を読む力などが必要な、たとえば剣道などでの実力はすさまじく、それまで竹刀など一回たりとも触ったことがなかった雅貴だが、剣道部の顧問にしつこく誘われて出場した翌年の全国中学校剣道大会では、雅貴は圧倒的な強さで、最後には相手に一回もポイントを取られることなくシングルの頂点に立ってしまい、このことが同級生に更なる嫌悪感を与えてしまった。そのため、雅貴が朝礼で表彰されたとき、同学年のものは誰一人として拍手を送らなかった。
雅貴は最初こそ、苦しんだ。もう一度、皆と仲良くやりたいとも思った。が、すぐに自分の中である考えが芽生えた。
自分の才能を彼らに疎ましく思われるのは仕方がない。彼らは凡人なのだから――という、人を見下した、その上でどこか諦めたような考え。しかし、雅貴にはこれが、何よりも正しい真理のように感じられた。
すると、今まで悩み苦しんできたものが、一気にどうでもよくなった。学校も、友達も、全てが自分の足を引っ張るだけの存在にしか見えなくなり、そんなもののために今まで悩んできたことを馬鹿馬鹿しくさえ思った。
だから、雅貴は学校を辞めた。――正確には、学校に行かなくなった。雅貴が通っていたのはごく普通の公立中学校であり、もちろん義務教育だから、中退は出来なかった。結果、当時まだ中学二年生だった雅貴は義両親に、
・自分はこれから、原則的には学校へは行かないこと
・これから数ヶ月、家で勉強してから仕事を始めること
・中学を卒業した段階で、一人暮らしを始めること
・一人暮らし中は自分の稼ぎで食べていくため、仕送りは要らないこと
の4つを伝えた。もちろん義両親は反対したが、雅貴にこの選択を改めさせることは、ついに出来なかった。
同級生たちが自分から離れていく中で、この二人だけは自分のことを家族として温かく接してくれていたため、その2人の恩を仇で返すような真似をしたことは雅貴の心に少しだけ自責の念を発生させたし、このことで二人に恨まれるだろうと考えると悲しくもなったが、これも自分のためだと、雅貴は強引に納得した。
が、例えどんな天才であろうと、中学生がする仕事などがそこらへんに転がっているはずはなかった。その上、下手に仕事をした場合、法に抵触してしまう。だから雅貴は校長の下に出向き、「対外模試の時だけは登校して、学校の偏差値を上げる代わりに、合法的に就労できる許可を与えてもらう」「それが不可能な場合には、今すぐ他の中学校へ転校する」といった交渉をした。そしてこの校長、自身の出世のために学校の偏差値を上げることに非常に熱心な人物であり、あろうことか二つ返事で承諾してしまった。
これにより、法に触れることは回避できた雅貴だったが、現実的な問題として、おいそれとどこかの企業に就職できるはずも無かった。そのために雅貴が目をつけたのは、人と直接顔を合わさなくても行えるホワイトハッカー(ハッカーのうち、新しいプログラムの開発をしたり、サイバー攻撃からのコンピューターの防衛をしたりと、その知識を善良な目的に活かす職で、雅貴はこのうち後者を選んだ)と、研究職、特に、当時話題に上ることが多く、なおかつ小型化が進み、エレクトロニクス技術やナノテクノロジーといったものが重要視されるコンピューター技術と互換が可能な量子物理学の分野だった。
わずか3ヶ月で、しかも独学でこれらの知識を頭に詰め込み、博士号まで取得した雅貴は、両親の遺産で当時最先端だった2台のデスクトップコンピューターと1台のノートパソコンを購入。自室で活動を始めたのだった。
初めの1ヶ月ほどは、雅貴が学会で発表する度、会場中で笑いが巻き起こった。発表を拒否されたことも少なくなかった。しかし、雅貴が発表した一つの論文がアメリカの有力な科学雑誌で賞を取ると、雅貴が唱えた説が次々と証明されていき、雅貴は量子物理学界全体から一目置かれる存在として学者の頭の中に刻まれていった。すると、どこから雅貴のことを知ったのか、サイバー攻撃でコンピューターをウイルスに侵食された一人の学者が雅貴に攻撃先の特定を依頼、雅貴がその場で解決したことから、雅貴のホワイトハッカーとしての腕は口コミで世界中に広がり、今では世界に名だたる有名企業からも依頼を請け負うようになり、たった半年の間に、雅貴はホワイトハッカーと量子物理学者という2つの分野において天才の名をほしいままにして、今に至る。
そして今、雅貴は手紙を全てゴミ箱の中へと叩き込み、同じように電子メールを削除している最中だった。
前のメールをゴミ箱へと移動させ、そのまま惰性で次のメールをドラッグしようとした、その時。画面上に表示されているマウスカーソルが、動きを止めた。差出人が個人だったからだ。大学ではないとすれば勧誘ではなく(学校長などが個人名義で勧誘をしてくることはあっても)、ホワイトハッカーとしての依頼の可能性が高い。雅貴はゆっくりとメールの本文をウインドウに表示し、驚いた。
――そのメールの差出人は、茅場晶彦。彼とは同じ量子物理学者であるため、学会で何度か顔を合わせたこともあり、何か常人では考えもつかないような、良く言えば壮大、悪く言えば非常に恐ろしいことを実行しそうな独特の雰囲気をまとっていて、彼もまた自分と同じように天才であるのだろうと感じたことや、彼が何かを病的なまでに渇望していて、量子物理学も彼にとってその何かを実現させるための手段でしかなく、それを実現させるためならば数人の命さえ意に介さないような、強すぎる意志を感じたこと、その際にメールアドレスを交換したことを覚えている。しかし、今まで一度だってメールのやり取りをしたことは無かったし、何より彼はコンピューター関連の知識も豊富であり、そんな彼がサイバー攻撃を受け、さらに何らかの被害を被った、ということは、あまり考えられなかった。ということはその他の要件ということになるが、前述したように、雅貴は今まで、一度も彼とメールのやり取りをしていない。その彼がどうして今になって雅貴のところにメールを送ってきたのか、雅貴は訝った。そして、いつになく慎重に本文を開くと、そこには次のように書かれていた。
橋本君へ
久しぶりだね。君とは2ヶ月前の学会であったのが最後だったかな?
仕事のほうは順調かな? と、訊いたところで、君が躓くようなことがないのは、分かっているのだけれどね。
さて、それでは早速本題に入ろうか。
実は、私は君を私の世界に招きたいと常々思っていた。そして、ようやく、その機会を手にすることが出来たんだ。
ちなみに、もう招待券は発送済みだ。君がこのメールを読み終わった頃には届くのではないかな?
この招待を受けるか受けないかは君の自由だが、私は是非、君に私の世界を感じてもらいたいし、君の研究にも役立つと思う。それに何より、君にも楽しんでもらえると思っている。
君の参加を心待ちにしているよ。
茅場 晶彦
「……私の世界、ねぇ……」
本文を読み終わり、雅貴の疑いの念はさらに強まった。そして、茅場の言う“私の世界”とは何か、彼と会ったときのことから推測しながら何気なく覗いたインターネットニュースのトピックス欄に、目が釘付けになった。そのニュースは、衆議院の解散をめぐる与野党の攻防や、ついに共同提訴に持ち込んだ隣国との領土問題の、ICJ(国際司法裁判所)の判決予想などではなく、たった一本のオンラインゲームが明日の13時ちょうどに正式サービスを開始する、という内容のものだった。そして、その瞬間、雅貴の脳裏に確信が浮かび、それと同時にインターホンの機械質な音が部屋に響いた。雅貴がゆっくりと扉を開けると、予想通り、宅配便が人の頭サイズのダンボールを届けに来たところだった。
雅貴はサインをしてダンボールを受け取ると、すぐに部屋に戻り、箱を開けた。するとそこにあったのは、またしても雅貴の予想通り、流線型の形をしたヘッドギアと、ゲームソフトが1つづつ。雅貴はゲームソフトを手に取り、裏面のスクリーンショットに目を向けた。
「《アインクラッド》ねぇ……。茅場のことだから、由来は“An INCarnating RADius(具現化する異世界)”かな?」
かなりの当て推量だったが、なかなか正鵠を射ているのではないかと思い、雅貴は吹き出した。そして、自分が今、柄にも無く感情を昂ぶらせていることに気付く。
雅貴はネットゲーム、特にMMORPGは好きではない。ネットゲームの創り出す仮想世界が現実世界以上に醜いからだ。
アイテムや装備品をめぐったトラブル、プレイヤーIDにパスワードを調べてのキャラクターの乗っ取り等が絶えず、さらにはチャット等を使用しての誹謗・中傷やその他のネット犯罪が横行しているくせに、運営はその汚い面を綺麗でファンタジーな仮面で覆い隠す。しかも、それは全て自分たちの金儲けのためだ。そんな醜悪な世界に1秒たりとも入り込みたくはないという雅貴の思いはしかし、茅場晶彦という天才がどんな世界を創造したのか? という好奇心によって強く揺り動かされた。
「……切羽詰った仕事もないし、茅場の世界とやらは、暇つぶし程度にはなるのかな?」
数分の迷いの後、口元に微笑を浮かべながら呟いた雅貴は、机の上に二つを並べ、すっかりと冷えてしまったコーヒーを飲み干した。そして、自分の心中に渦巻く珍しい感情を味わいながら、リビングに置かれているベッドへと向かったのだった。
そこまで雅貴の心を揺さぶり、そして彼の人生にとって2回目となる大きな波乱を呼び起こす、たった1本のゲームソフトの名は――
ソードアート・オンライン。
量子物理学者にして天才ゲームデザイナー、茅場晶彦が開発ディレクターを努め、1万人もの人間を熱狂、そして何より恐怖の渦へと巻き込んだ、世界初のVRMMORPGだった。
後書き
いかがだったでしょうか?
もしよろしければ、今後も読んでいただければと思います。
1/11 主人公の年齢(が分かる部分)に誤りがありましたので、訂正しました。また、章を追加しました。
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