私は何処から来て、何処に向かうのでしょうか?
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第13話 現われたのは炎の邪鳥ですよ?
前書き
第13話を更新します。
次の更新は、
10月23日、『蒼き夢の果てに』第74話。
タイトルは、『翼人』です。
その次の更新は、
10月30日、『私は何処から来て、何処に向かうのでしょうか?』第14話。
タイトルは、『降って来たのは雨。現われたのは黒い男ですよ?』です。
初夏と言うには、あまりにも激し過ぎる陽射しに、少女は忌々しげにその強い意志を感じさせる瞳を上空に向ける。
其処には、未だ春に分類される季節にしては苛にして烈な太陽が、今を盛りとばかりに強く世界を照らし出していた。
その苛烈なまでの直射日光に、少し鼻を鳴らして不快感を露わにするその少女。
但し、その行為の無意味さに直ぐに気付いた少女が次に、その雲ひとつ存在しない遙か宇宙の深淵まで見通せるかと思われる蒼穹から自らの足元に視線を転じる。すると其処には大地……おそらく、かつては豊かな実りをもたらせた田んぼや畑だったはずの場所が、今では生命の存在を一切感じさせる事のない場所として存在して居た。
そう。無残にひび割れ、緑を感じさせる物は一切存在しない其処には、死の風が吹いていた西の街道とはまた少し違う形で、死を感じさせる大地と成っていたのだ。
但し、この乾燥状態は異常。確か、美月たちが暮らす、この白い光と言う名前のコミュニティの東には滔々と流れる大河と表現すべき河が流れて居たはず。ここから差して離れていない場所に絶えず水が流れて居る場所が有りながら、この場所は何故か、一切の水気を感じる事が出来ない不毛の場所と成って居たのだ。
「ちょっと、こんな場所で本当に雨乞いをやろうって言うの?」
かつての破壊神の少女。自称シノブが、水気を一切感じさせない、乾き切った元田んぼの土を革製のローファーで蹴り上げながらそう聞いて来る。
その瞬間。彼女の長い黒髪と、地球世界の女子高生のような水色のミニスカートの裾を、南からの熱風が僅かに弄った。
「子供たちの話では、偶には雨が降る、と言う話でしたが……」
完全にひび割れた状態を見せて居る元田んぼらしき大地に腰を下ろし、土の状態を確認していたハクがそう答えた。
その彼女が纏うのは無紋の白衣。紅の袴。そして、白い足袋。見た目から感じる通り、東洋系の神職に在る女性の基本の姿。
この炎天下で二人とも汗ひとつ掻く事もなく、白い肌は強い陽射しに溶けて仕舞う雪の如き白。
二人並んで立つ姿は、本当に清楚で儚げな印象のハクに対して、生命力の塊のような、生き生きとした活力を周囲に発して居るシノブ。
奇妙にバランスの取れていない二人組だからこそ、お互いに欠けて居る部分を表現出来るように周囲に見えていたかも知れない。
そして、立ち上がった二人が向かう先に存在して居たのは……。
木製の台に、飯や果実。そして、魚などを高く盛り上げた器を幾つか置き、その周りを注連縄で囲っただけの簡単な物。
とてもではないが、これほど酷い状態の日照りをどうにか出来るほどの準備が整っているとは言い難い状況。
「この村の状況なら、無理に農業に頼らなくても、河での漁業や、一時的になら森での収集だけでもどうにかなるんじゃないの?」
如何にも急ごしらえの聖域……注連縄の前に立ち止まったハクに対して、最後の問い掛けを行うシノブ。
そう。今、祭壇の上に並べられた御供え物の内、お米以外は白娘子の加護の元、東の河から集めて来た魚と、北の森から集めて来た果物。彼女……、破壊神の少女シノブの言うように、しばらくの間は持たせられるのは確実でしょう。
但し、彼女自身にもこの程度の言葉でハクが思い止まるとは思って居なかったのは間違いない。
何故ならば、少し首を横に振った後、
「この日照りはおそらく何らかの霊障。何か策を打って置かなければ、別の形で何らかの不都合な事態が起きて来る可能性が高いと思います」
真っ直ぐにシノブの事を見つめ返しながら、そう答えるハク。別に意気込む訳でもなければ、緊張で肩に力が入り過ぎたような状態でもない、普段通りの彼女の雰囲気で……。
まして、今朝、誰も気付かぬ内に美月の部屋に届けられて居た契約書類が、この雨乞いが無事に終わらない事の証明と成っていたのは間違いない。
但し……。
但し、それ以上は何も口にしなかったハク。
そう。本来ならば、この眼前の少女神。……伝説に語られる破壊神にして創造神に頼めば、雨を降らせるぐらいは訳がないかも知れない。しかし、彼女はそんな事はオクビにも出す事もなく、再び視線を注連縄に囲まれた聖域に目を向ける。
其処には、先にやって来て準備を行って居たはずの金髪碧眼、側頭部の上部にシニオンをふたつ……判り易く説明すると、金髪お団子頭のこのコミュニティのリーダーの巫女服と、白蛇の精。そして、聖域の維持を行う白猫の姿が有ったのでした。
☆★☆★☆
「なぁ、ハク。ホンマに、雨乞いなんて言う無茶な事をする心算なのか?」
猫のクセに妙な常識人ぶりを発揮する白猫のタマが、祭壇の下からハクを上目使いに見上げるようにしながら、そう問い掛けて来る。
ちゃんとお座りを行い、やや小首を傾けるような仕草で。
当然のようにその言葉は、ここに居る全員の代弁。
そんな白猫を抱き上げ、自らの肩の上に座らせるハク。白衣と白猫。そして、彼女の長い黒髪のコントラストが、強い光りに支配された世界で一枚の絵画を思わせるようで有った。
「陰と陽の均衡が崩れ、陽が勝ち過ぎて居るこの状況は異常過ぎます。この状況を放置すれば、更なる何か危険な事件が起きる可能性も高く成りますから」
そうして、先ほどシノブに話した内容を、彼女に相応しい柔らかな春の表情で告げるハク。
そんな彼女の事を心配げに見つめる美月。美月に関しては、この雨乞いに関しては、最初からやや否定的な様子。
但し、それでも尚、このギフトゲームに参加する事を強硬に反対しなかったのは、昨日までにハクが示した実績。
彼女ならば、このゲームに関してもどうにかしてくれるのではないか、と言う淡い期待。
プイっと言う感じでそっぽを向き、少し何かを考えながら、自らの首から掛けた銀製の十字架を右手の中指でそっと触れている破壊神の少女シノブ。
彼女が何を考えて居るのかは判りませんが、少なくともこの雨乞いに関しては、直接的な介入を行う心算はないように感じられた。
最後は自らに与えられた役割を淡々と熟す白娘子。
彼女に取ってハクは己の真名を賭けて戦った相手で有り、そして敗れた相手でも有る。そのハクが危険なギフトゲームに挑むのなら、自らの能力すべてを使用して彼女を手助けするのが当然だ、と考えて居るようで有った。
三人と一匹の意志はこの時に固まった。後は……。
その場に集まった全員の顔を順番に見つめた後、軽く微笑むハク。そして、注連縄に囲まれた聖域に彼女の白い姿が一歩足を踏み込んだ。
その瞬間、世界が変わった。
照り付ける太陽。
衣服に隠された皮膚にさえ突き刺さって来るかのような強力な陽射し。
大地から立ち昇るが如き熱気。
そして、南から吹き寄せる熱風。
世界を支配する理すべてが、この場所に辿り着いてから変わる事はない。
しかし――――
しかし、ハクが注連縄の内側に入った瞬間、確かに世界が変わった。
表面上から……。五感で感じる事の出来ない何かが、この瞬間に変わったのだ。
そうそれは……。
「まるで、欠けて居た重要な部品が有るべき場所に納まったみたい」
我知らず美月が呟く。それぐらい、注連縄で囲われた聖域内のハクはその風景の中に溶け込んで居たのだ。
ただ……。
ただ、矢張り感じる不安。まるで、簡単に足を踏み入れてはいけない禁足地と成って居た場所に、間違って足を踏み入れて仕舞ったような……。
これは本能的な恐怖。人が踏み入っては成らない領域に足を踏み込んで仕舞ったかのような、言い様のない不安感。
「あたしが昔住んで居た世界では、雨乞いをする時に水神に生け贄を差し出す地方も存在していたわ」
何時の間にか傍らに近付いて来ていたシノブが、彼女に相応しくない……。いや、破壊神で有る彼女に相応しい口調で、呟くようにそう言う。
そして、その言葉は美月が感じた不安と同種の物。
「それに、雨乞いの為に水神に対して美しい娘の生け贄を奉った地方も有るけど、その娘は片目で有ったと言う古文書も残されていたはずよね」
更に、そう続けるシノブ。
そう。元々、ハクのように左右の瞳の色が違う人間は、片方の瞳で此の世を見、もう片方の瞳で彼の世を見る、とも言われて居り、更に、神はふたつの瞳を持つ者よりも、ひとつの瞳の者を好み、ひとつ目の方が神とより親しくなれると言う記述を残した古文書も存在している。
つまり、ハクのような虹彩異色症の人間は、古来より生け贄として神に捧げられ易い存在だったと言う事。
「そんな事を言うんだったら、アンタが雨を降らしたら簡単じゃないの!」
それぐらいの事は簡単に出来るんじゃない。少し強い口調でそう言う美月。
但し、それが出来ない事ぐらい美月にだって理解出来ている。
苦しい事や困難な事はすべて絶対者や神の能力に頼り切って人間が何も為さないのなら、そんな人間に対して神は加護を与える事を止める。
少なくとも、美月が学んだ東洋系の神道の神々と言うのはそう言う存在。神に対して誓いを立て、それを貫く事に因って、彼女らの術と言う物は効果を発揮するようになる。
そう。残念ながら、人間と神の関係は一方的な支配者と被支配者の関係ではない。いや、頼り切って何も為さないのなら、飼い主と家畜と言う関係に成る。
人は神に対して誓いを立て、その誓いに因って神は人に加護を与える。人と神の関係は相互関係。一方的な支配と被支配の関係などではない。
そして、今回のハクが行おうとしているのは、その神が人間に対して問い掛けて来た試練に対する命を賭けた答え。
そんな神と人間の対話に、他の神に等しい存在が介入して来る事は許されない。
破壊神の少女、シノブは何事が言い返そうとしたが、しかし、声にしては返事を行わず、ただ黙って美月からハクに視線を移した。
その瞬間。
大きく響く柏手がひとつ。
そう。柏手とは天地開闢を示す音霊そのもの。陽の気の勝ち過ぎたこの地を正常に戻す為の……。
いや、ハクと何らかの神との対話の始まりに相応しい。
そして、おもむろにハクが言葉を発する。
「掛け巻くも畏き其の大神の廣前に申く――――」
祝詞の最初の一節。
彼女の聞き慣れたやや低いその声が、柏手に因って作り上げられた清浄な空間に朗々と響き渡る。
そう。この瞬間、終にハクに因る雨乞いの儀式が始まったのだ。
その瞬間、美月は訳の判らない何かを感じた。
恐怖……ではない。果てしない喪失感。何か、非常に大切な事を忘れているかのような……。ここまで、喉元まで思い出しかけているのに、其処から出て来ない非常にもどかしい感情。
そして何処かから聞こえて来る異常に大きな、鳥とも、それ以外の音。……そう。例えば、竹の節を抜かずに火の中にくべた時に、熱せられた竹が弾けた時の音に似た声が聞こえて来たのだ。
「美月、顕われたで」
足元から遙か上空を見つめながら、そう警戒の声を上げる白猫。その声は緊張を感じていながらも、この事態をまったく恐れて居る雰囲気を感じさせない非常に頼もしい雰囲気。
その視線の先を見つめる美月。その美月の額には、暑さからの理由だけではない汗が滲んでいた。
其処、先ほどまで雲ひとつ存在して居なかった蒼穹に存在していたのは――――
重い羽音を立て、こちらに向かって来る鈍いくすんだ血のような赤の大群。
「九頭一脚で、鶴に似たくちばしと鷹に似た羽を持つ怪鳥。口から常にちらちらと炎を吐いている」
同じように上空を見上げたシノブがそう呟いた時、再び上空より響く、驚くような大きな鳴き声。
「そして、山の精霊や悪霊を驚かせるような声。間違いないわ。あいつらはヒッポウ。すべての存在の焼滅を願う邪鳥」
そして、あいつらは火事と日照りを招くと、伝承では伝えられている。
……と、そう破壊神の少女シノブは言ったのだった。
そう。顕われたのは中国の伝承内に存在する邪鳥ヒッポウ。その数は……。いや、数えるだけ無駄なのは間違いない。
美月たちが見上げる其処には、まるで太陽から次々と生まれ出るかのような勢いで増え続けて居るヒッポウの大群が蒼穹を完全に埋め尽くして居たのですから……。
「日頃日照りを経て百姓の田作り穀作を始め、草の片葉に至るまで枯れ萎えるが故に――――」
普段の日常生活を営んでいる時とはまるで別人。背筋を伸ばす凛とした立ち姿で澱みなく祝詞を唱えているハク。その姿は神聖にして侵し難い気品を発する。
刹那、数羽のヒッポウが急激にその高度を下げ、ハクに接近を開始。
間違いない。彼らヒッポウが顕われた理由はハクの雨乞いをさせない為。このギフトゲームの相手か、もしくは相手が切って来たカードだと言う事。
しかし!
急降下に因り、今まさにハクをそのくちばしより――伝説に語られる通り炎が放たれる正にその瞬間。その内の半数までのヒッポウが冷気の刃により弾け、そのまま陰の火気へと変じて仕舞う。
但し、次の刹那。仲間の消滅など意に介す事もなく放たれる紅蓮の炎!
そう。そもそも、こいつらは陰火の精が凝り固まって誕生した異形のモノ。こいつらそれぞれの個体に仲間に対する感情はおろか、自らの生命を失う事に対する恐怖心さえ持ち合わせてはいない存在。
瞬間、轟と熱風が巻き起きる!
その炎は、進路上に存在するすべてを燃やし尽くす勢い……大気さえも燃やし尽くしながら、注連縄で護られた急ごしらえの聖域と、其処の中心に立つ黒髪の少女を嘗め尽くすかに思われた。
しかし、そう、しかし!
紅蓮の炎と聖域の丁度中間点に浮かび上がる防御用の魔術陣。水の気を帯びた防御結界がその強すぎる火気を辛うじて抑え切り、元の火気と、水気に散じて仕舞う。
「あのヒッポウは、あんたの業が招いた存在。それを、あんたがただ見つめているだけで、他のみんなに任せっきりでどうするのよ!」
最初に急降下して来たヒッポウが弾けたのは、白猫のタマが自らの能力で作り出した氷の刃で貫いたから。
そして、それに続く水気の陣は、ハクの傍らに存在する白娘子が構築した対火焔用の防御陣。確かにシノブの言うように今の所、美月は何もして居ない。
しかし、そうかと言って、
「アタシの業が呼び寄せたって、どう言う意味よ!」
自らの性で魔物を呼び出したなどと言われる謂れはない。そう強い口調で問い返す美月。
ただ、心の中では漠然とした不安が存在して居るのも事実。
何故ならば、この一連の流れ。水を得るのも、西から押し寄せて来た砂漠化の阻止も、北の森の侵食に関しても、すべて美月が率いるコミュニティが直面していた課題。
故に、その部分を指して美月の業だと言われたのなら、それは仕方がない。
しかし……。
しかし、美月の事をキツイ、つまり、昨日の出会いから変わらない視線で睨み付けて居たシノブは、美月の業と言う部分には一切、触れる事もなく、
「さっさと弓を出してあの馬鹿みたいな大きな声で鳴いている鳥を落としちゃいなさい。それが、あんたの仕事でしょう」
そんな事はアンタに言われなくても判って居る! ……咽喉まで出かかったその言葉を無理矢理呑み込み、弓を構え、矢をつがえる。
そう。身体に染みついた経験だけで、ここまでの一連の動作は意識をせずとも行う事が出来る。
矢の先端が鋭く天を目指し、弓の反りと弦の張りが力強く開かれて行く毎に、血が昇り掛けた頭が冷静に成って行くのが判る。
弓と弦が矢束いっぱいに張り詰める。
そして、張り詰めた力が美月の両腕の間で弾けた瞬間、鈴が涼やかな音色を奏で、微かな光の軌跡が矢の通った空間を指し示す。
しかし、それでは足りない。昨日、放った一矢に比べたら、それはまるで別人の一矢。
「あんたの矢は、本来、天上の楽を奏で閃光に包まれた破魔の矢を放てるはずよ!」
何故か……。いや、間違いなく美月本人の事を知って居る者の口調で、そう怒鳴りつけて来る破壊神の少女シノブ。
ただ、今まで美月が放った矢で、閃光を放ったのは昨日の矢が初めて。当然のように、鈴の音が奏でられたのも昨日が初めての事。
そんな事を何故、彼女が――――
そう美月が考えた瞬間、上空より急降下して来たヒッポウが炎を放つ。
その瞬間、美月たち以外に燃える物ひとつ存在しない大地に数本の火柱が屹立していた。周囲を灼熱に変え、火柱は見る間に砕け散り、無数の火の粉に姿を変えながらも美月たちに降り注ぐ!
「たちまちに天津御空多奈曇り、天津美津古保須我如く降りて――――」
ハクの祝詞は続く。
頭上はびっしりと覆い尽くす赤。鼓膜では受け止められない程の爆音。眼が開けて居られない程の高熱。
そう。一瞬の内に周囲に存在する大気すべてが炎に変わって仕舞ったかのように感じる。
しかし……。
しかし、同時に完全に乾き切って居た南風から、何時の間にか東からの風に変わりつつあるように、感じられた。
東からの風。大河を渡り吹き来たる湿り気を帯びた風に……。
そして、何とも表現のし難い香り。雨の降る前に感じる独特の香りを捉えたように思えたのだ。
後少しの間、持ちこたえられさえすれば……。
そう美月が淡い期待を抱いた瞬間。
それまで、数羽単位で有ったヒッポウの急降下から炎を放つ攻撃が、数百、数千規模の軍団に因る統一された動きへと変化したのだ。
その様子は、正に赤い天の底が抜けたかのような動き!
その一羽一羽の能力もさる事ながら、すべての動きが連動するかのような今のヒッポウの動きは――――
最初に放たれたタマの冷気の刃が十数羽のヒッポウと相殺。
次に白娘子の構築した水気の結界が、猛烈な勢いの炎に圧されて消滅。
そして、一瞬の均衡の後、注連縄が。その注連縄を結わえられた榊の木に炎が燃え広がって行く。
美月の細い腕がそれぞれに優美な曲線を描いて引き下ろされ、弓と弦が張りつめる。
その美月の周囲にもヒッポウにより放たれた炎が次々と着弾し、熱せられた大気が作り出す上昇気流と火の粉が彼女の顔に強く吹き付けて来た。
ここは海の底。水の代わりに炎の気のみで覆われた海の底に居るかのように、美月には感じられた。
但し!
「大神たちの神留まり坐す山々の口より狭久那多利に下し給う水を――――」
吹き荒れる熱風の向こう側からハクの祝詞を紡ぐ声がはっきりと聞こえて来る。
大丈夫。彼女は未だ健在。
白猫のタマも。当然のように白娘子の存在も感じる事が出来る。
そして、自らの背後に存在する両手を胸の前に組み、まるで睨み付けるような強い瞳に美月を映すシノブの姿もありありと脳裏に浮かばせる事が出来る。
まして、口では色々と言いながらも、ここまで炎に巻かれながらもハクはおろか、美月やタマ、そして、白娘子に至るまで無傷で存在して居る事が、彼女。破壊神の少女シノブが何らかの能力を行使しているのは間違いない。
希望は未だ美月の手の中に有る。それは確信出来た。
身体中の霊気すべてが自らの構える弓に集まって行くような奇妙な感覚に囚われる美月。
但し、不快な気分ではない。
弓が矢束いっぱいまで張りつめられ、
空気が灼け、美月の耳元に有り得ない涼やかな音色が聞こえて来る。
「甘水の、美水と大御田に受け給えと――――」
轟と吹き荒れる熱風の中、引き詰められた弓と弦の間に美月を指し示す霊気が輝き。
上空から。いや、前後左右から押し寄せる熱風も、炎の壁も今の美月に取っては別世界の物。
そして、我知らず紡がれる聖句。
「九鴉九殺」
矢を放つ最後の瞬間。何故か、後悔に似た感情が湧き上がって来る美月。何故だか判らない。ただ、この矢を放つ事は、自らに取っては不幸に成る始まりだと言う事を感じたのだ。
しかし、それも一瞬の感傷に過ぎない。この矢を放つ事が自分に取っての不幸に繋がろうとも、ここに居る皆の未来と交換ならば後悔はない。
放たれた瞬間、解き放たれた霊気が金色の光輝に変わり妙なる天上の楽が奏でられる。
その一筋の金色の光輝が立ち塞がる炎の壁を貫き、次の瞬間、ひとつの矢が数千、いや、数万本に別れ――――
蒼穹を覆う赤い天井を地上から放たれた金の矢が貫いた!
後書き
次回に引きます。
次回タイトルは、『降って来たのは雨。現われたのは黒い男ですよ?』です。
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