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9部分:第九章
第九章
「夕食に何か御不満でも」
「いえ、そうではないです」
「ただ」
二人は美女に応えて言うのだった。
「予想通りでして」
「それで声をあげた次第です」
「予想通りといいますと」
「実はですね」
本郷が美女に応えた。
「さっき部屋で話していたのですよ」
「お話をですか」
「ええ、どういったメニューが出るか」
「そう話をしていたのです」
役も美女に述べてきた。
「それで出て来たのがその予想と全て同じだったので」
「それで驚いたわけです」
「そうだったのですか」
美女はそれを聞いてまずは安心したようであった。しかしここでも声に抑揚はなく表情も変わりはしない。二人は密かにそれも見ていた。
「それだといいのですが」
「しかしあれですね」
本郷はここで料理の話題であるがその内容は変えてきた。
「かなりの量ですね」
「そうでしょうか」
「日本の比ではありません」
くすりと笑って美女に告げた。
「これだけの量は。少なくともレストランでは」
「出ませんか」
「日本人はよく少食と言われます」
これは実際によく言われることである。当然ながら個人差というものがあるのだが日本人はおおむね少食であるとされる。これは同じような体格の韓国人と比べてもかなりのものになっている。
「それを考えますと」
「そうですか」
「ただ。個人差があります」
本郷はそのくすりとした笑みでまた美女に告げた。
「個人差が。あるのです」
「では貴方達はどうでしょうか」
「俺はその例外です」
そう美女に答える。
「私もです」
「貴方もですか」
「はい。こう見えてもかなりの量を食べることができます」
役もまた美女に述べてきた。
「それで日本では苦労もしていますが」
「そうなのですか」
「ですから量に関しては御安心下さい」
本郷はあらためて美女に述べた。
「多い分には何の心配もいりませんから」
「それならばいいのですが」
美女は本郷の言葉を聞いて安心したようであった。やはりそれは表情からも顔からも読み取れはしない。それに見れば彼女はその食べ方も実に無機質なものであった。
「ところでですね」
「はい」
本郷はここで話を変えてきた。丁度ギドニーパイを食べている。
「一つ聞き忘れたことがあるのですが」
「何でしょうか」
「まだ名前を聞いていませんね」
そうなのだった。今本郷はそれを思い出して美女に対して問うたのである。それは実は役も気付いていたが問う機会がなかったのである。それに代わる形で本郷は美女に問うたのである。
「そうでしたね」
「はい。それでですね」
本郷は言葉を続ける。
「御名前を御聞きしたいのですが宜しいでしょうか」
「エルザといいます」
「フロイライン=エルザですか」
本郷はあえてドイツ風に呼んだ。フロイラインとは英語で言う『ミス』と同じ意味である。日本語に訳すと『お嬢様』といった意味になる。
「そうです。エルザ=フォン=リンデンバウム」
彼女はそう名乗った。
「それが私の名前です」
「リンデンバウムですか」
本郷はそれを聞いて考える顔になった。見れば役もである。
「何か」
「いえ、日本でもよくある木でして」
「リンデンバウムがですか」
「はい日本では菩提樹と呼びます」
ドイツ語であえて菩提樹と呼んでみせた。これは本郷の気配りである。
「ですがドイツではそう呼ぶのですね」
「私の好きな木でもあります」
「そうなのですか」
「気付いたらいつもその木の下にいます」
ここでエルザは少し変わったことを述べてきたのである。
「気付いたら?」
「この城の近くに一つ大きなリンデンバウムがありまして」
そう二人に対して語りはじめた。
「気付いた時はいつもそこにいるのです。私は身体が弱くて」
「身体がですか」
「それでよく倒れるのです。兄の言葉では貧血のせいだそうです」
「おや?」
本郷は今のエルザの言葉でまたあることに気付いた。
「お兄さんはお医者様ですか」
「はい、そうですが」
これははじめて聞くことであった。見れば役もビールを飲む手を止めていた。そうして黙ってエルザの話を聞いていた。
「それが何か」
「いえ、はじめて御聞きしまして」
本郷はそうエルザに答えた。
「それでなのです。少し驚きました」
「そうでしたか」
「はい。驚いたのなら申し訳ありません」
「いえ、それは」
エルザはそれは気にはしていないようであった。もっともここでも表情を変えることは全くないのであるが。あくまで表情は変わらない。
「御気になさらずに」
「有り難うございます。それでですね」
「はい」
「今日は有り難うございます」
部屋に泊めてくれていることに礼を述べたのであった。
「おかげで助かりました」
「本当に」
役もエルザに対して礼を述べてきた。
「こうして御馳走までしてもらいまして。有り難うございます」
「御礼を言うべきなのは私の方です」
「貴女の方こそ?」
「はい。私は身体が弱いので」
それはさっき話した通りであった。本郷も役もエルザの白い顔を見ている。そこにはいぶかしむものがあったが彼女はそれに気付いていないようであった。
「こうしてお客様が来て下さることは何よりも嬉しいのです」
「そうだったのですか」
「はい、寂しい思いをしなくて助かります」
そうした理由からであった。
「いつもは兄が一緒にいてくれるのですが。それに使用人達も」
「そうですか」
「はい」
本郷と役はここで周りに控える三人程のその使用人達を見た。いずれもメイドの服を着た若く美しい金髪の娘達であるがやはり無機質な感じであった。表情が一切なく必要な動き以外は全くないのだ。それには呼吸さえ含まれていた。呼吸すらも乏しいように見えるのだ。
「彼女達がいてくれるのにこうしたことを言うのはいけませんよね」
「まあそうですね」
それに本郷が応えた。
「一人でいるよりは何人かでいる方が遥かにいいものです」
「それはわかっているつもりですが」
「わかっておられればそうは思われないことです」
今度は役が言ってきた。
「それで宜しいでしょうか」
「わかりました」
表情のないまま役の言葉に答えるエルザであった。
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