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魔狼の咆哮

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第二章その二


第二章その二

 もう一方のソファーにその者はいた。波がかった黒い髪を顎の長さまで伸ばしている黒い瞳の青年である。歳は二十七八といったところであろうか。雪の様な白い肌を持ち紅の薄い唇である。眉目は秀麗であり全体的に華奢で中世的な印象を与える。背は一般のフランス人の男性と比べてもやや高いか。高そうな濃青のスーツと濃い赤のネクタイに身を包んでいる。一見すると若い高貴な出自の者に見える。
 だがそうでないことはその秀麗な黒い瞳にあった。冷たい光を放つその瞳はまるで野獣の様に爛々と輝いている。それでいて人のものとは思えぬ程動きが無くガラスの様な印象さえ与えている。しかしその強い光が生ある者の眼であると教えている。残忍さと冷酷さが同居した不気味な眼だった。
「警部と巡査長は私のことを御存知ですね」
 青年は二人を見ると微笑んだ。顔の筋肉だけで。眼は全く笑ってはいなかった。
「はい」
 二人は答えた。声にこそあらわしはしなかったがあまり快くはないようだ。
「あとのお二人は日本の方ですね」
「はい、ほ・・・」
「本郷忠さんと役清明さんですね。日本の京都から来られた探偵さんですよね」
「え?は、はい」
 二人が名乗る前に青年は二人の名を呼んだ。
(何故俺達の名前どころか仕事まで知っているんだ?)
 本郷はいぶかしんだ。不気味にさえ感じた。だが表には努めて出さないようにした。表に出したらならそれこそ自分の全てを覗かれる気がしたからだ。
「この地でワインの製造及び販売を営んでいるシラノ=ジュエット=ド=カレーです。今後とも宜しく」
 名乗ると右手を差し出してきた。
「こちらこそ」
「どうぞ宜しく」
 二人も手を出し握手し合う。冷たい手だった。まるで死人の手だった。
「ようこそフランスへ。お仕事であまり時間は無いと思いますがゆっくりと楽しんで下さい」
「こちらこそ。ところでカレーさんは署に用事があったのですか?」
「ええ」
 カレーはまた顔の筋肉だけで笑った。
「また少女が惨殺されたと聞いたので。それもこのすぐ近くの村で」
 その漆黒の眼がぎらりと輝いた。
「はい。無残な状況でした」
 署長が憮然とした声で答えた。
「そうですか。またしても」
 落胆と追悼の色を込めた声で言った。しかしその瞳に一瞬歓喜の色が浮かんだのを役は見逃さなかった。
「まるで殺すのを愉しむかのように。野獣そのもののように」
「野獣、ですか」
 役の言葉にカレーは反応した。眼が一層不気味な光を強めた。
「日本から来られた方なので御存知無いかも知れませんがこのジェヴォダンにはかってこの地を恐怖のどん底に陥れた怪物がいたのです。その怪物の名は・・・」
「『ジェヴォダンの野獣』ですね」
 本郷はやや五月蝿そうに答えた。
「そうです。それならば話は早い」 
 カレーはまた顔だけで笑った。
「今回の一連の事件はあの野獣を彷彿とさせます。これは代々この地に住む者として看過出来ないことです」
 真摯な声で言った。
「及ばずながら一市民としてこの事件に協力させて下さい。今回はそれを御願いしにここまで来ました。署長、よろしいでしょうか」
「喜んで。市民の方々の協力程有難いものはありませんし」
「では御願いします。何かあればこちらに電話を」
 名刺を差し出す。自身が経営するワイン製造会社の名刺だ。その電話番号、そしてカレー自身の携帯の番号も書かれている。左上にはカレーの写真がある。
「名刺ですか。日本風ですね」
「日本に仕事で行った時便利なものだと思いましたので。真似をさせて頂きました」
 やはり顔だけで笑いつつ言った。
「何かあれば何時でも電話して下さい。それでは私はこれで」
「はい」
 握手の後会釈をして部屋から出て行った。五人はそれを見送ると捜査室へ移った。
「捜査への協力か、やれやれ」
 立ったまま本郷が肩をすくめて言った。
「かの野獣が暴れ回っていた頃あの一族は何かと捜査を妨害していたと言われていますからね。祖先の不名誉を晴らしたいのでしょう」
「祖先の!?」
 署長に対し二人は思わず声をあげた。
「はい。カレー家は野獣がこの一帯を騒がせていた時捜索隊や討伐隊の行動に何かと介入し捜査を遅らせていたのです。それはまるで野獣を庇う様であったと言われています」
「庇う、ですか」
「代々フランス国王の陰の切り札として暗躍してきたカレー家の発言及び行動は国王といえどもむげには出来ませんでした。これにより野獣に対する捜査がかなり遅れたと言われています」
「成程。何が目的でその様なことを?」
「それはわかりません。野獣と何か関係があったのではないか、と噂する声もあったようですが何分相手がカレー家だったので面と向かっては言えなかったようです」
「でしょうね。そしてカレー家は歴史の陰で暗躍しつつ今に至る、と」
「はい。事の真相は謎のままです。しかし今回はカレー家はあの様に妙に積極的に動いています」
「カレー家自体が変質したのかそれともあの人狼について知っている事があるのか」
「気になりますね」
 五人はテーブルの上に置かれた資料を前に思案に耽った。
 「それにしても俺達のことまで知っていたとは驚きですね」
 署長達が去った捜査室の端にテーブルを置き本郷と役は昼食を採りつつ話をしていた。わざわざ運んできてもらった。玉葱と人参のコンソメスープとサラダ、大蒜や胡椒を効かせた兎と香草の照り焼きである。
「うん。我々への自分達への実力誇示だろう。これだけの情報収集能力を持っているとね」
「そして妙な行動をするな、と。あからさまにやってくれますね」
 フォークで肉を押さえ切る。肉汁が切られた部分から溢れ出してくる。
「陰から色々やって来る風に思えたが少し違うようだな。下手をすると捜査に圧力を掛けて来るかも知れない」
「圧力、ですか」
 肉を口に運ぶ。口の中に肉の旨味と香辛料の香りが広がる。
「それで済めばいいかも知れませんね。代々刺客を務めてきた家です。人知れず姿を消し数日後川に浮かんでいた、なんてことにならなければいいですけど」
「それは考え過ぎではないかな」
 スプーンでスープをすくい飲む。牛の骨からとったものである。
「だといいですけどね。あの冷たい手を味わうと」
「・・・確かに冷たかったな。生きている者の手とは思えないな」
「もしかしてと思いますけどあいつ本当に人狼と関係があるんじゃないですか?警部さん達から話を聞く限りこの事件に異様な関心を持っていますし」
「その可能性は否定出来ないな」
 パンを手で千切りつつ言った。
 
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