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蒼き夢の果てに

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第5章 契約
  第83話 舞踏会の夜

 
前書き
 第83話を更新します。

 次回更新は、
 3月12日。『蒼き夢の果てに』第84話。
 タイトルは、『あなたを……愛している』です。 

 
【始祖ブリミルに付いて聞きたい。そいつは一体全体どんなヤツやったんや?】

 流石に、実際の声で問い掛ける訳には行かない理由はこれ。いくらなんでも、自らが王子……いや、王太子役を演じる国の国教に定められている宗教で一番重要な神の事を知らない、などと言う訳には行きませんから。
 確か以前にタバサから聞いた話では、何者かに支配されたこのハルケギニアの人々に対して系統魔法を伝え、圧政から解放してくれた民族的英雄と言う事ぐらいしか知らないのですが……。
 しかし……。

【不明】

 短く返される湖の乙女の【言葉】。そして、

【私も始祖ブリミルと言う存在に関しては、残念ながら伝聞でしか存じ上げません】

 続けて、ティターニアも同じ意味の言葉を返して来る。
 う~む。確かに、伝説のままの存在だと仮定するとその始祖ブリミルが存在していたのは六千年以上前の話ですから、いくら寿命のはっきりしない精霊であろうとも、そんな遙かな過去から存在していた、と言う訳でなければ伝聞に成るのは仕方が有りませんか。

 成るほど。それならば別のアプローチの仕方を考えるしか方法が有りませんか。

【それやったら、そのブリミル教の始まりの部分。歴史について教えて貰えるか】

 そう考え、今度はタバサと湖の乙女のふたりに対して問い掛ける俺。
 尚、ティターニアに関しては……。彼女が最後に契約を交わした、後の世では怠惰王ルイ五世と呼ばれる人物は、おそらく、そのブリミル教の策謀により暗殺された可能性が高いので、今回は流石に聞く事が出来なかったのですが……。

 しかし、

【不明】

 矢張り短く返される湖の乙女の答え。しかし、今回は更に続けて、

【あなたを失ってから、わたしは再びあなたに出会うまでずっと眠り続けていた。その間は、水の循環を熟して居ただけで人間の世界への強い関心を持つ事はなかった】

 ……と伝えて来る。
 確かに、今の俺が知って居る彼女の能力が有れば、水の秘薬を密売する商人に仲間が攫われる事は有り得ないでしょう。つまり、前世での生を何らかの形で終えた俺が別れた後に、彼女は世界との一切の関わりを断って眠りに就き、その後、俺がこの世界に再び顕われた兆候を感じ取った事から、その深い眠りから目を覚ましたと言う事ですか。
 ただ、水は感情を記憶する物です。そして、彼女がこのハルケギニア世界にあまねく存在して居るすべての水の精霊を支配し切って居る訳ではないと思いますから、時間さえ掛けたのならば、ある程度の情報ならば得られる可能性がゼロではないと思いますね。

 もっとも、彼女自身の経験でない以上、結局は伝聞。情報の信頼度と言う点に於いては、それなりのレベルにしかならないとは思いますが……。

 そして、

【わたしが聞かされた話では、ガリアの歴代の王は祖王よりすべて敬虔なブリミル教の信徒と言う事に成って居る。その中でも、もっとも敬虔な信徒と呼ばれているのは、敬虔王シャルル一世】

 湖の乙女に続きタバサが伝えて来た内容はコレ。
 但し、この内容は間違いなく改竄された歴史。
 何故ならば、その敬虔王シャルル一世と言う人物は、本来、ガリアの王に成る事の出来ない人物。おそらく、アルビオンの王家の血を引いて居た人物なのでしょう。しかし、ガリア王家の正当なる血筋を引く最後の人間。彼の兄王を弑逆する事に因って王位へと就き、その事に因り、ガリアが本来持って居た大地の精霊との絆を断ち切った事が確実な人物です。

 そして、ブリミル教の教えでは、精霊とは敵。正確には精霊魔法を行使する者が敵と成るのですが、精霊魔法とは精霊を友とする事が出来なければ行使は不可能。
 まして、ブリミルが伝えたとされている系統魔法と精霊の相性は最悪。この魔法を伝えたとされるブリミル教を信奉する国王が、精霊と契約を交わす事が出来るとは思えない以上……。

 この敬虔王シャルル一世と言う人物が、ブリミル教をガリアの国教と定め、それ以前の国の歴史を書き換えた人物と考えるのが妥当ですか。

 ただ、そうだとすると……。

【春に行ったフェニックスの再生の儀式。あれを、ガリア王家が取り仕切るように成った元を創ったのは誰や?】

 いや、それ以外でも、ラグドリアン湖の奥深くに封じられたミーミルの井戸は。
 そして、ヴァリャーグと呼ばれている星からやって来た邪神どもを火竜山脈に封じて、其処を翼人の先祖たちに守らせたのは一体……。

 そう。俺は、つい先ほどまで、これらの仕事を行ったのは、漠然と始祖ブリミルと呼ばれる民族的英雄が行って来たのだと思って来ました。
 しかし……。
 妖精女王ティターニア、そして、ミーミルの井戸の管理を行って居た湖の乙女のふたりとも、始祖ブリミルなど知らないと言い切った。

 まして、系統魔法を人類に伝えた存在だと語り継がれるブリミルが、精霊王で有るこの二柱と契約を結べる訳が有りません。
 確かに、何らかの存在に支配されていた人類を解放する為の戦力として、俺が行使する仙術と比べると間口が広い系統魔法は必要だった可能性が高いけど、逆の見方をすると、系統魔法を行使すると言う事は、精霊に対しては裏切り行為に当たるはず。

 それならば、一体誰が。
 そう考えて、自らの右側に立つタバサ。そして、彼女の正面に立つジョルジュ。俺の正面に立つオスマン前トリステイン魔法学院学院長から、リュティス魔法学院のノートルダム学院長の姿を順番に映して行く。

 そして、其処から、ガリアの貴族。その向こう側に生活して居るガリアの民たちを脳裏に浮かべて見る俺。

 ……成るほど。実際の言葉ではなく、心の中だけでその言葉を呟き、現実の行動として軽く首肯いて見せる俺。但し、この行動自体は、周りの人間からするとやや意味不明の行動。
 おそらく、過去にこの世界は何らかの理由で未曾有の危機が訪れた事が有る。
 いや、そんな事は何処の世界でも起きて居る。別に珍しい事では有りません。
 そんな過去の危機を未然に防いだ存在たち。その伝説の集合体がおそらく、始祖ブリミルの伝説。

 その色々な英雄譚の主人公たちを集合させて、一人の英雄として確立されたのが始祖ブリミルであり、それを上手く自分たちのプロパガンダとして利用して勢力を伸ばしたのがロマリアだと考えると、割とすっきりして来るような気がしますね。このような例は、地球世界でも結構有りますから。
 例えば、大和武尊。例えば武蔵坊弁慶。エトセトラエトセトラ……。
 まして、この結界内に存在している人物たちは、見た目は人間に見えるけど、純然たる意味で言うのなら、すべて人間以外の存在。

 その英雄譚に語られて居た人物が現在のブリミル教に取って都合が悪い種族だった場合、その英雄譚自体を違う人物の物語へと差し替える可能性は高いと思いますから。
 例えば、タバサやジョルジュと同じ、真の貴族だった場合。
 例えば、湖の乙女やティターニアのように、高位の精霊だった場合。

 そして、俺やノートルダム学院長のように、龍種だった場合は……。
 それに、オスマン学院長のように――

「さて、長話をして仕舞ったようじゃな」

 六千年前の伝説と化した人物の実在を信じて疑わなかった自分のボンクラ加減に気付かされた瞬間、オスマン老が周囲を見渡しながらそう言う。
 そして、

「お主らも、何時までもこんな場所に閉じ籠っていないで、新しい舞踏。ワルツのひとつでも踊って来たらどうじゃな」

 夕飯の心配は、昼飯が終ってからでも遅くはないのじゃからな。……と、そう締め括るオスマン老。
 確かに、今、得られる情報には限りが有りますか。ここで判らなかった部分については、俺の実の姉設定のイザベラにでも問えば良いだけの事。

 それに、今夜の主賓は俺とタバサ。そのふたりが、あまり隅っこに隠れていたのでは、この御披露目のレセプション自体の意味が薄れて仕舞いますから。

 それならば、先ずはタバサをエスコートして……。
 などと考えて、自らの右側に視線を送ろうとした矢先、俺の目の前に差し出される青年の右手。
 そうして、

「ならば、ひとつ私めと踊っては頂けますか?」

 ……と告げられる言葉。
 その右手の先には、当然のようにやや意地の悪い笑みを浮かべた、ガリアの青年貴族の整った顔が存在して居た。
 ……って言うか、

「喜んで、……などと答える訳がないやろうが」

 そう冷たく、更に呆れたように答える俺。
 そもそも、俺にはソッチ系の趣味は有りません。まして、コイツの種族の瞳をウカツに覗き込んだらどう言う事に成るかを知識として知って居る人間が、簡単に互いの顔と顔。瞳と瞳を見つめ合い、音楽に合わせて、ふたりの動きをシンクロさせるような真似をする訳がないでしょうが。
 魔術の基本が判って居る人間ならば尚更。

 ただ、王を護る騎士が王族に対して、その様な真似を為す可能性は非常に低いとは思いますけどね。

 そんな、妙に洒落の効いた様子で俺に対して差し出されたまま宙を掴んで居た右手に、そっと添えられる舞踏会用の絹の長手袋に包まれた繊手。
 この手は……。

 その瞬間。ジョルジュの手に彼女の右手が添えられた事を、より大きな驚きの目で見つめたのは俺で有ったのだろうか。それとも、右手を差し出した当人……ジョルジュ・ド・モーリエンヌの方で有っただろうか。

「喜んでお受け致します」

 ゆっくりと前に一歩だけ踏み出し、静かに……。普段通りの透明な表情のまま、普段とは違う柔らかな口調で答えるタバサ。
 ……って、言うか、タバサが俺以外の人間に対して能動的な行動に出る?

 青天の霹靂。今、この瞬間に世界が終っても不思議ではない、と言うぐらい異常な出来事が目の前で展開して居る状況。
 そもそも、彼女が自分から何か行動を起こす事は殆んど有りません。キュルケに対する時でも、すべて行動を起こすのはキュルケの方で、彼女はキュルケの行動に対して受け身と成って居るだけ。

 彼女が自ら行動を起こすのは、食事、読書を除けば、俺に決断を促す時と……。
 俺が、彼女以外の女性と会話をして居る時に、こちらが気付かないレベルで、ほんの僅かな割り込みを掛けて来る時だけ。
 もっとも、その事について俺が気付いて居るので、それが彼女の自己主張だと気付ける程度の本当に小さな主張なのですが。

 まさか、俺に衆道のたしなみが有る事を警戒した訳はないと思うのですが……。

 呆気に取られて、ただ呆然と歩み行く彼女を見つめる俺。そのマヌケ面を晒した俺の目の前を通り過ぎて行く瞬間、僅かにこちらの方に視線を向けるタバサ。
 そして、小さく口のみを動かして見せる。
 これは貸し一、……と動いたような。

 しかし、貸し一?

 何か、益々意味不明なのですが、タバサにはタバサの思惑と言う物が有るのでしょう。少なくとも、今の彼女の瞳は普段の冷静な彼女のままの瞳でしたし、雰囲気も変わる事は有りません。
 ならば……。

【レヴァナ。それに、ウヴァル。タバサの事を頼む】

 既に動き出して居た紅い髪の少女と、その少女をエスコートする騎士風の青年に対して、そう【依頼】を行って置く俺。
 そのふたり……いや、二柱(ふたり)が、僅かに俺の方に視線のみで同意を示す答えを返して来る。

 そう。タバサの後ろに付き従っている紅い髪の毛の少女は人間では有りません。
 彼女はソロモン七十二の魔将の一柱。第四十席の魔将グレモリー。魔界の公爵にして悪霊の二十六個軍団を支配する存在。

 但し、グレモリーと言うのは俗称。いや、賊称と言うべきですか。
 このグレモリーと言うのは元々、彼女を神の位から追い落とした連中が付けた名前で有り、まして、彼女を召喚した際に顕われたラクダを意味する言葉『ギメル』がなまった物。本来の彼女を呼ぶ際には相応しい名前でも有りませんし、そもそも、その名前で呼ばれる事を彼女は好みませんでした。

 元々は旧約聖書に登場する『ラクダに乗る者リベカ』が、何らかの形で貶められた姿で有るのは間違いないでしょう。

 彼女をエスコートする騎士風の青年は、同じくソロモン七十二の魔将の一柱、魔将ウヴァル。その職能は女性の愛を獲得する事。現在、過去、未来の占術を得意とする悪霊三十七軍団を指揮する地獄の公爵さま。
 そして、そもそも、レヴァナが『グレモリー』と呼ばれるようになった原因のラクダとは、彼、ウヴァルの事。

 彼、ウヴァルは元々、レヴァナの二代目の乗騎。ラクダの姿をした魔将だったのですから。
 尚、最初の彼女の乗騎を務めていたソロモン七十二の魔将の一柱、魔将マルコシアスは、現在、ジョゼフの玉座の後ろに黒いオオカミ犬の姿で寝そべって居ります。

 前回、ゴアルスハウゼン村周辺で起きた事件の際に倒されたヨグ・ソトースの球体。その一番の使い魔ゴモリーが残した王冠を触媒として呼び出した結果現われたのがレヴァナ。
 あの時に名付けざられし者だと自称した青年が言うように、使い魔ゴモリーとは地球出身の魔物。ソロモン七十二の魔将の一柱グレモリーと同一視される存在。故に、と言うか、しかし、と表現すべきか。何故か俺が同じ触媒を用いて召喚をしても使い魔ゴモリーが現われる事はなく、代わりにグレモリー。それも、魔神として貶められた存在と言うよりは、それ以前の古い月関係の女神だった頃の彼女の召喚に成功し、
 そして、彼女から、彼女の配下で有る、魔将ウヴァルと最強の魔将マルコシアスの召喚に成功。そのまま三柱をタバサの式神へと配属させた、と言う訳。

 流石に前回のような事件では、今までの俺が連れて居た式神だけでは手が足りませんでしたから。



 ジョルジュのエスコートで鏡の回廊の中心に向けて静々と進むタバサ。

 その瞬間、出し抜けに世界が色と音を取り戻した。
 長く引かれる裳裾(もすそ)と翻る扇。
 笑いさざめくような声、声、声。
 鳴り渡るヴァイオリンの音色。

 中世……。いや、ここ、ヴェルサルティル宮殿の鏡の回廊は既に、近世の西欧の貴族社会が作り出した舞踏会の夜に相応しい様相を取り戻していたのです。

 突然、誰も居なかった。いや、壁しかないと思い込んで居た場所から突如現れたタバサ……オルレアン大公家次期当主シャルロット姫と、サヴォワ伯長子ジョルジュ・ド・モーリエンヌの姿に驚き、その動きが固まるガリア貴族たち。
 しかし、そんな些末な事など関係ないようにワルツは流れ続け、ひとつの曲が今、静かに終わった。

 そして――――

 すべての貴族の視線がふたりに注がれる中、お互いの瞳を覗き込み……。

 始まりは静かな、しかし舞踏には絶対に向かない音楽が流れ始める。
 それはまるで、渦巻く雲の中から舞うふたりの姿が浮かび上がって来るかのような低い音の弦楽器の反復から始まり……。

 その音楽に乗る事の出来なかった周囲の貴族たちを他所目に、二人だけの世界を演出するタバサとジョルジュ。
 そのふたりの動きにまるで合わせるかのように始まる主題。ワルツの優雅なメロディ。
 地球世界のスペイン。バスク地方出身の有名な作曲家によるウィンナ・ワルツの礼賛として着想された曲。

 但し、この楽曲を用意した張本人なのですが、俺の感想を言わせて貰うと、この曲からは礼賛と言う雰囲気を感じない曲なのですが……。

 ワルツの主旋律が流れ始めた事で、タバサとジョルジュ以外の貴族たちもそれぞれのステップで、そして、それぞれのターンで曲に合わせて舞い始めるガリアの貴族たち。
 普段の彼らが暮らす夜と比べると格段に明るいシャンデリアが夢幻の光を放つ中に、多くの着飾った貴族たちが、典型的なワルツのリズムに合わせて優雅にステップを刻み、華麗にターンを決める。
 その中心で、まるでこの舞踏会の主役の如く舞うふたりを、ぼんやりと部外者の瞳で見つめる俺。

 矢張り、身長差が有り過ぎて、ジョルジュとタバサの組み合わせはダンスのパートナーとしては不釣合いか。
 そんな事を考え始める俺。但し、俺とジョルジュの身長はそんなに差がないので、俺とタバサがワルツを舞うのも、少しバランスが悪いカップルとして他人からは映る、と言う事なのでしょうね、とぼんやりと考えながら……。

 しかし……。
 そんな、少しネガティブな事を考えて居た俺の左の袖をそっと引く、絹製の舞踏会用の長手袋に包まれた小さな手。

「なんや、湖の乙女。何か用が有るのか?」

 最近、少し自己主張が強く成って来た、……と言うか、俺の視線が彼女に向く前に、俺の視線を自らの方向にむかせようとする行為が多く成って来た彼女。
 但し、それが良い事なのか、それとも悪い事なのかは判りませんが。

「次の曲は私と一緒に踊って欲しい」

 表面上は本を読む事以外に一切の興味を持って居ないかのような彼女にしては、非常に珍しい。いや、先ほどタバサが俺以外の人間に対して能動的な行動を行った以上に珍しい事を言い出す湖の乙女。
 彼女に関しても興味があるのは食事と読書。これ以外で能動的な行動は……。

 もっとも、これで、先ほどタバサが俺の前を進んで行く際に口の動きだけで示した言葉の……貸し一の意味が判ったような気がしますが。

 何の事はない。タバサが自らの意志でジョルジュとワルツを踊りたかった訳ではなく、最初に俺と踊る役を湖の乙女に譲ったと言う事。
 おそらく、【指向性の念話】に因ってタバサと湖の乙女の間で何らかの交渉が為され、その最中にジョルジュが冗談半分で差し出した手をタバサが取ったと言う事なのでしょう。

 こうすれば、ジョルジュの冗談は角を立てずに受け流す事が出来ますし、ジョルジュ。いや、モーリエンヌ家の次期当主として次期ガリア王妃とワルツを踊る事が出来る人間で有る、と言う事をこのレセプションに出席したガリアの貴族たちに印象付ける事も出来ますから。
 もしかするとジョルジュ本人の意図も、最初に俺を断られる事を前提で誘って置いて、断られると次にタバサの方に流れで申し込む心算だったのかも知れませんが。

 その順番の方が、タバサに行き成り申し込むよりは断られる可能性が低いですから。

 そして、湖の乙女との【念話】ではなく、わざわざ実際に口を動かして見せたのは、俺にその事を気付かせようとした。……と言う事。
 この辺りも、彼女なりの密やかな自己主張なのでしょうね。

「かめへんで。少なくとも、次の曲はこの曲よりもリズムに合わせ易いはずやからな」

 既に主旋律の典型的なワルツの雰囲気を持った曲調から崩れ、ガリア貴族たちは再び音楽に身を任せる事を止め、その中心で自分たちだけの世界を築き上げて居るふたりに視線を送る。
 そう、今、この瞬間の主人公、ふたりの真の貴族の姿に……。

 元々、この曲は途中から変調を重ねる、初めて聞いて、それに合わせて舞うには、あまりにもレベルが高すぎる楽曲。
 そもそも、強烈なシンバルや銅鑼の音色はワルツの優雅さには少しそぐわないのでは、とも思いますし。

 但し、聞けば聞く程、何か引き込まれるような、そんな妙な魅力を持った曲で有るが故に、この舞踏会の夜に合わせて、ガリアお抱えの奏者たちを徹底的に鍛えたはずですから。
 魔将ハルファスが調達した楽譜と、魔将ハゲンチがその職能を駆使して。
 その結果は……。

 今宵、ヴァルサルティル宮殿に集まった耳の肥えた貴族たちが、後々に評価してくれる事と成るのでしょうね。
 多分……。

 強烈な、ある意味破滅的な音の洪水の中、猛烈な勢い……独楽のように旋回を続けていたふたりの動きが止まった瞬間、
 変調を重ね、最後は喧しいまでに鳴り続けて居た曲も突然、終焉を迎えた。

 それは見事な。本当に、この曲を初めて聞いたとは思えない見事な重なり。時間にして十二,三分の間に作り出された曲とふたりの世界が今、終焉を迎えたのだ。

 そうしたら……。

「それでは御嬢様、御手をどうぞ。いざ、踊らん哉」

 右手を差し出しながら、やや時代がかった口調でそう告げる俺。
 今度は俺たちの番。まして、次の曲はワルツの王道。

「喜んで」

 表情は何時もの彼女。肘まで隠れる絹製の長手袋に包まれた彼女の繊手も普段通り、少し冷たい印象。
 しかし、今の彼女に関して言うのなら心なしか表情の一部と化した冷たいガラス越しに見える瞳に、柔らかな色が浮かんでいるように感じる。

 重ね合された彼女の左手を取り、普段の彼女とは違う……。いや、タバサがいない時は、常に其処に存在している右側に彼女を感じながらホールの中央部へと進み行く俺たちふたり。
 そう。先ほどまで、真なる貴族ふたりが占めていたこの舞踏会の主役が存在するべき場所に。

 目礼のみで、ジョルジュが俺に場所を開け、
 タバサが少し俺の顔を見つめてから、湖の乙女へとその場所を明け渡した。

 左手で彼女の右手を。右腕で彼女の細い身体を抱き寄せ、ワルツの基本の形を取った瞬間、流れ始める音楽。
 ワルツとしては定番の、俺に取っては耳慣れた音楽。
 しかし、ここハルケギニア世界の、更にガリアでは未だ生まれていない新しい楽曲。

 流れ行く音楽がイメージさせる物……それは春。
 辛い冬が終わり、すべての生が跳ねる春の丘。
 あらゆる悩みも、愁いもすべて過去へと過ぎ去り行く季節。

 俺の左足がすっと前に動かされると、
 それに相対する彼女の右足が、そっと後ろに引かれる。
 リードするのは俺。俺の鼓動がリズムを刻み、
 彼女の絹のドレスの裾が、ターンを繰り返す度に、優雅にひらめく。

 世界と音楽が漣のように打ち寄せ、周囲の貴族。おそらく、タバサとジョルジュの視線も強く感じながらも……。
 この手を取り、俺を信じて付いて来てくれる少女を導いて行く。
 まるで、波を避けながら水際に遊ぶ子供のように軽やかなステップで……。

 周囲に感じるのは春の暖かな風。
 そして、喜びに溢れる優しい吐息。
 雲雀が高く舞い、花々が咲き乱れる春の園。

 一心に俺を見つめる少女の、澄んだ湖に等しい瞳を覗き込む俺。
 目と目。吐息と吐息。
 お互いの動きが滑らかに溶け合い、そこに新しい世界がまた産み出される。

 その瞬間、彼女のくちびるが小さく、何かの形を作り上げた。
 優しい言葉の形を。
 当の本人。俺さえも忘れて居た事を思い出させる……。着飾った、体裁を取り繕った俺の心に春の陽光が差し込んで来たかのような言葉。
 思わず、自らの弱い心を護る為に着込んで居た鎧を脱ぎ捨て、素の自分を晒して仕舞いそうに成る……。何処か心の奥深くに隠された昔の自分が帰って来そうになる懐かしい言葉。

 それは……。

「お誕生日、おめでとう」


☆★☆★☆


 石で覆われたやや暗い廊下。
 普段通り、軽く二回ノックを行う俺。
 そして、

「姉上、私です。ルイスです」

 ……この国の主に因り与えられた名前と立ち位置を口にする。

 俺の右には蒼き吸血姫タバサ。今は、昔の名前、オルレアン大公家の皇女シャルロットを取り戻して居る少女。
 そして左側にはラグドリアン湖の精霊。どうやら、この世界の水の精霊王と言うべき存在らしき、湖の乙女。

 最後に、俺の後ろにそっと着いて来る黒髪の少女。妖精女王ティターニア。
 何と言うか、俺と彼女の立ち位置に関しては、最早絶滅したと言われる大和撫子の鏡のような位置関係と成っているのですが……。
 但し、現実には、彼女が奥ゆかしい女性で有るが故に、俺の後ろから黙って付いて来ていると言う訳ではなく、俺の右と左は常にタバサと湖の乙女に占められて居る為に、彼女が入り込む隙間がない、と言うだけの事なのですが。

 タバサは、最初の出会いの時からずっと変わらずに俺の右側に立ちますし、
 湖の乙女は、……俺が左側に他人が立つ事を心の中では嫌って居る事は気付いて居るとは思いますが、タバサが頑ななまでに右側に有り続けるので、自然と彼女の立ち位置は左側、……と言うように成って仕舞ったのです。

 おそらくタバサは、俺の左側に彼女が立った時に俺が発する微かな違和感を気にして、左側に立つ事を行わないのでしょう。

「開いて居るよ、入って来な」

 部屋の内側から普段通りの、ややぶっきら棒な口調で答えて来るイザベラ。このおデコの目立つ姫さんは、俺の立場がタバサの使い魔だろうが、ガリアの騎士さまだろうが、自らの弟設定になろうが態度は変わらない、と言う事なのでしょうね。
 もっとも、俺の周りには、相手の立場で対応を変えるような人間はいないようなのですが。

 ゆっくりと開く扉。その先には……。
 薄暗い廊下から適度な明かり、科学の力に因り作り出された人工の明かりに照らされた室内に広がって居た光景は……。
 何度来ても変わらない、紙と活字に支配された、タバサや湖の乙女がこの部屋に籠ると丸一日は出て来なくなるので有ろうと言う部屋でした。

 扉が開いた瞬間、相変わらず、少し恍惚とした……いや、表情は普段通りの無の表情を浮かべて居るのですが、少し余計に一歩踏み出したいような雰囲気を発しながらも、辛うじて持ちこたえる湖の乙女と、
 この部屋には通い慣れている所為なのか、もしくはこの部屋の書籍には既に、すべて目を通して居るからなのかは判りませんが、精神的にも表面上と同じように安定しているタバサ。

 何となく、この部屋に訪れた時だけ、ふたりの反応に差が出るのは少し面白いような気もしますが。
 尚、ティターニアに関しては、タバサや湖の乙女と違い、読書と言う行為が目覚めて居る時間の半分以上を費やす人物……だと言う訳ではないので、この部屋を訪れても、別に普段とは違った反応を見せると言う訳では有りません。

「その辺りを片付けてから、適当なトコロに座りな」

 そう言いながら、執務机の前……大体、三メートル程前方の来客用のソファーを指し示すイザベラ。
 但し、そのソファーの上にまで並べられた本、本、本。当然、そのソファーに付随するテーブルの上にも、本屋に平積みにされた状態の書籍が山のように並べられて居るので……。

 尚、彼女、イザベラに関しても既にアガレスの職能で日本語を頭に叩き込んで貰っているので、この場に存在して居る書籍の三分の一ほどは、ハルファスが調達して来た和漢に因り綴られた書籍と成って居ります。

「それで、姉上。急に呼び出された理由は何なのですか?」

 既に立太子の儀も終わった十二月(ウィンの月)第二週(ヘイムダルの週)、オセルの曜日。
 いや、今宵が今年最後のスヴェルの夜だと言う事を考えると、今日、このイザベラの執務室に呼ばれた理由が北花壇騎士としての御仕事に関してでない事を祈るしかないのですが……。

「ロマリアが聖戦の勃発を宣言するらしい」

 俺たち三人がソファーに腰を下ろしたのを確認したイザベラが、相変わらず紙製の書類に羽根ペンでサインを記しながら、そう言う。
 尚、四人目の湖の乙女は、既に書架の前に自ら専用の椅子を用意して座り込み、ミニスカートから覗く膝の上に分厚い書籍を広げて、視線を上下させています。

 しかし……。

「聖戦と言うのは、エルフに支配された聖地を奪還しようとする、あの聖戦の事なのですか、姉上」

 口調としては、明らかにうんざりとした口調で問い返す俺。
 そう。この世界は地球の中世から近世のヨーロッパに近い生活様式を持つ世界。
 そして、其処に暮らす人々が信仰する宗教。ブリミル教には、その始祖ブリミルがこの世界に降り立ったと言われている聖地が存在し、その聖地を、ブリミル教の敵とされるエルフが支配する状況と成って居る。
 まぁ、地球世界のキリスト教が、イスラム教に支配された聖地を奪還する為に、中世に何度も聖戦を発動させたのと同じような状態だと考えたら、割とすっきりと受け入れられる状態ですか。

「そうさ」

 最後の書類……には見えないので、仕事を途中で切り上げて立ち上がり、俺たちの正面のホスト側に移動して来るイザベラ。
 しかし、聖戦か……。

「何でも、最近の凶作や戦乱は、何時までも聖地を奪回出来ない事をブリミル神が御怒りになった()()()だそうだよ」

 俺が何の答えも返さないので、その聖戦を発動させる理由を口にするイザベラ。
 もっとも、凶作は天の気分と麦類に流行っている疫病が原因。そもそも、三圃制や四圃制で牧草地としている場所の細かな手入れを行えば、麦に流行っているサビ病と言う疫病の広がりはかなり抑えられるはず。
 更に戦乱に関しては、トリステインとアルビオン両国の思惑が絡み合った物で有って、神の怒りなどと言う物とは程遠い、非常に生臭い理由から発生した物である可能性が高いはず。

「それに……」

 もう、ロマリアの思惑だろうが、トリステインの思惑だろうが、みんなまとめて何処か遠くで幸せに成って下さい。
 ……と言う、非常に投げやりな気分になって居た俺。
 そんな俺の考えや様子など気にするはずもないイザベラが更に言葉を続ける。

「何でも精霊力の暴走に因り、すべての大地が浮き上がる。つまり、このガリアやトリステインもアルビオンのように宙に浮き上がるそうだよ」

 ……何と答えたら良いのか判らない、ただ唖然とするばかりの言葉を。

「その顔はまったく信用していない、と言う顔だね」

 しかし、イザベラの方はかなり真面目な様子。
 ……いや、これは明らかに俺を試して居る雰囲気。
 少なくとも、非常に危険な天変地異が迫っている、と言う緊張した。ピリピリとした感触を発していないトコロから、そう思うのですが……。

 ただ、だからと言って……。

「アルビオンと同じ状態に成るのなら、別に問題ないと私は思うのですが、姉上」

 少し、真面目な方向に意識を向け、そう答える俺。

 今現在、トリステインがアルビオンに攻め込んで居るのも、結局は領土欲。
 つまり、アルビオンにはトリステインが戦争をしてでも手に入れたい領土や領民が居ると言う事。
 現実に浮遊島と言う俺の科学的な知識の向こう側の存在が有るのですから、ここから先に同じような島……。いや、今度誕生するのは規模から言うなら、浮遊大陸と言う物が出来上がるのでしょうが、それでも大きな問題が有るとは思えないのですが。

 もっとも、その浮かび上がる時の勢いが、ロケットの発射の際のような勢いだと言うのなら問題が有りますが。

 それに、そもそも……。

「湖の乙女。それにティターニア」

 人間レベルでは解決不可能な厄介事でも、精霊の力を借りたなら解決可能の可能性も有ります。
 まして……。

「その精霊力の暴走とやらをどうにかする事は出来ないのか?」

 この場には俺とタバサは精霊を友として魔法を行使出来る存在が居ます。それに、湖の乙女やティターニアはその精霊の王と言うべき存在。
 これだけの人材が揃って居て、その精霊力の暴走とやらをどうにか出来ないとも思えないのですが。

 しかし……。

「アルビオンが浮遊島と成って居るのは、精霊力の暴走などが理由では有りません」

 少し硬い表情でそう答えるティターニア。
 ……ハイ? こんな段階。その聖戦を起こす理由の最初の取っ掛かりさえ、国内の不満を、対外戦争を開始する事に因って有耶無耶にしたいロマリアがでっち上げた与太話だと言うのですか?
 確かに、タバサに聞いた話に因ると、ロマリアの教皇は現在二十歳を少し超えたばかりの、世間の常識から言うと青二才と言って良い程度の人物。
 そして、確かロマリアの政治形態は教皇を中心に、その補佐として枢機卿団と言う組織が政治を行って居る事となって居たはず。……なのですが。
 その枢機卿団と言うのは宗教家と言うよりは老獪な政治家集団と考えた方が良いらしく、そんな連中を年若い教皇が完全に御しているとは到底思えないトコロから考えると……。

 年若い。しかし、見た目的には見栄えがする、そして、民に人気のある教皇をお飾りに座らせ、政治の実権はその枢機卿団が牛耳っている、と考える方がしっくり来ますか。

 そして、ロマリアは数次に及ぶ聖戦の失敗やその他の要因に因り、内政は既に破綻状態。ガリア王家などにもかなりの借金が存在して居るのは事実。
 国内の神殿の荘園から逃げ出した農奴が流民と化して、国境部分からガリアにも多く逃げ込んで来ているようですから……。

「そもそも、あなたも気付いて居るはず。単なる精霊力の暴走では、現状のアルビオンを形作る事が出来ない事を」

 俺が、壮麗な神殿の奥深くに存在している、史上最も若く、最も美しいブリミルの代理人と言われる若者の懊悩に心を飛ばして居たその時、更に続く湖の乙女の落ち着いた、ややもすると冷たい、と感じられる口調が、現実世界……ガリアのリュティスに存在するヴェルサルティル宮殿の離宮に存在するイザベラの執務室へと呼び戻した。

 しかし、俺が既に気付いて居る事……。
 彼女の冷静な言葉が引き金となり、思い込みに因って近視眼的に成って居た部分に気付かされる俺。
 ……そう。確かに、俺の持って居る知識では、現状のアルビオンを作り出すのは、単なる精霊力の暴走だけでは無理です。

「通常、高度が千メートル。つまり、一リーグ上昇すると、気温は六度低下する。
 そして、この春にアルビオンに向かった時に上昇した高度は三千メートル以上」

 どうにも、思い込みと言うヤツは、自らの正常な思考の妨げにしかならないな、そう感じながら、話し始める俺。
 そう。異世界なんだから、剣と魔法のファンタジー世界なんだから、浮遊島のひとつやふたつが浮かんで居ても不思議ではない、……と言う思い込み。
 それに、この部分は春のアルビオン行きの際に、正確な座標をダンダリオンの鏡技能で把握して居たから、このアルビオンの浮遊している高度に関しては間違い有りません。
 更に、

「気圧も下がり、酸素濃度も地表と比べると七割程度にまで下がる。当然、水の沸点も下がるはず」

 そもそも、その直前のフェニックスの再生の儀式の際には、タバサを俺の能力の範囲内に納めて居て、彼女には常に酸素を地表と同じレベルで供給し続けました。
 ワイバーンを召喚して、高高度を移動する際も、当然、酸素の供給と、周囲の温度……体感温度には気を配って来ました。
 つまり、ここから判る事は、このハルケギニア世界の物理現象は、この部分に関しては、俺の暮らしていた地球世界とほぼ同じだと言う事。

 しかし、その通常の科学的考証がまったく通用しないアルビオンが、単なる精霊力の暴走程度で高度三千メートル以上の場所に存在していて、其処に人間……一般人が暮らして行ける訳は有りません。
 先ず、水をどうやって得ているのか。
 それに、真夏。地表の気温が三十度を超える真夏でも、高度三千メートル以上では日中の最高気温が十度を少し超えるぐらい。
 こんな気温では、このハルケギニア世界で行われている普通の農業など出来る訳が有りません。
 そもそも、平野部でも森林限界を超えている可能性も有りますか。

「あれは一種の呪い。わたし達にも理解不能な現象」

 
 

 
後書き
 またもや、遙か過去に行った伏線の回収です。
 読者諸賢が覚えて居てくれる事を切に願います、けどね。

 尚、原作のアルビオンが何故、宙に浮いているのに、農業その他が可能なのかは不明です。今回の内容は飽くまでも私の二次に関係する現象だけの部分です。

 それでは次回タイトルは『あなたを……愛している』です。
 
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