魔狼の咆哮
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第二章その一
第二章その一
第二章 不気味な眼の男
人狼とその使い魔達との始めての対峙と闘いから三日今回の事件の後始末も一段落し本郷達はこの一帯で最も開けている街にある本署に案内された。
「なんか何処も警察署は一緒ですね」
署に入ると辺りを見回しつつ本郷が言った。
「お役所ですからね。機能性を重視するのです。それは我が国でも変わりませんよ」
二人を案内しつつ警部が言った。
「よく我が国を見栄っ張りだとか装飾過多とか言う連中がいますけどね。我々は科学的、現実的かつ合理主義ですよ」
「そうでなければ警察は成り立ちませんしね」
巡査長が警部の言葉を補完した。
「警察が科学や合理主義を無視したらそれで終わりです。魔女裁判の再来です」
「魔女裁判、ですか」
役が神妙な面持ちだ言葉を発した。
「あの裁判はいちがいに『魔女』だけを狙ったものではないのでしたね」
「・・・はい。多くの男達も犠牲になりました」
警部が顔を沈めて言った。
「あの裁判は異端審問会が中心となり行われました。嫉妬に狂う者、他者を認めようとしない者、他者の富を合法的に奪わんとする者、人の皮を被った魑魅魍魎共が集まり行われた暗黒の裁判です。恋敵や金持ち、ユダヤ人、ローマ人、異邦人達がよく裁判に引き立てられ血生臭い拷問によりやってもいない魔術、悪魔との契約を白状させられ火の中でゆっくりと焼かれていったのです」
「欧州の歴史の闇の部分ですね。あの忌まわしい異端審問により一体どれ程の罪無き人々が犠牲になったか。それにより越え太ったのは異端審問官達でしたがね」
「その通りです」
役の言葉に警部は同意した。
「ですが異端審問官の中には本当に魔女、いえ魔女を操る異形の者達を探していた者達もいました」
「え、そうなんですか?初耳ですよ」
本郷と巡査長が思わず声を上ずらせた。
「腐敗を極めていたバチカンにも自分達の教義こそ絶対と狂信する新教徒達の中にも良識と理性を併せ持った人々はいました。彼等はこの世の闇の奥底から触手を差し伸ばし支配せんとする人ならざる者達の存在を知りその者達と闘ってきたのです。人の世を護る為にね。あの野獣を倒したのもそういった良識ある人々であるかも知れませんね」
「・・・複雑ですね。何処にもいい人もいれば悪い奴もいるんですね」
本郷は首を捻りながら言った。
「この地方はカトリックの勢力が強かったせいかドイツやイギリスなんかと比べると魔女狩りは少なかったんですけどね。それでもあることはあったみたいですけど」
巡査長が口の端を僅かに歪めつつ言った。
「野獣騒ぎの頃も魔女狩りの再来を危惧する声がありました。また『火刑法廷』が始まるのかと」
火刑法廷とはルイ十五世の曽祖父太陽王ルイ十四世の時に実際に開かれた密室裁判である。
この密室裁判の発端はルイ十四世の愛人の一人が王の寵愛を得られなくなり自身の権勢に翳りが見え始めたことがそうであった。
焦った彼女は一人の老婆の下は行った。この老婆の名をラ=ヴォアザンといった。表向きは薬や占いで生計を立てる善良なっ何処にでもいる老婆だったがその正体は黒魔術をもとにしもぐりの堕胎や毒薬、そして暗殺等陰の仕事を司る組織の大元締めだったのだ。
彼女は寵妃に国王の暗殺を持ちかけた。寵妃さ最初は狼狽したもののどうせ寵愛が戻らないのなら、とその計画に同意した。やがて彼女は老婆の主催する黒ミサにも出席し赤子の生き血で全身を濡らし歓喜に打ち震えるようになる。
計画は極秘のうちに進められ国王の命は誰もが知らぬうちに冥皇の下に送り届けられようとしていた。だが些細なことからこの計画は暴かれることとなった。
宮廷に一人の神父が駆け込んできた。彼の顔は雪の如く真っ白であった。彼の口から話される事はそれを聞く者の顔を彼のそれと同じものにするには充分であった。
彼が信者の懺悔を聞いているとある者が徒党を組んで国王を魔術で殺そうとしていると告白したのである。顔こ見えないが手や服を見る限りかなり高貴は身分の者であると悟った。
本来ならば信者の懺悔は自らの心のうちにしまっておくのが神父であるが彼はこの怖ろしい計画に怖れをなし宮廷に駆け込んだのであった。彼のこの行動は正しかった。結果としておぞましい悪の者達が炙り出されたのだから。
神父から話を聞いたルイ十四世はすぐさま動いた。自ら指揮を撮りこの事件の捜査にあたった。次々と政府や宮廷の要人達が捕まえられる。その中にはあの寵妃の姿もあった。
取調べは松明が点てられている窓もない密室で執り行われた。『火刑裁判』の名はこの松明から来ている。
その取調べは過酷であった。様々な惨たらしい拷問器具で責め抜かれ人のものとは思えぬ絶叫と鮮血が密室を彩った。やがてフランスだけでなく欧州全土に広がる黒魔術を信奉する組織が活動していることが明るみにされた。捜査は大変な方向へ向かっていった。
闇の世界の女帝ラ=ヴォアザンは火刑に処され寵妃は処罰こそされなかったものの完全に権勢を失い汚名の中に死んだ。一連の捜査が終わり闇の組織も壊滅したと見た国王はこの事件に関する全ての資料の処分を命じた。あまりの怖ろしさに後世への影響を恐れたのではないかと言われている。
「『火刑法廷』ですか。あの頃でも魔女狩りは既に忌々しい過去の遺物だったのですがね」
巡査長が暗い顔のまま言った。
「あの時でもそういった本当の意味での異形の者達との闘いは行われていたのです。滅多に表には出ないだけで」
「・・・今回もそうですかね」
本郷が彼にしては珍しく暗い顔で言った。
「否定は出来ないね」
役は一言言った。そして四人は捜査室へ入っていった。
窓一つ無く密閉された部屋であった。奥に白いボードがありそこに数枚の写真が貼られている。中央に置かれたテーブルには地図や写真、被害者の資料等がある。
「こういった部屋まで我が国のとそっくりですね」
思わず本郷は苦笑した。
「では今後の捜査等についてもう一度じっくりと話し合いましょう」
警部がテーブルの前に来て言った。
「ええ」
一同はテーブルにつき今後の捜査について暫くの間話し合った。やがてドアをノックする音が聞こえてきた。
「どうぞ」
一人の制服の警官だった。部屋に入ると敬礼をした。
「お客様が来ておられます」
「誰に?」
「御四方にです」
「全員に?誰だ?」
「カレー氏です」
「・・・彼か」
警部の顔が曇った。
「例の暗殺者の一族の者ですね」
本郷が小声で尋ねた。
「ええ。前に言った通りこの事件に妙な関心を抱いていましてね。まあ会うのを下手に断っても悪いことはあってもいいことはありません。行きますか」
「はい」
かくして四人は捜査室をあとにし面会室に向かった。
ドアをノックするどうぞ、と入室を促す声がした。署長の声だった。
「署長も御一緒か?」
警部の目が少し見開かれた。
「何か重要な話なのか?」
四人はそう感じたが顔には出さずそのまま入室し礼をした。
絨毯が敷かれ花が置かれ多少贅をこらしたソファが二つ、そして木のテーブルがある。署長はドアの方のソファーのところに立っていた。
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