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ソードアート・オンライン ~無刀の冒険者~

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アリシゼーション編
  episode1 隠された真実3

 ……絶句、という言葉の意味を、俺は改めて思い知った。深く傷ついており精神的に不安定になっている牡丹さんの前で絶句するのは彼女の不安を増長させてしまうだろうという自覚はあったが、体が……口が動いてくれなかった。

 ただ。

 「……怒って、おられますよね」
 「……」
 「当然です。……すべてお話しした後、いかなる処分も処罰もお受けする所存です。命を絶てと言われれば喜んで従います」
 「……いえ」
 「……本当に、申し訳ありません」

 その「絶句」の意味するのは。

 「……なんていうか、言葉になりません。……すみません」
 「……そうですか」

 それは俺の知るどんな言葉でも表せなかったし、きっと俺が世界中の言葉を知っていたとしてもやっぱり正確に言い表すことはできなかっただろうものだった。ただそれが、牡丹さんが言うような、単なる怒りの感情でないことは、確かだ。

 ―――ソラが、生きている。

 呆然となったが、言うまでもなくうれしかった。
 しかしそれと同時に、俺は言いようのない昏い淀みようなものを感じた。

 (……それも、そうか……)

 それに無理矢理名前を付けるなら……「後ろめたさ」というがもっとも近いかもしれない。彼女が生きているとはいえ、彼女の危機に駆けつけられなかった……駆けつけてやれなかったことに対する、後ろめたさ。彼女が生きているとはいえ、俺が彼女を助けてやれなかった、……彼女の伸ばした手を掴めなかったということには微塵も変わりはないという、後ろめたさ。

 そして。

 (……アイツに、勝てなかった)

 今も悪夢に見る……粘つくような、吐き気を催すような殺意。
 目を閉じれば瞼の裏にくっきりと浮かぶ、無力を嘲笑う殺人鬼の視線。

 (……今は、よそう)

 ぐらりとブラックアウトしかけた思考を、無理矢理に断ち切る。それは、今考えることではない。必要に迫られたときに考えればいい話題であり、さらに言うなら考えたってどうにかなるような内容でもないのだ。

 今、最初に考えるべきは。

 「それで……ソラに、なにがあったんです?」

 それは間違いなく、牡丹さんの呼んだ、その名前のことなのだから。





 ソラという女性のことを、俺は実のところ詳しくは知らない。その性格や人となりといった点で言うのならば俺は誰よりも彼女のことを知っている自信があったが、彼女の体の事や生い立ちといったものに関しては何も知らないと言っていいだろう。

 何しろ俺は、彼女の本当の名前さえ知らないのだ。

 俺が知っているのは、彼女が自分から話してくれたことのみ。彼女が体を……特に心臓を病んでおり、幼いころから病院暮らしだったこと。結果満足な運動もできず、ますます体が弱ってしまうという悪循環になっていたこと。

 だから俺は牡丹さんから、彼女のことを、初めて聞いたようなものだった。

 SAOが終わった……世間的に言うのであれば件のALO事件の後、彼女は記憶の大部分がうまく引き出せない状況で生還を果たしたということ。記憶のなかでも、特にSAOの内部での思い出がほぼ完全に自分の意志では想起できなくなっていたこと。

 それでも、夢の中で「空色の女の子の物語」として、それを楽しんでいたこと。
 そこにいる、「手足の長い青年」の顔が、どうしても見えなかったこと。

 最近出版された『SAO事件』を綴った本を、何度も何度も楽しそうに読みかえしていたこと。

 そして、昨日。

 そんな彼女の病態が急変し、再び意識が失われたということだった。





 「リュウ、が、全力を尽くす、……と、い、言って、いました。……あの男は、『神月』随一の、天才です。その腕だって、た、確かです。……しかし、」

 牡丹さんの言葉が、嗚咽に歪む。
 いつだって冷静にその言葉を紡いでいた口が、切なげに揺れる。

 「……し、しかし……彼女が……ソラ様、が。弱って、おられた、の、も、事実で……」
 「わかりました。……牡丹さんのせいじゃないですね」
 「しかしっ!!! わ、私はその可能性を知っていたのです! ソラ様にもう一度発作が起こる可能性があることをっ! ご主人様が、二度とソラ様に会えなくなるかもしれないのにっ!!! それを先送りにしていたのですっ!!!」

 牡丹さんの叫び声が、泣きそうに掠れた。

 彼女の気持ちは分かる。自惚れではなく「俺をもっとも愛してくれた」彼女が、俺のことを分からないなんて。分かってもらえない俺も平気ではないだろうが、それを「わかってやれない」ソラの精神的な負担は俺の比ではないだろう。

 「わかってます。それでも、ソラに俺と会うのは『少しでも俺のことを思い出せてから』にしたかった。そうでないと、きっとソラが耐えられないだろうから。……ソラがそんなにヤワかどうかは俺は分かりませんが、実際会って話していた牡丹さんがそう考えたのなら、そうなんでしょう」
 「その結果が、今の状況なのです!!! これが、こんなのが、彼女の、」
 「そうは、なりません」

 彼女の最後になるかもしれない……の言葉を、俺は遮った。

 「絶対に、そうはなりませんから」

 力強く、もう一度遮る。

 俺にはその確信があった。今この段階において既に彼女が最後を迎えているのであれば、「あの四神守』」の連中が明日集う意味がない。彼らが集まったのが、ただ俺の哀れな末路を笑うためだけであるはずがないのだ。

 何かある。
 「俺」が関わる……関われる何かが、まだあるのだ。

 そして。

 ―――こんなのが彼女の最後だなんて、悲しすぎるだろう。

 確信する思考とは別に、滾る思いがあった。

 あの誰もが疑心暗鬼になっていたデスゲームの中で、彼女がどれだけのプレイヤー達の支えとなってやっていたか。あんな昏い世界のなかで、彼女がどれほど光となっていたか。彼女の笑顔が、彼女の声が、彼女の行動が、どれほどにゲームクリアの助けとなったか。

 その彼女が、こんな報われない最後を迎える。
 こんな報われない最後を、『二度も』迎えるなんて。

 (……そんなことが、あってたまるかよ。……もしあるなら俺が神様の横っ面に助走付けて拳を叩き込んでやらぁ。……それに)

 拳を握る。

 (……俺が、二度とさせねえ。……今度こそ、させねえ)

 あの日は届かなかった、その俺の手。
 今なら、届く。

 「……ご主人様……」
 「心配ないんですよ、牡丹さん。……牡丹さんが、どこまで知っているか、俺は知りません。きっと俺より詳しいでしょう。……でも、それでも。……今はまだ、『最後』じゃない。ここから大逆転が、十分に可能なんですよ。少なくとも『四神守』はそう思ってる」

 その手段がなんなのか、俺には分からない。
 見当もつかない。

 けれども。

 「幸いなことに『四神守』……特に玄路さんは俺のことをやけに買ってくれてるみたいでしてね。今回もどうやら俺にはやることが……できることがあるらしいんですよ」

 彼らは知っている。
 蒼夜さんは、そう言った。

 「ソラの命がかかってる、ってのが気になる……っつーか、『気に食わない』ですけど、この際です。俺にできることがあって、それがソラを助ける道に繋がるってのは、悪くないですよ……いいえ、違いますね」

 だから、俺は笑う。

 ソラへの狂おしいほどの想いを、その死への恐怖を。
 あの日味わった絶望を、粘つくような冷たさを。

 それらを全部跳ね除けて、俺は笑う。

 「……最高ですよ」

 声に、そう出して。

 さっきは助走付けて横っ面殴り飛ばすとか言っといてなんだが、どうやら神様ってやつはそれなりにお人よしなのかもしれない。こんな負けてばかりの脇役にも、「敗者復活」のチャンスを与えてくれるなんて。

 笑う俺を、涙の止まらない目で見る牡丹さん。
 その視線を感じながら、俺は手のひらを電燈に翳す。

 ―――この手は、今度は届く。

 根拠はない。
 それでも、「そうさせる」という強い意志で、俺は自分にそう確信させる。

 それは自惚れでなく、自分自身の支えとなってくれた。





 俺は職業柄、それなりに人の顔や仕事を覚えるのは得意だ。
 だがそんな特技なんぞ無かったとしても、彼らを覚えるのは容易だったろう。

 ―――『四神守』。

 彼らほどの個性があれば、忘れることのほうが難しい。

 長男、四神守玄路。飛鳥時代から続く名家、四神守のあとを継ぐ人間にして、分野に捕らわれない幅広い活躍をし、土木、建築、不動産、経済、果ては軍事に至るまで日本の随所にその人脈を行渡らせる、この国を影から操る存在の一人。
 その遍歴と裏腹に、一人の人間としての彼はどこまでも掴みどころのない人間だ。父親……つまりは今代の『四神守』当主である宗源がまさに威風堂々、質実剛健を体現した人物であるのに対して、彼はそのような面が一切ない存在だった。そんな彼が、いかにしてその父親に真正面からの一本勝負に打ち勝った、というのは、俺は今でも信じられない。

 長女、四神守蒼夜。兄である玄路さんがあらゆる分野に手を伸ばす者ならば、蒼夜さんはそのポテンシャルを「医学」という一点に集中させた者と言えるだろう。まだ五十にもならないような若さで……四神守の系列病院とはいえ……大病院の院長となったような、こちらも麒麟児だ。
 専門分野は、脳神経系。内科、外科、あるいは精神科すらも含む幅広い知識と手技をもった、医学の常軌を逸した女傑。彼女の抱える従者たる『神月』達には何人もの有能な医者がおり、筆頭たるリュウさんに至ってはこの国でも五本の指に入る救命医だそうだ。

 次女、四神守朱春(すばる)。彼女はイレギュラーと言っていいだろう。俺と同じように本家を出て……っていうか俺の母親だ。どこの馬の骨とも知れない外人のおっさん(年は知らんが)だった俺の親父に……たぶらかされたのか惚れたのかは知らんが、駆け落ちという暴挙をなした愚か者、というわけだ。
 ……だが、俺は知っている。あの人が、二人の兄姉に勝るとも劣らないポテンシャルを、しっかりとその身に宿していることを。……それが、どのような形で現れるのかは、俺は今はまだ知らないのだが。

 そして最後の一人、……次男、四神守呼白。かなり年の離れた叔父は、こちらも蒼夜さんと同様に持てる才能の全てを一つの分野に注ぎ込んだ存在だ。

 その、分野。
 それが、この度の鍵となった。

 俺はかつて一度だけ、その話をしたことがある。

 ―――「量子脳力学」。

 かつてかの狂気の天才、茅場晶彦が専門とした、その人を超えた神の科学だった。


 
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