ソードアート・オンライン ~無刀の冒険者~
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マザーズロザリオ編
episode6 影の協力者の名
色とりどりの喧騒が、あたりを賑わす。
久しく見ない大観衆は、月に一度のお祭り騒ぎに沸き立っていた。
「ったく……」
小柄な『シド』の体で手すりにもたれかかりながら、俺はぼんやりと眼下に広がるスタジアムを眺めていた。それにしても、相変わらず体がだるい。もう二月も中旬、あれから……キリトとの死闘からかなりの日にちが経っていたが、頭の奥底に居着いたいやーな頭痛と眠気は、当分は去ってはくれないようだった。
心配した牡丹さんが無理矢理に蒼夜伯母さんに診察を依頼したせいで彼女の部屋まで強制連行されたものの、単なる寝不足と栄養不良のお墨付きが貰えただけだった。当然、美しい伯母さまからは盛大に嫌味を言われて、俺の疲労はますますたまったのだが。
「にしても、すっげえな……」
響く大歓声に、眠い頭で愚痴っておく。
まあ、愚痴りたくもなるだろう。もともと暗くて静かな場所を好む上に、こういったイベント事からは徹底的に逃げることを当たり前としていた。こんなやかましい場所はあまり……いや、はっきり言って苦手で、嫌いだ。
ここは、コロシアム。そして今は、月一で開かれるアルヴヘイム統一デュエル・トーナメントの真っ最中。そして更に今回は、あの『黒の剣士』と『絶剣』が出場しているのだ。当代最強を目される二人の剣技が見られるとあれば、ほとんどALO中のプレイヤー達が勢ぞろいするのも当然だろう。
そしてさらに当然として、俺がこんなとこに来たくて来るわけがない。
そんな俺がここにいるのは。
「……参加、されないんですか? シドさん?」
「しないっすよ。俺は行商人で、戦いは専門外。そもそもあんな化け物共に勝てねーですし」
「そうですか? 結局ユウキ相手に一番長く戦えたのは、シドさんだった気もしますよ?」
「はっ、冗談。今はユウキもあの頃よりつえーんじゃないっすか」
俺を呼び出したこの憂いを湛えた水妖精の女性、シウネーさんのせいだった。
俺も頑張って彼女の執拗なお誘いからなるべく逃げたものの、やはり最後まで逃げ続けるのは無理だった。なんといってもキリトに『ラッシー』のアバター(あれとALO版の『シド』のアバターとの関係こそバレていないようだが、「影からの協力者」というだけでシウネーさんにはバレバレだったようだ)が、露見してしまったのが大きかったか。
あの男、流石は超ド級のコアゲーマーだけあって、俺が裏でやってただろうことの大部分を綺麗に的中させて彼女にチクりやがったのだ。
「……で、どうです? ユウキの調子は?」
「もう、絶好調ですよ。おかげさまで」
「……俺は別に何も、」
「毎日が、すごく楽しそうで。おかげさまで」
無言で笑顔の圧力。ああ、そうだ、SAO時代もあったな、こんな空気。美人の顔ってのは随分と迫力があるもんだったな。こんなに笑顔が怖いと思ったのは初めてだな。出来ればもう二度と味わいたくないし、今後も勘弁してほしい。
「……シウネーさん、怒ってます?」
「いいえ? とても感謝してますよ? 小一時間ほどお礼を言いたいくらいに」
「……出来れば遠慮したく……」
「お礼ですから、そんなこと言わずに」
やっぱり相当に頭に来ているらしい。逃げられそうには、ないか。
大きく溜め息をつく。だってそれしかできないじゃないか。やれやれ。
「……聞いたんですよ。キリトさんから、全部。シドさんのことも、……SAOでのことも」
「……そっすか。まあ、いいですけど」
勿論よくない。許すつもりなど毛頭ない。覚えてやがれキリト。
「似ているんですか? ユウキは、その方に」
「……いんや。そういうわけじゃねえーよ。でも……」
「重ねたんですよね?」
「……そーですよ。……失礼極まりないことに、ね」
下で広がるデュエル会場を舞う、黒髪の少女を見つめる。
本当に楽しそうに剣を振い、満面の笑みで飛ぶ、闇妖精の少女。
その、見る者を自然と笑顔にする才能を持つ姿。
遠い昔に誰より傍でその笑顔を見つめた人と、同じ才能。
「……そうですか。……ユウキには、そのことを?」
「言ってないですよ。だいたいどう言うンすか。『前の彼女に似てるから助けたいんだー』なんて完全な変質者ですし。……伝えても、何の意味もないし、…もう、時間もないでしょ」
「……っ!」
分かってるんだよ、シウネーさん。
俺は、見つめる先のユウキがどんどん……どんどん、透明になっていっているその感覚を、直感で感じていた。それは、ソラと同じ、透き通るような美しさと儚さのある、透明感。間近に迫る、避けることのできない別れを感じさせるその感覚を、姿を、見ていたから。
そんな俺の目に、何を感じたのか。
「シドさん。シドさんの思いは、きっと私でも半分も理解できていないのでしょうね」
シウネーさんは。
「それでも、私は。私たちは、とてもシドさんに助けて頂きました。とてもとても、返しきれない位の恩を貰いました。たとえそこに私たちの知らない思いがあったとしても、私たちが助けて貰ったことには変わりはありません。私達がこのALOで最高の仲間と出会えて、最高の思い出を作れたのは、間違いなく、貴方のおかげでしたよ。だから、」
真っ直ぐに、こちらを見つめて。
「あっちで必ずその人に、私がちゃんと伝えておきます。貴方の旦那さんは、とてもすばらしい方でしたよ、って。名前を知らなくても、顔を知らなくても、必ず見つけて、伝えますよ?」
悪戯っぽく、微笑んでみせた。
◆
「ぬあー……量、多いですよ、牡丹さん……」
「減った分の体重を取り戻すためです。きちんと食べてください」
食卓の上に並んだ、到底男の一人暮らし、牡丹さんを入れても二人分のはずの料理は、どうみてもそうとは思えない分量が盛りまくられていた。それもこれも。
「蒼夜様からお叱りを頂きました。『神月』がついていながら栄養不良とは何事か、と」
「……いや、あれは俺がダイブしまくってたせいで、」
「いいえ。主人の体調の管理を怠るなど、『神月』の恥、本来なら腹を切るべき所業です」
「……いえ、頼むから腹は切らんで下さい」
「そういってくださる優しい主人の為に、私が今まで以上にしっかりと全てを管理すると決めたのです。具体的には、栄養、休息、運動、きっちりと把握いたします」
あれ以来、ちょっと怖いレベルで厳しくなった牡丹さんのおかげだった。その厳しさは、三月に突入した今になってもまだ収まる様子を見せてはくれない。
なんでも蒼夜伯母さんから言われた小言が相当に堪えたらしく、俺の監視がおっそろしく激しい。家を出た時は勿論、最近は家に居ても何やらどこかから視線を感じるような気がする。ピンホールカメラでも仕込んであるのか?
一日中続く監視の目は、他の『神月』を使っているならいいのだが、もし一人でやっているのなら彼女の生活のほうがよっぽど心配だ。彼女の労働時間的にも、迷惑防止条例的にも。やれやれ、俺のユウキへのストーカー行為はここまでいかずに済んで良かったよ。
「でも、その、」
「でももへちまもありません。これからはきっちり、」
俺が必死に逃げようとした、その時。
―――ヴヴヴヴ、ヴヴヴヴ
俺のポケットの携帯電話が響いて、見慣れない番号を示し。
「はい?」
『シエル様、リュウです。お知らせします』
訝しんで通話に出た俺に、
『紺野木綿季の病状に、変化がありました』
不吉な言葉が響いた。
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