ソードアート・オンライン 穹色の風
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アインクラッド編
加速しだす歯車
前書き
更新が遅れてしまい、申し訳ございません。
よろしければ、またお読みいただければと思います。
「いただきまーす」
「いただきます」
目の前でほかほかと湯気を立てるトーストサンドイッチとローストコーヒーに対して、マサキとトウマは軽く手を合わせると、思い思いに口へと運び始めた。カシュ、という軽やかな音と共に、一層や二層と比べると大分マシになった味わいが口の中に広がる。
「なあ、マサキ」
「どうかしたか?」
「……マナー、悪いぞ」
「必要なことだからな。済まないが、見逃してくれ」
「ふーん」
マサキが一枚目のハムサンドを平らげ、二枚目のBLTサンドに手を伸ばそうとしたところで、トウマから忠告が飛んだ。というのも、マサキはこの時、片手でサンドイッチを持ちながら、もう片方でメールウインドウを操作していたのだ。マサキは仕事柄コンピュータを操作しつつ食事を摂ることも多かったため、これくらいはよくやっていたのだが、トウマの目にはよく映らなかったらしい。
マサキは手早く文面をまとめ、送信アイコンをタップした。ウインドウを閉じ、手元のカップに入ったコーヒーを啜る。
「……ところでさ」
「ん?」
不意に耳に届いたトウマの一言に、マサキは手に持ったカップの傾きを少し緩めると、両の瞳だけを上へ動かした。既に朝食を食べ終えたトウマが腕組みをしつつ神妙な顔でマサキの顔を覗いていた。数秒ほど考え込んだ後、おもむろに口を開く。
「マサキって、眼鏡とか掛けないの?」
「……質問の意味が解らないんだが」
何の脈絡もない質問をぶつけられたマサキが怪訝そうな顔でトウマを睨んだ。すると、トウマは慌てたように両手を振る。
「いや、マサキって何かそんなイメージあるじゃん? クールっていうか、インテリっていうか。だから、眼鏡とか、あとスーツとかも似合いそうだなーって」
「あるじゃん、と言われても、俺にはよく解らないが……。眼鏡は特に掛けていなかったな。スーツなら、職業柄着ることは多かったが」
「あー、リロンブツリガクシャ、だっけ? ……何かよく解らない仕事だってことぐらいしか解らなかったんだけど」
うーん、と首を捻るトウマ。
「まあ、科学者と思ってもらえればそれで間違いはない。それと、あの時は言わなかったが、もう一つ、フリーのホワイトハッカーもやってるからな。企業側との打ち合わせだったり何だりで、スーツを着ることは多かった」
「ふーん……。取りあえず、俺に理解出来るような職業じゃないってことは解った……って、あれ? それじゃ、マサキって俺より全然年上?」
「そうでもないだろう。今日やっと十八になったばかりだ」
「ふーん、そうなんだ……って、はあ!?」
淡々と告げたマサキの言葉の後にトウマは強烈な勢いで机を叩き、立ち上がった。突如轟いたその大声に、周囲の視線が一斉に二人に集まる。
「……マナー、悪いぞ」
ささやかな皮肉を込めてマサキが言うが、トウマはそれに気付く様子もなくまくし立てる。
「十八って、同い年? ……え? 大学は? 科学者って博士号とか要らないの? ってか、高校は?」
「ひとまず落ち着け。そして座れ。……まず、博士号は持ってるぞ。中学卒業と同時に論文を書いて、論文博士号を取得したからな。で、大学と高校には行ってない。だから、学歴的に言えば、俺は中卒ということになる」
マサキの口から発せられた、あまりにも現実からかけ離れた言葉を理解するのに、トウマは数秒の時間を要し、それが逆に彼の行動を落ち着かせた。
トウマはコーヒーの最後の一口を口へ運ぶマサキの視線に導かれるように、呆けた顔のままで腰を下ろした。
「……なんか俺、マサキと一緒にいちゃいけないような気がしてきたよ……」
「おいおい、人を化け物みたいに言わないでくれよ」
空になったカップを置くと同時に、マサキは肩をすくめておどけて見せた。すぐ後に喉の奥からこみ上げてきた不快な苦味を舌で押し戻し、薄い笑みを顔の表面に貼り付けたまま立ち上がる。しかし、強引に押し戻したためか、苦味はすぐさま口腔に舞い戻り、それに耐えられなくなったマサキは振り向いた後に表情を歪めた。
仕事での打ち合わせ、あるいは交渉事の席などでよく使う、慣れきったポーカーフェイス。にもかかわらず、今回はその表情を保ち続けることが出来なかった。
胸の中で舌打ちをして、食堂の出口へ向かって歩き出す。
「マサキ、いつ出る?」
「30分後はどうだ? 場所は建物の出入り口だ」
「ん、りょうかーい」
(…………チッ)
マサキは背後からの声と、付随して自分に向けられているであろう笑顔、同時に味覚を刺激する苦味、胃がもたれたような違和感を音に出さない舌打ちで掻き消すと、苦々しげな色を浮かべたまま、いくらか喧騒が和らいだ食堂を後にした。
「……ハァ……」
部屋に着くなり、マサキは盛大な溜息を吐いた。寂しげな空気の振動が、誰もいない部屋に充満していく。
――何かがおかしい。
落ち着いた色調の天井を眺めるマサキの頭に、そんな思考が広がった。約半年前、トウマと出会ってからと言うもの、願望でも、感情でもない。もっと単純かつ原始的な……そう、例えるなら食欲や睡眠欲のような欲求が自分の中に居座っていて、最近になってそれが更に顕在・表面化してきたように感じられる。今朝の夢などはその代表例だろう。
「……ハァ……」
今朝に入って既に四度目の溜息を吐いたマサキは、頭にのしかかる重い思考と胸の中に広がるどろりとしたもやに耐えかねて、数歩先のベッドに倒れこんだ。質の悪いマットレス程度には改善された柔らかさが、ぼふっと音を立ててマサキの体を包み込む。
しかし、その程度で逃れられるわけもなく、不快感と違和感は再三マサキにのしかかった。圧迫された思考が薄らいでいき、目に映る世界はぼやけていく。
「……うん?」
……どれくらい経っただろうか、焦点が定まらないマサキの視界に、一つのアイコンが点滅した。機械的な動作でウインドウを開く。そして表示された差出人は――茅場晶彦。
「……来たか」
マサキは体を起こすと、尚も頭を覆うもやを無理矢理追い払った。思考のギアを入れ替えつつ、表示されたフォントの羅列を視線で追っていく。
そこには、マサキが送った質問――朝食時に送ったメールは彼宛だった――に対する返信が書き連ねられていた。
マサキがメールで質問した事項は5つ。デュエルにおけるルールなどのシステム的な質問が3つと、クエストなどの攻略情報が2つだ。そして、その全てに返答が貰えるとは、マサキは考えていなかった。今回の質問は、茅場がどこまで踏み込んだ情報を提供するのかを探るための、いわばテストのようなものだったからだ。具体的には、システム系の質問は返答可能、攻略系の質問は返答不可能との予測を立てていた。
「……ほう」
しかし、その予測はいい意味で裏切られた。
最初に書いた三つのシステム的な質問に返答があったことは予測通り、反対に最後の質問に対しては“返答できない”という一文があったことも予想通り。しかし、その一つ前、“《風刀》スキルの発動条件、及びその特徴”という質問に対しての返答だけは、マサキの予想が外れた。
この質問には、私から答えを返すことは出来ない。が、これは君からの最初の質問メールであるし、何より「答えられない」ばかりでは、君へのお詫びというこの質問システムの意義を果たしているとは言えない。……よって、僅かのアドバイスだけさせていただこう。
――このスキルがどういうものなのか、そして、このスキルをどう扱えばいいのか、イメージトレーニングを積んでおくことをお勧めする。そうすれば、君の頭脳ならば、このスキルを最大限使いこなせるはずだ。
「……ふむ」
茅場からの返信を読み終えたマサキは、右手を口元にあてがいながら目を閉じた。考え事をする際のクセである仕草をとりつつ、文面に対して考察を進めていく。
(“イメージトレーニング”……。だが、イメージも何も、全く想像がつかない物を一体どうやってイメージしろと……なるほど、つまりはそういうことか)
マサキは目を閉じたまま、口元を僅かに歪ませた。
文面そのままの解釈で不都合が生じるのであれば、その解釈を変えればいい。つまり、茅場の言う“イメージ”、あるいは“イメージトレーニング”というのは、何か別の意味を含んでいると考えるのだ。
もちろん、この内容が本物であると言う証拠は存在しない。マサキを欺くためのフェイクということも可能性として考え得る。だが、マサキは推測によってその可能性をある程度否定できていた。
なぜなら、この文章はマサキが《風刀》スキルに対しての質問を茅場に送ったからこそのものだからだ。もしマサキがその質問をしなければ、茅場はマサキを騙すことが不可能になってしまう。そんな不確定要素が大きすぎる手段を茅場が使うとは考え難い。
それに、茅場にはマサキを騙す理由も、それによって得られるメリットもない。探せば幾つかは見つかるのかもしれないが、わざわざシステムに新たな武器カテゴリを設定し、その武器をマサキに送り、ご丁寧に質問に答えてまで騙すほどの理由は、恐らくないだろう。むしろこの一連の行動は、マサキをこの世界で生存させるための特別措置と考えた方がしっくりくる。この世界での情報の重要性はアルゴたち情報屋が示す通りであり、その情報を対価なしに与えるということは、それほど破格な条件なのだ。
「……さて、あいつは一体何を企んでいるのやら……」
もう一度獰猛な笑みを浮かべると、マサキは考察を切り上げて立ち上がった。
もう少し考察を続けても良さそうではあったが、あくまでこの情報はジグソーパズルで言う1ピースでしかない。そのピースが何色で、どんな図柄が描かれているのかを考える必要はあるが、それだけでジグソーパズル全体に描かれた絵の内容を全て正確に想像することは出来ない。結局、パズルの全体図を見たければ、全てのピースを集めるところから始めなくてはならないのだ。
マサキはドアに向かって歩き始め、ふと壁際の時計に視線を投げ掛けて――
「……おい」
一体誰に向けたのか、自分でも解らないままに呼びかけた。時計の針は一言も発しないまま、現在の時刻がトウマと約束したそれの15分後だということを物語っている。気付けば、トウマからのメールが受信トレイに存在していた。
「…………」
――彼の性格からして、怒ることはないだろう。「少し用事を片付けていた」とでも言えば納得する可能性が高い。
理詰めで考えればそこまで気に病む必要はない。にもかかわらず、マサキは一気に眉をひそめ、次いで諦めたように首を振った。
「……ハァ……」
もう数えることも放棄した溜息が板張りの床に沈殿し、マサキが歩く傍でギシギシと音を立てていた。
「ぐるおぉぉおっ!」
低い咆哮と共に、眼前のゴブリンが持つ粗雑な片手直剣が薄水色に輝いた。直後、ソードスキル《ホリゾンタル》が発動し、緑色の右手に持たれた剣が水平に振るわれる。
マサキはその初動を確認すると、上半身を反らしながら重心を後ろへ移動させた。マサキの体がぐらりと後ろに倒れ、逆に光に包まれた右足が振り上げられる。マサキの超人的な頭脳によってタイミングと軌道を正確に計算、コントロールされた《弦月》は、ちょうど通りかかったゴブリンの右腕を下から撃ち抜き、握られた剣を弾き飛ばした。
「ぐるあっ!?」
武器の取りこぼしを悟ったゴブリンが目を丸くするが、もう遅い。上方から響いた「スイッチ!」という掛け声に続いてマサキが離脱、見るからに重そうな大剣を持ったトウマが、数秒前までマサキがいた場所に文字通り“落ちて”きた。
重さと威力という両手剣の特長を生かした高所からの急降下攻撃である、単発重攻撃スキル《メテオ・フォール》。自らの質量をそのまま威力に変換したその攻撃は、7割近く残っていたゴブリンのHPを、余すことなく吹き飛ばした。
――マサキが隙を作り、トウマが仕留める。これが、二人が確立した戦闘スタイルであり、そのスタイルのため、半ば自動的にマサキのビルドは敏捷一極に、トウマは筋力8:敏捷2という筋力優位になっていた。
「うっし! 一丁上がり!」
「……ほら、さっさと行くぞ」
ポリゴンの破片に姿を変えたゴブリンの前でガッツポーズをするトウマに短く声をかけてから、マサキは先へ歩き始めた。トウマがそこへ走って追いつき、横に並んで歩く状態になる。
「……マサキ。オブジェクト、“重く”なってきてないか?」
「……お前もそう思っていたか」
30分ほど迷宮区内を探索した時、トウマが神妙な面持ちで口を開いた。辺りを見渡すと、岩に苔が自生していた迷宮区低層とは違い、重苦しい威圧感を放つ漆黒の岩石が周囲を覆っていて、それらには多少の彫刻まで施されている。
「恐らくは……」
マサキの言葉の後半が口にされることはなかった。それよりも先に、回廊に鎮座する両開き扉を二人が発見したためだ。二人は小走りで扉に近付き、しげしげと眺める。
「マサキ、これって……」
「ボス部屋だろうな、間違いなく」
マサキの言葉が、二人の間の緊張の糸をピンと張り詰めさせた。マサキの隣で、トウマがゴクリと生唾を飲み込む。
「一応、軽い偵察だけしておこう。偵察の偵察みたいなものだ。……転移結晶は?」
「ん、大丈夫、ちゃんとある」
「よし。……何か危険を感じたら、単独でも必ず転移しろ。後のことは考えるな」
「了解。任せろ」
トウマは真剣な顔で頷くと、一転して顔を綻ばせた。
「――何しろ、優しいマサキが一緒だからな。絶対に大丈夫さ」
いつもの笑顔で言うトウマとは反対に、マサキは不機嫌そうな表情を浮かべた。そして、苦いものを吐き出すかのように言葉を発する。
「……一つだけ、忠告しておく。……あまり他人を信用しすぎない方がいい。裏切られた時にリカバリーが利かなくなる」
「解ったよ。けど、そうやって言ってくれるってことは、少なくともマサキには、全幅の信頼をおいていいってことだろ?」
「……もういい。勝手にしろ」
「おいおい、そう怒んなって」
マサキはトウマに勘付かれないよう、胸の中だけで溜息を吐くと、込み上げてきた何かから逃げるように、眼前の扉を押した。
後書き
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