蒼き夢の果てに
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第5章 契約
第80話 勝利の後に
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第80話を更新します。
次の更新は1月29日。
タイトルは『王都入城』です。
思わず閉じて仕舞った瞳の裏側までを白に彩り、体感的には永遠に等しい時間の後。しかし、現実の時間に換算すると刹那の時間の後に、世界は何の前触れもなく、通常の理に支配された世界を取り戻していた。
そう。瞳を開いた先に広がって居た其処には、長かった夜が明け、明るい光に支配された朝が世界に訪れていたのです。
轟音が聞こえて来る事もない。噴き上げる火柱も存在せず。ぞっとするような……、肌を粟立たせ、その場に平伏して、ただただ何かに対して祈るしか方法がないような地の底から響き渡る咆哮も当然、ここには存在して居ませんでした。
ただ……。
ただ、昨日までよりは少し肌寒い――――
そう。山の朝は冷たく、そして、空気は澄む。まるで、先ほどまでの出来事自体が夢の中の出来事ではなかったのか、と思わせるほど、当たり前の秋の早朝の世界がここには存在して居たのでした。
最初にすべきは……。
視線を上げ、上空に視線を送る俺。
そう。炎の触手を自らの身体を盾にする事に因って阻み、運命の槍を放つ貴重な時間を導き出してくれた黒き翼を持つ少女の姿。無事な姿を求めたのだ。
確かに、一度だけ物理攻撃を完全に反射する仙術を彼女には施して有りましたから、彼女の身に何か不都合が発生しているとは考えられません。更に、彼女はクトゥグアの触手に弾き飛ばされたはずなのですが、それでも一瞬にして昇華、イオン化されずに弾き飛ばされたのですから、彼女自身も何らかの防御魔法を行使していたとは思うのですが……。
その視線を向けた先。秋に相応しい遙か彼方まで見通せる蒼穹。俺たちよりも百メートルほど上空にて滞空するオルニス族の少女シャルの姿を見つける事が出来た。
俺の視線に気付いた彼女が軽く右手を上げて答えてくれる。
この雰囲気ならば大丈夫。俺の方も軽く右手を上げて彼女に対して答えて置く。
それならば……。
今度は上空に向けていた視線を、クトゥグアの触手が顕現していた亀裂の有った場所へと向ける俺。
其処。大地に走る黒き亀裂の有ったはずの場所には――――
周囲に残る破壊の跡は計り知れず。但し、その中心。黒き亀裂の有ったはずの場所自体は、少し大地が抉れた状態と成った通常のむき出しの大地が存在しているだけで有った。
そう。まるで、先ほどまで荒れ狂って居た炎の邪神の触手が存在していた事さえ、実は夢の中の出来事で有ったのではないのかと思う程に当たり前の大地が。
しかし――――
その少し抉れた土砂の中に存在する黒く光る石。但し、それは別に高熱に晒される事に因って表面がガラス状態に成った訳ではなく、おそらく、元々そう言う石だったと思われる石。
その石は無残に真ん中の辺りにひびが入って居ました。
「あれが封印の要石ですね」
俺と同じ物。大地に横たわる、大きさ的に言うと一メートルほどの大きさと、それよりは少し小さい目のふたつに別れた黒い石を見つめたまま、そう話し掛けて来る妖精女王ティターニア。
整った顔立ちだが、普段通りのやや伏し目がちな瞳。それに、真っ直ぐに結ばれたくちびるから与えられる印象からか、何処か少し暗い雰囲気の漂う彼女。
但し、それ故に、彼女が微笑んだ瞬間には、周囲に花が咲いたような雰囲気を与えてくれる少女でも有ります。
そして、彼女の見立ては正しい。アレは……あの黒く光るふたつの大きな石は、彼女の言うように封印の要石。
ゆっくりと地上に向け降下を行いながら、そう考える俺。
そして……。
大地に降り立った瞬間、戦いの間中ずっと、俺と共に在り続けてくれていたタバサが自らの身体へと戻って行った。何となく、離れ難いような余韻を残して。
その瞬間、俺のシャツの背中を躊躇い勝ちに引っ張るような感触。
振り返った先。俺の真後ろには、この場……。生きて居る炎クトゥグアが危うく顕現し掛けた場所に彼女が現れた時から変わらない、湖の乙女の感情をあまり表には現さない整った容貌が存在していた。
いや、今の彼女は間違いなく微かにその整い過ぎた容貌を歪ませました。
多分、この場に居る誰にも判らないレベル。まして、気を読む俺で無ければ。更に、彼女と霊道と言う絆で結ばれた俺で無ければ判らないレベルの陰の感情を示す気が発せられなければ、彼女が顔を歪ませた事は気付かないレベルで……。
そう彼女の顔を見て考えた俺。その一瞬の隙に、少し伸び上がるようにして、俺に抱き着く彼女。
その瞬間、良く知って居る彼女の肌の香りが鼻腔を擽り、変わりに俺の瞳から流れ出した紅い液体が彼女の紫の髪の毛を。そして、密着させた身体に俺の左わき腹から再び溢れた紅い液体が彼女の羽織る薄手の濃いブラウンのカーディガンを濡らして行く。
そして、霧に沈む港町の夜のように、首筋に彼女の吐息を感じた瞬間……。
「ちょ、ちょっと、アンタ。い、い、い……一体、何をしているのよ!」
かなり動揺し、声が裏返った状態でそう怒鳴る崇拝される者ブリギッド。
いや、驚いたのは彼女だけではなく、アリアも、そして、ティターニアに関しても同じようにかなり驚いたような雰囲気を発したのは間違い有りません。
確かに、知らない人間から見るとこれは、どう考えても俺の首筋に口づけの跡を付けようとしているようにしか見えない行為。
但し、
「あ、いや、ブリギッド。ちょい待ち、これには理由が有る」
何と言うか、今にも引き離そうとして掴み掛かり兼ねない剣幕のブリギッドに対して、右手を上げて彼女の接近を押し止める俺。
尚、左腕に関しては俺に抱き着いたままの湖の乙女を支え続け……。
「そう。死にたいと、そう言う訳ね」
かなり不満げな雰囲気、及び表情で非常に物騒な台詞を口にするブリギッド。殆んど、俺の言葉など聞く耳も持って居ない状態。そして、その彼女の右手には、何時の間にか彼女の愛刀。毛抜き形蕨手刀が握られている。
「ちょっと待ちなさい、炎の精霊。話も聞かずにいきなり処分をするのは問題あるわ」
そして、同じように呆気に取られたような雰囲気から、少し不機嫌な気を放ち始めたティターニア。
しかし、流石に慈母に等しい彼女はいきなり、武器を手に取ると言う事は有りませんでしたが。
そう考えて、俺の右横から、正面の方……。つまり、湖の乙女の斜め後ろに移動して来たティターニアに視線を移す俺。
其処には……。
「取り敢えず、申し開きは聞いて上げるべきでしょう」
優しい。……と言うには妙に引きつった笑顔を俺に向け、そう言う台詞を口にする妖精女王ティターニア。
いや、今の彼女も十分、失調状態と言うべきですか。
何故ならば、普段の彼女はやや伏し目がちに俺を見つめる事の方が多いですから。
しかし、何故か今は、真っ直ぐに俺の変わって仕舞った両方の瞳を覗き込んで居ます。
まるで、湖の乙女やタバサのようにね。
「申し開きも何も、これは彼女。……湖の乙女が俺に治癒魔法を施してくれているだけ。彼女はこうやって、自らの霊力の塊。水の秘薬を直接俺の身体に送り込んで素早く傷を回復させる事が出来るんや」
何にしても、問答無用で処分されないだけマシですか。そう考えながら、妙に気色ばんだ二人と、その二人の剣幕にやや圧倒されたような、かなり呆れたような様子のアリアに対して、俺の知って居る水の精霊とは系譜が違う彼女の、かなり特殊な治癒魔法の説明を行う。
もっとも、この湖の乙女の治癒魔法に関しては、少し不審な点も存在して居るのですが。
何故ならば、彼女。湖の乙女は俺の知って居る符術も行使出来ます。そして、当然、符術の中にも霊符を使用して治癒させる術も有ると思うのですが……。
ただ、彼女が今までに行使した治癒魔法はコレだけ。故に、もしかすると本当にこの方法しか治癒魔法を知らない可能性もゼロでは有りませんか。
「だからと言って、そんなにくっ付く必要なんてないじゃないの。さっさと離れなさいよ!」
そもそも、その程度の怪我なんてほっとけば治るわよ、と、かなりムチャクチャな台詞をブリギッドが発した瞬間、俺の右肩から、左の脇の下に向かって廻されていた湖の乙女の両腕から力が抜け、左の首筋に感じて居た甘く噛まれているくすぐったいような感覚と、そして、首筋の柔らかい部分に感じて居た彼女の吐息が感じられなくなった。
そして、湖の乙女が身体を離したのとほぼ同時に、未だ少しずつでは有りますが、龍気が活性化した事に因り血の巡りも良く成ったからなのか、ヌルりとした液体を溢れさせていた傷口が完全に塞がった事を感じました。
「ありがとうな、湖の乙女」
普段通りの微妙な距離に立つ湖の乙女に対して、そっと右手を伸ばし彼女の額を汚した俺の血潮を指で拭い去りながら、そう感謝の言葉を口にする俺。
その俺の言葉に、普段通りの無機質な表情を浮かべた彼女は僅かに首を横に振り、
「その傷はわたしが無理に異界化した空間に侵入する為に開いた傷」
……と言った。
その瞳には少し後悔の色が浮かぶ。
「それに、危ないトコロに駆けつけてくれて、みんな、ありがとうな」
湖の乙女だけではなく、その場に居る全員に対してそう告げる俺。
但し、彼女に対しては、額に付いた血糊を拭い去った右手をそのまま彼女の柔らかな紫色の髪の毛に当て、その柔らかさを手で確認しながら。
彼女の感じて居る後悔が無意味な事だと口で伝える代わりに。
そう。湖の乙女が悔やんでいるのは、もっと他の方法で異界化した空間に侵入する方法がなかったのか、と言う事なのでしょう。
確かに、崇拝される者ブリギッドや、マジャール侯爵麾下の飛竜騎士団は別の方法で侵入して来ましたが……。
ブリギッドの場合は、この地域。火竜山脈と言う地域に対して結んだ縁の絆に因って侵入して来たのでしょうし、
飛竜騎士団の方はおそらく力押し。一点突破で異空間への入り口を破って来たのでしょう。
まして、ブリギッドたちが侵入して来た時に存在していた神格の中で一番高かったのは風に乗りて歩むものイタカ。あれも危険な邪神なのですが、それでもクトゥルフ神話内で言うのなら風の小神レベル。
対して、湖の乙女たちが侵入して来た時に場を支配していたのは生きて居る炎クトゥグアの一部。紛う事なき炎の主神。
これでは神格が違い過ぎて、侵入する際の抵抗を比べる方が間違いですから。
「か、勘違いしないでよね。べ、別にアンタを助けに来た訳じゃなくて、ここに封じられて居たヤツが解き放たれたら、世界を滅ぼす邪神が召喚されるから、その召喚作業を邪魔する為にやって来たら、其処に偶々、アンタが居ただけなんだから」
プイと言う擬音がもっともしっくり来る素振りで視線を外しながら、何故かツンデレ・モードに入った崇拝される者ブリギッドが自棄に大きな声でそう言う。
ただ、その後にぼそぼそと小さな声で、そうよ、偶々、偶然、ここに来たらアンタが居ただけなんだから、と言う言葉もついでに聞こえて来たのですが。
もっとも、この言葉は最初に彼女が現われた時に口にした言葉。何故、私を最初に呼ばなかったのか、……と言う言葉に矛盾していると思いますけどね。
こんなトコロが、彼女の世慣れない、少し幼い雰囲気が強く出る部分なのでしょう。
「自らの義弟を助けに来ない義姉は居ませんよ」
それにしても、貴男と彼女が無事で良かった。そう言って微笑んだアリアの顔は、まるで本当の姉の表情。先ほどまでの少し呆れた雰囲気を発して居た状態を微塵も感じさせる事はなかった。
しかし……。
しかし、こんな場面でも……。いや、こんな場面でも尚、そう言う風に。俺が赤ん坊の頃にマジャール侯爵家に預けられたガリア王国のルイ王子で有るかのように振る舞わなければならない、と言う事なのでしょう。
但し、どう考えても他人を欺くような演技に長けた人間だとは思えないアリアにしては、先ほどの台詞は堂に入った物で、まるで彼女が本当の姉のような気さえして来る雰囲気を持つ台詞で有った事は間違い有りません。
そうして……。
「私だって、しょ、生涯の伴侶と定めた良人が危機に陥って居るのなら、つ、つ、妻として助けに来て当然です!」
何故か、最後に普段の落ち着いた雰囲気とは違う、何と言うか、妙にテンパったと言うか、その他の少女たちに張り合うような雰囲気と言うか、どうにもよく判らない雰囲気で、一番問題の有る内容を口にする妖精女王ティターニア。
う~む。何と表現すべきか……。見た目が少女に見えるだけに、この一言で彼女の年齢が人間で換算すると二十代だと思っていたのが、実は十代半ばの少女だったのではないだろうか、と思える程のテンパり具合、と言った方が伝わり易いですか。
まして、生涯の伴侶と言うのは何となくニュアンス的には首肯けるのですが、その相手を妻と呼んで良いのか、と問われると、かなり疑問が残るのですが……。
俺と彼女の関係は。
「つ、つ、つ、妻ですって!」
先ほど、湖の乙女が俺に抱き着いた時よりも更に裏返った声で叫ぶ崇拝される者ブリギッド。尚、彼女のテンパり具合を表現するには、妻の『つ』と『ま』の間に微妙な一呼吸ほどの間が空いた事からも窺えると言う物。
「そうです。私と忍さんは、ノートル=ダムの聖堂で死がふたりを分かつまで共に在る事を約束した間柄なんです」
間柄なんです、の部分をかなり強調するような口調で更に言い募るティターニア。
間違いない。彼女は張り合っている。今は主に食い付いて来ているのがブリギッドだけですから、まるで彼女を徴発して居るかのように聞こえて居ますが、おそらくそれには湖の乙女も含んでいると思いますね。
双方。いや三人とも同じようにこの世界の精霊を統べる存在で、更に同じ人間を契約者として選んだのですから、こう成るのも多少は仕方がない面も存在していますか。
それに、彼女。ティターニアの話して居る内容は概ね事実です。精霊と人間の契約は、基本的に人間が死亡した時が別れの時。それに、彼女と契約を交わしたのは、ノートル=ダムの聖堂の前。……それの、我が貴婦人像の前でしたから。
ただ、彼女を妻として娶った心算は有りませんが。
さて、いい加減、この不毛なやり取りに介入をした方が良いかな、などと呑気な事を考えて居る俺。
しかし、事態は俺が考えているよりも更に過酷な……。いや、因りショウもない方向へと舵を切る事と成る。
そう。行き成り俺の胸倉を掴み、自らの顔の方に引き寄せる崇拝される者ブリギッド。かなり整ったその容貌に、炎のように燃え上がる瞳が爛々と輝く。
そして、
「やっぱり、アンタも胸が大きい方が好みなの!」
……と、今までの話の流れで、何処をどう解釈したら、そう言う疑問が浮かんで来るのか判らない内容を、物凄い剣幕。所謂、柳眉を逆立てると言う雰囲気で問い掛けて来るブリギッド。
ただ、この場。俺の周囲に居る少女たちの中で言うのなら、身長では湖の乙女とアリアはほぼ同じ。心持ち、アリアの方が高いと思うので、バストに関してもどっこいそっこい。
そして、タバサとブリギッドは彼女らよりも十センチほど低く、胸に関しては、同じぐらいの身長の相手。つまり、小学生程度の少女と比べると平均的なんじゃないかな、と言う程度。
もっとも、地球世界の小学生の平均的な胸囲など知らないのですが。
しかし、ティターニアに関しては、間違いなく多産系の大地母神、と思わせるだけのバストを持って居るのは間違い有りません。
身長は、ほぼ一センチ刻みぐらいで、上からアリア、ティターニア、湖の乙女。この順番だと思いますが、
バストに関しては、ティターニア。それから十センチは離れて、アリアと湖の乙女。……と言うぐらいの雰囲気ですか。
当然、残りの二人は更に十センチぐらいマイナスだと思いますね。
おそらく、魔法学院のメイド。シェスタよりも身長ではティターニアの方が低いとは思うのですが、胸のサイズから言うと同じぐらいか、もしくは彼女の方がやや大きい、と言うぐらいの雰囲気。
正に、トランジスタグラマーと言う、小柄で有りながら均整の取れた女性を表現する言葉が相応しい少女で有るのは間違い有りません。
ただ……。
「あのなぁ、ブリギッド。この状況下で、行き成り大きい胸の方が好みなのか、と聞かれて、ハイそうです、と答えられる訳がないでしょうが」
胸倉を掴んだ手をゆっくりと外してやりながら、かなり疲れた雰囲気を醸し出しつつ、そう答える俺。もしもそのような問い掛けに、はい、そうです……と答えられるのは、筋金入りのアホか、ヒーローのどちらか。
それに、精神的にも。更に、肉体的にも疲れて居たのは事実です。実際、徹夜明けの状態ですし、その間中ずっと戦闘状態でしたから、霊力に関しても使い続けて来た訳ですから。
「それに、そもそも、オマエさんは神霊の類。それやったら、そのスタイル的に不満が有る容姿以外の姿形に変化したら済むだけでしょうが」
俺としては、胸など大きかろうが、小さかろうが、別に気にする方でもなければ、女性の胸ばかり見つめて話をするような人間でもないので、正直そんな事はどうでも良い事なのですが……。
もっとも、本人に某かのコンプレックスが有るようなので、一応、そう答えて置く俺。
尚、この部分に関してはタバサにしても、湖の乙女にしてもまったく気にしている雰囲気はなかったので、今まで俺たちの間では一度も話題として上らなかった内容なのですが。
いや、タバサに関しては、俺の前に殆んど下着姿同然のキュルケが居ても、眉ひとつ動かさなかったような気がしますね。
「それとも何か、ブリギッド。オマエさんは見た目や雰囲気通りの不器用さで、容姿を変化させる術の行使が出来なくて、その姿形しか取れないとでも言うのですか?」
何となくその可能性も有るかも知れない。そう考えて、問い掛けてみる俺。
そう。そもそも、彼女は精霊。その時の呼び出した相手。基本的には俺の望む姿で顕われる事の方が多いのですが、それも絶対では有りません。本人が胸の大きな大人の女性の姿で顕われたければ、その姿で顕われたとしても別に不都合はないはずです。
しかし、彼女はそんな事は行わずに、何故か自分の望む姿とは少し違う容姿で俺の前に顕われているらしい。
それならば、その不満の有る姿で顕われる可能性として一番高い理由は……。実は彼女は術に関しても不器用で、馬鹿力を発揮するのは得意なのですが、細かな細工を施すのは苦手なんじゃないかと思っても当然でしょう。
何故ならば、彼女の行使した術は巨大な破壊力を伴う魔法が多かったですし、空中機動は、直線は早いけど小回りが利かず、彼女が俺を認める為に行った模擬戦の時にちょこまかと逃げ回る俺を、最後まで完全に捉える事が出来ませんでしたから。
それに、彼女が発して居る雰囲気的に言っても、細かな術はやや苦手としているような雰囲気がプンプンして来るタイプの人間ですしね。
もっとも、その辺りが彼女から感じる妙に人間臭い部分で有り、同時に美点と言うべき部分でも有ると思うのですが。
しかし……。
「他の姿形になんかに変化出来る訳がないじゃないの。この姿で人間の前に現われる事は昔からの約束で決まっているんだから!」
かなり大きな声でそう怒鳴るブリギッド。但し、それに続けて、だんだんと小さく成って行く声で、何時、誰と約束したのかは覚えていないんだけど……。と続ける。
特に、最後の方は正面に居る俺と、彼女に押しのけられて、少し不満げな雰囲気を発して居る湖の乙女以外には聞き取れなかったと思われる大きさの声で。
しかし……。
俺は改めてマジマジと崇拝される者ブリギッドを見つめる。
今は霊気が活性化してないが故に長い、柔らかな質感を示す黒髪が優美に風にそよぐ。
但し、今は彼女の容姿に関してはどうでも良い。問題なのは……。
大き目の襟を持つ濃い水色の冬用のセーラー服姿。但し、湖の乙女が羽織っている薄いカーディガンを彼女は羽織ってはいない。
スカートに関しては、湖の乙女と同じぐらい。大体、膝上十センチ程度のミニスカート姿。もっとも、故に身長が低い彼女で有りながらも相対的に脚が長く見える効果を生み出している。
そして、膝上までの黒のニーソが彼女の脚を護る。
続けて、俺の右側に立つ妖精女王ティターニアに視線を送る。
今宵……いや、今朝の彼女の出で立ちはと言うと……。
襟の広い濃い水色のセーラー服。その襟の胸元には他の二人と同じ、そして、彼女の長い黒髪を左側で纏めて居るのも同じ紅いリボン。
尚、彼女の方は湖の乙女と同じ濃いブラウンのカーディガンを纏う。
そして、スカートに関しては、彼女の場合、膝丈のセーラー服と同じ色合いのプリーツスカート。
そう。今朝のこの三人は何処からどう見ても、地球世界の女子学生。但し、ブリギッドは女子小学生で、湖の乙女が中学生。ティターニアは女子高生、と言う雰囲気なのですが。
成るほど、この世界の精霊王の制服はセーラー服に統一されているんだな。
……などとアホな事を考える訳はなく。
「湖の乙女。オマエさんの姿形を……、その姿で有る事を望んだのは俺だったんやな?」
以前に聞いた内容を再び問い掛ける俺。当然、以前に返された内容と同じ答え。つまり、真っ直ぐに俺を見つめた後に、微かに首肯いて答えてくれる湖の乙女。
……成るほど。どうやら、俺の心の中には自分でも気付かない部分で、セーラー服に対する強い拘りが存在するらしい。
そして、その俺の強い拘りを感じ取ったこの世界の精霊王たちが、その俺の好みの服装を着て顕われるように成った。そう言う事なのかも知れない。
そもそも、最初に出会った時には、ブリギッドは修道女姿でしたし、ティターニアはイブニングドレスを纏った姿でした。
「ティターニア。そのセーラー服姿の理由は、俺に原因が有ると言う事なんやな」
もう、心証としてはかなり黒に近いモノを持って居るのですが、流石にそんな妙な性癖を心の奥底に持って居る事を認めたくはないので、一縷の望みを託してティターニアに対して質問を行う俺。
この問いを彼女が否定してくれたのなら、多少は俺がセーラー服に拘りを持って居ないと言う証拠に成るのですが……。
しかし……。
しかし、先ほどは間違いなく俺を真っ直ぐに見つめてから、かなりテンパった雰囲気ながらも普段よりは強い口調で答えてくれたティターニアが、その俺の質問に対しては視線を在らぬ方向へと彷徨わせ、
「それは、その~。え~と、ですね……」
何時も、そうはっきりとした物言いと言う訳ではないティターニアが、今回に関しては更に歯切れの悪く成った口調で、言葉を探すように、しかし、俺に返すべき答えが見つけられない事を感じさせる、言葉に成っていない答えを返して来る。
これは、おそらく俺の一縷の望みを完全に否定する答えと言う事なのでしょう。
見た目や雰囲気が、俺の暮らして居た地球世界の日本でさえも絶滅危惧種として指定されている大和撫子風の彼女ですら、俺のセーラー服コンプレックスを否定してくれないと言う事は……。
その刹那。上空から猛烈な風が吹き下ろされる。もっとも、これは危険な現象ではない。
但し、その風に因って彼女たちの髪の毛が乱され、更に、少し強い目に吹く冷たい風が……。
「話し合いは終わったのかしら」
プリーツスカートの裾を押さえるふたりの黒髪少女と、まったく気にしない紫の髪の毛の少女から視線を外し、上空に視線を移す俺。
ただ、精霊故に、彼女はそんな事に頓着していないのか、と思って居たけど、同じこの世界の精霊王に当たるブリギッドやティターニアが気にする以上、湖の乙女に関してはやや特殊な存在だと言う事なのでしょう。
そして……。
見上げた先に向かい右手を差し出す俺。その差し出された俺の右手を、上方からそっと掴む白い華奢な手。
俺の右手のリードに従い、本当に体重の無い者のような軽やかな動き……。ふわりっと言う形容詞が一番相応しい様で地上に降り立つ蒼い少女。
風を受けた彼女の柔らかな蒼い髪の毛と、魔術師の証の黒のマント。そして、こちらも短いプリーツスカートが微妙に揺れた。
もっとも、彼女の場合も湖の乙女と同じように、そんな細かい事に頓着するような娘ではないのですが。
「私としては、自分の息子が女の子にモテモテなのは多少、鼻が高い側面も有るのだけど、その前に、仕事を終わらせて仕舞いましょう」
タバサに遅れる事数瞬。俺の後ろ側……本当の娘のアリアの隣に降り立ったマジャール侯爵夫人がそう言う。
尚、彼女が降り立った瞬間も、そして、今まで彼女が魔法を行使した際も、精霊が消費される悲鳴が聞こえる事が無かった以上、彼女の行使する魔法も、系統魔法とは違う種類の魔法。このハルケギニア世界では異端に分類される魔法で有る可能性が高いでしょう。
「そんな事を言っても、アーデルハイド」
相手に因って態度を変えないのが精霊の基本形と言う事なのか、マジャール侯爵夫人のファーストネームを呼ぶブリギッド。
但し、マジャールの地に於ける彼女の呼び方の方で。
もっとも、湖の乙女は相手の名前を呼んだ事は有りませんし、ティターニアに関しては敬称を付けるので、これは精霊としての特性と言うよりは個人の資質と言うべきですか。
「ルイス。貴方も貴方です。確かに、あの炎の邪神は消え去りましたが、未だこの場所には邪神が顕現しようとした事により発生した歪みや澱みが蓄えられた状況。こんな危険な場所で呑気に女の子たちとの会話に興じるなど」
不満を口にしようとするブリギッドの言葉を視線だけで優しく受け止め、しかし、俺に対しては少し厳しい内容の言葉を伝えて来る。
ただ、これは正論。確かに――――
「少し気が緩んで居たのは事実のようです、母上」
俺はそう素直に謝ってから、タバサに視線を向けようとする。そう、これからこの地の浄化を行い、歪みの調整をするのなら、一人でやるよりは、タバサと湖の乙女の能力を借りた方が楽ですから。
しかし、俺の答えを聞いて、マジャール侯爵夫人が少しその形の良い眉根を寄せて見せた。
そうして、
「女の子に囲まれた状況だから、多少、着飾った言葉を使うのは構わないけど、この場では普段通りの言葉で構わないのですよ、ルイス」
……と、かなり短い目のボブカットの蒼い髪の毛を揺らしながら、タバサに良く似た顔に、未だに彼女が見せた事のない表情を浮かべて言って来る。
そう、まるで本当の母親のように。
一瞬、四年以上前の俺が姿を現しかけ、無理矢理、心の柔らかい部分に覆いを掛ける俺。
同時に、瞳を閉じひとつ大きく息を吸い込む。大丈夫。意識を別の方向に持って行けば俺は未だやれる。
まして、余りにも他人行儀な口調で話して居たのでは、其処に違和感が発生する可能性も高いですか。特に、先ほどの俺の言葉は明らかによそ行きの言葉。タバサや湖の乙女はもちろんの事、アリア相手にさえも使用しない目上の他人に対する言葉使い。
生まれてから、この年齢に成るまで実の母親として育ててくれた相手に対する口調では有りませんでした。
ただ、普段通りの口調で、と言われても……。
「判った。確かに、母ちゃんの言う通りやな。さっきの俺の言葉は妙やった」
こう言う言葉使いに成るのですが。俺の場合は。
そして、その瞬間に、再び、むき出しに成り掛かる柔らかな部分を無理に隠した事は……。タバサと湖の乙女以外には気付かれなかったと思います。
その俺の言葉を聞いて、今度は軽く首肯いた後に笑ってくれるマジャール侯爵夫人。しかし、その姿は何処からどう見ても二十代後半ぐらいにしか見えない女性なのですが。
それも、俺が彼女の事をアリアの母親だ、……と言う事を知って居るから、本来の見た目よりも少し上の年齢に感じて居るだけで、何の情報もなしに彼女が目の前に現われたのならば、どう感じるかは判った物では有りません。
其処まで考えてから、未来の彼女の姿から、現在の彼女へと視線を移す。
そう。マジャール侯爵夫人アデライードが覚醒した吸血姫として齢を重ねた存在なら、タバサはこれから先に、彼女と同じように普通の人間と比べるとゆっくりとした時間の中で歳を重ねて行く事になる存在。
俺と視線が交わった瞬間、普段通り、動いたのか、それとも動いていないのか判らないほどの微かな動きで首を上下させ、首肯いてくれるタバサ。ただ、これはおそらくこの地の浄化や歪みを補正する作業の手伝いをする事に同意してくれたと言う事で有って、マジャール侯爵夫人の事を将来のタバサの姿だと考えて居た事に対する同意と言う訳ではないのでしょうが。
「そうしたら、さっさと御仕事を終わらせてから、朝食にするとしますか」
☆★☆★☆
山間部に吹く冷たい……いや、最早痛いと表現すべき風が身体を強く打つ。
そう。今までのこの地方には考えられない程の、猛烈に寒い真冬の到来を予感させる冷た過ぎる北風。
白い新雪に覆われた大地と、そして大気は完全に熱を失い、蒼穹には地球世界のこの世界の初冬に相応しい分厚い雲が垂れ込める。
十一月、第四週、オセルの曜日。
あの世界を煉獄の炎で包み込もうとしたスヴェルの夜から二週間。
冷たい風に乗って、ふたつの笛から発せられる異なった旋律が、しかし、見事な重なりを描き出しながらゆっくりとこの高緯度地域の初冬に相応しい気温の世界に広がって行く。
俺が高く奏でると、それに応えるかのように、タバサは低く伸ばす。
俺が低く区切ると、彼女が高く響かせる。
そして、その笛に重なるふたつの歌声。
ひとつは湖の乙女。
そして今ひとつは、妖精女王ティターニア。
ふたりの歌声が新たに植樹された針葉樹の若木の森に響き渡り、そこに存在する精霊たちを活性化して行く。
その歌が響き渡った瞬間、自然の中では本来有り得ない状況を展開し始めた。
本来、苗木と言って差し支えない大きさで有った若木たちの間を、冷たい風に乗って広がって行く歌声が、そして笛の音が響いた瞬間。
徐々に枝を伸ばし、幹を太らせて行く若木たち。
太い根を張り、針葉樹独特の葉を茂らせて行く様は、緑色の雲が涌き立つが如き、壮観な眺め。
おそらく、遠方からこの様子を見て居た人間は、今のこの場に緑色の身体を持つ巨人が立ち上がったと思う事でしょう。
そう、今、俺たちが育てているのは針葉樹。あのスヴェルの夜の前日までのこの場所は、もっと温かい南方の植生に当たる落葉広葉樹の森が広がっていた場所だったのですが、あの夜を境に気温が一変。本来、この辺り……。高緯度地域の、更に山間部に相応しい気温へと一気に移行していたのです。
既に、火竜山脈と呼ばれる山々の頂きは白い冠を戴き、これから先、これまでは存在して居なかった氷河と言うモノが形成されて行く事となるのでしょう。
地球世界のアルプスのように。
推測でしかないのですが、この火竜山脈と呼ばれる山脈周辺が異常に気温が高かった最大の理由は、火山に因る地熱の作用でもなければ、ファンタジー世界故に、物理や科学の向こう側の現象が起きて居たと言う訳でもなく、この土地が生きて居る炎クトゥグアの召喚に適した場所で、炎もたらすモノが封じられて居た場所だったと言う事と関係が有ったのだと思いますね。
僅かな余韻と共に笛を吹き終わる俺とタバサ。
そして、それの少し前に、見事な重なりを示していたふたりの歌声も終幕を迎えて居た。
そして、その俺たちの周囲には……。
真っ直ぐに天に伸びるような太い幹を持つ針葉樹の森。まるで、千年も前からこの状況で有ったかのような、鬱蒼とした太古の森に等しい森が形成されて居たのでした。
寒さと、同じ姿勢を続けた事に因り固まって仕舞った身体を、おもいっきり蒼穹に手を伸ばす事に因りほぐす俺。
その俺を、三種類、都合六つの瞳が見つめる。
「これで半分ぐらいの森の置き換えが出来たと言う事かな」
三人の中で一番背の高い少女、ティターニアに向かってそう話し掛けた。それに、この地の状況の把握は大地の精霊を束ねる彼女に聞く事が一番ですから。
俺の問いに対して、普段通りのやや伏し目がちな瞳ながらも首肯き、
「後は、徐々に寒冷地に育つ植物に置き換えて行けば、自然や人間の暮らしに大きな影響を与える事はないと思います」
……と、答えてくれるティターニア。
その彼女。いや、ティターニアも含めたタバサ、湖の乙女の出で立ちはと言うと、
白い絹製、襟や袖口に細かなレースをあしらった清楚なブラウス。その上に、黒を基調に赤や青の綺麗な格子模様の入った、前を胸の下の部分から紐で締めるタイプのボディスと呼ばれる袖なしの胴衣。
そして、スカートはシックな花柄の刺繍の入った膝丈のスカート。
まるで童話の国の少女のような服装。所謂、チロリアンファッションとか、ディアンドルとか呼ばれる服装に似たファッション。
ただ、完全に胸……バストの下の部分から紐で締めている為に、その紐の上に胸の部分が乗っかるような形と成って仕舞い、ティターニアがこの衣装を着ると妙に色っぽい雰囲気となるのですが。
そして、タバサや湖の乙女のふたりはふたりで、その幻想世界の住人に相応しい髪の毛の色と、童話の国の少女風の服装とが相まって、なんとも言えない、かなり愛らしい姿形のふたりと成って居るのは間違い有りません。
これで、このふたりに、ティターニアの浮かべている春の陽光を思わせる笑みを見せてくれたら、それだけで死んでも良いと思えるのですが……。
尚、何故、このような服装を着て貰ったのかと言うと……。
俺としてはただ単に、セーラー服姿でなければどんな服装でも良かったのですが……。
それでも、タバサはずっとトリステイン魔法学院の制服姿(マント込み)ですし、湖の乙女も同じセーラー服姿ばかり。ティターニアはゆったりとしたドレス姿は見た事が有るのですが、それ以外だと何故かセーラー服姿のみ。
まして、今は森の奥に侵入して行く上に、庶民の中での仕事と成るので、余り貴族然とした出で立ちでは、矢張り多少の隔意を擁かれる可能性も有ります。
タバサと湖の乙女は特に、無口で、極端に感情表現の乏しい表情しか持って居ませんからね。
それで、魔法使いの杖はカモフラージュとして携帯するのは仕方がないけど、マントを羽織るのは止めて、その代わりに、地球世界のこの辺りの地域……と言うには少しズレが有るのですが、まぁ、その辺りには目を瞑り、この辺りの民族衣装で身を包み、細かなレースや刺繍。それに、彼女らが身に付けて居る清楚な雰囲気の装身具で身分を表現する、……と言う形を取って貰ったのです。
それに、タバサや湖の乙女は、服装に関しては拘りのようなモノは持って居ないようですし、ティターニアも派手な衣装を用意した訳ではなかったので、抵抗なく着てくれたので問題はなかったのですけどね。
「そうしたら、残りの仕事もちゃっちゃと終わらせて、ゴアルスハウゼンの村に戻るか」
後書き
長かった『タバサと翼竜人』に似た御話も、今回が最後です。
次回タイトルは『王都入城』です。
次のリュティス入城編も長いのですが……。
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