銀河英雄伝説~悪夢編
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第四十話 抜いた以上容赦はしない
帝国暦 488年 8月 25日 ガイエスブルク要塞 エルネスト・メックリンガー
『どうかブラウンシュバイク公爵家、リッテンハイム侯爵家の存続を御認め下さい』
『……』
『ヴァレンシュタイン元帥に何度も御頼みしましたが一顧だにされません、この上はリヒテンラーデ侯におすがりするしかないと思い、こうしてお願いしております』
『……』
レコーダーから声が流れている、アンスバッハ准将の声だ、声の調子は随分と切迫している。相手の声が聞こえないから誰と話しているかは分からない。だが話の内容からすればリヒテンラーデ侯ということになるが……。
『ブラウンシュバイク公爵家もリッテンハイム侯爵家もルドルフ大帝が帝国の藩屏として設立した名誉ある家柄です。しかしヴァレンシュタイン元帥にはそれが分からぬのです。ただ存続は許さぬと言うだけで……』
『反逆をした以上、存続を許されぬのは当然であろう。クロプシュトック侯爵家、カストロプ公爵家も廃絶となった』
冷酷と言うより無関心に聞こえた。確かにこの声はリヒテンラーデ侯だ。しかしこの会話は一体何を意味するのだ? 反逆をした以上両家が廃絶になる事は当然だろう、リヒテンラーデ侯とて許すわけが無い、頼むだけ無駄だ。
話の流れからすると司令長官がアンスバッハ准将を使ってリヒテンラーデ侯に接触させたようだが司令長官はブラウンシュバイク公爵家とリッテンハイム侯爵家の存続を考えているのか。ならば何故自らリヒテンラーデ侯に頼まないのだ? どうにもよく分からない。自分だけではない、司令室に居る皆が訝しげな表情をしている。
『なにとぞ我らに御慈悲を……』
『くどい、話がそれだけなら聞くに及ばぬ、切るぞ』
『お待ちください! ならば、こちらから提案がございます。両家の存続をお許しいただけるなら閣下の御望みの物を用意いたします……』
『……随分と思わせ振りな事を言う、私が何を望んでいると思うのだ』
何を提案した。皆がアンスバッハ准将を見たが准将は無表情に立っている。
『ヴァレンシュタイン元帥の命……』
レコーダーから流れる声に皆がざわめいたが司令長官が右手を上げて鎮めた。大丈夫なのか、アンスバッハとシュトライトは信用できるのか、密かに気付かれぬようにブラスターに手をかけた。フィッツシモンズ大佐もブラスターに手をかけ油断なく周囲に視線を送っている。
『馬鹿な事を、……卿は一体何を言っているのだ?』
『馬鹿な事、でしょうか?』
『……』
『平民出身の元帥、平民出身の宇宙艦隊司令長官。閣下はそれを受け入れられますのか?』
『……』
『これを受け入れれば平民は軍だけでなく官界、政界にも進出しますぞ、宜しいのですか』
アンスバッハ准将の問い掛けにリヒテンラーデ侯は沈黙している。嫌な沈黙だ、一体何を考えての沈黙なのか……。
司令室の空気が一気に重くなった。皆が険しい表情で周囲を見渡している。罠に嵌ったのではないのか、そう思っているのだろう。
『……出来るのか、あれは無双の戦上手だが』
『降伏して要塞内に招き入れます、そこでなら可能でしょう。ヴァレンシュタイン元帥は例の事故で身体を動かすのに支障が有るようです。成算は十二分に有ります』
痛いほどに皆が張りつめている。今此処で誰かが我々を襲うかもしれない、そう思うと心臓が押し潰されそうな圧迫感を感じた。
『……ブラウンシュバイク公爵家とリッテンハイム侯爵家は廃絶する、それは動かせぬ。だが事成就の暁には二年を目処に両家の再興を許す』
『おお』
裏切ったか、リヒテンラーデ侯……。
『……しくじるなよ』
『有難うございます、必ずやヴァレンシュタイン元帥を』
『うむ』
声が途切れた、どうやら終わったらしい。
「殺しなさい! ヴァレンシュタインを殺すのです! アンスバッハ、シュトライト!」
声を上げたのはリッテンハイム侯爵夫人だった。だがアンスバッハ、シュトライト准将は無言で動こうとしない。
「アンスバッハ、シュトライト!」
「それは出来ません!」
尚も司令長官を殺す事を命じる侯爵夫人の声をシュトライト准将の強い声が討ち消した。唖然とする侯爵夫人にシュトライト准将が言葉を続けた。
「リヒテンラーデ侯に貴女様達の運命を委ねる事は危険です。もしそうなればリヒテンラーデ侯は必ずエリザベート様、サビーネ様に御自身の一族から配偶者を押し付けるでしょう。御二方は子を産む道具として扱われるだけです。そうする事で皇家の血をリヒテンラーデ一門で囲い込む。宮廷政治家であるリヒテンラーデ侯にとっては皇帝と密接に繋がる事こそが権力を維持する手段だからです」
「……」
「万一、エルウィン・ヨーゼフ二世陛下が邪魔になった時には陛下を廃し、自らが権力を維持するためにエリザベート様、サビーネ様が御産みになった御子を皇位に就けようとするでしょう。その後は、エリザベート様もサビーネ様も用済み、いや邪魔者でしか有りません。御二方が御子を利用して権力を振るう事を防ぐために厳しい監視下に置かれる、或いは御命を奪われるという事も有りえます」
「……そんな、馬鹿な」
喘ぐような侯爵夫人の声に今度はアンスバッハ准将が首を振りながら答えた。
「クリスティーネ様、貴女様がリッテンハイム侯爵家で重んじられたのは先帝陛下が後ろ盾しておられたからです。残念ですがエリザベート様、サビーネ様にはそのような方はおられません。となればシュトライト准将の言うようにその御身体に流れる血のみを必要とされる事になりましょう」
「……」
二人の少女が怯えた様な表情を見せた。そして黙り込むリッテンハイム侯爵夫人にブラウンシュバイク公爵夫人が
「クリスティーネ、私達は負けたのです。その事を受け入れなさい」
と声をかけた。静かな諦観を含んだ声だ、そしてリッテンハイム侯爵夫人が嗚咽を漏らし始めると公爵夫人は彼女を抱き寄せた。……憐れな事だ、だがブラウンシュバイク公爵夫人の言う通りだろう。現実を直視し敗北を受け入れなければ危険だ。
「良くやってくれました、アンスバッハ准将、シュトライト准将。そのレコーダーをこちらに」
司令長官が声をかけるとシュトライト准将が司令長官に近寄った。
「御約束は守って頂けますな」
「もちろんです、私の覇権が続く限り、彼女達に新たな爵位と新たな領地を与え平穏に暮らせるように手配します。そして私は彼女達に或る一定の敬意を払い、肩身の狭い思いをさせる事はしない。ここに居る皆が証人です」
シュトライト准将が大きく頷いてレコーダーを司令長官に渡した。
「だから貴女達も約束して欲しい。これ以降は政治的野心を持たず、帝国の一貴族として生きて行くと。その事がこれ以後、貴女達の安全を保証する事になる」
司令長官の言葉に公爵夫人達が頷いた。
……そういう事か、司令長官は両家の安泰を条件にリヒテンラーデ侯の本心を探るようにアンスバッハ准将達に依頼した。いやむしろ裏切るように仕向けた。司令長官にとってもアンスバッハ准将達にとってもリヒテンラーデ侯は信じられる存在では無かった。だから手を組んで追い落としを図った……。
司令長官がこれまで政治的な動きをしなかったのは権力に関心が無いからではない、むしろ逆だ。権力の恐ろしさを知っているからだ。権力者の猜疑心の恐ろしさを知っているからこそ政治的な動きをしなかった。関心を示せばリヒテンラーデ侯は必ず司令長官の排除に動いただろう。
貴族連合を下し宇宙艦隊を直接率いている今こそリヒテンラーデ侯を廃す時、司令長官はそう判断しリヒテンラーデ侯を罠に嵌めた……。司令長官に視線を向けた。穏やかな表情をしている、興奮も無ければ怒りも無い。司令長官にとっては全てが予定通りなのだろう。最初からリヒテンラーデ侯を始末して帝国の覇権を握るつもりだったのだ。
「リヒテンラーデ侯が我々を裏切りました。侯にとっては我々平民、下級貴族は消耗品でしかないようです。役に立つ間は利用するが邪魔になれば排除する、所詮は道具でしかない」
「……」
皆が黙って聞いていた。
「これより帝都オーディンに向けて進撃します。帝国は一部特権階級の私物に非ず。リヒテンラーデ侯、そして彼に与する者達を排除し帝国を彼らから解放します」
言い終えて司令長官が皆を見渡した。反対する人間は居ない、皆がそれぞれの表情で賛意を示した。
「総参謀長」
「はっ」
「帝都オーディンに連絡してください。貴族連合軍は降伏したが投降者を受け入れる際に私が襲われ負傷した。襲撃者はシュトライト、アンスバッハ准将の二人、両名はその場にて射殺。私は頭部に重傷を負ったため意識不明で回復は難しいと」
「はっ」
「全軍、オーディンに向けて進撃せよ!」
司令長官の命令に全員が敬礼で答えた。
帝国暦 488年 8月 27日 帝国軍総旗艦 ブリュンヒルト エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
艦隊はオーディンに向けて進撃している。俺がテロに遭ったと聞いたリヒテンラーデ侯は俺の状態よりも犯人の事を確認したそうだ。射殺したとメックリンガーが答えるとホッと息を吐いたとか。秘密がばれることは無いとでも思ったのだろう。そして俺が意識不明の重体、回復は難しいと聞くと“惜しい事だ”と呟いた。喰えない爺だよな。
いや、喰えないのは俺も同じか、アンスバッハ達を使ってあの老人を嵌めたのだから。分かるか、ラインハルト。剣を抜くのは一度でいいんだ。そして抜いたら躊躇わずに必ず斬る! お前の様に常に抜身の剣を手に持っているような奴はいたずらに危険視されるだけだ。覇権を握った俺を甘く見るなよ、何時までも我儘が許されるとは思わない事だ。
制圧するべき場所はリヒテンラーデ侯邸、エーレンベルク元帥邸、シュタインホフ元帥邸、軍務省、統帥本部、新無憂宮……。オーディンから逃げ出す事が出来ないように三個艦隊は宇宙空間にて待機……。指示は出した、手抜かりは無い。……いやもう一つあったな、やっておく事が。
「フェルナー大佐」
「はっ」
指揮官席に座る俺にフェルナーが近寄って来た。嬉しそうな表情だな、特別任務だとでも思ったか。その通りだ、喜べ、楽しい任務だからな。傍に居るメックリンガーとヴァレリーは微妙な表情だ。危険物が近付いたとでも思っているのだろう。
「陸戦隊を指揮してください」
「承知しました。で、どちらに?」
「皇帝陛下の身柄を確保する任務を頼みます」
俺の言葉にフェルナーが頷いた。
「先にリヒテンラーデ侯の手の者が陛下の御傍に居た時は如何します。或いは血迷った馬鹿者が陛下の御命を盾に逃げ延びようとした場合は」
嬉しそうに言うな、俺を試して喜んでいるのか? メックリンガーもヴァレリーも心配そうに俺達を見ている。
「その場合はリヒテンラーデ侯は大逆罪を犯す事になります。一族皆殺しですね」
「それは」
声を上げたのはメックリンガーだった。ヴァレリーは引き攣っているしフェルナーは無言だった。フェルナー、満足か、これで。何時の間にか周囲の人間もこちらに注意を向けていた。その中にはアンスバッハ、シュトライトもいる。
「そう警告してください。陛下を盾にする事が反って危険だと理解させればいいでしょう。諦めるはずです」
誰かが息を吐いた。メックリンガーもヴァレリーもホッとしたような表情をしている。
「それでも陛下を放さない場合は? 或いは自暴自棄になった場合……」
「フェルナー大佐、私は警告と言いました。警告は一度だけです、二度は無い。望み通り大逆罪を犯させてやってください、エルウィン・ヨーゼフ二世陛下の代わりは居ます」
周囲が息を飲んだ、フェルナーが俺を見ている。俺は本気だよ、フェルナー。だから目は逸らさない。剣を抜いた以上血を見る事無しに鞘に納める気はない、ここまで来て中途半端な事は出来ないんだ、満足したか?
「……分かりました、愚か者が大逆罪を犯さないように注意いたします。しかし万一の場合、後継はどなたに?」
チラとアンスバッハ、シュトライトに視線を向けた。言外にエリザベート、サビーネは駄目だと言っている。旧主だからな、酷い事はしたくないか……。安心しろ、俺も約束は守る。人間、信用が第一だ。
「先々帝オトフリート五世陛下の第三皇女の孫にあたる方がいらっしゃいます。父親はペクニッツ子爵、その方に皇位を継いでもらいましょう」
フェルナーがちょっと驚いたような表情を見せた。俺がそこまで調べているとは思わなかったらしい。安心しろ、原作知識も有るがちゃんと確認もしている。その人物は間違いなく存在する。
「お名前は?」
「まだ決まっていません」
「決まっていない?」
フェルナーが眉を上げた。
「その方は未だペクニッツ子爵夫人のお腹の中に居ます」
艦橋の彼方此方でざわめきが起きた。
「しかし、未だ生まれていないのでは……」
「問題は有りません、総参謀長」
「しかし」
そんな不安そうな表情をするな、メックリンガー。安心させるために笑いかけた。
「既に前例は有るのです」
俺の言葉に皆が訝しげな表情を見せた。そんな例は無い、そう思っているはずだ。
「ゴールデンバウム王朝ではありませんけどね。かつて地球上の或る帝国で誕生前に皇帝位に就かれた例が有ります」
「それは?」
「ササン朝ペルシアのシャープール二世陛下です。名君と言って良いだけの業績を上げました。戴冠式は妊娠中の母親の腹に王冠を置く事で解決したそうです。問題は有りません」
「はあ」
ラインハルトは生後八カ月の幼児を帝位に即けたが俺は生まれる前だ、勝ったな。……いかん、未だエルウィン・ヨーゼフ二世は死んでなかった。
アンスバッハとシュトライトが不安そうな表情をしていた。多分ブラウンシュバイク公爵夫人達の事を思ったのだろう。手当をしておくか。
「アンスバッハ准将、シュトライト准将」
「はっ」
「あの方達を利用する事はしません、私は約束を守ります」
「はっ、有難うございます」
二人が安堵したような表情を見せた、これで良し。
「フェルナー大佐、他に確認事項は」
「いえ、有りません」
「結構、では準備をお願いします」
「はっ」
オーディンへの到着予定時間は九月十四日午前二時、俺を見た時のリヒテンラーデ侯の驚きが楽しみだ。お互い、忘れられない一日になるだろう、色んな意味でな……。
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