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打球は快音響かせて

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高校2年
  第四十八話 理不尽さから

第四十八話


パコーン!

練習用の合竹バットは、芯を外すと手がひどく痺れ、例え芯に当たってもガチ木製とはまた違った微妙な音が鳴る。飛ばないバット、打ちにくいバット。これで打つのも練習である。

パコーン!
「おっ。……結構飛んだよな?」

翼が自分の打球の飛距離を自画自賛するが、正直その放物線は翼本人が思うほどには飛んでいない。翼がしているのはロングティー。飛距離を伸ばしスイング力を上げる練習だ。

今週の三龍野球部は、いくつかの班に分かれて“苦手特訓週間”となっている。打撃、守備など、苦手とされてる部分の練習を集中的に行う。翼はヒョロヒョロと弱い打球を放つ打撃が弱点と見られ、ロングティーの班に放り込まれていた。

「……いやいや、全然飛んでないっちゃろー」

翼にトスを上げた相方の選手が苦笑いを浮かべた。彼は2年の印南隆である。秋の大会は背番号6をつけていた小柄な内野手で、1年の枡田にスタメンは奪われていたが、小回りの効く守備が持ち味だ。

「よーし、次は俺の番」

印南が立ち上がり、翼と交代する。
翼がトスした球を振り抜くと、打球は翼とは比べ物にならない勢いで飛んでいった。

「普通に、飛ぶじゃん」
「まぁなぁ」
「……なんでこの班に居るんだよ。苦手でも何でもないじゃないか。」
「さぁー、やっぱりいつもいつもチョコチョコ当てるバッティングしよーけんやろか」

口を尖らせる翼がトスする球を、印南は次々と遠くまでかっ飛ばした。打撃が"苦手”な者の班の中では、1番の飛距離であった。

「俺ね、実は中2の秋までは青葉シニアに居ったんよね」
「青葉って、あの帝王大の高垣とかと一緒の?」
「うん、結局その秋で辞めたんやけど。青葉シニアでも守備と走塁さえちゃんとできりゃあベンチ入れたけ、これまでずっとその二つを大事にしてきたんっちゃけど……」

ラスト一球を気持ち良く振り抜き、印南は実に気持ち良さそうな爽やかな顔を見せた。

「こうやって振ってみんのも悪うないなぁ」

自分の“自分”を超えてゆく。
また1人、何かに目覚めた者が出てきた。



ーーーーーーーーーーーーーーーー



「今日は、理不尽な練習をする」

円陣の中心で、病み上がりの浅海が言い放つと、生徒達には緊張が走った。二週間ほどの入院で、浅海の肌は青白くなっており、首筋も痩せて、少しウィンドブレーカーにジャージという格好が似合わなくなっていた。それでも、表情だけは、入院前の、毅然としたものである。

「まずは、ランシューに履き替えてこい」

浅海の指示で、全員がテキパキと動き始める。
理不尽な練習、それは一体どんなものなのだろうか?不安、というよりむしろ恐怖を覚えながら、野球部員は走り込み用のラン二ングシューズに履き替えた。



ーーーーーーーーーーーーーーーー



「1分!1、2、3、4……」

浅海が命じたのは、400m走の反復だった。
年末までの時期に、持久力を高める中長距離走を多く取り入れるのは、昨年と同じ。
400m走にも、選手は皆慣れたものだった。
慣れてもキツいメニューではあるが。

「…………」

400m走は二班に分けて行われ、走ってない方の班の選手が、相方のタイムを表に書き込んでいく。個人タイムが設定されており、個人のノルマタイムを超過する、もしくは、直前の一本から極端にタイムが落ちるとペナルティである。

パン!

浅海が、ダッシュの本数も増えてきた所で手を叩いた。選手達が、来たか、とばかりに覚悟した顔でそちらを見る。

「ここからは、練習の方法をちょっと変えるぞー!」

浅海はそう叫ぶと、タイムの記入表を回収した。

「ここからは、個人のタイムは問題にしない!この表も不要だ!ただ!」

浅海は“集団”を指差した。

「お前ら全員が、1分5を切ること!この課題さえクリアできたら、今日のトレーニングは終わりだぞー!」

浅海は簡単だろ、と言わんばかりの視線を部員達に送った。が、当の部員達は、この要求が殊更に厳しいものである事に、言われずとも気づいていた。

個人タイム制だと、“自分なりの頑張り”がそのまま評価される。つまり、1分で走れる奴の1分5と、本来1分20秒はかかる奴の1分15では、後者の方が評価されるのだ。野球部は陸上部ではない。単純なタイムの速さより、どれほど自分を追い込めているかを評価の基準にしているのは至極正しい事だろう。

しかし、これが“全員で1分5を切れ”などと言われてしまうと、どうなるか。楽々クリアできる者も居るだろう。しかし、できない者も居る。そして、全員がそのタイムを切らないと、練習は終わらない。
顔を青ざめさせたのは、鈍足の飾磨だった。


呼吸を整えるインターバルが終わり、京子の声でスタートが切られる。たった一本。たった一本だけタイムを切れば終わりだから、普段は1分5秒を切れないような選手でも一生懸命走る。

「1ぷーん!1、2、3、4……」

結局、殆どの選手がタイム以内にゴールを駆け抜ける。速い奴は余裕を持ってゴールインする。だが

「5、6、7……」

飾磨など、足が遅い連中の何人かは、惜しいタイムでゴールに帰ってきた。
しかし、これでは、課題達成ではない。
もう一本である。

「惜しい!惜しいぞ!」
「次いける次!」

割と余裕でタイムを切った渡辺や安曇野が、ギリギリで間に合わなかった選手に言葉をかける。
一方で宮園は両膝に手をつき、俯いていた。

(次いける訳がねぇだろうが!)

宮園は内心で悪態をつく。
宮園には分かっていた。飾磨ら足が遅い連中にとっては、全力で走ったって1分5は切れるタイムではない。そして、1番チャンスがあったのは、まだ疲労も溜まっていない最初の一本。最初の一本でギリギリダメだったのが、これから何本もやり直しをしていく中で、余計に遅くなる事はあっても速くなる事なんてないだろう。
要するに、無理なのだ。

「5、4、3、2、1、スタート!」

マネージャーの京子の号令が無情に響く。
まだ心なしか息が上がったままの選手は再び走り出す。


「1分!1、2、3、4、5、6……」

先ほどの一本と、全員のタイムは殆ど変わらなかった。つまり、また全員1分5以内には帰ってこれなかった。
もう一本。

「ハァ…ハァ…ハァ…」
「頑張れよ!いける!いけるけん!」

早くも諦めの表情が見え始める飾磨ら鈍足の選手に、渡辺は健気に声をかけ続ける。こういう部分は、やはり主将としての自覚がある。

「5、6、7、8……」

しかし、渡辺の声かけも虚しく、三回目のチャレンジもまた失敗に終わる。当たり前である。言葉で足など速くならないのだ。むしろ、本数がかさんできた分だけ遅くなる。

「……チッ……何で余計に遅くなるんちゃ……」

三本全てタイムに入ったのにも関わらず、4本目が決定した美濃部が苛ついた顔で悪態をついた。この一言に、チームの空気は一層険悪になる。

「バカかお前!んな事言うとってどもこもならんやろが!文句言うててもしゃあないやろ!」

渡辺が美濃部を咎めるが、この雰囲気はどうしようもない。口に出さないだけで、タイム以内で走り切っている者は誰でも思ってる事だ。
そしてまた、鈍足の選手の表情が暗くなる。

(……何とかしないと、本当に終わらないな……)

翼は両膝に手をついて息を整えながら考えていた。このまま走り続けるのも嫌だし、かといって美濃部のように文句を言った所で状況は改善されない。一体どうすれば良いのか?

(……待てよ……確かこれと同じ状況……)

翼の脳裏をよぎったのは、1年生の春の走り込みだった。その時も、タイムに入らないともう一本というペナルティが課されていた。そしてその時翼は……

(……わざとゆっくり走って、飾磨と一緒にペナルティの一本を走ってやったんだよな)

そしてその事を、浅海に咎められた気がする。

“それに、お前、遅いヤツに合わせて一緒に走ってあげようなんて、弱いヤツが可哀想だからみんなで弱くなってあげようなんて言う最近の悪しき教育と同じじゃないか……”

浅海はその時にはそう言った。

(一緒に弱くなるのもダメ、放っておくのもダメ、か。……一緒に強くなるしかないんだな)

翼の頭の中に、一つの考えが閃いた。
やってできる事かはわからないが、やらないよりはマシだろう。
翼は覚悟を決めた。

「5、4、3、2、1、スタート!」

京子の号令で、4度目のスタートが切られる。
翼はその瞬間、最後尾に回った。
ドタドタとおぼつかない足取りで走る飾磨の丸い背中が見える。その背中に、両手をついた。

「!?」

突然の感触に驚いた飾磨は後ろを振り返ろうとするが、翼は大声でそれを跳ねつけた。

「前見ろ!走れ!」

飾磨はそれを聞いて、真っ直ぐに前を見て走る。
翼はその背中を押した。物理的に押した。
重い。普通に走るより息が上がる。しかし、泣き言は言ってられない。

翼と飾磨は集団から少し遅れた。
しかし、さっきの一本と違って、大きく引き離されはしない。翼の力を助けにした飾磨は、遅いなりに速く走っていた。

「1分!1、2、3、4……」

グランド一周のゴール地点で、京子が高い声でタイムを読み上げる。最後、ゴール地点までの直線。翼も胸が苦しかった。やはり、飾磨の背中は重い。押して走る自分の心臓が裂けそうだった。最後の力を振り絞る。ゴールを駆け抜ける。

「6、7……」
「あ"ーーっ」

結局、ほんの僅かにタイムに届かなかった。
翼は声を上げて、その場に倒れこむ。
あと少し、あと少しだったのに。

「好村……」
「お前……」

飾磨の背中を押して走った翼に、他の選手からの驚きの視線が注がれる。その驚きの視線の中で、枡田が下位グループに歩み寄った。

「上里、次は俺と剣持がお前の背中押したるわ。ほやさけ、一生懸命走れや。」
「えっ?俺も?」

枡田に勝手に名前を出された剣持も渋々といった表情で、枡田と一緒に足の遅い同級生の後ろにつく。

「じゃあ、清瀬は俺が押すわ。俺は速いさけな。びっくりしてコケんなよ。」

チーム一の俊足・鷹合もその動きに続いて、鈍足の選手の後ろについた。

「おい、好村」

仰向けに寝転がってノビている翼に、渡辺が声をかけた。

「次の一本は俺と美濃部が飾磨を押すけん、お前は普通に一人で走りや。ちゃんとタイムに入るんやぞ。」
「…………」

翼は渡辺の頼もしい顔に、言葉こそ出せなかったが、しっかりと頷いた。

「5、4、3、2、1、スタート!」

京子の号令が5度響く。
今度は、足の速い選手が、鈍足の選手の後ろにしっかりと付き、その背中をしっかりと押して走った。1分5を余裕で切る選手は居なくなった。走る選手の列が、縦に短くなった。
全ては、全員でタイムを切る為。
全員でタイムを切りさえすれば、横一列でゴールインでも何ら問題はない。

「1分!1、2、3、4、5……」

結局、ギリギリで全員がゴールを駆け抜けた。
やっとの思いでの課題達成に、選手たちからは声が漏れる。背中を押して走った選手たちは、皆一様に地面に倒れこんだ。

パチ、パチ、パチ。

その様子を見守っていた浅海が拍手し、歩み寄ってくる。その表情は実に満足げであった。

「よーし、課題達成だな。約束通り、今日はこれで終わりだ。」

浅海は満足げな顔をしているが、選手の方はと言えば疲労困憊である。皆恨めしそうな視線を浅海に送っており、その視線に浅海も気がついていた。これは“意図”を説明してやらねばなるまい。浅海は話し始めた。

「お前らは今、チームスポーツの本質を体感したはずだ。それは、全員で目的を達成せねばならない、チームでの結果以外に何も評価基準はない、という事だ。全員でタイムを切れ、という要求を達成するにあたって、やれ誰が遅いとか、やれ俺はキチンとタイムに入っているのにとか、そのような文句を垂れるのは野球の試合に負けて“俺はヒット3本打ったのに”とか“あそこであいつがエラーしたから”とか、そんな文句を言うのと同じだ!そういう文句を言いたくなる気持ちも、もちろん分かる。でも、何を言った所で負けは負け。そして、“チームの負けは自分の負け”なんだ!」

選手達は浅海の言葉に聞き入った。
浅海が言っているのは、選手達も元から分かっているような事。
しかし、400m走の苦しさの実感を伴う今は、その言葉に更に重みが感じられる。

「今日、この練習を始めるにあたって、私は理不尽な練習をやる、と言った。……理不尽だよなぁ。自分がいくら頑張っても、足を引っ張るやつが一人でも居れば、自分の頑張りすら否定されるんだから。」

浅海はフッと笑みを見せた。

「……でもな、理不尽なものなんだよ、チームスポーツは。本来他人同士の連中が、無理矢理一つの目標に向かって頑張らなきゃいけないんだから。そして、自分一人ではできない事を、他人に託さないといけないんだから。……理不尽で当たり前なんだ。そこを越えなきゃいけないんだよ。……その点、背中を押して走るというのは、良い発想だったぞ。やっとお前らも、チームになったんじゃないか?」

選手達が一斉に翼の方を見た。
枡田はニヤニヤと笑って、親指を立てる。
翼は照れながら、気づいていない振りをした。
はっきり言って、気分は良かった。

「走れない奴に無理に走らせると怪我をするから、もうこういう練習はしないけれども、今日はこの理不尽な練習で学んだ事をしっかり覚えておくんだぞ。いいなっ!?」
「「「はい!」」」

この日の練習の事は、三龍野球部の全員の胸に深く刻まれる事となる。
合理性だけでなく、理不尽さから学ぶ事もある。
そこを越えた時に、一皮剥けた選手が居る。
いや、選手ではなく、一皮剥けた人間が。





 
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