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蒼き夢の果てに

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第5章 契約
  第81話 王都入城

 
前書き
 第81話を更新します。

 次回更新は、
 2月12日、『蒼き夢の果てに』第82話。
 タイトルは、『舞踏会の夜』です。
 

 
 ここのトコロずっと曇り続きだった蒼穹が、今日だけは遙か宇宙の彼方まで見通せるかのような蒼に染まったお昼前。
 身を切るような、……と表現しても問題のない冷たい大気。おそらく、今日の最高気温は十度を超える事はないだろうと言う天然の冷蔵庫状態のリュティスの街を現在、包み込んで居るのは――――

 異常な熱気で有った。

 一人が大きな声を上げる事に因り広がって行く歓声。王家を言祝(ことほ)ぐ声。
 そして何より、俺自身。いや、ガリア王国王子ルイを讃える民衆の声。
 無数の人々が上げる声が重なり、唱和し、リュティスの街はまるで地軸を揺るがせるかのような歓声に支配されている。

 十二月(ウィンの月)第一週(フレイアの週)、イングの曜日。
 この日のリュティスの街は朝からお祭り騒ぎ。沿道に集まった人々は、この行列……マジャール侯爵麾下の護衛騎士団に守られた王家専用の馬車。そして、その窓から時折顔を見せる蒼髪の少年の顔を見ようと身を乗り出す。当然、其処かしこで振る舞い酒が杯を重ねられ、子供たちには菓子が配られる。この寒い冬の日、戸籍に記載された人口だけで三十万人近い人口を有するこのガリア最大の都市全体が完全に祝福ムードに彩られていた。
 もっとも、これは当然の状況。
 何故ならば、この夏にその存在が国民に知らされた王子。それも生まれると同時に隠され、王都から離れた安全な地で育った王子が、ようやく王都に帰って来る事に成ったのですから。

 但し、表向きは、そう言う事に成って居る、……と言うだけなのですけどね。

 一応、このハルケギニア世界標準仕様の馬車には絶対に存在していないサスペンションを施して有るとは言え、それでもアスファルトで舗装されている道路を進む訳ではない上に、ゴムのタイヤを履いている訳ではない車輪で有るが故に、かなり乗り心地の良くない馬車に揺られながら、更に居心地の良くない感覚。……何と言うか、影武者に過ぎない、まして、ガリア王家の血が一滴も流れていない俺が、王子のフリをして、道幅が大体二十メートルほど有るマロニエの並木道を、歓声に包まれながらヴェルサルティル宮殿に向かって進んでも本当に良いのか、と言う疑問にさいなまれつつある俺。

 そう。本当にこれだけ多くの民衆を騙すような真似をして良いのか、と言う疑問に……。

 あの日。十一月(ギューフの月)第四週(ティワズの週)、オセルの曜日。
 自らの事を名付けざられしモノだと自称している青年が起こした、各種クトゥルフの邪神召喚から生きて居る炎クトゥグアの触手召喚に至る一連の流れで、小さくはないダメージを受けた森や自然を回復させる作業から、拠点としていたサンガルの村に建てた修道院に帰り着いた時に待っていたのは……。
 十二月最初の虚無の日よりドナウ川の畔。マジャール侯爵領ブダペシュトから始まり、各地の都市を回りながら王都リュティスにルイ王子として入城せよ、と言う命令書をたずさえた蒼い髪の毛を持つ騎士姿の少女で有った。

「清廉潔白な王家など、この世界には存在していない」

 自らの義理の姉と成る少女。今は、この王室専用の馬車の斜め前方で馬上の人と成って居るアリアの姿をただ瞳に映すだけの俺。そんな俺の膝の上に置かれた左手にそっと自らの手を重ねながら、未来のガリア王ルイの妃となる少女が実際の言葉で、俺の迷いを払拭する為に、そう言ってくれる。
 俺の発して居る陰の気を感じ取った彼女が……。
 確かに、彼女の言うように清廉潔白な王家など存在するとは思えません。表面上は国中の富みを集め、金銀財宝や絹のドレスでその身を飾り、天上の楽と詩に因って褒め称えられようとも、その一枚裏側はその王家に因って流された血と、陰謀の黒き毒に彩られている物ですから。
 普通の王家なら。

 まして……。

 それまで、薄い紗のカーテン越しに外に視線を向けて居たのを、自らの左側に座る少女へと移す。
 そう。ましてこの少女。故オルレアン大公の遺児。シャルロット・エレーネ・オルレアンと言う名前の少女は正に、その王家の持つ影の部分に翻弄され続けて来た少女です。そして、おそらく本人は、そんなオルレアンの姫に戻る心算もなければ、貴族に戻る心算もなかったはずですから。

 ただ、何故か、その彼女が将来の……。
 其処まで考えを進めてから微かに首を振り、思考を反対方向へと進める。
 そう、この混乱した状況。
 例えば、異常気象に端を発する凶作。彼方此方で発生している疫病。
 そして、迫り来る戦乱の気配。

 この混乱した状況下で、何時までも王制を敷くガリアで世継ぎを決めないで置くのは問題が有りますか。
 かなり可能性は低いけど、ジョゼフがにわかの病に倒れたり、何者かの凶刃に倒されたりする可能性もゼロでは有りません。

 更に言うと、ジョゼフは覚醒した夜魔の王。彼が人間的な意味で言うトコロの死を迎えるのは、最短でも後、二、三百年は先の話。
 流石に、そんな先にまで彼がジョゼフ王で有り続けるのは問題が有ります。人間を支配する王が、実は人間以外の存在で有る、と言う事を知られるのは……。

 何処かの段階で次代に王位を譲る。もしくは譲ったフリをして、引き続きジョゼフ自身が次代の王を演じ続けるか。
 このどちらかの選択肢しかないでしょう。

 そして、俺とタバサはそのジョゼフの隠れ蓑にはぴったりの存在。
 共に権勢欲はゼロ。ジョゼフの正体を知って居ても、それはジョゼフの方も同じ事。タバサと俺の正体を知って居るのは間違い有りません。
 それに、タバサは王位を争ったオルレアン大公の遺児。彼女が背負った家の名前と、俺に与えられた偽名の家が結びつく事は、ガリアに取っては害をもたらせる事はないはずですから。

「これは、あなたの罪ではなく、わたしの罪。あなたが思い悩む必要はない」

 柔らかく、そして、普段よりは幾分冷たい手を俺の手に重ね、更に言葉を続けるタバサ。
 但し……。

「いや、それは違うな」

 短く答える俺。今、この馬車の中には俺と彼女の二人きり。他には誰も存在しない。
 そして、この馬車の内部は魔法的に言うのなら、完全に外界から切り離された異界。この内部を探る事は不可能とは言いませんが、かなり難しいはずですから。
 まして、俺やタバサに気取られぬように探るのは更に困難な作業と成るはずです。

「最初の理由はどうあれ、一度漢が約束した事は守り通す必要が有る」

 その部分は流石に譲る事が出来ないので、そうやって答えて置く俺。
 そう。例え、彼女……。タバサを貴族から。更に、王家の呪縛から解き放つ為の交換条件として受けた仕事で有ったとしても、それに納得して受け入れたのは俺。
 俺には彼女を攫って、何処かに。この世界の東洋にでも逃げる事は可能です。しかし、その選択肢を選ばずに、このガリアのルールに則った方法を選んだのは俺。
 まして、あの時のジョゼフは、俺に対しても、そしてタバサに対しても、強制するような真似は為しませんでしたから。

 其処まで、少し硬い表情で告げてから、破顔一笑。普段の俺の顔に戻す。
 そうして、

「多くの民を欺くのが罪なら、その罪は俺とオマエさんで相応に背負う。それでエエやろう」

 ……と、告げて置く俺。
 そう、何にしても、最早引き返す事の出来ない場所にまでやって来たのは間違いなかったのですから。


☆★☆★☆


 長い直線の道路を一路郊外の方向に進む大名行列。その先に、ようやく見えて来る金属製の柵と門。
 そう。ガリアの行政の中心、ヴェルサルティル宮殿と言うのは、元々、リュティス郊外に有る森を切り開いて作られた離宮。その離宮を行政の中心にしたのが先代の治世の最後の方。王太子としてのジョゼフの仕事と言っても問題ない時期の事。
 つまり、ガリア王国の歴史から言うと、比較的新しい行政の中心と言う事に成る建物ですか。

 沿道を埋める民衆の数は、この辺りは流石に少なく成って居るのですが、それはこの周囲には未だ民家が少ないから。
 しかし、ヴェルサルティル宮殿内の庭園。その正面玄関前に有る噴水広場に関してはそう言う訳にも行かないでしょうね。

 ジョゼフは自らの度量と、それにガリアの権勢を広く世間に示す為に、一般人にも自由に宮殿内の見学を出来るようにして有りますから。その為に必要なガイドブックのようなモノ……『王の庭園観賞法』成る冊子を、このハルケギニア世界的に言うと最新の活版印刷を駆使して創らされましたからね。
 カントン・ド・サンガルに建てた修道院。後の世にはサンガル修道院と呼ばれる事となるのが確実な修道院でね。

 一度遠ざかって居た熱気と歓声が再び近付く事に因り、目的地。ヴェルサルティル宮殿が間近に迫った事が感じられる。
 その歓声は、金属製の豪奢な門。但し、金属製とは言っても、戦闘の際に防壁として使用するような堅固な門や塀、柵などではなく、現代日本でも豪邸の周囲を取り巻いているような見た目重視の門を馬車が潜った瞬間、それまでに倍するボリュームに膨れ上がった。

 歓声の洪水。いや、それは最早巨大な魔力。実際に魔法を行使している訳ではない。しかも、本来は魔法を使用出来ない人間が居るにも関わらず、人間の思い、想いが創り上げる魔法の力。

 これが、今のガリア王家に寄せられている期待。確かに、ルイ王子と言う偶像(アイドル)を作り出す為に俺とタバサが熟して来た仕事の内容を、ある程度の脚色込みで『うわさ話』として巷間にばら撒いて居るのですが、それだけではこの民衆。この場には貴族……多くはジョゼフの代に成ってから登用された官吏としての、領地を持たない貴族も含まれて居るとは思いますが、……その彼らの期待を受けられる訳は有りません。
 間違いなく、現在のガリア王家は、民衆の支持を受けて居ると言う事を感じさせられる状況。

 普段は通る事のないヴェルサルティル宮殿の正門を抜けた後、かなりの距離を真っ直ぐに進むだけで有った馬車が、右に向きを変える。
 そう。このまま進めば宮殿の正面に存在する噴水……ガリアに古くから伝わる太陽の伝承をモチーフとした像が飾られた巨大な噴水に当たる為、その噴水を迂回しつつ、反時計回りに進む王室専用馬車。

 その馬車の小窓から顔を俺が覗かせる度に湧き上がる歓声。
 予想通り、噴水広場を埋め尽くす人、人、人。その熱気と歓声の渦の中心を、わざとゆっくりと進む王室専用の馬車。
 但し、これは俺に対しての歓声などではなく、ガリア王国の王子に対する歓声。確かに、ルイ王子の功績と言われる物はすべて俺とタバサのなした仕事の結果なのですが、それでも、これを俺に対する歓声だと受け取ったら、流石にそれは問題が有るでしょう。

 俺はメンタル的には一般人。英雄でもなければ、聖人君子と言う訳でもない。こんなアイドルに等しい熱狂的な民衆に乗せられて、増長したら目も当てられない結果を作り出して仕舞う可能性が高いですからね。

 幾何学模様を基調としたフランス式……いや、この世界的に言うのならガリア式庭園を右目に収めながら、最後のカーブを曲がった時に目に入る豪奢な宮殿の姿。
 尖塔の高さ、……と言う点に於いてはトリステインの魔法学院の方が高い可能性も有りますが、敷地の面積に関してはケタが違います。
 ただ、ここは飽くまでも行政府。軍事的な拠点と言う意味合いは薄く、中世ヨーロッパの堅固な城を思わせるトリステインの魔法学院や、トリステインの王城とはまったく違うデザイン。
 近代……とは言いませんが、少なくとも地球世界で近世の設計思想に因り建てられた建物、……と言うべき白亜の宮殿でしょうか。

 左右に羽を広げた白鳥の如き建物から延びる赤い絨毯の横に、定規を引いたようにきっちりと停まる王室専用の馬車。
 その瞬間、周囲から発せられていた歓声が止む。

 そして……。

 外側から音もなく開かれる扉。その時、吹き込んで来た冷たい風が、ここが十二月のガリア(フランス)で有る、……と言う事を実感させ、そして、その場に集まった人々の息を呑む音が、これから始まるセレモニーの重要さを改めて思い知らされる。
 もっとも小市民的俺の思考は、この場から逃げ出したいとしか考えられない状況なのですが。

 周囲から見やすい形で馬車から顔を出し、普通の乗用車と比べると高い位置に有る扉から、しなやかに赤い絨毯の上に降り立つ俺。
 そして、その場から半歩左に寄って後ろを振り向き、馬車の中に向かって右手を差し出す。

 その俺の右手に、シルクの長手袋をした小さな手がそっと添えられる。

 普段なら軽快な身の熟しですっと降り立つ彼女が、俺の右手のリードに従い、今日は緩やかな身の熟しで優雅に俺の右隣へと降り立つ。
 その瞬間、周囲を取り巻く民衆から、何とも言えない気が発せられた。

 但し、これは悪意を含んだ物ではない。かなり好意的な雰囲気。
 将来、華燭の典(かしょくのてん)を挙げ、生涯を共にする事が決まっているふたりが、仲睦まじい様子で同じ馬車から姿を現したのですから、こんな好意的な雰囲気に包まれたとしても不思議ではないと思いますけどね。

 その時、上空より降り注いでいた冬の陽光に、小さな影が差した。
 その影に気付いた人々が蒼穹を見上げる。すると、其処には……。

 遙か彼方まで見通せるような蒼の世界に悠然と飛ぶ大型の鳥の姿。ゆっくりと宙を舞う様は美しいとさえ言える。
 しかし!

 刹那、そのゆっくりと上空を舞って居た鷹と思しき鳥が急降下を開始する。
 そう、その様は、正に獲物を見つけた時の猛禽類のそれ。一気に急降下を果たし、その目的の場所に爪を立て――

 その急降下を確認した俺が、こちらはゆっくりと。まるで、王の如き優雅な動きで左手の拳を蒼穹に掲げた。
 俺の周囲を護るマジャール侯護衛騎士団の騎士たちの間に戦慄が走る。もし、ここでガリア王子ルイの身に傷を付けた場合は、自らの主マジャール侯爵の顔に泥を塗る結果と成るから。
 そして、この時、ヴェルサルティル宮殿前の噴水広場に集まった民衆が悲鳴を上げた。

 それは、その上空より急降下を行う鷹の目的地に想像が付いたから。
 其の先には――――

 蒼い髪の毛を持つ少年少女の姿。少年の方は、海軍の士官が着る白の軍服に身を包み、少女の方は、同じく白のドレスを纏う。
 流石に、鷹……。全長にして五十センチほどの鷹では命まで取られる心配はないにせよ、このガリアの新たなる門出の日を、その主人公のふたりの血で染め上げる訳には――

 しかし! そう、しかし!
 次の瞬間、高く掲げられた俺の左手の拳に留まる鷹。その獲物を引き裂く爪は強く俺の拳を捉えながらも、決して傷付ける事はなく、まるで、己の定められた止まり木に羽根を休めるが如く自然な姿で……。

 周囲に発せられていた絶叫が、悲鳴が、そのまま巨大な歓声へと変わった。
 そしてこの瞬間、ガリア王子ルイに新たな伝説が出来上がったのでした。



 ……そう、これは俺の演出。この鷹はオルニス族の少女シャルのファミリア。
 神武天皇と八咫烏(ヤタガラス)や、金鵄(キンシ)に繋がる取り合わせを、この場に再現したと言う事。

 まるで蒼穹を割るかのような歓声が沸き起こり、熱気が噴水の水すらも熱湯に変えるかのような雰囲気。
 その熱気と、ガリア王子ルイ、オルレアン大公皇女シャルロットを讃える歓声の中、本日の主役のふたりは、紅い絨毯の上を太陽の方向に向かって歩を進めて行く。

 左手には未だ鷹を留まらせ、
 右手には生涯の伴侶となる少女の繊手を取ったままで……。

 そして……。
 そして、ガリアの王の住まう場所。ヴェルサルティル宮殿の(きざはし)が始まるその場所で立ち止まるふたり。
 そのふたりが歩みを止めた瞬間、それまで叫ばれていたルイ王子とシャルロット姫を言祝ぐ歓声のトーンが徐々に納まって行き、やがて完全な静寂がその場を支配する。

 その瞬間、宮殿の入り口に現われる長身の影。
 俺やタバサと同じ蒼い髪の毛。威厳の象徴で有る髭。このガリアの王冠を戴く唯一の存在。

 そして、設定上の俺の父親。ジョゼフ一世が姿を現したのでした。

 その時。俺の左手を止まり木とし、ひと時の安らぎを得ていた鷹が彼に相応しい高き声を上げ、その翼を広げて遙か上空へと飛び立った。
 大観衆が存在する場所に不釣合いな静寂の空間を切り裂く鷹の甲高いその鳴き声。これは、この場所に居た全員に、ガリアの新しい歴史の始まりを予感させる鬨の声に聞こえたに違いない。

 鷹が飛び立ち、そして、彼女と繋いでいた右手を離した後、ゆっくりとその場に片膝を付き、騎士として最上の礼を持ってジョゼフに臣下の礼を取る俺。
 当然、俺の右斜め後方では、タバサも同じように臣下の礼を行う。

「陛下。ただ今、帰参致しました」

 片膝を付き、顔を地面に向けた状態ながらも、周囲に朗々と響く俺の声。

「そなたの身に危険が及ぶ可能性が有ったとは言え、十五年間も遠い地に行かせて仕舞った不甲斐無い父を許して欲しい」

 顔は未だ紅い絨毯の上に向けて居るので確かな事は言えないのですが、一言発せられる度に、少しずつ声が近付いているように感じますから、ジョゼフはゆっくりと階段を下って来ているのでしょう。
 まるで、神の位から、人の世界に降りて来ると言う事を現しているかのような雰囲気で。

 やがて、俺の視界内にジョゼフの靴と脚が入る。
 そして……。

「無事に戻って来てくれて嬉しく思うぞ、ルイス」

 自ら俺と同じ位置に視線を落とし、俺の肩に手を置くジョゼフ。
 流石に、ここまでされたら何時までも視線を絨毯の上に落としている訳には行かず、顔を上げる俺。

 その時、この場に到着してから初めて、俺の瞳を覗き込むジョゼフと視線が合う。

【先ほどのアレは少々、やり過ぎじゃな。儂は、鷹を自らの手に留まらせる事など出来ないぞ】

 その瞬間、接触型の【念話】が俺の心に響く。この声は間違いなくジョゼフの声。

「勿体なき御言葉。父上のその御言葉だけで、これまでの苦労が報われると言う物です」
【ルイ王子を英雄に仕立て上げようとしたのは、そちらの方では有りませんか、()()

 現実の言葉の方では模範的な息子を演じ、【念話】の方では普段の皮肉屋の言葉を伝える俺。
 そう。ガリア王家にどんな意図が有るのか判りませんが、王太子ルイを英雄に仕立て上げようとしているのは間違い有りませんから。

 もっとも、その発表されている全ての内容は、俺とタバサ。湖の乙女たちが為して来た仕事を少しスケール・ダウンさせた内容にすぎないのも事実なのですが。
 流石に、俺とタバサ。更に、湖の乙女たちが関わった事件をそのまま発表する事の方が、うそ臭く成って仕舞いますから。

 例えば、十一月のクトゥグアの事件などは、世界が滅びたとしても何の不思議もなかった事件ですからね。

 俺の答えに鷹揚に首肯いたジョゼフが、今度は俺の脇に控えるタバサに視線を移し、

「シャルロット。余は実の弟さえも護ってやる事は出来ず、お前にも辛い思いをさせて仕舞ったな。許してくれ」

 ……と、俺の時と同じように、謝罪の言葉を最初に口にする。
 そして、この言葉はおそらく本心からの台詞。
 何故ならば。少なくとも、今の台詞の前後のジョゼフから悪意のような陰の気が発せられる事は有りませんでしたから。
 但し、天に太陽がふたつない様に、ガリアの玉座もひとつ。その至尊の位に有る人間が自らの言葉として、謝罪の言葉を口にすると言う事に意義が有ります。

 しかし、

「勿体なき御言葉です陛下」

 普段とは違い、流暢な台詞で答えるタバサ。こんな時には必ず、正式な受け答えが出来る以上、普段の彼女……。必要最小限の台詞だけで過ごしているのは半ば演技で有ると言う事。
 おそらく、煩わしい人間が近寄って来難い雰囲気を纏う為に、そう言う風に振る舞っている、と言う事なのでしょう。

 そもそも、今までの彼女の立場は謀反の疑いを掛けられた大公家息女。その彼女に近寄って来る人間は、すべて善なる存在の訳もなければ、すべて彼女に好意的だったとは限りません。
 この夏に現われたシャルル・カステルモール東薔薇騎士団副長のように、彼女を利用して成り上がろうとする輩も数多く近付いて来たはずですから。

「父は事ある毎に、陛下との幼き日の思い出を楽しそうに語って居りました。その陛下の今の御言葉を天国の父が聞けば、さぞ喜んだ事で御座いましょう」

 跪いた姿勢のまま、そう答えるタバサ。
 ただ、本当に彼女の父親がジョゼフとの昔話をタバサに聞かせて居たのかと問われると、疑問符しか浮かばないのですが。

 何故ならば、彼女の父親はおそらく、アンリ・ダラミツの精神支配の影響下に有ったはず。そんな人間が、真面な判断力を有していた可能性は非常に低いと思いますから……。
 しかし、この一言は、ジョゼフとオルレアン公シャルルとが不仲で有り、未だ双方の派閥の中で燻って居る蟠りを、多少、和らげる効果が有った事は間違いないでしょう。

 タバサの言葉に、今回も鷹揚な仕草で首肯くジョゼフ。
 そうして、

「さて、二人とも。何時までも片膝を付いた状態では、儂も膝を付いて話をせねばならないのだが」

 割とフランクな口調。このハルケギニア世界のヨーロッパ最大の国の王とは思えないようなくだけた口調で、そう話し掛けて来るジョゼフ。ただ、この口調や、タバサの元に見舞いと称して現われた時の雰囲気から察すると、このジョゼフ一世と言う人物は、本当にタバサの親父さん。オルレアン大公シャルルとの間に、幼い頃に楽しい思い出を作った事の有る人物かも知れない。
 そう思わせる一般人と変わらない雰囲気。

 少なくとも、王位を争って暗闘を繰り広げるようには思えない人間。

 もっとも、ジョゼフ自身から感じて居る気が、普通の人間としてはかなり異質な雰囲気。この宮殿の地下に広がる大空洞内で太歳星君との戦いを経験した後のタバサが発して居る気配に良く似た気を纏って居る以上、この聖賢王ジョゼフ一世と呼ばれる人物も、タバサと同じ覚醒した夜魔の王で有る事は間違いないのでしょうが。

 そう考えながらも、それでも王の許しが出たので、片膝を付いた姿勢から、その場に立ち上がる俺とタバサ。
 その時には既に踵を返し、降って来た階段に右足を掛けているジョゼフ。

 しかし、その瞬間、再び何かを思い出したように振り返るジョゼフ。
 そして、タバサの顔を見つめ、

「トコロでシャルロット。我が息子、ガリア王太子ルイは優しくしてくれて居るかな」

 少し人の悪い類の笑みを浮かべながらそう問い掛けて来る。
 どうもこのジョゼフと言う人間は、頭脳(オツム)の方の出来は良いように思いますが、どうにも性格の方がよろしくないように思いますね。
 おそらく、俺をからかっているのでしょうが。

 そんな事を考えながら、少し顧みてタバサに視線を送る俺。
 尚、普段のタバサならば、こんな性悪な問い掛けは素直に無視して、問い掛けた人間を普段通りの冷たい瞳で見つめ返すだけなのですが……。

 しかし……。
 しかし、その時、タバサはジョゼフと俺の間で視線を泳がせた後、ややはにかんだ様な表情。その白磁の肌を朱に染め、

「はい」

 ……と伏し目がちの仕草で小さく答えたのでした。


☆★☆★☆


 一定の間隔で天井から吊るされた豪奢なシャンデリアからは、普段使用している魔法のランプとは違う強い光が放たれ、
 鏡張りとなった左側の壁がその光輝を反射して、現在の時刻。夜の七時を回った時間帯から考えられる暗い宮殿内を、光溢れる空間へと変えている。

 そう。この世界にも銅鏡や錫を使用した鏡ではなく、俺の良く知って居る鏡は存在します。しかし、その鏡を作成する技術を持って居るのが、今まではロマリアだけだったので非常に高価な品と成って居り、その鏡を八十メートルにも及ぶこの回廊の左側一面に使用したガリアの国力は目を見張る物が有ると言えるでしょうね。

 そして、其処から天井の方に視線を移すと、其処にはガリアを代表する画家の手に因る一面の天井画が、この場所……ヴェルサルティル宮殿の鏡の回廊と呼ばれる場所を訪れた者の目を楽しませてくれます。

 更に、その回廊の壁や柱のすべての箇所に精緻な彫刻が施され、各所に置かれた金の燭台と、銀の装飾品がより一層、きらびやかな王侯貴族の生活を想像させる配置となる空間。

 そう、ここは回廊。本来は王の寝室と王妃の寝室を結ぶ回廊と成って居る場所。但し、外交的に重要な人物を招いた時にのみ、その職能を回廊から、歓迎の儀式や宴を行う場所として使用されて来たこの場所を、本日はガリア王国王子ルイ()オルレアン家息女シャルロット(タバサ)の御披露目の会場として使用している、と言う事です。
 そう言えば、地球世界のヴェルサイユ宮殿でも、ここは婚礼の場所として使用された事が有ったはずですか。

 ブルゴーニュ公爵。ルイ十五世の王子の結婚式。
 そして、王太子……将来のルイ十六世とマリー・アントワネットの婚礼を記念して開かれた仮装舞踏会なども、確かこの場所を使用……。

 そんな縁起でもない事を思い出して、少し頭を振り嫌な予感を追い払う俺。
 現在は主だった貴族の祝辞も終わり、会場の一番奥の一段高い場所に設えられた三つの席。つまり、玉座とそれに付け足されたふたつの席から逃げ出して、回廊の隅に立つ俺たち一行。
 もっとも、自ら専用の椅子に腰を下ろし、膝の上に広げた和漢に因り綴られた書物に、メガネ越しの視線を上下させている少女がふたり、存在するのですが。

 少し疲れた……。体力的には問題ないけど、精神的にかなり疲れた俺が、夢幻の世界。ヨーロッパの貴族社会をモチーフにした華麗な社交界が登場する物語の中でしか経験出来ない舞踏会の夜を、ぼんやりと見つめるだけの状態。
 正直に言うとヴェルサルティル宮殿の離宮のひとつ。グラン・トリアノン宮殿の方に用意された俺たちの部屋に撤退したいのですが、流石にそう言う訳にも行かず……。

「この祝宴の主賓がこんな場所で何を為さっているのです?」

 優雅にダンスに興じる貴族たちを瞳に映しながら、実は何も考えて居なかった俺に話し掛けて来る若い男性の声。
 そう言えば、コイツの顔を見るのも太歳星君と戦った事件以来ですか。

「どうにも、創られた偶像(アイドル)役と言うのは、傍目に見るほどには心地良い物でもなかった見たいやな」

 最初にそう答える俺。それに、目の前に現れる人間すべてが、口々に俺の事を持ち上げて居たら、居心地が悪くなって当然でしょう。
 現実には俺ではなく、創られた偶像を褒め称えているのですから。

「それに、俺はダンスが苦手でな」

 着飾ったよそ行きの言葉で相対する必要がないと判断して、更にそう続ける俺。
 話し掛けて来た相手。この大勢のガリア貴族が集まっている鏡の間の中でも、独特の存在感を放つ人物。
 サヴォワ伯長子ジョルジュ・ド・モーリエンヌ。今日……今宵は、父親のサヴォワ伯爵の名代としてこのガリア王子ルイのヴェルサルティル宮殿入りの祝宴に登場した、と言う事らしいのですが。

 もっとも、コイツはガリア北花壇騎士団所属の騎士らしいですから、むしろ、俺やタバサの護衛役と言う任務をイザベラより与えられて居ると考えた方がすっきりしますか。

「正に、ガリア王家の威勢を国内の貴族に知らしめる祝宴の儀と成りましたね、王太子殿下」

 人工の光と、その反射光が産み出す明るい室内の中心で、その光が一番似合い、そして、ある意味一番似合わない種族の青年が尋ねて来る。

 そう。このシャンデリアの放つ光は魔法に因って生み出された光でもなければ、ろうそくの炎の明かりと言う訳でもない。
 これは蛍光灯の明かり。

 そして、俺たちの会話の間もずっと流れ続けて居る音楽は、優雅なバロックの調べなどではなく、ショパンの調べ。
 本来、この時代。清教徒革命真っただ中の世界には絶対に存在しない未来の技術に因る明かりと、未来の楽器に因り奏でられる音楽。

「ガリア王家はこの数年の間に数々の内乱を、すべて其の武威を持って鎮圧して来て居る」

 柔らかなピアノの音色に合わせて舞う貴族たち。彼らを照らし出す、瞬かない、そして、眩しすぎる事のない光。
 その様子を、ジョルジュの肩越しに見やりながら、そう話し始める俺。

「更に、この冬の飢饉を想定して、既に相当量の食糧の備蓄が用意されている事も公に発表している」

 尚、これは市場の安定を図る意味もかねて行った措置でも有ります。要は、今年の麦が凶作だった事は大抵の商人が知って居る事ですから、食糧の買い占めを行って、後に高値と成った時に売り出して一山当ててやろうなどと企む連中の出鼻をくじく為の策。
 もし、食糧が異常な高値で取引されるように成り、庶民……平民の間で餓死者が出るような状況と成りそうな気配が起きたら、王家が即座に反応して国庫を開く用意が有るぞ、と言う事を報せる為の。

 まして、その為に、現在も南仏やスペイン・ポルトガルなどの、ガリアでも温暖な地域に当たる地方に有る王家所有の荘園では食糧の増産は、鋭意続けられて居り、今現在、もし、ガリア王家が国庫を開けば、食糧の供給過多が起きて大きな値崩れが起きる事は確実だと思われる状況と成って居ます。
 いや、そう思い込ませるだけで良いのです。実際は、ガリア以外の国は間違いなく凶作で食糧に関してはかなり不足気味。まして、トリステインやアルビオンは戦時下ですから、糧食は幾らでも必要なはず。

 但し、思ったほどは儲けられない可能性が有る、と商人たちに思わせる事が重要なのですから。
 まして、魔法を使う貴族に対してあまり危険な挑発を繰り返すと、実力を持って排除される危険性も付き纏うので、そのリスクも考え合わせた上で、食糧の買い占めはリスクが伴うと思わせる事が。

「そして、今回のこの祝宴。ここに集まったガリア貴族は、自分たちの知らない、最先端の文化に触れる事と成る」

 俺はそうジョルジュに告げながら、瞳の方では優雅にワルツの調べに合わせてステップを刻むガリア貴族たちの出で立ちと、俺。そして、タバサや湖の乙女たちの姿を見比べる。

 そう。その両者の間にはファッションとしても、明確な差が現われていますから。
 俺の服装はタキシード。黒の上着に白のシャツ。スラックスも当然、上着に合わせて黒のスラックス。
 ネクタイは、黒の蝶ネクタイに白い絹製のポケット・チーフ。
 そして、靴は黒いエナメルの短靴。

 十九世紀末から二十世紀。そして、二十一世紀の俺が暮らして居た世界でも通用するフォーマルな衣装。
 この清教徒革命当時の貴族社会には存在しない斬新なデザインの服装。

 そして、今宵のタバサの衣装と言うと、

 ほんの少し淡いピンクの掛かった上質の絹を使用した、腕や肩、そして胸元を大きく露出したキャミソールドレスに、肩に巻くストールも白鳥の綿毛を使用した白。ついでに、パーティ用の肘まで隠れる長い手袋も白。更に夜会靴もドレスに合わせた白と言う、徹底的に白に拘り抜いた衣装。
 俺に取っては別に目新しくもない、普段の正装時のタバサのドレス。

 但し、俺以外、普通のガリア貴族からするとかなり斬新なデザインとなる衣装。
 何故ならば、彼女や湖の乙女たちのドレスの基本と成るコンセプトは、コルセットやパニエからの解放。

 コルセットで無理に胴体の部分を締め付ける事もなければ、パニエでスカートを膨らませている訳でもない。
 地球世界のデザインで言えば、アール・デコ調のクラッシック・ドレスと言うデザイン。
 但し、俺のタキシードと、アール・デコ調のドレスのタバサたちとが並んだ姿は、かなり洗練されたデザインとして彼ら、彼女らの目には映っている事でしょう。

 それに、スレンダーなタバサや湖の乙女にはアール・デコ調のドレスは良く似合うとも思いますしね。
 また、妖精女王や、タバサの傍らに立つ長い赤毛の女性のように豊満な、……と表現すべきボディラインをした女性でも、このふたりの場合は、彼女らの放っている雰囲気がシックで清楚な雰囲気で有る為に、胸を強調し過ぎないドレスの方が、より彼女ららしい雰囲気を演出出来ていると思いますから。

「ガリア王家に逆らう事の愚かさは、レコン・キスタに踊らされた連中が身を持って報せてくれた。そして、ガリア王家に付いて行けば、未だ見た事のない地平。自分たちが知らない文化や文明の発展した姿を見られるかも知れない。そう、貴族たちに考えさせる。
 今回、俺が晒し者に成ったのは、それが一番、大きな目的やったからな」

 そもそも、ヴェルサルティル宮殿にしたトコロで、その豪奢な建物の内部や、見事に手入れされたガリア式庭園の中を誰にでも見学出来るようにして有るトコロなども、結局は同じ目的。
 要は、ガリア王家の権勢を広く知らしめて、貴族達に対して王家に逆らう事の無意味さを理解させてやる為の処置ですから。

 当然、今回の祝宴に際して用意された食器はすべて白磁。
 確かに、銀製の食器と言う選択肢も有ったのですが、そんな何処の貴族でも用意出来るような有り触れた物で食事を饗するよりは、この世界的には珍しい……。東洋との交流が、エルフが介在する事により難しいこの中世ヨーロッパの世界では、未だ磁器を作成する事は出来ない為に白磁のような艶の有る陶器は存在しません。
 そんなトコロに、地球世界の近世ヨーロッパで人気の高かった磁器を使用して食事を饗したのです。
 それも、非常に高価な香辛料をふんだんに使った料理をね。

 タバサや湖の乙女のドレスを飾る真珠もまた、この清教徒革命から少し後のヨーロッパ社交界で流行る宝石。
 更に、彼女らのドレスの素材。絹に関しても、エルフの国が人間との交易に熱心でない故に、このヨーロッパに当たる俺が知って居るハルケギニアの国々ではかなり高価な素材と成って居るのは既に確認済み。

 聞いた事のない洗練された音楽。高価な香辛料や、味わった事のない調味料を使用した食事。
 非常に高価な宝石をふんだんにあしらった、こちらもまた非常に高価な絹製のドレス。

「後は、今夜ここに集まった貴族たちがどう感じるか、だけ」

 既に磁器はセーヴルにて窯を作り、実験段階とは言え、最初の製品は出来上がって居る状態。
 そして、絹に関しても既にリヨンに拠点を造る準備を進めて居ます。

 後は、それぞれの貴族が求めてくれば、技術の伝授はいくらでも行う予定。そんなトコロでケチっても仕方が有りませんから。
 部下や家来に、自らの国の王はケチだと思われる事は百害あって一利なし、ですからね。

「そうしたら、こちらから聞きたい事が有るんやけど、構わないか?」


 
 

 
後書き
 ゼロ魔の世界では、温度計で気温を計る習慣が有るとは思えないのですが……。
 それでは次回タイトルは『人ならざる者たち』です。 
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