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ソードアート・オンライン ~無刀の冒険者~

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アリシゼーション編
  episode1 隠された真実2


 いつだって平和ってやつは唐突に崩れるものだと知ってはいるが、今回はそれにもましてわけが分からなかった。

 「にゅ、入院!? 何があったんです!?」
 「そのままの意味です」

 突然の連絡に声を荒げた俺に電話口で答えたのは、リュウさん。『四神守(シジンガミ)』……つまりは俺の勘当された本家……の付き人の一族、『神月(がみづき)』の一人である彼は、医師という職業の負のイメージをそのまま形にしたような、ひどく事務的な口調で答えてきた。

 「医療保護入院ですから何かが起こる前に入院させたのです。英断でしたよ、蒼夜様にご感謝なさってください。ああ、もう医療保護のほうに移行しましたから主としての役目はございませんので別に急ぎ来院いただく必要はないですが、できる限り早い方がとは思います」
 「いや、全然伝わりませんよ!? 入院ってどこに、」
 「医療保護入院なのですから……ああ、貴方には分かりませんか」

 声を荒げた俺に、リュウさんの声はどこまでも淡々としていた。

 「ウチの病院の、精神科病床ですよ」





 夕方、面会時間ぎりぎりに訪れた四神守の系列病院……俺の伯母に当たる女性、蒼夜さんが院長を務める場所だ……で再会した牡丹さんは、「変わり果てた」という言葉では到底表現できないほどの有り様だった。俺の知る、清楚で清廉、凛とした彼女の面影は、全く無かった。

 「……牡丹、さん……」
 「ひどい有り様だったから、沈静かけてある……ああ、分かんないか、寝かしてあるわ。もうじき切れるから話は醒めてから聞きなさい」

 答えた蒼夜伯母さんの声は、耳には届いても頭には入ってこなかった。
 それほどに、牡丹さんの姿は衝撃的だった。

 たった一日ぶりとは到底思えないほどにこけた頬に、目元には深いクマが目立っている。髪はいつもすとんと腰まで落ちていた彼女のそれとは到底思えないほど……どれほどの力で掻き毟ればそうなるのかというほどに乱れていて、その隙間には爪が食い込んだろう瘡蓋がいくつも見られた。きっと病衣に隠れた身体も同様だろう。

 ―――ひどい有り様だった。

 蒼夜さんのその言葉が無くても、それは十分すぎるほどに理解できた。

 「……これ……」
 「ああ、身体拘束ね。アタシが精神科もやってて良かったわね。ほっとくと何の道具もなくても爪だけで死にかねないわよ、コレ。まったく……ああ、『四神守』の本家と『神月』には連絡してあるから法的に問題はないわ。……まあ、ちょっと無茶はしたけど」

 牡丹さんの手足は、ベルトで止められていた。

 拘束具、なんて俺はゲームや漫画の世界でしか見たことがなかったし、そのゲームの世界でのそれはもっと「いかにも、らしい」格好をしていた。今彼女を縛るそれは、そんな一切の示威的……いわゆる「見せかけ」の要素を排除した、機能性のみに特化した、「装置」だった。

 「牡丹さん、どうして……」

 そう、それは、「装置」だ。彼女をこの世につなぎとめるための装置。そう頭ではわかっているのに、俺にはそれが彼女を縛り付けるための拘束具にしか見えなかった。かつて俺を……俺達を、異世界に囚えた……

 (……まるで、ナーヴギアのように)

 あの、悪魔の機械の様に。
 そこまで考えた、その瞬間。

 (……ああ、そうか……)

 意識が、すっと冷えていった。

 (……何やってんだ、俺は……)

 その冷却に、恐怖がなかったわけじゃない。あの時の様に、なにもできない恐怖。自分の手の届かないところで、取り返しのつかない事態が進行していく恐怖。ただそれは、俺の思考を妨げるほどのではなかった。もっと強い思いが、考えろと脳の奥で叫び続けていたから。

 ―――また、動けなくなるのか。あの頃と、同じように。

 力いっぱいに頭を振る。

 (……俺は、あのころとは違う)

 もう二度と、失うものか。
 もう二度と、繰り返すものか。

 冷えてきた……回転を取り戻してきた頭を、ゆっくりと加速させていく。あの牡丹さんがこんなことになるなど、確かに異常だ。だがだからこそ、俺は冷静にならなくてはならない。あの時の様に、恐怖と絶望でなにもできないままに失うなど、あってはならない。

 「……いったい、何があったんです?」

 となりの蒼夜さんに聞く。

 「……へえ?」

 彼女の苛立ちを隠そうともしない表情の中で、眉が片方つりあがった。

 何を感じたのかまでは分からないが、それでも何らかの変化をこの才媛は読み取ったらしい。もう四十をとうに超えている(詳しくは知らない、聞けない)とは到底信じがたい妖艶な笑みが、その顔に浮かぶ。楽しむように首を揺らすごとに、夜の闇のように深い黒髪が、まるで俺を絡めとるように波打つ。

 「……ふむ。……ちょっとはマシな顔もするじゃない? ……となると私の見立ては外れだったわけね。まあいいわ。『あんな小娘一人に、』なんて言えなかったわけだ。……頭を下げるのも癪だけど、ね」
 「……? 説明をお願いします。間違いなく、蒼夜さんは知っていますよね。俺が知らない、そして牡丹さんが知っていることを。……そして、それは俺が関係しているはずだ。牡丹さんがこんなことになるなんて、俺のせい以外であるはずがない」

 俺よりはるかに人生の修羅場をくぐってきただろうその女性……世が世であれば、あるいは仮想世界でなら『歴戦の魔女』と呼ぶのがこの上なくしっくりくるだろう伯母を見据えて、言葉を紡ぐ。俺にどれくらいの覇気があるかは分からない。しかし、目の前の彼女には到底及ばないにせよ、それでも自分の思いを貫けるくらいにはあると信じて、真直ぐに言う。

 「もちろん知っているわ。ただしこれはアタシが今この場でいうことじゃあ、ないでしょうね。……だってアタシは『賭けに負けた』わ。だったら『勝ったほう』のシナリオに従うのが筋ってモノよ。……明日まで待ちなさい」
 「明日……それは、なぜ?」
 「明日なら『全員』が揃うからよ。アタシは確かにアンタの知らないことを知ってるわ。……そこのソレが隠してたことも含めて、ね。ただ、」

 蒼夜伯母さんは、ちらりと牡丹さんを見やって、再びこちらを見る。その視線の動きから彼女の心を読み取ることは、俺にはできない。だがそこには決して軽くない、彼女の中の何か……何か揺ぎ無いものがあることを感じさせた。

 「アタシも全ては知らない。……ほかの部分を知ってるのは呼白(こはく)と、玄路(げんじ)兄ぃね。……どうせ聞くならまとめて聞いたほうが話がはやいわ。……それに、」

 彼女は、そこまで言って身を翻す。
 はためく白衣のポケットに片手を突込み、もう片方の手をひらひらと振って。

 「……そこのソレから聞くのが一番でしょうよ。何日も身体拘束するとメンドーだから、さっさと何とかしなさい。アンタの不手際……っていうかアンタが馬鹿なせいで起きた厄介事なんだから、アンタが責任とりなさいな」

 それだけを残して、病室に俺を残していってしまった。





 蒼夜伯母さんが去った後、間をおかずに目覚めた牡丹さんの様子は、まさに「鬼気迫る」ものだった。伯母の言った「ひどい有様」がその姿かたちではなくこっちの意味だったことを、俺は思い知らされていた。

 「わ、わたしは、と、取り返しの……う、ううぅぅっ!!!」
 「牡丹さん、落ち着いてください」
 「ダメです、私は、もう、う、うううっ、お仕えする資格などない、死んで当然の身! 主様に顔向けできないのです、死んで、こ、殺して、うああああああああ!」

 抑制帯、と呼ばれる拘束具を引きちぎらんばかりにギシギシと鳴らし、焦点の合わない目で口角泡を吹いて叫ぶ、牡丹さん。俺を見てなお俺を見ず、見開いた眼は小刻みに揺れる瞳孔ととめどなく流れる涙がその狂気を際立たせていた。わなわなと震える口は、今にも舌を噛み切りそうだった。

 いつもは小憎らしいほどに冷静で大人びた、牡丹さん。
 そんな彼女が、まるで化け物を見た子供のように錯乱していた。

 俺の知らない牡丹さんの姿に、知らぬ間に息を呑む。初めて体感する、感情の剥き出された狂気に、熱くもないのに体から汗が噴き出す。いつだって頼れる人だった彼女の豹変ぶりに、身が竦むのを感じる。手のひらが、べっとりと湿っていく。

 しかし。

 「……落ち着け、『神月』、牡丹。主人たるこの『四神守』の命令だ」
 「っ、っ!!!」

 それでは、いけないのだ。

 彼女が冷静でいられないほどの境地にいるのであれば、俺は代わりに冷静になってやらなければならない。俺が冷静でいられない精神状況だった、SAO帰還後の日々に、いつだって彼女が冷静にそばに侍っていてくれていたように。

 彼女の焦点の合わない目が、かすかに動いたのを見て、俺は続ける。

 「……何が起こったかを話せ。……『命令』だ」
 「わ、私は……」

 牡丹さんの見開かれた目の視線が、ゆっくりと俺へと向く。
 狂気の涙が、再び溢れ出すように零れる。

 「……こ、殺してください……私には、それしか償うことが……ご主人様……」
 「……っ……」

 震える口が、弱弱しく言葉を紡ぐ。
 思わず息を呑むが、押されるわけにはいかない。

 折れそうになる心を必死に奮い立たせて、彼女に『命令』する。

 「……誰が『死ね』と言った? 貴様の主人は一言でも『死ね』と命じたか?」
 「……いいえ……」
 「では、貴様には殺される権利もない。死ぬことも許されていない」
 「……しかしっ!!!」
 「もう一度、『命令』する。何が起こったかを話せ。……神月に二度命じる、これがどれほど主人を侮辱しているかわからないわけではないだろう?」

 普段は毛嫌いする、彼女と俺の間にある「主人と従者の力関係」を用いた、『命令』。だが、この際そんな俺のプライドやポリシーなんぞに意味はない。捨てることで彼女の心を動かせるなら、全力投球で空の彼方へ放り捨ててやる。

 彼女の目が、わずかに冷静さ……とまではいかないが、人間的な思考を取り戻す。
 そこを逃さず、さらに踏み込む。

 「……俺に対して何かを黙っていた、それはいいです。思うところがあったんでしょう……牡丹さんはそういう人ですから。でもそれが牡丹さんを……俺の「友人」を苦しめているなら……それはもう、俺の問題なんです。話してください、お願いします、牡丹さん」

 抑制帯で曲げられないように固定された……しかしそれでもなおもがき、爪が食い込むほどに握りしめられた彼女の手をそっと両手で包む。伝える言葉は、『命令』ではなく、「お願い」。牡丹さんの目が、その手を見て、俺を見て。

 ……子供のようにくしゃりと表情を歪めた。
 先までの狂的な表情とは違う、けれどももっと辛そうな、そんな泣き顔。

 「……ご主人様……私は……私のせいで、『彼女』が……」
 「落ち着いて、ゆっくりでいいんです。俺は今日、ずっとここにいますから」

 できる限りの思いを込めて、彼女を安心させようと笑う。
 その笑顔に何を見たのか、彼女の目からまた一筋、涙がこぼれる。

 「私は、……私のせいで、ご主人様は……会えなくなってしまうかもしれないのです……」
 「……誰にです?」

 牡丹さんの口が、一瞬だけ唇を噛んで。

 「……かつての世界で、あなたの愛した人……」

 もう二度と聞かないだろうと思っていた、

 「……ソラ、様です」

 俺の記憶に眠る一人の名前を紡ぎだした。

 
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