銀河英雄伝説~悪夢編
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第二十八話 当代無双の名将? 誰の事だ?
宇宙暦796年 11月 26日 イゼルローン要塞 アレックス・キャゼルヌ
司令室に入ると遠征軍総司令部は憂色に包まれていた。オスマン総参謀長と作戦主任参謀コーネフ中将が顔を寄せ合って話しをしているが二人とも難しい表情をしている。日頃物に動じた様子を見せないヤンも顔色が良くない。戦況は芳しくないようだ。そしてドーソン総司令官は不機嫌そうな表情で周囲を睨んでいる。俺を認めると露骨に顔を顰めた。
この馬鹿がイゼルローン要塞に着いて最初にやった事は俺を司令室から追い出す事だった。何処かからか俺が撤退を提言したレポートの作成者だと聞いたらしい。俺を追いだす事で消極論者、撤退論者はいらないと周囲に宣言したつもりらしいが周囲からは呆れられただけだった。この馬鹿が来た時には補給は崩壊状態だったのだ、それなのに俺を追いだすとは……。
「キャゼルヌ少将」
オスマン総参謀長が俺を認め声をかけた。ドーソン総司令官が顔を顰めたが気付かぬ振りで総参謀長に近付いた。
「どうかな、輸送部隊は」
「難しいですね、ハイネセンを出たのが今月の二十日です。どんなに急いでも要塞に届くまで後三週間はかかります。艦隊に届くのは更に一週間はかかるでしょう、戦闘には間に合いません」
総参謀長が何かに耐えるかのように目を閉じた。隣に居たコーネフ中将は溜息を吐いている。
「第三艦隊、ルフェーブル中将が戦死。第三艦隊は潰走状態で惑星レージングから撤退しています」
オペレーターの報告に彼方此方から呻き声が上がった。潰走状態で撤退? つまり統制のとれた指揮など無いという事か、第三艦隊は指揮官を失い算を乱して逃げている。この分だと損害はさらに増えるだろう。
“どういう状況なのです?”そう聞きたかったがドーソン総司令官が近くに居る、総参謀長から離れてヤンの傍に行った。こいつもシトレ元帥に近いと見られてドーソンから嫌われている。殆ど仕事を与えられていないようだ。もっともそれを苦にしている様子も無い。小声で訊いてみた。
「ヤン、どうなっている?」
ヤンが首を横に振った。そして同じように小声でぼそぼそと答えた。
「酷いものですよ、損害を受けているのは第三艦隊だけじゃありません、第二艦隊はビルロストで包囲され降伏しました、第七艦隊もドヴェルグ星系で降伏しています。他の艦隊も降伏こそしていませんが一方的に叩かれ敗走しています。まともに立ち向かっている艦隊は有りません」
「酷い状況だな、二個艦隊が降伏、一個艦隊は潰走したのか。損害は四割を超えるんじゃないか?」
「コーネフ中将も同じような事を言っていました。私は五割近く、いや五割を超えるんじゃないか、そう思っています」
八個艦隊の五割と言えば四個艦隊、将兵だけで五百万を超えるだろう、艦艇は六万隻……。同盟軍全体の三分の一に相当する。途方も無い数字だ、眩暈がした。
「キャゼルヌ先輩、帝国軍はどうもこれまでの帝国軍とは違うようです」
「違う?」
俺が問い返すとヤンが頷いた。
「ええ、司令長官がミュッケンベルガー元帥からグリンメルスハウゼン元帥に変わりました。それに伴って艦隊司令官も代わったのだと思います。そうでなければいくら補給が苦しいからと言ってこれ程までに一方的にやられるとは思えません」
「ヴァレンシュタインか?」
「おそらくはそうでしょう。この日のために精鋭部隊を集めたのだと思います。これからの同盟軍は彼らを相手にする事になる。厄介な事になりそうですよ」
憂鬱そうな表情だ、だがそれが事実なら……、溜息が出た。
オスマン総参謀長がドーソン司令長官に意見具申をし始めた。
「閣下、第二艦隊、第七艦隊は降伏し第三艦隊はルフェーブル中将を失い事実上艦隊としての統制を失いました。その他の艦隊も帝国軍の攻勢の前に多大な損害を出しつつ後退しています。小官はこれ以上の戦闘継続は不可能と判断し撤退を進言します」
ドーソン総司令官の顔が引き攣った。
「撤退など認めん! 艦隊を分散させ過ぎた、アムリッツアに集結させろ、アムリッツアで決戦だ!」
馬鹿か、お前は。分散させたのはお前だろう。お前が味方を殺しているんだという事を少しは反省しろ!
「閣下! 今でさえ遠征軍は三割を超える損害を受けているのです。戦える艦隊は五個艦隊、しかも疲れ切り損害を受けた艦隊です。帝国軍は最低でも八個艦隊を動員しています、到底勝てる相手ではありません。このうえ敗北すれば同盟の安全保障に大きなダメージを与えるでしょう。無念ですが捲土重来を期して撤退するべきです」
オスマン総参謀長が頬を紅潮させて言い募った。総参謀長もこの馬鹿には相当頭にきているらしい。
「駄目だ! アムリッツアで決戦するのだ!」
眼は血走り、身体が震えている。まともな判断が出来ているとは思えない。総司令官がこれでは戦っている将兵が哀れだ。ヤンが溜息を吐いた。仕方ない、俺も手を貸そうか、逆効果になるかもしれんが後に続く人間が出てくる可能性も有る。総参謀長に近寄った。
「小官も総参謀長の意見に賛成です、撤退すべきです」
「貴官の意見など必要無い! どうせ補給が無いと言うのだろうが武器弾薬は有る、戦える筈だ!」
この馬鹿、兵を飢えさせたまま戦うつもりか? どうにもならんな。
「足りないのは食料だけではありません、遠征軍は医薬品も不足しています」
「何?」
ドーソン総司令官がキョトンとした表情を見せた。
「住民達は医薬品も欲しがったのです、各艦隊は彼らに医薬品も供給しました。どの艦隊でも医療班は怯えているでしょう、そのうち負傷者に投与する医薬品が無くなると、このまま戦闘が続き負傷者が増え続ければ彼らを見殺しにする事になると」
「馬鹿な……」
馬鹿はお前だ。お前が際限なく占領地を拡大させるからこうなったのだ。食料に比べれば僅かだが影響は少しも変わらない。事の重大性が理解できたのだろう、ドーソンが怯えたような表情を見せた。ドーソンだけじゃない、司令室に居る誰もが表情を強張らせている。
「イゼルローン要塞に有る医薬品を……」
「とっくに送りました!」
「……」
「送ったんです、この要塞にはもう最低限の医薬品しかない。それを前線に送っても焼け石に水です。抜本的な解決策にはなりません」
「……」
ドーソン総司令官が震えている。もっとも表情は蒼褪めている。震えている理由は恐怖だろう。
「どうします、負傷者を見殺しにしますか?」
「……」
「閣下、御決断ください!」
ドーソンが微かにビクッと震えた。勝ったな、これでもう決戦とは言えんだろう……。
帝国暦 487年 11月 27日 オーディン 新無憂宮 エーレンベルク
「では反乱軍は撤退しているのじゃな」
『撤退では有りません、後退です』
スクリーンに映るヴァレンシュタインが訂正するとそれまで上機嫌だったリヒテンラーデ侯が面白くなさそうに顔を顰めた。
「しかし優勢なのであろう?」
『はい、二個艦隊が降伏、一個艦隊が潰走状態になっています。その他の艦隊も大きな損害を出して後退し続けています。現時点で反乱軍に対して四割以上の損失を与える事が出来たと考えています』
「うむ」
『しかし油断は出来ません。現時点では反乱軍は後退していますが未だ戦闘可能な艦隊は有るのです。何処かで集結して決戦を挑んでくる可能性が有ります』
リヒテンラーデ侯が私とシュタインホフ元帥に視線を向けてきた。ヴァレンシュタインの言う通りだ、可能性は有る。黙って頷いた。リヒテンラーデ侯が分かったと言うように頷いた。
「分かった、勝っている以上問題はない、このまま勝ちきってくれ、頼むぞ」
『はっ』
通信が切れると自然と三人で向かい合うような態勢になった。
「先ずは重畳、そんなところだの」
国務尚書の執務室に軽い笑い声が満ちた。
「現時点で四割を超えるとなれば最終的には五割を超えるかもしれませんな」
「当分は反乱軍も大規模な軍事行動を控えましょう。艦と将兵だけではない、物資もかなり消耗したはずです」
私とシュタインホフ元帥が言うとリヒテンラーデ侯が嬉しそうに頷いた。
「早速皆に報せるとするか、この戦果を知れば外戚達も大人しくなろう」
リヒテンラーデ侯の声も明るい。ようやく愁眉を開いた、そんな感じだ。陛下が無くなられた後、帝国には不穏な空気が漂っている。次期皇帝の座を巡って貴族達が蠢いているのだ。例えてみれば大地震が来る前に小さな地震が連続して起きている様なものだろうか……。
「ところで次期皇帝はどなたに?」
興味本位で訊いたのではない、次の皇帝が誰かは軍の体制にも影響する。事前に知っておかなくてはならない。リヒテンラーデ侯が口に出すのをちょっと躊躇う様なそぶりを見せた。
「エルウィン・ヨーゼフ殿下を、そう考えている」
侯が私とシュタインホフを見ている。
「外戚達に帝国を委ねる事は出来ん、そうなれば我らは終わりだ」
当然そうなるだろう。退役出来れば良いがそれも危うい。あの馬鹿げた二つの事件、クライスト達の命令違反とヴァレンシュタインの襲撃事件を思えば分かる。理性など欠片も無い連中だ。
「それにあの連中に帝国を委ねたら悲惨な事になるだろう。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、あの二人には貴族達を押さえる事など到底出来まい、むしろ野放図に増長させるのがオチだ。それがどれだけ危険な事かあの連中には分からんのだ。軍人である卿らなら分かるだろう?」
当然だ、今や軍の指揮官達は爵位を持つ貴族よりも平民、下級貴族が主流なのだ。その良い例がヴァレンシュタインであり彼が編成した宇宙艦隊だ。平民達に不満は持たせても怒らせる事は出来ない、彼らを宥めながら帝国を運営していかなければならないのだ。
「となると宇宙艦隊司令長官の人事は如何します? 陛下がお亡くなりになられた以上、グリンメルスハウゼンをその地位に就けておく必要は有りません。本人も辞任を望む可能性も有ります」
私が問い掛けるとリヒテンラーデ侯が“そうか、それが有ったな”と呟いた。
「内戦になる可能性が有ります、いや内戦になるでしょう。勝てる指揮官が必要です」
「ヴァレンシュタインかメルカッツ、あるいはクレメンツですが……」
私とシュタインホフ元帥が言うとリヒテンラーデ侯が顔を顰めた。
「あれは平民であろう、メルカッツは知っているがクレメンツというのは何者かな?」
「グリンメルスハウゼン元帥府に所属しています。艦隊司令官の一人ですが彼も平民です」
私の答えに侯の渋面が更に酷くなった。やはり平民を司令長官にというのは抵抗が有るようだ。まあ私も出来れば避けたい。それはシュタインホフ元帥も同様だろう。
「ではメルカッツですか、しかしやり辛いでしょうな、総参謀長がヴァレンシュタインでは……」
シュタインホフ元帥の意見に同感だ、どうにもやり辛いだろう。
「その事だがあれを宇宙艦隊から外す事は出来ぬか、いささか力を持ち過ぎたと思うのだが……」
執務室に沈黙が落ちた。三人が何かを窺うように顔を見合わせている。
「内戦が迫っております。反乱軍は今回の暴挙で大きな被害を受けたとはいえ油断は出来ません。早期に勝利を得ようとすればあの男の力が必要ですが……」
「当代無双の名将か。……しかし軍務尚書、このままでは宇宙艦隊はあの男の私兵同然になるのではないか?」
「……」
また沈黙が落ちた。確かに宇宙艦隊におけるヴァレンシュタインの影響力は大きい。反乱軍に対して鮮やかな勝利を収めた今、その影響力はさらに拡大するだろう。将兵達は勝てる指揮官を望み尊崇するものだ。そこには平民、貴族の区別は無い……。
「メルカッツ一人では勝てぬかな? ヴァレンシュタインが居なければ無理か?」
どうだろう、負けるとは思わないが時間がかかるのではないだろうか? シュタインホフ元帥に視線を向けたが彼も難しい表情をしている。しかし国務尚書の危惧も分からないでは無い……。
「しかし総参謀長から外すと言っても次のポストは何処にします? なかなか難しいと思いますが……」
シュタインホフ元帥の指摘に唸り声が起きた。確かに難しい、軍務次官か統帥本部次長くらいしか思いつかない。
「内乱が終わるまでは現状のままが宜しいかと思います。下手に組織を弄りますと混乱しかねません。それでは貴族達を喜ばせるだけです。先ずは勝つ事を優先させるべきでしょう」
「……」
私の言葉にシュタインホフ元帥が頷く、少し置いて国務尚書が“そうするか”と言って不承不承頷いた……。
「では陛下がお亡くなりになった事は何時発表されますか?」
「ふむ、反乱軍が撤退した後だな。それ以上は隠す理由が無いからの」
確かに、必要以上に隠すのは痛くも無い腹を探られることになるだろう。
「では宇宙艦隊が戦闘終結、勝利宣言を出した後という事で」
「うむ」
それで良いかというようにシュタインホフ元帥が視線で問い掛けてきた。妥当な判断だな、それ以前では反乱軍に変な勘違いをさせかねない、再侵攻等という事があってはならん。……それにしてもオーディンでは殆どの貴族達が陛下の死を知っているはずだ。今更皇帝陛下崩御を発表するのは茶番と言えば言える。
「次期皇帝の発表は如何します」
「皇帝陛下崩御を報じた後だが何時が良いかな?」
私が問い掛けるとリヒテンラーデ侯が逆に問い返してきた。
「宇宙艦隊が或る程度オーディンに近付いてからの方が宜しいでしょう。まあシャンタウ辺りですかな、……如何かな、シュタインホフ元帥」
「良いのではないかな、目途としては戦闘終結宣言から十日程の事になるだろう」
シャンタウならリッテンハイム、ブラウンシュバイクにも近い。連中の暴発を防げるはずだ。
「なるほど、では十日の間、ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯のどちらを選ぶか迷う振りでもするか」
そう言うとリヒテンラーデ侯は含み笑いを漏らした……。
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