久遠の神話
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第七十四話 実った愛その三
だからだ、大石もだというのだ。
「私も剣を持ちです」
「俺や他の剣士と戦ってきたか」
「そうです、若し戦いを望む剣士がいなくなれば」
「あんたは戦いを降りるか」
「そうしています、私の願いは戦いを通じて得るものではないので」
「神父としての願いか」
「それです」
神父の願い、それはというと。
「この世に神の御教えが少しでも広まり」
「それか」
「そして私が出来るだけ多くの方を救えることです」
このこともだというのだ。
「私の使命を果たすこともです」
「金や女や権力には興味がないか」
「お金は。私は今で充分ですので」
この教会にいて、だというのだ。
「雨露を凌げて冷暖房もありお風呂があり」
「住む場所も満足しているか」
「はい、それに食べるものも」
それについてもだった。
「満足しています」
「粗食でもか」
「栄養があり量があれば」
それでもう充分だというのだ。
「不足はありません」
「着るものもか」
「この神父の服が三着ありますので」
そしてだった。
「ジャージ等の私服、下着も数着ずつあり」
「充分か」
「これ以上のことは望みません」
「だから権力もか」
「今以上の地位にいる必要も感じませんので」
それでこれもいいというのだ。
「ですから」
「そうか、そして最後もか」
「それが難しいのですが」
最後の女性について、大石は微妙な笑顔になって広瀬に本音を話した。
「貴方もおわかりでしょうが」
「人への気持ちは抑えられないか」
「想い人はいます、ですが私は神父です」
「カトリックのだな」
「カトリックの神父は結婚出来ません」
だからだというのである。
「ですからこれまでもです」
「恋愛は諦めてきたか」
「何度か」
その過去もだ、大石は語った。
「そうしてきていました」
「神父も辛いものだな」
「仕方ありません、そうなっていることですから」
「プロテスタントの牧師は結婚出来たな」
「はい、ギリシア正教も」
こちらもだというのだ、キリスト教といっても一つではなくその宗派によって聖職者であっても妻帯出来るのだ。
だがカトリックはだ、何故神父や司教等の聖職者が結婚出来ないかというと。
「カトリックは世俗からの介入を避ける為に」
「妻帯出来なくなったか」
「そう定められました」
「成程な、キリスト教の歴史も色々あったからな」
「妻帯は世俗のことなので」
それ故に神に伝える者として相応しいものなのかどうか、教会も考え抜きその結果だったのだ。
「妻帯を禁じました」
「そして今もか」
「実際は違いますが」
「神父さんでもだな」
「やはり妻子のおられる方は多いです」
これが現実だった。
「そうしたことは抑えることが難しく」
「悪く言えば性欲だな」
「よく言えば愛情です」
この二つの区分は難しい、広瀬は大石がいい方を言うようにあえて悪い解釈を言ってみせたのだ、神父である彼への拝所だ。
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