魔狼の咆哮
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第三章その一
第三章その一
第三章 古都に響く叫び
「とするとアンリはカレー家の中でも特に祖先の血が出てしまった者なのですか」
ベルサイユに向かう列車の中で役がカレーに尋ねた。
「はい、アンリはそういう意味で我がカレー家の中でも最も純粋な者なのです」
北欧の古の神々の中にロキという神がいた。巨人族の血を引きながらも美しく頭の回転が早い神であった。主神であるオーディンの義兄弟でもあり数々の機知と手柄により神々を救ってきた。
炎も司り今なお人気の高い神であるが彼には大きな問題があった。それは彼自身の性格である。
元より純粋な神の少ない北欧の神々であるが特にこのロキは神とは別の血が濃かった。巨人族、いやその炎の血が濃かったのだろうか。
炎は現われまた消える。人や物を暖めるが燃やしてもしまう。悪く言えば気まぐれである。
そう、炎を司るロキもまた気まぐれな性格であった。不和と争いを好む嵐と戦の神オーディンの助手として動くうちはまだ良かったが次第に独自の行動を取るようになっていく。やがて彼の元を炎に身を変えて去っていった。
やがて神々の黄昏『ラグナロク』が訪れる。その時彼は炎となって神々の住まう天界を焼き尽くすと言われている。彼は世の滅亡を司る邪神でもあったのだ。
そのロキには巨人族の女アングルボグとの間に三柱の邪神の子供達がいる。黒狼フェンリル、世界蛇ヨルムンガルド、冥府の女ヘルの三柱である。いずれも世界を滅亡を招きかねない恐るべき力を持った神であった。
その中でも黒狼フェンリルの力は絶大であった。神々が恐ろしさのあまり目を離せず常に側に置き魔法の紐でくくり監視していた程である。
それでも彼はラグナロクの時には束縛から解き放たれ自身を縛っていた神々への復讐に向かうと言われている。そして主神オーディンを丸呑みにしてしまうのである。
そのフェンリルの血を引く者達がいた。彼等は偉大なる祖先の世界を滅ぼす程の力は受け継いではいなかった。だがそれでもなおその力は強大であり魔性の者に身を落としてもなお絶大な力を誇った。魔界でも一つの勢力を築いていた。
彼等の本来の姿は祖先と同じ黒狼の姿をしていたが自在にその姿を変えるとこが出来た。これは高位の魔族ならば誰でも可能であるが彼等は次第に人と狼を合わせた様な姿を好むようになった。これが人狼の始まりであった。
彼等は人界に降り立つとその絶大な力を誇示することでこの世界における勢力を築いていった。まるで祖先の力を甦らせんとする様に。
やがて彼等の持つその力に憧れる者達が現われた。これは至極当然の流れであった。
魔術や呪いで変わろうとする者もいれば狼の皮を被りその力を得たうえでなろうとする者もいた。だが真実にその力を得た者はいなかった。人狼とは人ではなく邪神の血を引く存在なのであるから。
カレー家の祖先もそうした魔界の生粋の人狼であった。一族の中でも特に人界にいることの多かった彼は次第に人の世界に対して興味を持つようになった。そして当時フランスでその権限を強めつつあったフィリップ二世に素性を隠して近付き配下となったのだ。その後は王の陰の切り札として活躍しフランスの王権の拡大と安定に貢献した。その功により爵位と領土を与えられたのは陰の世界では知られたことである。
彼は王に人の伴侶を与えられた。これは彼の真の姿を知らぬ故仕方の無いことだったのだが彼はそれを拒まなかった。否、寧ろ大いに喜んだ。
彼は妻にもその正体を明かさなかった。だが生まれた我が子にはその歳が十に達した時に教えた。その時まではあえてその正体を魔力で封じていたのだ。これは我が子に対してもそうであった。後に妻にもそれを明かした。本来ならば卒倒したであろう。しかし奇なるかな、彼女もまた古の魔女の血を引く家であったのだ。彼女は喜んでそれを受け入れた。
これ以降カレー家の者達は人界において魔性を持つ血筋と結ばれていった。人と交わるにつれてその魔力は薄れ人狼へ戻ることも叶わなくなったがそれでも良かった。彼等は表向きは人として生きることを望んだのであるから。
だがやがて祖先達が持っていた人狼へ戻る力を持つ者が生まれた。その時にはフィリップ二世のカペー朝ではなくブルボン朝の世であった。ルイ十五世の時代であった。
「じゃああの伝説の野獣は」
本郷の問いにカレーは黙って頷いた。
彼は精神に異常をきたしていた。それが為に屋敷を出ては辺りの村で少女を襲い貪り喰っていたのだ。伝説の野獣の正体は彼だったのだ。
当時のカレー家の当主は彼の兄だった。弟の行動を止めたかったが血を分けた肉親であるが故にどうすることも出来なかった。逆に捜査に来た官憲の妨害をする程であった。これが弟の殺戮を更に続けさせる結果になってしまったとしても。
やがて弟は官憲に殺されてしまう。兄は深く嘆き哀しんだがどうすることも出来なかった。ただ弟の墓を掘り起こし密かにカレー家の墓地へ移すだけであった。
「それでは先に殺されたのは只の狼だったのですね」
「はい。後で殺されジェヴォダンに埋められた方が真の野獣だったのです」
カレーは表情を全く変えることなく言った。
それ以後人狼に姿を変えられる者は出なかった。突然変異なのでありそうそう現われるとは考えられなかった。しかし再び現われたのだ。
「それがアンリなのです」
カレーは話を続けた。
アンリの父はルーンの魔術を知る以外はこれといって変わった点の無いごく普通の一族の者だった。あくまでカレー家の者としてではあるが。だが彼の息子は違ったのである。
これは何者か、神か悪魔かの悪戯であったのだろうか。アンリは人狼の姿で生まれ出た。それを見た母親は発狂した。父親は己が血を呪った。しかしだからといってどうにもなるものではなかった。
アンリは発狂した母親に替わり父に育てられた。母は精神病院に入れられ程なくしてこの世を去った。人の姿を取る事も出来たので普段は人として生きていた。
やがて父から自身の血脈のことを知らされる。北欧の狼神の血を引く人狼の末裔なのだと。
父は言った。血脈なぞ何の意味も無いと。そして人として生きよと。
だが彼は人狼として生まれ己が母を狂死させた自身の血を呪った。それを忘れる為に父と同じ芸術の道へ進んだ。とりわけ絵画でその才を発揮し将来を渇望されるまでになった。だがここで彼は別のものをも開花させてしまった。
殺意への欲望、それはふとしたはずみで生じる時がある。ある絵に映し出された殺戮と陵辱の姿、異形の者達、それを見たアンリの心に何かが棲み付いた。
同時に必死に押さえ込んでいた筈の自身の血脈への憎悪が甦ってきた。己を化け物として世に送り出した忌まわしい血脈への。それは抑えられるものではなかった。
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