まぶらほ ~ガスマスクの男~
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第九話
前書き
珍しく早めの投稿です
「では、これより誓約を行う」
あの災厄の化身を日本の宮間家宛に空輸で送り届けた翌日。
俺は大勢のメイドたちを前にガチガチに緊張していた。
時刻は夜の八時。場所は城内の中庭。ついに、誓約が始まる。
こんなに緊張しているのは何でも屋の仕事を始めた頃以来だ。いや、あの頃でもここまで緊張はしなかった。
正装でと言われたので、普段着のラフなカッターシャツとジーパン姿から仕事着であるダークスーツに着替えてある。
城の中庭には壇上が設置されており、そこで現主人のじいさんがメイドさんたちにスピーチをしている。
俺はじいさんの隣で大人しく話を聞いていながら、メイドさんたちの視線を一身に集めていた。
ここには城内のメイドたちが全員集まっており、ズラッと一糸乱れぬ姿で整頓している。
その数は一七〇人。皆出身地が異なるため、赤や金、青、緑など色取り取りの髪が目にまぶしい。
しかも全員美人ときたものだ。
この人たちが全員、俺のメイドになろうとしているのだ。
「式森和樹、前へ」
じいさんに呼ばれ一歩前に出る。
(うわぁぁぁぁ~、緊張するぅぅぅ!)
ただでさえ注目を集めていたのに、さらに視線が寄ってきた。視線に物理的な干渉力があれば、今頃俺は全身蜂の巣になっているだろう。
事前にじいさんに言われて誓約の言葉を頑張って考えてきたが、そんな急造の言葉なんて一瞬にして意識の彼方へ飛んでいってしまった。
(な、なにを言えばいいんだっけ……? いや、そもそもどういう段取りだっけ? この後って誓約の言葉……? いや誓約の意思を告げてからだっけ??)
まさに混乱が混乱を呼ぶ。
幸いガスマスクを着けているから傍目からは判らないだろうけれど、今の俺はゲームのように目が渦巻状になっているだろう。
「式森和樹よ。君は彼女たち第五装甲猟兵侍女中隊の主になる意思はあるかね?」
「あ、ありますっ!」
(うわぁぁぁん! 声が裏返っちゃったよぉ~!)
実際は変声器のおかげで少し強めの言葉が出ただけなのだが、生憎今の俺には気がつくだけの余裕がない。
「よろしい。ではここにいるすべてのメイドたちに、主になる意思を己の言葉で示しなさい。それを以って誓約の意とする」
こんな心理状態で誓約しろと!?
やばいやばいやばい! このままじゃ最悪の誓約になってしまう!
俺にとっても彼女たちにとっても大切な誓約を台無しにしてしまうッ!
(誰か助けてぇぇぇ~~~~~~!! ドラ○もん~~~~~~!)
そんな俺のどうしようもないヘルプ魂が通じたのか。
「和樹さま」
凛とした涼やかな声が、俺の鼓膜を優しく叩いた。
顔を上げると最前列にいるリーラの朗らかな微笑が出迎えた。
優しく慈母のような声で語りかけてくれる。
「頑張ってください」
その一言が、俺に冷静な心を取り戻させてくれた。
一瞬で開ける視界。視野狭窄から解放された俺の目にはメイドさんたち一人一人の顔を見ることが出来た。
楽しそうにこちらを見る人。
期待に満ちた目で俺を見つめる人。
優しい眼差しで俺を見守ってくれる人。
その眼差しは多種多様だが、共通して言えるのは、俺を主として認めてくれている点。
目は口ほど物を言うとはこのことか。目が合った、ただそれだけで彼女たちの心の一部に触れられた気がした。
自然と、口が開いた。
「正直、俺は自分は大した人間じゃないと思っている」
マイクが俺の声を拾い、中庭にいる人たち全員に届ける。
「人より優れた点もあるけれど、人より劣った点もある。それは個人差なんて言葉で言い切れないほど致命的なものも持っている」
静かに語る俺に皆が黙して聞いてくれる。
口下手な俺がどこまで上手く語れるかわからないけれど、この胸に秘めた考えと気持ちを余すことなく伝えるつもりだ。
「俺は自分がどんな人間であるかを知っている。
みんなが俺のどこに触れ、何に惹かれたのかは判らない。なぜ俺のメイドになってくれるのかも判らない。その答えは皆の胸の内にあるのだろう。
俺のメイドになることに悩んだ人がいるかもしれない。覚悟を決めてメイドになってくれた人もいるかもしれない。
こんな俺に身と時間と労力を割いて尽くしてくれる君たちに、俺はなにを返せるのだろうか? 一人の個人として、そして主として。
寝る間も惜しんで考えた。たったの一晩だけどね。
俺は学生だ。ちょっと特殊な職業に就いてるけど、大金持ちって言えるほど財産もない。
だから俺――式森和樹は一人の人間として、君たちが胸を張れるようなそんな主に成ると決めた!
この人に仕えてよかったと心からそう思えるように、そんな主に成ることが君たちへの恩に報いることだと俺は思う。
ああ、見返りがほしいわけではないと思う人がいるかもしれないけど、これはただの自己満足だから自由にさせてくれ。男は時に見栄を張りたい生き物なんだ。
そんな俺でもいいと思うなら、俺についてきてほしい。俺を支えてほしい。
式森和樹の名に掛けて、絶対に後悔だけはさせないと約束しよう。
――以上を以って誓約の言葉とさせていただきます。ご清聴ありがとうございました」
最後にそう締めくくり、壇上から頭を下げる。
言いたいことは全部言った。伝えたいことも全部口にした。後は彼女たちの判断に任せる。
後は天命を待つのみ、と思いながら頭を下げ続けていると。
――パチパチパチ。
一つの拍手が聞こえた。
頭を上げると、リーラだった。
彼女に呼応するように広がっていく拍手の音。やがて瞬く間に広がっていき、拍手喝采へと繋がった。
盛大な拍手に俺を歓迎する声の数々。
認められた、ただそれが嬉しくて。
視界に映るみんなの姿が滲んで見えた。
「おめでとう。これで君は彼女たち第五装甲猟兵侍女中隊の主だ」
俺の肩に優しく手を置きそう言ってくれるじいさん。
「これでワシも安心して老後を楽しめる」
「もうすでに老後じゃないですか」
変声器で通った声は震えて聞こえた。
それもそうだな、と笑って答えるじいさん。
やがて拍手が止み、リーラが前に出た。
「我ら第五装甲猟兵侍女中隊一同、式森和樹様を主として仰ぎ、以後変わらぬ忠誠を捧げることをここに誓います。どうか、これからもよろしくお願いいたします。ご主人様」
『よろしくお願いします!』
優雅に頭を下げるリーラに合わせ、一斉に低頭するメイドたち。
その光景を前に、ふとある考えが浮かんだ。
それを実行するには普通なら途方もない勇気が必要だったが、この場の空気が背中を押してくれた。
「――こちらこそ、よろしくね」
変声器でない生の肉声。レンズ越しでない肉眼での光景。
涼やかな風が肌を優しく撫で、黒髪を小さく揺らした。
「ご、ご主人様……」
リーラの唖然とした顔がよく見えた。
「ご、ご主人様が、マスクを外した!?」
「ウソ……今まで一度も外したのを目撃した人はいないって報告書に上がってたわよね?」
「ご主人様って、こんな顔をしてるんですね~」
「やだ、可愛い……」
ざわめくメイドたち。
そう、俺は今、十二年ぶりに人前でマスクを外したのだった。
「どうかな、俺の顔は。結構レアなんだよ?」
一番に見せてあげたかった人に聞く。
その人は頬を赤く染め、若干潤んだ瞳で俺を眩しそうに見上げながら呟いた。
「とても、素敵です……想像以上に」
「そう? はは、ありがとう。だけどごめんね?」
「え?」
どんどん熱を帯びていく身体。とくに顔。
やっぱり人前で晒すのはまだちょっと無理があったかな。
「――ぶはっ!」
「ご主人様!?」
唐突に鼻血を出して倒れる俺にリーラが駆け寄ってくる。
(俺、ちゃんと笑えてたかな……?)
意識を失う寸前で過ぎったのは、そんな考えだった。
† † †
「……あ~、テラ恥ずかしす」
アクシデントはあったものの無事誓約も終えた。
あの後、鼻血を出して倒れた俺は数分で意識を取り戻し、心配する皆を余所に自室に籠っている。
「うぅ~、やっぱり恥かしいよぉ~……!」
超久々にマスクを外したが、やはり耐えられなかった。
これが、俺が人前で常にマスクをつけている理由。
簡単に説明すれば、超上がり症で超人見知りなのだ。
人と面と向かい合うと赤面してしまい、挙動不審になって上手く喋れない。
男でも駄目なのに女の子が相手だともう無理。赤面から始まり頭痛、吐き気、動悸、眩暈などの症状が発作的に起こり仕舞いには失神してしまう。
そんなことで日常生活を送ることすら困難だったため、普段からガスマスクをつけて生活しているのだ。
マスク越しになら不思議とコミュニケーションが取れるのだから不思議なものだ。
「だけど、これからはそれじゃあいけないんだよな……」
手の中にあるマスクを見ながら呟く。
メイドたちの主になったのだ、この欠点はなんとしても克服しなければ不味い。色々と。
メイドたちだけならまだしも周囲の目もある。おかしな主だと思われたら皆にまでいらん目で見られてしまう。それは避けたい。
「ご主人様、よろしいですか?」
「ひゃい! ど、どうぞ……」
ノックの音とともに、リーラの声が。思わず変な声が出てしまった。恥ずかしい……。
反射的にマスクを被りそうになるが、ぐっと意志の力で堪える。もうマスクは卒業したんだ! リハビリしないといけないんだ!
でも、せめてシーツで目元まで隠すのは許してね? いきなり顔モロ見せとかハードル高すぎだから。
腰掛けていたベッドに横になり、シーツで目元まで隠す。
「失礼します」
頭を下げたリーラが入室してきた。手には果物が入った籠を下げている。
見たところ、彼女一人のようだ。
「お加減はいかがですか?」
「も、もう大丈夫……」
側まで寄ってきたリーラにどもる俺。
「それはようございました」
なにが嬉しいのか、ニコニコ顔――とまではいかないけど、一目見て上機嫌と判る顔。
「どったの?」
「嬉しいのです。ご主人様が私たちの主になられただけでもこの上ない喜びを感じますのに、こうしてご主人様のお顔を直に拝見することができるのが」
「そ、そっか」
テレテレ。臆面なく素直な気持ちを口にするリーラに主様は照れてしまいます。
そんな俺を優しい眼差しで見守っていたリーラが改めて口を開いた。
「やはり簡単には慣れませんか?」
「うん、こればかりは……ね」
皆にはマスクを着用していた理由も壇上で倒れた原因も説明済みだ。
困ったように眉をハの字にしたリーラがベッドの側にある椅子に腰掛けた。
「そうですか。私たちも協力しますので、マスクなしで生活が送れるように頑張りましょう。私もマスクでなく、ご主人様のお顔を拝見したいですし」
「う、うん……頑張る」
なんだろう、リーラが積極的過ぎて俺の心がドキドキしっぱなしだ。俺を萌え死にさせる気か?
前々からそれとなく好意を寄せてくれていたリーラだったが、昨夜からは露骨に態度で示してくるようになった。
今も持参してきたリンゴを華麗なナイフ捌きで綺麗に剝いて、一口サイズにカットしている。
「これもリハビリの一環です。顔を見せてください」
はい、あ~ん。と剝いたリンゴを差し出してくる。
生まれて初めての生あーん。顔が赤くなるのは当然のことです。でも頑張って食べました。
寝ながら食べるのは行儀が悪いので身体を起こす。背もたれに背中を預け脚を投げ出す姿勢に。
必然的に顔を隠せなくなったけれど、そこは気力で堪える。まあそれでも少し赤くなってしまうけれど。
優しい微笑みを浮かべながら側に控えてくれるリーラ。
穏やかな空気が流れた。
いい機会なので、なぜここまで好意を寄せてくれるのか聞いてみることにした。
「リーラは、さ……その……なんでそこまで、俺のことを?」
言っていて恥ずかしくなり、ごにょごにょと言葉を濁してしまった俺に微笑み返す。
窓の外へと視線を向けるリーラに釣られて外を見た。
夜の帳が下りた空には白い月が浮かんでおり、煌びやかな星々が散りばめられている。
日本の光化学スモックに覆われた空とは比較にならない景色だ。
「ご主人様は覚えておいでですか? 十三年前の夏の夜を」
「十三年前?」
「はい」
同じく窓から突きを見上げるリーラの眼差しは、優しい。
それは遠い過去を馳せている目であり、彼女にとって掛け替えのない日だったことが窺える。
俺を振り向いたリーラが綺麗な笑顔を見せた。
「私たち、日本で一度お会いしているんですよ?」
そう言って当時の『出逢い』を語り始めた。
後書き
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