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16部分:第十六章


第十六章

「わかっているではないか。それでは行くぞ」
「はい。それでですね」
「今度は。何だ?」
「飲むのは何にします?」
 本郷は今度はそれを尋ねてきたのであった。
「飲み物ですけれど。何がいいですか?」
「ワインだな」
 役は少し考えてから彼に答えるのであった。
「今はそうした気分だな」
「ビールじゃないんですね」
 本郷はそれを役に問うのであった。
「ドイツはワインもいいからな」
「まあそうですけれど」
「といっても。それは西の話だが」
 一応こう前置きはするのだった。
「それでもだ。東にもワインはある」
「一応は、でしょうか」
「モーゼルと比べるとマイナーだがな。それでもな」
「味は結構いけるんでしたっけ」
 本郷にとってはそれが一番重要なので尋ねるのであった。
「ここのワインも」
「そうだ。だから安心していい」
 そう答えて彼を安心させた。
「白がいいか?赤がいいか?」
「赤ですかね」
 本郷は少し考えてからこう答えた。
「やっぱり肉料理でしょうね」
「それはまず確実だな」
 まず魚は出ない、それは二人共わかっていたのだ。
「この辺りは魚はあまり食べないからな」
「じゃやっぱり牛とか豚ですね」
「ドイツ料理は海に関しては弱い」
 フランスやイタリアに比べればかなりだ。だからこれは仕方ないのであった。海に乏しいのならば結果としてそうなってしまうのである。
「だから。肉なのは間違いがないな」
「それはそれでいいですけれどね。じゃあそろそろですよ」
「ああ、もうか」
 何かあまり歩いた気がしなかったがそれは二人が健脚だからだ。普段からあちこちを歩き回って仕事をしているから自然とそうなるのである。
「早いな、案外」
「確かですね」
 本郷はここで地図を見て言うのだった。
「そうそう、もう目の前にありますね、そろそろ」
「ではあの店か」
 役はそれに応えるかのように正面にあるこじんまりとした店を指差した。見れば古い煉瓦造りの建物でそのまま童話に出て来そうな感じの外観である。二人はその店の外観を見た。それから本郷が口を開いて何か思い出したように言うのであった。
「何かですね」
「どうした?」
「いえ、狼と三匹の子豚に出て来る家みたいだなあって」
 彼が思い出したのはその童話であったのだ。日本でも誰でも知っているあの童話だ。
「ほら、あの二匹の子豚が最後に逃げ込む兄弟の家ですよ」
「狼を退けたあの家か」
「はい、そんな感じですよね」
 本郷はあらためて役に言った。
「この建物って。他にも色々な童話に出てきそうですが」
「まあそうかもな」
 役も本郷のその言葉は否定しないのであった。
「そうかなって。ああ、そうですね」
「気付いたな。グリム童話だ」
「そうでしたね、あれはドイツでした」
 本郷もそれを思い出したのだ。グリム童話は日本でもよう知られているがドイツでの童話だ。だからそこに出て来る家もドイツのものなのである。
「じゃあそれを思い出しても不思議じゃないんですね」
「そういうことだ。もっとも私達はその豚を食べるかも知れないがな」
「今から」
「豚が多いな、本当に」
 役もそれをあらためて考える。
「ドイツ料理は」
「牛は思ったより少ないんですね」
「農作業に使っていたからな、昔は。それに」
「乳業にも使いますしね」
 だから牛は比較的食べられなかったのである。肉を食べてしまえばそれで終わりである。しかし農作業に使ったりその乳を飲んだり食べたりすれば幾らでも使える。そうした意味で牛というのは非常に使える生き物なのである。少なくともそう簡単に食べたりするわけにはいかない動物なのであった。かつては。
「だからですね」
「豚はどうしてもそうなるからな。だが何はともあれ」
「はい、入りましょう」
 本郷も言うのであった。
「歩いたせいか腹が減りましたし」
「私は喉が渇いた」
 二人は求めるものはそれぞれ違うが求めるものがある場所は同じであった。それが今目の前にあるその童話に出てきそうな家なのである。
「じゃあまあとにかく」
「中に入るぞ。いいな」
「ええ、是非」
 本郷はにこりと笑って答える。
「入りましょう」
 こうして二人は店の中に入った。店の中は落ち着いた家庭風の造りで外観よりも広い中身であった。木造りの椅子やテーブルがいい雰囲気を醸し出していあ。店のコックと思われる親父もおかみも気のよさそうな外見でありそれもまた如何にもドイツの家庭料理の店らしかった。まずはそれ等が二人にとって非常にいい印象を与えるのであった。
「いらっしゃい」
「どうも」
 本郷がにこりと笑っておかみの言葉に応えた。そうして役と共にそのおかみが薦める席に向かいそこに向かい合って座るのであった。
「何にしましょうか」
「そうですね」
 本郷はここでメニューを開く。だが役はそれより前におかみに対して言うのであった。
「そうだ」
「はい?」
「まずワインは赤で御願いします」
「赤ですか」
 おかみはそれを聞いて満足気な笑みになった。そのうえで役に対して言葉を返してきた。
「お兄さんアジア系のようだけれど」
「日本人です」
「ふうん、日本人なのかい」
 日本人と聞いてあらためて奇異な目になっていた。まるで珍しいものを見るかのように。
 
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