エリクサー
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13部分:第十三章
第十三章
食堂に着くとそこには。二人の男女がいた。一人はエルザでもう一人は見事な濃青のスーツに身を包んだ美青年であった。見事な金髪に彫刻めいた整った顔立ちに青い湖の目を持っている。顔は細くそれが中性的な印象を与えている。座っていてもわかる長身であり何処かエルザに似た印象も与える若者であった。
「グーテンモーゲン、フロイライン」
「グーテンモーゲン、ヘル」
二人とエルザがまず朝の挨拶を交えさせた。ドイツ語での挨拶であった。
「昨夜はよく眠れたでしょうか」
「はい、おかげさまで」
本郷が彼女に応えた。
「よく眠ることができました。身体もかなり軽いです」
「そうですか。それは何よりです」
エルザはそれを聞いて応える。それでも表情の変化も声の抑揚も全く見られないものであった。これが昨夜と全く同じものであった。
「それでですね」
「はい」
話がさらに続く。
「兄が帰って来ました」
「お兄さんがですか」
「はじめまして」
それまで黙っていた若者が二人に声をかけてきたのであった。
「エルザの兄です」
「どうも」
「はじめまして」
彼が一礼すると二人もそれに返礼してから言葉を贈るのであった。
「ハインリヒ=フォン=リンデンバウムといいます」
「ヘル=ハインリヒですか」
「そうです」
役の言葉に頷いてみせる。
「ハインリヒでもヘルをつけられてもどちらでもいいですが」
「わかりました。それではヘル」
役はそれに応えて彼をヘルと呼んでからまた問うた。
「昨夜からお邪魔しているのですが」
「それは妹から聞いています」
ハインリヒの方で役に対してこう述べてきた。
「私のことを御聞きですね」
「ええ、ドクトル」
今度は本郷が応えたがこの時彼をドクトルと呼んでみせた。
「そういうことです」
「それでは話が早い」
エルザとは違っていた。ハインリヒは本郷の言葉を受けて穏やかな笑みを浮かべてみせたのであった。それは実にいい意味で人間らしい笑みであった。
「私からの提案ですが」
「ええ」
「それは一体」
「ここに暫く滞在して頂けるでしょうか」
彼の方から言ってきたのであった。
「宜しいのですか?」
「はい。当然ですが宿泊料といったものもいりません」
また随分と気前のいい話であると思われた。実際にハインリヒはこの城を見る限りではかなり裕福な生活を営んでいるようである。それは城からだけではなく彼の服装や食事からもある程度はわかるものであった。
「滞在して頂けるだけでいいのです」
「また随分といい条件ですね」
本郷もそれは思うのだった。
「日本にはそんな気前のいい人はいませんよ」
「おそらくドイツにも滅多にいないでしょう」
ハインリヒはまた笑って二人に言ってきたのであった。
「まあそうそうは」
「確かにそうですね」
役もそれは否定しはしなかった。彼は冷静な顔をしていた。
「何か条件があるのでしょうか」
「いえ」
しかもそれも否定するのであった。
「何も」
「さらにいい話ですね」
本郷はそこまで聞いて思わず唸るのだった。朝食がまだだということすら忘れていた。これは彼にしては珍しいことであった。
「宿泊費も条件もなしとは」
「何分客人には餓えていまして」
それが理由だというのがハインリヒの言葉であった。
「それでは駄目でしょうか。私も寂しいのです」
「そうなのですか」
「ええ。仕事で外に出ている時はいいのですが」
その時はいいというのだ。だがここで二人は思った。どうやら彼はこの近辺での仕事は受け持っていはいないであろうということに。他ならぬハインリヒ自身の言葉からこれを察したのであった。
「そうでない時は実に寂しいものなのです」
「ですか」
「ここは先祖代々の土地です」
彼は言う。
「共産主義だった時もここに住むことを許されていました」
「共産主義の時代も」
役はそれを聞いて奇妙に思ったがそれを言葉にも表情にも出すことはなかった。あえてそれに気をつけて消してみせたのである。
「はい。そうなのです」
「それは有り難いことですね」
本郷も気付いたようであるがあえてそれは言わないのであった。これに関しては役と同じ対応を取ったのである。
「やっぱりあれですよね。先祖代々の場所が一番住みやすいですね」
「そうです。私としても気に入っています」
これ自体は何気ない話であった。表面上は何気ない話が続いていた。
「静かで穏やかな場所ですし。しかしやはり客人が少ないのが寂しいのです。それで」
「私達に滞在して頂きたいのですね」
「そういうことです。食べ物もあります」
それは保障してきた。
「ドイツ料理でよければ」
「そのドイツ料理がいいんですよ」
本郷は笑みを浮かべてハインリヒの言葉に応えてみせた。
「昨夜は随分堪能させて頂きました」
「ドイツ料理は御気に召されましたか」
「ええ、とても」
本郷は心からの笑顔でハインリヒに答えた。
「これは昨夜にフロイラインにもお話しましたが」
「そうだったのですか」
「それは御聞きしていなかったですか」
「申し訳ありませんが」
そう本郷に述べてきた。
「そこまで聞く時間はなかったのです」
「そうなのですか」
「ええ。とにかくですね」
役はここで話を戻してきた。
「ここに滞在して頂けますね」
「ドクトルさえ宜しければ」
あえてハインリヒをドクトルと呼んでそのうえで彼を立ててみせた。ドイツでは博士の地位が日本のそれよりも高いことを踏まえてのことである。
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