エリクサー
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
5部分:第五章
第五章
「不思議なことにな。かなり手入れはされているというのに」
「そうですか」
「その城でいいか?」
役はこう本郷に尋ねてきた。
「今夜は。どうだ?」
「贅沢言ってもいられないでしょう」
それに対する本郷の言葉は最初から変わってはいなかった。
「雨露を凌げるのならそれで贅沢は言いっこなしってことで」
「わかった。それならな」
役も彼の言葉に頷く。こうして二人はその城に向かうのであった。
一時間程歩いて城の前に着く。そこは小さな村を右手に見るあまり大きくはない城であった。見たところかつては一介の騎士が住んでいた城のようである。城の周りを水掘が囲んでおり門には橋がかけられている。
「小さいですけれど形はいいですね」
「君も思うか」
「ええ、まあ」
役の言葉に答える。見ればその城は確かにあまり大きくはないが形自体はかなりいいと言えた。色は白く塔の形が整っている。下手な教会よりも見事な美しさであった。
「ゴシックでしたっけ」
本郷はふとかつての欧州の建築様式を口にした。
「この時代は」
「そいや、違うな」
しかし役はそれは否定した。
「あれは十二世紀にフランスではじまっている。だからそれには少し早いな」
「そうですか」
「しかし。それでもだ」
役は城の尖った塔や飛び控えに似た壁を見て呟く。それはそのままゴシックを思わせるものであったからである。
「ゴシックの元になっているものは取り入れているな」
「それを考えるとこれを建築させた人はかなり建築のセンスを先取りしたんですね」
「そうなるな。どちらにしろかなりセンスがいい」
それは役も認めるとことであった。
「この城は」
「少なくともドイツって感じはしますね」
「君はそれがいいのか」
「やっぱりね。ドイツっていいますと」
微笑んで役に答える。
「堅実でそれでいて格好いいってイメージがありますから」
「日本人にはドイツにそうしたイメージを持っている人間が多いな」
「そういえばそうですね」
それに本郷も同意して頷いた。
「それで今回の旅行先に選びましたし」
「そうだったのか」
「他にあります?」
逆に役に対して問い返す。城の門を前にして。
「ないですよね」
「日本人ではそうか」
役は自分の本来の姿からその言葉を述べるのであった。
「どうしてもな。そうしたイメージを持ってしまうか」
「ワーグナーにしろベートーベンにしろ」
本郷は今度はドイツが誇る音楽家達を出してきた。
「そうしたイメージを持たせていますよ、ドイツに対して」
「そうだな。私にとっては」
「どうなんですか?」
「森と城のイメージが強い」
そう本郷に答えた。
「それも今よりもずっと深い。深い深い森だ」
「そうなんですか」
「かつては一面が森だった」
こうまで言うのであった。
「ドイツの中に森があるのではない、森の中にドイツがあった」
「そんなにですか」
「私の中ではそうだ」
そう述べた。
「日本人とはそこが違うな」
「ですか。ところで」
話が一段落ついたところで本郷は役に声をかけてきた。
「そろそろ城に入りませんか」
「そうか」
言われてそのことをようやく思い出したようであった。
「そうだったな。この城を宿にするのだからな」
「そうですよ。その為に城を探したんですし」
「その通りだ。では中に入るか」
「はい」
役に対して頷いてみせた。
「それじゃあそういうことで」
「では中に入ったら」
役は一歩足を踏み出して言う。
「夕食にしよう」
まずは何よりもそれであった。
「何か食べないと終わりはしない」
「そうですよね、やっぱり」
本郷もその言葉を受けて微笑むのであった。
「腹が減っては戦ができぬっていいますし」
「特に君はそうだな」
本郷のいる後ろを振り向いて声をかけた。
「食べなければどうしようもないな」
「死んでしまいますよ」
楽しげに笑って役に答えた。
「それも俺の場合は自分の体重の半分は食べないと」
「土竜ではないのか、それは」
土竜は毎日己の体重の半分だけのものを食べなければ死んでしまう。勿論本郷はそんなことはないのであるが冗談めかして言っているのである。
「まあそれはいいじゃないですか。とにかく」
「うむ。まずは何よりもだ」
雨露が凌げる場所が必要なのであった。
「中に入ろう」
「そういうことですね」
こうして本郷も城の中に入った。しかしここでその誰もいない筈の城の中から声がしてきたのである。
「あの」
「むっ!?」
「あれ、先客かな」
本郷は城の中に誰かいるとは思っていなかった。それは式神でこの城を見つけた役も同じであった。しかし今その誰もいない筈の城から声がしたのであった。
「どちら様でしょうか」
「どちら様って言われても」
それに本郷が応える。
「ただの旅人ですよ」
「旅行の方ですか」
「ええ、まあ」
その声に応える。声は若い女のものであり城の中から聞こえてくる。しかし城の中は真っ暗になっていて中までは見えない。そこから声が聞こえてきているのである。
「そうですけれど」
「どちらから来られました?」
「日本からです」
本郷は素直にこう答えた。
「京都って街からですけれど」
「そうですか、日本の方ですか」
女はそれを聞いて何か感じが変わった。本郷も役もその感情の変化が警戒から穏やかになったのも感じたのであった。
ページ上へ戻る