ソードアート・オンライン ~無刀の冒険者~
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マザーズロザリオ編
episode5 『勇者』2
「っ!!?」
彼の…シドの何らかの特殊防具の効果なのだろう、闇を纏って霞む体が突然『幾重にも分身した』。まるで自分の目がおかしくなったのかと思ってしまうが、今俺が相対している相手は、そんなことを考える暇を与えてくれるほど生易しくは無い。直後に繰り出された右手の《エンブレイサー》を、ぎりぎりのタイミングでも右の長剣で弾く。
真正面からの突進だったのに、繰り出された貫手は斜め下から。俺が一瞬の半分の半分くらいの時間、奴を見失ったのを、鋭敏に捉えて死角を突いての攻撃。その右手の《カタストロフ》は絶対に回避すべきと分かっていても、避けさせない完璧なタイミング。
(……マジかよ……)
交錯して距離を取っての、再びの疾走。
また霞み、分裂する闇色の影。
(……《軽業》の、分身スキルか!?)
確かあのSAOでは、《ファントム・ステップ》や《ファントム・シェイド》といった、そのスピードによって体を分身させてみせるスキルが存在した。だがあれらのスキルは、このALOではスピードの上限の関係で魔法無しでは殆ど再現できなかったはず。
だが、シドは何らかの手段で、それを可能にしている。
「……っ、らあっ!!!」
左手で繰り出すのは、鋭く素早い三連撃、《シャープネス》。姿が霞んでその正確な位置がつかめない以上、なるべく広く斬撃を放って攻撃ルートを絞らせるのが最善手。ぎりぎりで間に合ったエフェクトフラッシュを纏った剣が、シドの放った《トリプル・ブロウ》と綺麗に衝突する。
同時に訪れる、技後硬直。
(……マズイ!)
《シャープネス》は《片手剣》カテゴリでは比較的硬直が短いソードスキルだが、それでも《体術》スキルのそれと比べると遥かに長い。このまま行けば、先に動けるのはシド。このラッシュの鬼の一手目を棒立ちで受けるのは、この戦いでは致命的だ。
(……仕方ないっ!!!)
一瞬で判断し、俺は『切り札』の一つを切った。
「おおおっ!!!」
引き絞られた右手が、猛烈な赤いライトエフェクトを纏いはじめる。それを見たシドの目が驚きに細められ、直後咄嗟に地面を蹴って弾けるように上へと跳躍する。放たれた必殺の《ヴォーパル・ストライク》がその足を掠めた。
俺の切り札たるシステム外スキル、《スキルコネクト》。リーファをして「反則」といわしめるこの力は、二刀使い特有の切り札の一つであるとともにアスナ達以外は知るはずの無いスキルだが、この男、その「反則技」を初見で回避して見せた。
(相変わらずの、回避性能、だな!)
そのSAO時代と変わらぬ技術に、俺は舌を巻いて上を見、
「っ!!?」
憎悪に燃える、漆黒の瞳が俺の視線と交錯。
天井を蹴ったシドの体が大きく回転、放たれる勢いを付けた強烈な踵落とし。
(―――《体術》スキル、《スピニング・スパイク》!?)
それは、彼の得意とする手数重視の技とは対極に位置する、有数の威力を持つ一撃必殺技。甘く見ていた。あの連撃重視の男がこんな……「らしくない」技を使ってくるなんて。
(なりふり、構わないわけかよ!)
あくまでこれは、「シドとの真剣勝負」なだけだと思っていた。違った。こいつは今、自分のスタイルを捨ててでも、俺を「殺し」に来ていた。憎しみの、全てを込めて。
目を見開いた俺に、霞むほどの速度での上からの蹴撃が襲いかかった。
◆
天井からの連撃は、いくらかキリトの意表を突いた感覚こそあったものの、それでも奴を叩き潰すには至らなかった。頭にヒットさせられればしっかり仰け反らさせられた自信はあるが、奴は《ヴォーパル・ストライク》の硬直が解けると同時に、凄まじい勢いで頭上に交差した二刀で受け止めてみせた。
(相変わらずの、反応速度……)
飛び退った後の、一瞬の硬直に舌打ちする。
強い。やはり、この男は、本物の『勇者』だ。
(……迂闊に攻めるべきじゃない、か)
今のところキリトは、俺の防具の『闇を纏うもの』と高速ステップの複合による疑似的な《ファントム・シェイド》による分身モドキのカラクリを見抜いていないようだ。今なら、これを最大限に生かして、一定の距離を取って奴が俺を見失う機会を見計らうべき。
頭の、冷静な部分が呟く。なのに。
―――ユルサナイ。ユルサナイ。俺ガ、コノ手デ、奴ヲ殴リ倒ス―――
けれども、俺の体は、心は、頭の冷静ではないほうの声に従って真正面から突進する。
「――――ッ!!!」
喉から洩れるくぐもった声は、もう人間のそれではない悲鳴。
突進して振う銀色の拳が、薄青い刃をもつ右手の剣と交錯する。
―――憎カッタ。憎カッタ。俺ハ、コノ男ガ憎カッタ。『勇者』ノチカラヲ持チナガラ、「そら」ヲ助ケテクレナカッタコノ男ガ憎カッタ―――
再び頭の冷静では無い部分が叫び、明滅する意識が熱を放つ。
硬直の隙にキリトの剣が振るわれ、俺の頬を掠める。キリトの剣は、途中からクリティカルポイントを狙わなくなった。俺のHPと防御力が高くない……あのSAO自体と同じように、極めて低いことを見て取って、一撃必殺を狙わずに削りきる戦法に出たのか。
だがそれでも、俺の拳をかわしきることは出来ない。そもそも極低威力の分、手数や速度は極めて優秀だ。いくら『勇者』の反射神経を以てしても、すべて避けきることなど不可能だ。二人の削りダメージは、目算で同等。
再びの、ソードスキルを纏った衝突。
その瞬間。
「るあああっ!!!」
「―――ッ!!!」
カッとキリトの目が見開かれ、その手が動く。本来は左手で放ったソードスキルの硬直中で動けないはずの奴の、右手から放たれた《バーチカル・スクエア》が俺の肩口を掠める。なんのカラクリかは分からないが、奴は硬直を無視してソードスキルを繰り出す技があるらしい。
(……また、だ。完璧にタイミング掴まれてやがるな……)
しかも、むやみに連撃を繰り出すのではなく、俺の技とキリトの技が交錯し、双方に硬直が入った瞬間をねらって撃ってくる。本来は技後硬直の短い俺に有利なはずの状況が、この技のせいで逆に俺が危なくなっている。
(……撃ち合いは、避けるべき)
だが、再び頭が真っ赤に燃えて、俺の体がひとりでに動き出す。
―――羨マシカッタ。羨マシカッタ。俺ハ、コノ男ガ羨マシカッタ。『勇者』ノチカラヲ持ッテ、俺ダッテ世界ヲ、皆ヲ助ケタカッタ。そらヲ、コノ手デ助ケタカッタ。ソンナチカラガ、俺ダッテホ
シカッタ―――
不利を承知で、真正面から挑みかかる。
キリトの剣が掠め、俺の貫手が刺さる。
「っ……!」
「くっ! ……っ!」
HPが減少し、二人のゲージが黄色く染まる。
そのたびに俺の心から暗い感情が溢れ出す。既に電源が落ちつつある意識が、その負の感情だけで世界と自分を繋ぎとめる。分かっている。理不尽な八つ当たりだと。意味不明な感傷だと。それでも、それらが俺の体を突き動かす。俺のエゴでしかない恨みをぶつける為だけに、拳を振い続ける。
そんな俺を、キリトは真剣な目で迎え撃ち続ける。
全て受けて立つと言わんばかりに。全てを受け止めてみせるとでも言うように。
―――恨ンダ。恨ンダ。俺ハ、コノ男ヲ恨ンダ。アノ世界ヲ途中デ終ラセ、そらヲ生キ返ラセル機会ヲ奪ッタコノ男ヲ、俺ハ恨ンダ。コノ男モ、そらヲ殺シタ一人ダ―――
―――俺と、同じように、ソラを殺した一人だ―――
激しく明滅する意識の中で、体が捻じ切れそうな勢いで引き絞られて放たれる、《スライス・ブラスト》。回転の勢いを余さず乗せた裏拳気味の手刀が、薄青く輝く長剣の横腹を打ち、その身にクモの巣状の罅を走らせた。
◆
強い。俺は改めて、シドの強さに戦慄を覚えた。
振われる手刀は完璧にその力をブーストしているうえに常に最善の軌道を走り、一切の無駄なく俺の体を狙い続ける。本来は技後硬直故に連続攻撃には向かないソードスキルを交えながらの、流れる様に滑らかで止め処なく繰り出されるコンボ。
そして何より、俺やユウキ、アスナ達と比べても一切の遜色のない……いや、上とすら思える、そのスピード。
(……さすがは、『旋風』……)
全てが完成されていて、しかもその洗練度は俺から見ても完璧としか言いようのない仕上がりだった。その舞うような戦技は、アスナやユウキ、そしてヒースクリフといったプレイヤー達と同じ、一つの戦闘スタイルの完成形としての戦いを感じさせた。
最速のプレイヤー。
そう呼ぶに相応しい動きを見せつける、闇を纏う影。
その影が、ふわりとゆらぐ。
背筋に走る強いざわつきに、慌てて剣を構える。
「っっ!!!」
瞬間放たれた裏拳気味の手刀は、《スライス・ブラスト》。銀色の手袋に激しいエフェクトフラッシュを反射させたその鋭い一撃は、狙いすました角度で俺の右手の剣の横腹を撃った。
ヤバイ、と直感的に悟る。奴の右手の《カタストロフ》の武器破壊ボーナスがどの程度のものかは実際見たことは無いが、大手ギルドのレイドを潰しているといことは相当のもののはず。しかし今ここで剣を引くわけにもいかない。走る罅が示す激しい耐久度減少が俺の背筋を一気に冷やすが、その罅はぎりぎりのところで停止した。
流石はリズベット自慢の一品、そうそう簡単には砕けない。だが。
(……余裕は、ない!)
既に、左右どちらの剣も耐久度は限界。長引けば、不利。
そう判断した、瞬間。
俺の意識の一部が白く、そして激しくスパークした。
二刀を握る両手が、燃える様に熱くなる。その意志に従って、俺のかつての世界に封印した行動回路が再び起動を始める。この世界では削除された、かつてユニークスキルと呼ばれた最強のスキル、《二刀流》。このALOには搭載されていないその剣技が、俺の頭の中から引き出されていく。
「おおおおおっっっ!!!」
激しい加速感のままに、絶叫する。
二刀流剣技、《ジ・イクリプス》。かつて存在した反則級の威力を誇る《二刀流》の、最上位のソードスキル。その連撃は二十を超える、最大の大技。この連続技は、ソードスキル特有のエフェクトフラッシュを纏うことは無い。しかしそれでも、減速した世界で振われるその金と青の剣は、ソードスキルを上回らんばかりの速度で加速していく。
これだけの複雑な軌道を描く連撃なら、たとえシドが分身しようと、何処から襲いかかってこようと、よけきれはしない。
(……倒す!)
俺は、ここで、この男を倒さなくてはならない。
真正面からその拳を受け止めて、その涙を、恨みを、背負っていかなくてはならない。
この男の怒りを、悲しみを、憎しみを、ここで断ち切るために。
俺は既に、エギルからシドのことについて大まかなことを聞いていた。
あのSAOで与えられた幽かな希望と、自分の意識の無い間にそれを奪われた絶望を。
その絶望の一端を作ったのは、俺だ。
ソラを生き返らせるチャンスを奪ってしまったのは、俺なのだ。だから。
(……俺は、シドを、超えていかなくちゃいけないんだっ……!)
かつての『勇者』……あの世界を終わらせた『英雄キリト』として、俺はその剣を振り抜いた。
◆
意識が、どんどん遠のいていく。
それに伴って、視界はみるみる狭まっていく。
もう、残された時間は、少ない。
だが。
(それは、お前だって同じだろう、キリト!)
奴の剣もHPも、既にかなり限界に近付いているはずだ。
そして俺のHPも、もう赤の危険域。決着は、近い。
「おおおおおっっっ!!!」
先に動いたのは、キリト。
絶叫を上げての二刀の構えは、エフェクトフラッシュを纏うことは無い。
しかし。
「―――ッ!!?」
その異様な迫力に、俺はさっきまでの連続剣と同等かそれ以上の脅威を感じ取った。ここに突っ込んではいけない。いや、たとえ避けに徹したとしても、この剣は避けきれない。それでも、逃げなければ一瞬で細切れにされてしまう、そんな確信を抱かせる、気迫。
その気迫に。
「っ、おおおおっ!!!」
怯みそうになる体を、警鐘をならす本能を絶叫でねじ伏せて、突進する。
俺の体は、さらに加速していく。キリトのそれを、真っ向から迎え撃つ。
決めていた。
俺はこの男を、一発ぶん殴ると決めていたのだ。
まだだ。
まだ俺は、この男の顔面に拳を入れていない。それまでは、終われない。
振われた剣は、霞むほどの速さでの連撃。十を軽く超えても止まることのない、凄まじい連続技。
ソードスキルですらない、しかしポリゴンがぶれるほどの速さで繰り出される連撃と、美しい軌道を描く剣戟。鋭い目が、《闇を纏うもの》とスピードでのポリゴンの構成遅延によって見えないはずの俺の体を、まるで見えているかのように見据える。
決意を秘めた、強い意志の瞳。
俺と同じ、自分の思いを貫くために、力を振うものの目。
「おおおおおっっっ!!!」
吠えた。知らぬ間に、喉から音が響いた。
加速した意識が更に早まり、世界がレンズをかけたように鮮明になる。霞んでいた剣が、一瞬だけ、ビデオを一時停止したように動きを止める。俺の首筋を狙う黄金色の剣がはっきりと見える。左手で振り降ろされるその剣。よけられない。
ならば。
「うおおおおっっっ!!!」
伸ばした右手。銀の輝きに反射する、激しい蒼のエフェクトフラッシュ。
体術スキル、《クラッシュ・バインド》。
特殊効果の為の時間を稼ぐ余裕は無い。掴んだことを確認した後、すぐに威力を解放。最強の剣、《聖剣エクスキャリバー》を《カタストロフ》が破壊できると信じての、賭け。と同時に、訪れるはずの硬直時間……を。
「るああああっっっ!!!」
更に、絶叫で突き動かす。右の手首に集中していた意識を、無理矢理に左半身に切り替える。
キリトの、不可思議な連撃ソードスキル。
アレは、右と左の剣を交互に繰り出すことでその硬直を無効化しているのではないか。
ならば、俺にも同じことができるはず。《クラッシュ・バインド》は、手首から先だけで発動できる技だ。そして俺の、むき出しになった左の拳は胴体に惹きつけられ、爪が食い込むほどに強く強く握り込まれている。体勢は、整っている。
「あああああっっっ!!!」
「うおおおおっっっ!!!」
《体術》スキル、《トラジディ・デストロイ》。
その神速の拳が、キリトの頬を撃つ。
キリトの剣も、止まらない。ソードスキルではない為に、途中でその剣を不規則に弾いても、もう片方の剣だけで動き続ける。左の剣が掴まれて連撃を途中で止められたのを見て、次の右剣を最後の一撃とするべく、蒼剣の強烈な突きが繰り出される。
「らああああっっっ!!!」
「るおおおおっっっ!!!」
衝撃。
轟音。
その響きは音を、光を、仮想世界を超えて、俺の魂そのものに響き渡った。
◆
二つの力の炸裂した後には、一転して静寂が訪れた。
その、世界が死んだような静けさの中で、口を開いたのは。
「俺の、勝ちだ、シド……」
「ああ…俺の、負けだよ。キリト……」
俺の左拳が深々とめり込んだ右頬を歪めながら、キリトは言った。そのHPは、僅か数ドットだが、確かに残っていた。対する俺の体はキリトの長剣に深々と貫かれ、HPは完全にゼロになっていた。右手に握った剣は、その美しい刀身に無数の罅を刻みつつも、その身を保っていた。
俺の、完敗だった。笑ってしまうほどに。
「泣くなよ、シド……」
言われて初めて、自分が泣いていた事を知った。
既に襟に捲いたグレーの布までびしょ濡れになるほどに、号泣していた。
その理由は、俺にはよくわからなかった。
「……ありがとうな…『英雄キリト』……」
礼を言った理由も、そうだ。何故かはわからない、けれども、感謝していた。
体がエンドフレイムとなって消える、その瞬間。
既にもう視界も真っ暗になって意識が落ちる直前の俺の心に。
「…やっぱり、お前だって、『勇者』の一人だよ。お前がたくさんの人の……『彼女』の思いを背負っていくように、俺だってお前の思い、全部背負っていくからな……だから…ありがとう、親友……」
キリトの呟きが、確かに聞こえた気がした。
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