蒼き夢の果てに
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第5章 契約
第82話 人ならざる者たち
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第82話を更新します。
次回更新は、
2月26日 『蒼き夢の果てに』第83話。
タイトルは、『舞踏会の夜』です。
「そうしたら、こちらから聞きたい事が有るんやけど、構わないか?」
王子の影武者と言うよりは、タバサの使い魔。……いや、むしろガリアの花壇騎士としての顔でそう問い掛ける俺。
そう。ここ最近、ずっと顔を合わせて居たのはマジャール侯爵の関係者ばかりでしたから、どうしても情報……。それも、ガリアの諜報部が掴んでいる情報からは遠い位置に居たので、必要な情報が不足気味でしたから。
主に軍事や政治関係の情報が。
其処に、コイツの登場ですからね。ここでコイツ……北花壇騎士団所属ジョルジュ・ド・モーリエンヌから聞き出せる情報を、洗いざらい聞き出すべきでしょう。
そう考え、周囲にシルフの音声結界を構築。
その瞬間、周囲に溢れて居た、このハルケギニア世界では初御披露目と成った最新の楽器ピアノの柔らかな調べと、貴族の集まりに相応しい上品な話声が一切聞こえなく成り……。
そして、それとほぼ同時に別の術が起動され、俺の仙術に重なり、世界の理が僅かに歪められる違和感を覚えた。
これは……。
普段通り、俺の右隣に用意した椅子に腰を下ろし、膝の上に書物を広げたタバサは、我関せずの様子で和漢の書物に視線を上下させるだけ。
対して、左に目を転じても、其処には右側の少女とまったく同じ姿勢で椅子の上にちょこんと腰を下ろし、和漢の書物を紐解く少女……湖の乙女が存在して居るだけ。
当然、彼女の方も術を行使した気配は有りません。
但し、ふたりともそれはポーズに過ぎない事が、俺が視線を向けた瞬間にほんの一瞬だけ発せられた雰囲気で証明されています。
おそらくこれは、ふたりともが出遅れた事を悔やんで居る、と言う事なのでしょう。
ならば……。
顧みた右斜め後方。そして、その先から見つめて居る黒髪の少女と視線が交わる。
その瞬間、彼女に相応しい柔らかな微笑みが返された。
軽く右手を挙げ、彼女が発した微笑みに報いるにはかなり不足気味なのですが、俺自身の微笑みを返し、再びジョルジュの方に向き直る俺。
すると、其処には何やら人の悪い笑みを浮かべた真の貴族が存在して居たのですが……。
「あの十一月のスヴェルの夜に顕われた邪神と、その眷属の行方については、何か判った事は有るのか?」
但し、そんな些末な事など素直に無視した俺が、今、一番気に成って居る内容に付いての質問を行う。
そう、あの夜に顕われたクトゥルフ神話に登場する邪神の内、クトゥグアの触手と、炎もたらせるモノに関してはすべて退治出来たと思います。が、しかし、黄衣の王、風に乗りて歩むもの、それに、星間を渡るものに関してはそう言う訳にも行きませんでした。
まして、風に乗りて歩むものと、黄衣の王に関しては、ほぼ無傷の状態で取り逃がしたに等しい状況ですから、今後、起こり得る事件を考えると……。
正直に言うと、頭がイタイどころか、背筋が凍りそうに成るのですが。
しかし、……と言うべきか、それとも矢張りと考えるべきか。
「あの夜、ゴアルスハウゼン周辺に顕われた魔物の行方に関しては、今の所、一切、判っては居ません」
少し難しい顔をした後に、半ば予想通りの答えを返して来るジョルジュ。それに、あの場に居た俺たちでも、あの時にヤツラがどの方角に向かったのか判らなかった以上、その後に捜査を開始した北花壇騎士団のエージェントたちでも、調べるのは難しいでしょう。
まして、時間帯が時間帯だけに、偶然、目撃者が居たとは思えませんし。
それならば、
「なら、ゴアルスハウゼン周辺で木材を買いあさって居た商人どもから、ヤツラの足は掴めなかったのか?」
元々当てにしていなかっただけに、それほど落胆はなかった答えを聞いた後、次の問いを口にする俺。
それに、こちらの問いの方が答えを期待出来るはずですから、よほど黒幕に近付き易いと思います。
そもそも、あの夜に顕われた自らの事を名付けざられし者だと自称して居た青年の台詞から判断すると、ヤツラの関係者。邪神の信奉者どもがゴアルスハウゼン村周辺の木材のみを買いあさって居た可能性の方が高いと思います。
ならば、そちらのルートからでもヤツらの尻尾ぐらいには辿り着ける可能性は有る、と思いますから。
そんな、少し甘い、希望的観測に基づいた勝手な考えを頭に思い浮かべる俺。
しかし……。
しかし、この会話が始まる前までは柔らかな笑みを浮かべて居た表情をかなり険しい物に変え、ジョルジュは左右に首を振る。
この答えは間違いなく否定。そして、
「その木材の買い取りに関わった商人たちはすべて、不審な死を遂げて居ます」
……と、かなり危険な答えを返して来る。
その瞬間、俺たちが相手にしている存在が、人間の生命など何とも思っていない危険な存在だと言う事を、改めて理解させられる俺。
そう。この世界に俺が呼ばれてから関わった事件の内、どの程度までがあの夜に顕われた黄衣の王の関係者。おそらく、ソルジーヴィオと名乗ったあのニヤケ男もその片割れと言うべき存在だとは思いますが……。あの一党が関わった事件なのか判りませんが、それでも、今まで俺やタバサが関わった事件は、人の生命など何とも思っていない連中が起こした事件なのは間違い有りませんでした。
「現在、捜査を続行しては居ますが、芳しい成果を上げる事は難しいと思いますね」
視線を俺の顔から磨き上げられた大理石の床へと移し、自らの右手で左の頬骨の辺りから口を半分隠すようにしながら思案顔を俺に見せるジョルジュ。
夜の属性を持つ貴族が怖れるモノなど存在しない。しかし、今のヤツの表情からは何故か、怖れのようなモノを感じる。
但し、心の動きに関しては……。
「いや、これ以上の捜査は危険。直ぐにその捜査からは手を引くべきやな」
かなり否定的な気を放ちながら、先ず、其処まで告げて置き、その後に微妙な空白を続ける俺。俺をその捜査の後任に当てるのが、一番安全に調査が行える方法。そう暗に伝えるように。
何故ならば、俺とタバサ。それに、湖の乙女たち精霊王の助力が得られたら、クトゥルフの邪神相手でも、瞬間に魂を奪われると言う事がないのは確認済みですから。
あの神族……いや、神に等しい存在との戦いに於いて一番恐ろしい部分はその部分。神と呼ばれる連中の姿を見た瞬間に魂を奪われ、畏れからマトモに行動出来ないように成るのが普通の人間の反応なのですが、タバサはそんな事は有りませんでしたから。
当然、俺の方にも問題は有りません。
しかし……。
「今の貴方を、そんな些末な事件の捜査に投入する訳には行きませんよ」
それに、貴族の誇りに掛けて、一度開始した捜査から簡単に撤退させる訳には行きません。ジョルジュはそう締め括る。
その台詞は普段通り柔らかなコイツの口調。しかし、その中に強い決意が込められて居るのは間違いない。
確かに、誇りと生命とどっちが重い、……と一般人の俺ならばそう問い掛けますが、それを貴族。それも、普通の人間ではない夜の貴族に問い掛ける無意味さを知らない訳でも有りません。
彼らの世界で誇りを失うと言う事は死んだも同然の事。真の意味での高貴なる者の義務と言う中で生きて居る連中ですから。
「成るほど。それは余計な気を使わせたようで、悪かったな」
取り敢えず、そう答えて置く俺。それに、彼……ジョルジュと同じレベルの能力を持って居る存在、もしくはコイツ本人が捜査に当たっているのなら、引き際は心得て居るでしょうし、そう簡単にくたばるヤツでもないとは思います。
俺の答えに、少し首肯いた後、元の柔らかなイケメンに相応しい笑みを取り戻すジョルジュ。
そして、
「それに、今、我々が追って居る事件に真の意味で貴方が関わる必要はないはずですよ。この件を含めて、今まで貴方が関わって来た事件すべてに関して」
少し言葉を選びながら。更に、言葉が足りない問い掛けを行って来る。
周囲は銀幕の向こう側で展開する無声映画の一場面。まったくの無音の空間から、中世から近世に掛けてのヨーロッパの貴族が描いた舞踏会の夜が演じられていた。
其処に怪しい動きや気配を感じる事はない。
確かに、今、俺たちの周囲は音声結界に覆われて居て、俺たちの話声は周囲に漏れ出る事は有りません。
その上、人払いの結界も施されているので、俺たちがこの場に集まって会話を交わして居る事を認知出来る、ガリア王子ルイの御披露目のパーティに参加して居るガリア貴族は殆んど存在していないでしょう。
しかし、完全に現実世界から切り離される時空結界の類を使用している訳ではないので、絶対に盗聴の類が行えないと言う程の、機密性の有る空間と言う訳でも有りません。
その辺りも考慮しての問い掛け。いや、もしかすると俺自身の覚悟を問うて来たのかも知れませんか。
「確かに世界すべてを護る心算はない」
ゆっくりと言葉を選びながら、最初にそう答える俺。
それに、俺は英雄でもなければ、正義の味方と言う存在でも有りません。
そもそも、万能の神でもない俺に出来る事などたかが知れています。
「それでも、手の届く範囲内で起きる厄介事を見て見ぬ振りが出来る程、人間的に枯れている訳でも、無力感に包まれている訳でもない」
まして今の俺は、四年前の俺では有りません。
自分たちの目的の為に他の生命を奪う事など何とも思わないような連中に対して、手も足も出せなかった頃の俺では有りませんから。
「ヤツラは危険過ぎる。知らなかったのなら、それは仕方がないけど、ヤツラが動いて居る事が判ったのなら……」
これは断じて四年前。地脈の龍事件の時に亡くした家族の仇討ちなどではない。
あの時は表面に出て来る事のなかったクトゥルフの邪神。這い寄る混沌が暗躍して居る可能性を感じ取ったから、こんな事を言い出している訳ではない。
――――はず。
まして、這い寄る混沌に力を求めた存在は、間違いなく最期は破滅して居ます。
暗黒の救世主事件を起こした、世界を望み、力を求めた少年は、最後の最期の瞬間、自らの生命を贄に捧げて黙示録の再現を願い、
地脈の龍事件を起こした墨染の衣に身を包んだ八百年前の怨霊。自らの一族の再興を願い、執念の中に生きて来た怨霊は自らの生命を贄として荒ぶる黄金龍……。暴走状態の八岐大蛇を召喚して果てました。
こちらの世界でもそれは同じ。
イザーク・ポルトーが。アンリ・ダラミツが。そして、もしかするとオルレアン大公が力を望み、そして、その望みを叶えると同時に、自らの破滅を導く神……。這い寄る混沌ニャルラトホテップと契約を交わして仕舞った。
こう言う連中が破滅するのは自業自得。しかし、その破滅が世界に与える影響は、その人物一人で収まった例は有りません。
必ず、世界に何らかの危機を発生させて来ましたから。
俺の答えに納得したのか、軽く首肯くジョルジュ・ド・モーリエンヌ。悔しいが、この雰囲気を出すには俺は未だ青過ぎる、そう言う雰囲気を纏いながら。
これは、種族の中に含まれる貴族と言う属性と、西洋人と東洋人と言う人種の差から出て来るものだと思いたい。……のですが。
そして、
「部下を信用して仕事を任せるのも、王の仕事ですよ」
そう、気負う事もなく普段のコイツの調子で答えた。
しかし……。
……部下ね。
やや自嘲的にそう考えた俺。そもそも、俺はガリア王国王子ルイの影武者で有って、そのままガリア王に即位する心算もなければ、そんな役割を一生続けて行く心算や覚悟さえない人間なのですが。
少なくとも、俺の右隣で、俺とジョルジュの会話に耳を傾けながら、膝の上に広げた書物に瞳を上下させている少女を貴族の生活から解放出来るまでの間しか、こんな役を演じる心算がないのですけどね。
もっとも、そんな事はコイツも先刻承知の上での、この台詞だとは思いますが。
おっと、イカン。
少し別の世界にトリップ仕掛けた思考を中断。こんな事は、今のトコロ必要は有りませんか。
それならば次は……。
「トリステインとアルビオンの戦争ならば、既にトリステイン軍がロサイスの軍港を落として橋頭堡を築き、そこから王都ロンディニウムに向けて兵を進めているようです」
俺が次の問いを口にする前に、聞きたかった内容を口にするジョルジュ。
そう。以前……俺が未だ黒髪で、タバサが魔法学院で学んでいた頃から着々と進んで居たアルビオンとの戦争の準備が終に完了したトリステイン。そのアルビオン攻略用の艦隊『最高の祝福を受けた艦隊』がラ・ロシェールより出航したのが十一月の第二週、オセルの曜日……。
つまり、スヴェルの夜の日の事。
総数は五百隻とも、六百隻とも言われる大艦隊。兵員数は六万の軍隊を率いているのはトリステインの貴族……。アレクサンドル・セート・リュイール・エノー=フランドル伯爵。トリステインのフランドル地方を領有する伯爵様。
この地方も旧教の勢力の強い地域で、毛織物などを産業の中心として発展した、トリステインとしてはかなり裕福な地方の領主様らしいのですが。
おそらく、地球世界のフランドル地域とほぼ同じ地域の事なのでしょう。
そして、ロンディニウム。詳しい位置関係は知りませんが、おそらく、地球世界のロンドンと同じ位置に有ると仮定して、ロサイスの軍港とは、地球世界的に言うとスコットランドのフォース湾に有るロサイスの事だと思いますから……。
ロンドンまではかなり距離が有りますか。
ただ……。
「成るほど。確か、そのフランドル伯爵と言う人物は陸軍を指揮するのに長けた人物。つまり、トリステインとしては、不安だった海戦から橋頭堡を築く上陸作戦までは問題なくクリア出来たと言う事やな」
おそらく、トリステイン側の考え方は、内乱からトリステインとのこの夏の紛争でアルビオンの防空戦力は著しく劣化している、との判断から、この人事と成ったのでしょうが。
つまり、主は上陸してからの陸上戦だと考えて居たと言う事。橋頭堡を簡単に築いた事でその目的の大部分は果たしたハズです。
後は、その陸戦部分を何処まで続ける心算か、と言うぐらいですか。
「そもそも、スコットランドに上陸したと言う事は、最初に落とす拠点はエジンバラと言う事か」
それともグラスゴーか。
地球世界のイギリスの地図を思い浮かべながら、そう独り言を呟く俺。
どちらにしても、アルビオンは退却する第二の都市の方に上陸された事に因って、背水の陣を敷かされたようなモノ。
窮鼠猫を噛む、の格言も有ります。これから先もどちらの国に取っても厳しい戦いが続くのでしょう。
まして、ポーツマスの軍港には未だ侮る事の出来ないアルビオンの空軍が居るはずですから、伸び切った補給線を私掠海賊のような形の少数精鋭の艦隊でゲリラ的に襲われて、ズタズタにされる可能性も有ります。
その上、トリステイン陸軍は、これから経験した事のないような厳しい寒さと空気の薄い中での戦闘を余儀なくされるのでしょうから……。
「この年末までに、エジンバラかグラスゴー。もしくは、両方を押さえられるかどうかが、この戦争の次のポイントと成りそうやな」
もしかすると、この緒戦の華々しい勝ちっぷりは、腰の重い同盟国。ゲルマニアの早期の参戦を促す意味での派手な勝ち方かも知れませんね。
何故なら、ゲルマニアは義勇軍ならば送って居るようなのですが、それは個人的な物。未だ国としての態度は保留状態のようですから。
おそらく、あの国は旧教が完全に力を持って居る国。ゲルマニアの皇帝を選ぶには、マインツやケルン、トーリアの大司教の賛同が不可欠で有る為に、旧教を信奉するアルビオンのティファニア女王。白き国の聖女と呼ばれる彼女の治める国を侵略するトリステインに対して同盟国として兵を送る事が出来ない……とまでは言えないけど、それでもかなり難しいはずです。
もし、そんな事を簡単に為して仕舞うと、ゲルマニアの皇帝と雖も国内の統治が不安定と成る可能性が高いですから。
まして、あの国の皇帝アルブレヒトは元々、マインツの大司教。しかし、兄のヨアヒム一世が夭折(暗殺と言うウワサも高いけど、公式な発表は病死)し、更に、彼の子供が幼かった事からマインツ大司教の位に有ったアルブレヒトがブランデンブルグ辺境伯の位を継ぎ、其処から更に、ゲルマニア皇帝アルブレヒトへと登り詰めた人物。
いくら外交上のある程度の約束が有るとは言え、自らの信奉する宗教で、聖女とまで呼ばれている女王が治める国に兵を送ると成ると……。
「ただ……」
俺の思考が、ヴィンドボナの宮殿からシュバルツバルトと呼ばれる森林地帯に囲まれた国の内情に意識を飛ばして居た事に気付いたのか、現実世界……。しかし、夢幻に等しい貴族たちが優雅に舞うヴェルサルティル宮殿の鏡の間に呼び戻すジョルジュ。
大きな陰の気が含まれて居るその言葉で。
そして、
「トリステインに対する諜報は成功しているのですが、神聖アルビオン中枢に関しての諜報活動は一切、成功してはいません」
非常に不吉な台詞を続ける。
……諜報活動が成功していない?
それも、このガリアの諜報部が行って居る諜報活動が?
「政権の中枢部に存在する貴族に対する調略やその他が成功しないだけやなしに、魔法に因る諜報活動も成功しない、そう言う風に取って構わないと言う事か?」
周囲の雑音から完全に切り離されたこの空間内で、更に声音を落としてそう問い返す俺。
確かに、今のアルビオンは宗教。ロマリアを中心とした古いタイプのブリミル教と言う宗教を中心に固まった国家であるが故に、人間レベルの調略や諜報が成功し難いのは首肯けます。
更に、三千メートル以上の上空に存在する浮島である以上、国への出入りも難しいでしょうし、戦時であるので、港での人の出入りのチェックも厳しい可能性が高いのですが……。
それにしても……。
俺の問いに、無言で首肯くジョルジュ。彼に相応しくない、かなり難しい雰囲気の表情で。
「この世界の表の魔法には、魔法に因る情報漏洩を防ぐ結界系の魔法はない。しかし、裏の世界には結界系の魔法は存在する。
もしかすると、アルビオンにはそんな裏の魔法世界に籍を置く存在……俺の知って居る類の魔法使いが力を貸しているのかも知れないな」
例えば、アーサー王に力を貸した魔術師マーリンやモーガン・ル・フェイのような存在が。
但し、もし、そうだとすると、アルビオンとトリステインの戦争は、益々先の予想が難しく成るのですが……。
伝説の系統虚無の継承者ルイズとその使い魔を擁するトリステイン。
そして、何モノかは判らないけど、少なくともこのハルケギニア世界では一般的ではない特殊な魔法が使用可能なアルビオン。
この戦争、すべての面に於いて、トリステインの方に不利な情報しか今のトコロはない、とは思うのですが……。
伝説の系統と言われる虚無とその使い魔が、そのすべてをねじ伏せられる程の能力を持って居ない限りは。
すべての会話が終り、周囲の音と言う音から隔絶された空間に耳が痛くなるような静寂が訪れる。
俺の耳に届くのは、左右に存在する少女たちの発するページを捲る際に奏でられる、俺に取っては耳に心地良い微かな音色のみ。
周囲に流れているはずの優美な調べも、笑いさざめくような話声も、華麗なステップが産み出す靴の音、僅かな衣擦れの音さえも聞こえない隔絶された空間。
しかし……。
しかし、その瞬間、世界に微かな違和感が発生する。
そして、同時に鏡の間の入り口付近からこちらに接近して来るふたつの影。
一人は魔法使いに相応しい黒のローブ姿の老人。こちらの方は良く知って居る人物。
もう一人の方は初老の女性。見た目の年齢から言うのなら、六十歳以上だと言う事は確実。
但し、ふたりともその見た目の年齢の割には矍鑠とした……やけに姿勢の良い歩みでゆっくりと俺たちに近付いて来て……。
「久しいの、シャルロット姫」
そう、話し掛けて来る白髪の老人。
いや、トリステイン魔法学院のオスマン学院長。
成るほど。系統魔法使いでない事は確実だと思って居ましたが、このお爺ちゃんも結界術を行使可能な、ハルケギニア世界では裏の世界に分類される世界の住人でしたか。
この周囲には俺の施した音声結界と、それにティターニアの施した人払いの結界が存在していたのですから、普通の人間……このハルケギニアの基本的な系統魔法を行使する魔法使いでは、この場所に近付いて来る事はおろか、ここに俺たちが存在する事さえ認識する事は不可能のはずです。
しかし、その空間に、結界を切り裂く事もなく侵入して来る事が可能なのですから。
それだけでも、このお爺ちゃんが、ただのお爺ちゃんなどではない事が判ると言う物です。
「お久しぶりで御座います。オスマンさま」
椅子より立ち上がり、貴族の姫君風の挨拶を行うタバサ。その姿は堂に入ったモノで有り、普段の彼女の仕草や雰囲気とは一線を画すのは間違いない。
それに、無理をして社交的に振る舞っている、と言う表情も見せる事がないので、今日これまで挨拶を交わして来たガリア貴族たちも、大きな違和感を覚える事はなかったでしょう。
但し、彼女と霊道と言う不可視の絆で繋がっている俺にならば感じられる心の在り様に関しては、また別の物を発して居る事についても気付いて居たのですが。
まして、本当の意味で彼女が笑顔を魅せる事は有りませんでした。
「オスマン老。トリステイン魔法学院の学院長を務める貴方が、このような時期に、このような場所に居ても宜しいのでしょうか?」
もっとも、タバサ自身が煩わしいと感じて居る人付き合いをこれ以上させる必要はない。そう考えて、タバサの挨拶が終ったのを機に俺の方で会話を引き継ぐ。
それにこの疑問は当然の疑問ですから。現在、ほぼ休学状態のタバサや、本当に魔法学院で授業を受けて居るの、と言う疑問符が付くジョルジュやモンモランシーなどは別にして、その他の女子生徒に関しては未だ冬休み前で、平常……と言うにはやや寂しい感は有りましたが、それでも授業を行って居るはずなのですが。
少なくとも、今日と、明日に関しては。
「何、王都からの命令で儂には少し早い冬休みが与えられたから、こうして昔馴染みの元を訪れたついでに、おぬし等の門出を祝福しにやって来ただけじゃ」
しかし、オスマン学院長は普段通りの飄々とした物言いでそう答える。
その雰囲気も普段通りのややいい加減な雰囲気のまま。ただ、王都からの命令で早い冬休みと言っても……。
【オスマン学院長は、生徒を兵士として徴用する事に異を唱え、更に、銃後の備えとして女生徒たちに軍事調練を施す事にも強く反対した為に、十一月の末を持って魔法学院の学院長の任を解かれているのです】
かなり疑問符に彩られていた俺の心の中に響くジョルジュの【声】。
成るほど。俺やタバサが学院から離れた九月の段階で、十分戦時色が出て居たのですが、事態は其処まで進んで居ましたか。
これは、トリステイン王家としては、本格的な戦争が始まる前から、今回の戦争に関して楽観的な展望で有った訳ではない、と言う事なのでしょうね。
ただ……。
戦争開始前から下士官が不足する事が判って居て、学生。多くは十五歳から十七歳の少年に過ぎない連中を俄か仕立ての下士官として徴用し、更にそれだけでは足りずに、同じ年頃の少女たちも動員しなければならない戦争って……。
第二次大戦中の日本でも、長男や理系の男子学生の徴用が始まったのは戦局がヤバく成って来てからだったと思いますから……。
大丈夫なのでしょうか、トリステインは。
もっとも、俺がどうこう出来る状態でもなく、まして、トリステインとアルビオン。双方の大義がぶつかる戦争ですから、俺のような部外者がどう思おうとも事態は進むしかないのでしょうから……。
この戦争に関わる事となったサイトやルイズたちが無事に戻って来てくれる事を祈るしか、今のトコロ方法は有りませんか……。
それならば、
「それで、オスマン老。貴方の御隣に居るご婦人に付いては……」
そうオスマンに問い掛ける俺。
その老婦人。身長は俺より少し低いぐらいですから、百七十センチ近くは有りますか。西洋人の貴婦人の基本、豊満な、と表現すべき体型ではなく痩せ型。目鼻立ちははっきりとしていて、見事な金髪を腰の辺りまで伸ばした、若い頃はさぞ美しかったであろうと言う女性。
矍鑠……と言うよりは、しゃんと背筋を伸ばし、しっかりとした大股の歩みで近付いて来る様は、まるで軍人のような印象。
服装に関しては、黒のインバネスコート。繻子のベスト。白のシャツに黒のスラックス。シルクハットとステッキを持てば、間違いなく英国紳士と言う服装。
但し、清教徒革命当時の英国紳士などではなく、ビクトリア女王が治めた当時の英国紳士の姿。
ただ……不思議と何処かで出会った事が有るような女性なのですが……。
「おや、私の事はお忘れですか、殿下」
しかし、そのオスマン老の友人らしき女性が、俺の問いに対してそう答える。
その時、彼女が発した雰囲気は疑問。試してやろう、とか、からかってやろうとか言う雰囲気などではなく、本当に疑問を抱いたと言う事。
但し、俺が此方の世界にやって来てから出会った老婦人の中に、彼女のような女性は……。
そう考えながら、それでも恭しく、その場で一礼を行う俺。
そして、
「どうやら、悪ふざけが過ぎたようです。まさか、自らの魔法の師を忘れる訳は有りません」
略式の礼を行い、視線を大理石の床に移したままの姿勢で、その老婦人に話し掛ける俺。
「忙しさにかまけて、脚が遠のいて居た故、少々の後ろめたさから、つまらぬ冗談を口にして仕舞いました。
お許し下さい。ミス・ノートルダム」
本当にすらすらと口から出て来る言葉。
そう、何故か口から出て来る彼女の名前。マリア・ノートルダム。リュティス魔法学院の学院長。オスマン老と同じく年齢不詳、出身地も、出身の家も不明の人物。当然、二つ名も謎。彼女の魔法の系統を知る人物も、記述も存在しない。
そもそも、聖母マリアが存在しないハルケギニア世界で、マリアのファーストネームも、それに、ノートルダムのファミリーネームも胡散臭すぎます。
尚、こんな予備知識はタバサからも、そして、イザベラやジョゼフからも与えられては居ません。
まして、俺はこの老婦人を『ミス』と表現しました。これは当然、未婚の女性に対する敬称。
何故、そんな事を知って居たのか。……の理由については、一切、判らないのですが。
その俺の答えを聞いて、表情を変える事もなく、その老婦人はひとつ首肯く。この答えと雰囲気は、俺の答え……。彼女の名前や立場に誤りがなかった事の証で有る可能性が高い。
そして、その老婦人。ノートルダム・リュティス魔法学院学院長が俺から、俺の背後に送る。
この方向に居るのはふたり。一人はタバサの後ろに控える赤毛の少女。
そして、今一人は……。
「彼女がここに居ると言う事は、殿下は私の与えた宿題を見事クリアしたと言う事ですね」
……俺の後ろに控え目に佇む黒髪の少女。
「陛下。ようやく、立ち上がる事が出来たのですか」
その内、赤毛の少女の方は殿下と呼ばれるのが正しい敬称。タバサも同じ。
ならば……。
振り返った俺の瞳と、真っ直ぐに俺を見つめる彼女の黒い瞳があっさりと交わる。
そして、彼女に相応しい少しはにかんだような淡い微笑みを魅せた。
以前にソルジーヴィオと名乗るニヤケ男が、彼女は古の時代の自らの契約者を失って以来、人間界との関わりを断って居たと言って居ましたから……。
ただ、その事と、先ほどミス・ノートルダムが言った、俺に与えた宿題の意味がまったく分からないのですが。
もっとも、何の話か判らないけど、既にクリアした宿題の話ならば別に重要な事では有りませんか。
そう、単純明快に考える俺。まして、考えなければならない事がそれ以外にも有り過ぎて、差して危険な事柄に繋がるとも思えない事に――
「ところでな、シャルロット姫。姫は、始祖の使い魔について知って居るかな」
――イチイチ思考を割く余裕など、俺の頼りない脳には存在して居ません。などと呑気に考えた瞬間、オスマン老がタバサに対して問い掛けて来る。
始祖の使い魔。このハルケギニア世界で始祖と言えば、ブリミルの事。そして、その使い魔と言うのは確かガンダールヴと呼ばれる存在だったはず。
地球世界の方の伝承では、古エッダの中に名前だけの記載がされて居るドワーフで、その属性を俺と同じように地球世界から召喚された才人が持たされていたはずですか。
「『始祖ブリミルの使い魔たち』と言う書物に記載されて居た程度の内容ならば、存じ上げて居ります、オスマン老」
普段ならば小さく、動いたかどうか判らないレベルで首を動かし、肯定を示すタバサなのですが、今宵は創られたシャルロット姫と言うペルソナを演じ続ける為に、普通の高貴な姫の口調で答えるタバサ。
ただ、もしかすると、普段のタバサ自体が演技された姿で、本来の彼女を示すペルソナはこちらの方の可能性も少なくはないと思うのですが。
その答えを聞いたオスマン老が軽く首肯くと、自らのローブの内側から一冊の古い羊皮紙の書を取り出す。
凝った装丁でもなければ、重々しい……古い魔道書の類が放つ独特の雰囲気を纏って居る訳でもない、只の羊皮紙の書籍。
「これの事じゃな、シャルロット姫」
その取り出された書物に視線を送るタバサ。そして、軽く首肯き、
「はい、間違い有りません」
……と短く答える。しかし、更に続けて、
「しかし、オスマン老。その書物は確か教師のみが閲覧出来る書架に納められていた貴重な書物なのでは……」
少しその表情を曇らせながら、そう問い掛けるタバサ。
但し、その事を魔法学院の一般生徒にすぎないタバサが知って居ると言う事は、彼女は一般生徒が閲覧出来ない書架に納められている貴重な書物を勝手に閲覧して居たと言う事に成ると思うのですが。
もっとも、書物で有れば、ハルケギニアの言語であろうが、和漢に因り綴られた書籍で有ろうが何でも読む、やや乱読気味の彼女ならば、教師のみが閲覧を許された書架で有ろうとも関係なく、興味を覚えた書籍には目を通すのは当然ですか。
しかし……。
「そんな心配は無用じゃよ、シャルロット姫。そもそも、トリステイン魔法学院の蔵書の中に、『始祖ブリミルの使い魔たち』などと言う書籍が存在して居る、と言う記録は何処を探しても無いのじゃからな」
そもそも、そんな蔵書が有ったのなら、四月の使い魔召喚の儀式の直後に、ミス・ヴァリエールとその使い魔について気付いて居るわ。
オスマン老、いや、この時はオスマン学院長の顔でそう言った。ただ、別に気分を害したと言う様な強い語気では有りませんでしたが。
それに、四月の時のオスマン学院長は、本当に人間が使い魔とされる例は知らない様でしたから……。
「しかし、オスマン老。いくら、賢者として名高い貴方でも、トリステインの魔法学院の蔵書のすべてに目を通して居るとは思えませんから、一冊や二冊は貴方の知らない書籍が存在して居たとしても不思議ではないのでは有りませんか?」
そもそも、あのトリステイン魔法学院の図書室と言うのは、高さ三十メートルにも及ぶ書架がいくつも並ぶ巨大な部屋でしたから、その中に一冊や二冊の出所不明の書籍や、蔵書目録の記載から洩れた書籍が有ったとしても不思議ではないでしょう。
そう、割と単純に考える俺。
しかし……。
「リュティス魔法学院の図書館の中にも同じように、蔵書目録から洩れた同じ書物が有ったとしたらどうですか、殿下」
リュティス魔法学院のノートルダム学院長がインバネスの懐から取り出した、オスマン学院長が手にする書籍とまったく同じ羊皮紙の書籍を指し示しながらそう言う。
確かにふたつの学院の図書室で、蔵書目録に記載されていない同じ本が偶然存在して居ると考えるよりは、何らかの意図の元、其処に持ち込まれたと考えた方が違和感は少なく成るとは思いますが……。
ただ……。
「その書籍をそれぞれの魔法学院の蔵書の中に紛れ込ませた存在は何故、そのような事を為さなければならないのです?」
何者、もしくは何モノかは判りませんが、何故、そんなメンドクサイ事をしなければならないのか。その理由が謎過ぎるのですが。
そもそも、始祖の使い魔の情報などを与えられたとしても、大半の人間には役に立つとも思えないのですが。
何時現れるか判らない始祖の魔法を継ぐ人間の情報など……。
「判らん。そもそも、儂がトリステイン魔法学院で教師を初めてから既に三百年あまり。その間に、この書物に記された始祖の使い魔と同じルーンを持つ使い魔を召喚したのはヴァリエール家の三女だけじゃ」
もしかすると、そのヴァリエールの三女が始祖と同じ虚無の魔法を操り、始祖の使い魔を召喚した事と何か関係が有るのかも知れないがのぅ。
何か、非常に出来過ぎた話を口にするオスマン学院長。
う~む。しかし、これだけの情報では判断する材料が少な過ぎますか。
そもそも、その始祖の魔法や使い魔と言う存在も俺に取っては謎だらけで、どんな魔法が有るのかも知らなければ、使い魔の能力に関しても知りませんから。
いや、それよりも重要な部分も知らない部分が有りましたか。
【湖の乙女。それにティターニア。聞きたい事が有る】
流石にこれからの問いに関しては実際の言葉にする訳にも行かない内容の為、【念話】を使用する俺。
普段と同じように間髪入れず、先に湖の乙女から。そして、その一瞬後にティターニアからも同意を示す【念話】が返される。
ならば……。
【始祖ブリミルに付いて聞きたい。そいつは一体全体どんなヤツやったんや?】
後書き
それでは次回タイトルは『舞踏会の夜』です。
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