Monster Hunter ―残影の竜騎士―
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2 「竜鱗病」
前書き
ちょっと捏造設定を色々。違和感あったら指摘されたし。
翌朝。大人たちはみなことごとく二日酔いに襲われ、しかめつらをしながら昨夜の片付けをしていた。
ファンゴの骸は少しずつ素材をいただいたあと崖の下に落とすこととなる。剥ぎ取った素材はナギの意向で全て村のものとしてよいとのことだった。ひとつひとつは大した額ではないものの、数が数なので臨時収入を得た村人たちは大喜びである。それで村に新しくアプトノスを1頭買おうとか、近くの街に看板を立てて(この掲示許可を得るための費用が馬鹿にならないのだ)もっと観光客を増やそうとか、すでにいろいろと勝手な希望は飛び交っている。といっても、最終的に決定を下すのは村長含む村の有力者達の集会であるが。
ナギも結局昨夜は村の宿に泊まりこみ、昼近くになってからひどい頭痛に呻きつつベッドから起き上がった。いつもよりさらに1時間遅い起床である。
たっぷり寝て元気なルイーズを先に下に行かせ、のろのろと着替えを始めると、不意に部屋をノックする音が聞こえた。
「ぅあい、どうぞー……」
自分の声が頭に響く。サービスとして窓際のテーブルに置いてある渓流の水入りのボトルを飲んだ。ぬるい。部屋にいちいち水道が通っていないのが恨めしいが、文句を言っても仕方がない。22年まともに酒など飲んだことがない(たまにルイーズがせしめてくる酒は基本料理酒として使ってしまうため)のに、いきなり昨晩浴びるように飲んだナギが悪いのだ。
「し、失礼しますっ。あの、ハンターズギルドの方から速達の書簡が届きましたっ」
「俺に?」
「は、はいっ」
敬語も怪しくちらりと顔をのぞかせたのは、この宿を営む夫婦の息子だった。まだ7、8歳と元気なさかりなのに親の手伝いをするとは感心、と思ったら、どうやら今日は単に父親が使い物にならないため母親にこき使われているという裏があったようだ。感動を返せ。
少年も先日のナギの戦いぶりを目の当たりにしたうちの1人なので、どうもナギに尊敬や憧憬の念を抱いているらしく、目をきらきらさせながら手紙を手渡すと握手をせがまれた。苦笑しながら応じ、ついでに昨日の戦い中いつの間にか懐に入っていた折れた(“折った”が正しい)ファンゴの牙をやった。綺麗に細工されたものや怪我のないように研磨されたものは市でも見るが、まだ生々しさが残るファンゴのそれは、8歳の子供が手にするにはなかなか貴重なものだ。
案の定少年は飛び上がって喜び、大きく手を振りながら階段を駆け下りていった。
二日酔いで気分は最悪だが、なかなか悪くない心地だ。
書簡はいかにも簡潔だった。要するに12時になったら集会浴場に来いと。まだあと1時間弱あるから、間に合うだろう。
呻きながら下に降りてルイーズの向かいの椅子に座る。
一般に料理は出さず、ただ部屋を貸すだけというのが宿というものだが、余分に金を払えば作ってくれるところもある。この宿がそうだった。食料を自分で買って渡せばさらに割安になる。
ナギの他にもテーブルに突っ伏してうめいている男どもが見られた。昨日の宴の飲み比べに参戦した者たちだろう。誰も彼も水が並々継がれたコップを抱えるようにして倒れている。てきぱき動いて水を取り替えてやったり、吐き戻しそうになるやつを宿の外に叩き出したりしているのがこの宿のおかみさんだ。
「あ、昨日の英雄さんね。おはよう。お宅もお水飲みます?」
「お願いします……」
「はいはい、ちょっと待っててね。あと朝食も今持ってきますから。ルイーズちゃんは何食べる?」
「ニャー、うニャー…」
「我が家特製のサシミウオの燻製あげようか」
「にゃっふー!! ありがたいニャ! いただくニャ!」
「うふふ。いいのよー、かわいいから」
頭を撫でられたルイーズはご機嫌で鼻歌を歌い始めた。ナギのあずかり知らぬところで、どうやらこのメラルーは随分村の女性たちに気に入られたらしい。
出てきた朝ご飯を美味しくいただいて、ルイーズはお土産に燻製をもう1本もらって宿をでる。裏庭では少年が仲間たちにファンゴの牙を自慢していた。
「にゃふふ。ここはいっちょニャアが旦那の武勇伝を聞かせてやるニャッ!」
「は?」
「布教活動っていうのニャ。ニャア知ってるニャ。これで旦那の印象もぐぐーんとアップニャ!!」
大事そうに抱えていた燻製サシミウオを背中に背負いなおすと、ずんずんと大股に子供たちに近づく。昨日の英雄と共に戦っていたメラルーだと気づいた少年少女はわっとその猫を取り囲んだ。
何がどうなったのかは分からないが、見ているうちににルイーズが真ん中の岩に立って燻製サシミウオを太刀がわりにブンブン振り回し、ナギの戦いの実演をしつつその凄さを語るという器用なわざを繰り広げた。周りでは子供達がいちいち「おお!」とか「わあ!」とかルイーズの調子に乗るような感嘆の声を出していたから、まあいいのだろう。
何がいいのか凪自身でもわからなくなってきたが、メラルーである彼女が村に溶け込んでいく様子を見れるのに悪い気はしない。
「お、来たな。よしよし、じゃあチミ、ちょっとこっち来い」
ゆっくりと石階段を上りのれんをくぐると、ギルドマネージャーがカウンターからすたっと着地して迎えた。確かこの人は昨日大樽1つ分と小樽2つ分くらいのの酒をまるまる飲み干していたはずなのだが(当然昨日の飲み比べ優勝者である)、なぜこんなに普通にケロッとしているのだろうか。最早ザルを通り越して枠なのか。ナギはその半分も飲んでいないというのにこのザマだ。
会議室に連れて行かれた先にいたのは、村長と受付カウンターのシャンテ。目が合うと、何故か嬉しそうに笑いかけられた。
「ええと、何か?」
「いや、大したことじゃない。チミに渡したいものがあるだけさね」
「渡したいもの?」
席についてと言われると、シャンテにバッジのようなものを渡された。ハンターズギルドの紋章だ。色は紫。後ろはピンで止まるようになっている。
首をかしげていると、マネージャーが「うぃ~ヒック!」と笑った。
「そいつぁチミの勲章さね。ハンターランク2となった証だ。大切にしてくれよ」
「え? ハンターランク2?」
「本当はもっと早く渡したかったんだがな、ちょっと準備に手間取っちまって遅れたのさ。悪く思うなよ」
「ハンターズギルドに登録したハンター様には、それぞれのランクに応じたバッジが配給されるのです。HR1なら白、2は紫、3は黄色、というように」
「おめでとうございます! 1ヶ月もしないでハンターランク上げるなんて、前代未聞ですよ! あっという間にリーゼとエリザを追い越しちゃいましたねっ」
ぱちぱちとシャンテが拍手した。満面の笑みを浮かべている。
どうやら自分が知らぬうちにHR2として認められたというのは理解できたが、何故突然そんなことになったのかがわからない。昇格クエストを受けて初めてランクアップ、が通例ではないのか。
疑問の声をあげるナギに、村長がにこにこしながら答えた。ナギのランクアップを祝福してくれているのが、なんだかこそばゆい。
「先日のファンゴの襲来。ナギさまのご活躍で、この村は無傷でいられました。重ねて、感謝申し上げますわ。そして、その功績は正しくナギさまをHR2へと昇格させるのにふさわしいもの。わたくしとギルドマネージャー、また村の方々にお集まりいただいて裁決をとりましたところ、全会一致でその案に賛成でしたので、予備のバッジを用意させていただきました。おめでとうございます」
「はあ…ありがとうございます」
まだ現実味がないが、もらえるものならもらっておこうと手を伸ばす。ひんやりとしたバッジを服につけると、なんだか自分もギルドの一員と認められたようで嬉しかった。
「本当のところ言うとな、村の全員が反対してもワシらはチミを昇格させるつもりだったんだ。まあ、丸く収まってよかったってとこだな。…ほれ、4ツ星からは採取ツアーに孤島と凍土、それに火山が追加されるだろ? これで全フィールドへは行けるっちゅーワケだ。今回のカエンヌみたいなことがまたあったら、頼りになるのはチミだからな」
「リーゼとエリザも、すぐ強くなりますよ」
「ひょっひょ、チミが言うなら心強いぜ。まあなんにせよ、ランクアップおめでとう」
「ありがとうございます」
集会浴場を出ると、深呼吸する。青い空を見上げると、ぐっと手を握り締めた。昨日の後悔と自責の拳ではない。これは決意の拳だ。
(……よし)
ナギは一直線にある高級宿へと向かった。昨日、リーゼとエリザを腕に囲ったとき、心に決めたことだ。
その宿には、雪路達シノノメ楽団が泊まっていた。
「マサゴ・シノノメ様ですか? 少々お待ちくださいませ」
小さな部屋に通され椅子に座って待つこと数分。思ったより早く真砂はやってきた。
酔いを引きずっているようにも見えない。今日もいつもどおり夜明けと共に起きたのだろう。
「お早うございます、凪」
「おはようございます。…突然押しかけてすみません。あの、雪路の病について、詳しくお聞きしたいんです」
「なんですか、藪から棒に……。貴方は、ナギ・カームゲイルとなったのではないのですか?」
「……そうです。今の俺は、もう天満凪じゃない。だが、雪路の、雪路と汀、岬の兄であることは変わりません。これからも、ずっと…。妹を守りたいと思うのは、兄として当然のことではありませんか?」
「……」
真砂はじっとナギを見つめていたが、やがてふっと柔らかく笑った。
「そうですね。申し訳ありません。血は繋がっていなくとも、貴方はあの子達の立派なお兄様でした。8年経っても、それは変わらないのね……、…あの子達が、慕うはずだわ。いいでしょう。お話します。一番詳しくご存知なのは菖蒲さんですから、ちょっとたたき起こして来ますね。少々お待ちくださいな」
「あ、いや。まだ寝てるんでしたらまた後日でも…」
「いいえ。良いのです。東雲楽団の楽団医ともあろう者が、太陽の天高く昇り詰めるまで布団でぐだぐだしているなど言語道断。昨日は随分はしゃいでいたからと大目に見てやっていたのですが、起こす良い理由ができました。ついでに汀達も起こして参りましょうね」
「雪路は……?」
「雪路さんは今、お部屋でお手紙を書いているとのことでしたが…少々聞かれると気まずいでしょうね。どうにか外出させられないでしょうか……。とりあえず、皆を起こして参りましょう」
真砂が席を立ち、きびきびした動作で戸を開ける、と、誰かの額に戸の角がドンと当たった音がした。痛くもないのに思わず自分の顔を歪める。痛そうな音につられた。
「痛ぁ!」
「だっ、大丈夫、エリザ…!?」
「……あら、貴女がた。エリザさんと、リーゼロッテさんでしたか。このようなところで盗み聞きとは、随分と高尚な趣味ですこと」
「「ひえっ。す、すみません!!」」
首をすぼめて戸の横に整列すると、厳しい目で自分たちを見る真砂を上目遣いに見やる。小動物さながらの様子にやれやれと目元を緩めた真砂は、そのまま「お入りなさいな」と室内へ2人を促すと、階段を上っていった。
そろそろとナギの向かいのソファに並んで座った2人は、ナギの静かな目線に居心地悪そうに身じろぎした。
「…で? なんで2人はこんなところで立ち聞きしてたの?」
「えっと……朝の鍛錬を、いつも2人でやってるんですけど…訓練所の一角で。そしたらシャンテが覗きにやってきて、わたしたちに教えてくれたんです」
「そう、あんたHR2に昇格したらしいじゃないの。それで、ええと…お祝いを、ね。言おうと思って、慌てて装備やら何やらを脱いで、シャワー浴びてたらちょっと時間経っちゃって、集会浴場が見えた時はあんたがちょうど出てきた時だったのよ。声をかけようと思ったんだけど…なんか…ちょっと声を掛けそびれちゃってさ」
「でなんとなくついてきてしまった、と」
「はい……。ここのご主人とは顔見知りだから、ナギさんのすぐあとに飛び込んできたわたしたちにご親切にここまで案内してくださって…」
村でナギに師事している2人のことを知らぬものはいない。2人も交えた対談をするのかと思ったのだろう。
そう大きな声を出して会話していたわけではないが、この分だと聞こえてしまっただろう。エリザがぷるぷると震えながら物欲しそうな顔をしている。リーゼロッテもなんでもない風を装ってはいるが、噂好きと相場が決まっている少女の持つ目の輝きは、隠せそうにもない。
「あの、雪路さん、ご病気なんですか? それと…その…」
「あんたたち義兄妹だったの? 血は繋がってないんだ?」
「ああ……。苗字の時点で気づいただろうけど、一応天満家では俺が長男。4つ下の雪路が長女で、その更に4つ下の双子がそれぞれ次女次男となってるかたちだが、全員両親が違うんだ。親父も、義母もバツイチでね。俺が親父と最初の妻の息子。母さんは俺を産んだあと肥え立ちが悪くて死んだ。雪路は義母――吹雪さんっていうんだけど、その人の娘で…父親は不詳。それで、そんな2人が結婚して、汀と岬が生まれた」
「ややこしいわね」
率直に言うエリザに苦笑しながら、「もっとややこしいこと言うと、」とナギは続ける。
「俺の母さんと吹雪さんは姉妹だったんだよ。吹雪さんが妹。…母さんが死んで意気消沈していた親父を慰めてたらしい。そんなわけで、ややこしい家庭ではひどくわかりやすく、俺だけ母親が違うというわけだ」
ふっと笑った顔は、2人の目には自嘲気味に映った。だがそれもすぐにもとの穏やかな微笑に塗りつぶされる。そうだ、とナギがぽんと手を叩いた。
「2人とも、話を聞いていたならわかるよね。俺は兄としてあの子の助けになれるならなりたいと思ってる」
「ええ、わかるわよ。あたしだって姉さんが病気で、自分が力になれるのならなんだってやりたいと思うもの」
「その手伝いの一環として、ちょっと頼まれごとしてくれないかな。頼まれごとといっても簡単だ。雪路にこの村を案内してやってほしい。年も2つしか違わないし、昔から雪路は内気だったから、できたらエリザみたいなタイプがぐいぐい引っ張ってやって、友達になってやって欲しいんだ」
「2つ? そういえばあんたの4つ下、って言ってたわね…てことは18歳!?」
「え、年上!?」
「同い年位に見えた? 東洋人は皆童顔でね。若く見えるんだよ……で、頼まれてくれる?」
2人は二つ返事で頷いた。もともとこの村で彼女達と近い歳の子供は、決して多いわけじゃない。新たな友人、それも外の世界の友人を作るとなると機会は限られたから、いいチャンスだった。
その上雪路はこの辺境の村にも噂が届くほどに有名な楽団の舞手というし、そんな彼女と交友関係を持てるなど滅多にないだろう。
「ありが「その代わり!」とう……え?」
ほっと笑みを浮かべたのも束の間、ナギのセリフをさえぎってエリザが畳み掛けた。どこか躊躇が残る顔で、だが、きっぱりと。
「教えてほしいの」
「何を?」
「あんたの……過去ってやつを」
「……」
前かがみになっていたナギはふっと身を起こし、そのままばたりとソファの背もたれにもたれかかった。ケルビの上質な毛皮をなめした高級品は柔らかくその背を受け止める。
目元を腕で覆い、天を仰ぐこと十数秒。
やがて起き上がったナギは、言葉少なにそれを了承した。
「わかった…話すよ……。……そういうわけで決まりましたよ、真砂さん」
開け放たれたままの扉の影からひょっこり顔をだした真砂は、ナギに隠れていたことを見通されてちらっと笑うと、青い顔の菖蒲を引きずって空いたソファに上品に座った。真砂の顔をみて姿勢を正す2人の少女は、思わず身を寄せ合った。
「汀と岬ももうすぐ来るでしょう」
真砂の言葉が終わらないうちに勢いよく扉が開き、転げるようにして汀がナギに突進してきた。
「にいちゃおはよう!」
「うぐっ……お、おはよ…」
二日酔いが収まっていないナギはガンガンと頭に響く高い声にうめき声をあげ、だが元気良く挨拶する年の離れた妹を引き剥がすわけにもいかずに顔を歪ませるだけだった。そんな彼の同士もまた、真砂の隣で「ぐおおおッ」と声を上げる。菖蒲だった。
「みー……その甲高い声でキャンキャン言うのはやめろ……頭に響く……」
「えー? あやにい今なんてー?」
「ごめん、汀…俺の方からも頼む…もうちょっと音量下げて……」
「凪にいちゃがみーを『みー』って呼ぶなら黙るー」
「わかったから、頼むよ、みー」
「はぁい♪」
「みー、てめぇ……っ」
「えへへー」
男2人頭を抑えながら幼い少女に翻弄されるのは、なんとも滑稽である。2人とも必死過ぎて周りの女性陣から冷ややかな眼で見られているのに気がつかない。岬はひとりカウンターに行ってお茶の注文をしていた。出来る弟である。
凪の頼みどおりそれきり口を閉ざした汀はソファの背もたれを足場に凪に肩車をしてもらい、ふんふん鼻歌を歌いながら肩につくまでの長さになった凪の髪を弄りはじめた。
「…さて」
こほん、と咳払いをした真砂が表情を変える。ここにいても良いものかと顔を見合わせるリーゼロッテ達だが、ナギに良しとされてふたたびしっかりとソファに座りなおす。
「なぜ雪路の髪が白くなったかということですが、説明は医者である菖蒲さんの方から致しましょう」
「あれは、半年前だった。晩飯を食って、夜の稽古をしていた時だ。突然雪路が高熱で倒れた。理由は俺にもわからない。多分、何かの感染病だとその時は思った」
熱は三日三晩続いた。空気感染する恐れもあった為、ずっと菖蒲が一人で看病を続けていた。もちろん、マスクに白衣の医者の重装備である。
といっても、優秀な医師であることを自他ともに認めている彼ですら一体なんの病なのかすら分からなかったため、ただ栄養価の高いものと薬湯を飲ませ、額に絶えず冷えた手ぬぐいを載せることしかできなかった。正直、特効薬の無いまま40度の高熱を3日も出し続けた雪路は、このまま助かる見込みはなかった。
ところが、4日目の朝。菖蒲が目を覚ますとこれまでの熱が嘘みたいに下がっていた。そして、うつらうつらとしていた菖蒲が目を覚ました時には既に、
「雪路の髪は、その名の通り雪みたいに真っ白だった、っつーわけだ」
紅茶が運ばれてきた。静かになった部屋に、店主がそそくさと部屋を出ていく。
再び菖蒲が口を開いた。
半年間。行く先々でその病について、なんの情報もないところから調べ始めた結果、雪路がかかった病はどうやら“竜鱗病”と呼ばれるものだということがわかった。
エリザが首を傾ける。
「りゅうりんびょう?」
「竜の鱗の病、と書いて竜鱗病だ。名前の由来は単純、身体のどこかに鱗みたいな痣ができるらしい。雪路にもある。脇腹だ。そして、調べた結果わかったのが……」
「それは不治の病である、と」
ナギの言葉に少女2人がハッと息を呑む。
菖蒲が無表情のまま頷いた。真砂は悲痛な顔をし、凪のとなりに座った岬は唇を噛み締める。汀は凪の髪をいじっていた手を止めて凪の首にすがりついた。凪はそっとその手を撫でながら、菖蒲に続きを促す。
「なぜ、その病が発症するのかは不明。特に子供に多いというわけでもなく、女に多いとかいうわけでもない。ただキッカリ三日三晩の高熱が続き、それに耐え切れなかったものは死、耐えてもいつの間にか身体のどこかに浮かび上がった青い鱗の痣が、患者を苦しめる。はじめは軽い内出血程度の色合いの痣だが、だんだんその色は濃くなっていき、最終的には真っ黒に壊死したようになっちまうらしい。色が濃くなるにつれてわかるのは、その痣がどんどん深くなっていき、最終的には骨に達するっつうこと。それも痛みはどんどん激しくなるのに、病の進行はだんだん遅くなっていくというタチの悪ぃ病だ……」
「それって、つまり……」
「痛みが激しくなればなるほど病の進行は遅れ、特効薬もないままに苦しみ抜いて死んでいくのさ。リーゼちゃん」
怯えた顔をしたリーゼロッテが、思わずエリザの手を握った。エリザも低い声で唸るように言った菖蒲の言葉に、唇を震わせた。
菖蒲は再び視線をガラスのテーブルに落として説明を続けた。
「病の進行速度は人それぞれらしい。それと、竜鱗病にかかったすべての患者が髪が脱色するわけじゃないそうだ。むしろ、雪路の他に髪の色が抜けたと聞いたのは、1件だけだ。非常に珍しいケースのようだな。そいつの言う通りなら、これから眼の色も抜けていくというが、今は目立った変化はない。……現在雪路の痣の色は最初よりやや黒ずんだた程度だ。半年でこれっぽっちしか病が進まないなんて、普通に考えたらおかしいが、まだたまにしか痛みがないようだから、それを喜んでいいのか悪いのか…」
やや言葉を切って、菖蒲は「それからもう1つ、不可解な点がある」と付け足した。
「不可解?」
「ああ。竜鱗病はここ2、3年前あたりからいきなり広まり始めた病で、患者もそれなりにいる特別珍しい感染病ではない。だから半年でこれだけ情報が集まったわけだが、その情報と雪路の病の進行に食い違いがある」
前かがみになった菖蒲が、声のトーンを落として言った。思わず皆身を乗り出して耳を傾ける。
「通常竜鱗病は痣が深まることで死に至るという原因不明の感染病だと言われている。痣の大きさは人にもよるが、だいたいこれくらいだそうだ」
手を開く。大人の男性の手のひらの大きさといいたいのだろう。「ところが、」菖蒲は続けた。
「雪路のそれは、はじめはこれの半分くらいしかない小さな痣だった。ところが今じゃ脇腹から腰、胸にかけてまで広がっている。竜の鱗が、侵食してるみてぇに…」
「広がって?」
「理由はまったくわからない。薬も効くかどうかは不明だが……それでもナギ、お前に頼みたい」
冷えてしまった紅茶を一気に飲み干したナギが、視線を菖蒲に向ける。いつになく鋭い視線に、戦闘職ではない菖蒲はたじろいた。
「……それで。真砂さんが言ってた高価な薬っていうのは?」
「特効薬はないが、病の進行を遅らせて傷みを抑える薬はあるらしい。それのことだ。普通の痛み止めじゃ効かないようだからな。調合書も手に入れてある、が、材料がはっきり言って一般人には到底手の届かない代物ばっかでな。ぶっちゃけると、今の汀と岬にはまだ手が届かねえ素材もある……手伝ってくれるんだろ?」
「当然」
「凪、お前の実力は昔から認めてるつもりだが、中には火竜の延髄なんてシャレになんねぇ代物もある。大丈夫なのか?」
「余裕だ。脳味噌掻っ捌いてやる」
「そ、そうか……」
普段より更に短いナギの返答は、彼が内心の動揺を押し殺していることを如実に表していた。その証拠に、行き場のない――強いて言うならば運命にとでもいおうか――怒りが、ナギの周りから殺伐としたオーラとなって溢れていた。
「大陸規定のレア度最高値7を誇る火竜の延髄を、余裕なんて……流石ですっ! 兄さん!!」
そんなオーラをものともせず青い目を輝かせた双子の弟こと岬は、尊敬の眼差しで年の離れた長兄をみつめた。汀は菖蒲の言葉にぶーぶーと文句を言っていた。
「で? 必要なものは?」
「ああ、これだ」
懐から出した紙に書かれていたのは、全部で 9種類の材料。
ケルビの角、いにしえの龍骨、アルビノエキス、女王虫の尻尾、火竜の延髄、モスの苔皮、龍殺しの実、雪山草、深血石。
「新大陸にはないものまであるのか」
「その点は抜かりない。お前にはいにしえの龍骨と火竜の延髄、それから深血石を頼みたい。流石に1人じゃアレだし、みーと岬もついていきたいだろうから、一緒に行ってやってくれ」
「ひとりでも問題ないが……」
「みー行きたい!」
「僕も行きたいです!」
「……そういうわけだ。みーの暴走は大抵岬が止めるが、まあよろしく頼む。お嬢ちゃんたちには、雪路を頼みたい」
「分かりました!」
「了解。ユクモ温泉たまごでもたらふく食べさせてあげるわよ。栄養価高いし。もちろんお代はそっちもちだけど」
ふたたび雰囲気が明るくもどった応接室。すぐにでも向かおうと準備をするため双子は階上へ駆け上ってゆき、ナギはとりあえず一旦我が家に帰って用意を整えることとした。既に多数の村人にデュラクの存在は知れ渡っているため、今更隠そうとしてももう遅い。
「往復で2時間弱かかるって、岬達に伝えてくれる?」
「分かりました。」
「結構遠いよね。不便だ」
青空を見上げると、思わず次いで言葉が出た。
「……ここに引っ越そうかな…」
「え? ほんとですか!?」
一番の気がかりだったナルガクルガを、予想外に村人が容易に受け入れてくれたことに対して戸惑いは拭えないが、もちろんそれは歓迎すべきことである。となれば、ナギがあの人の住みにくい地にわざわざ根を下ろす必要性はないわけで。
自分を受け入れてくれた彼らのもとに身を寄せたいと思うのは、長年1人暮らしを続けてきた22の青年にとって当たり前のことであった。
「人肌恋しくなっちゃった? 家なら多分すぐ建てられるわよ。村長は是非あんたにここにいてもらいたいだろうしね」
(すべてを話して、それでもこの関係が崩れなかったら……)
俺はここに居を構えようか。
両側から腕を掴んでわくわくと見上げる弟子たちを見下ろし、ふっと苦笑したナギはぽんぽんと赤金と藍の髪を撫でた。
「全ては、話を終えたあとにね」
広場をつっきって入口へゆく。途中ルイーズが肩に飛び乗り、特等席でゴロゴロと喉を鳴らしながら、いかに自分が素晴らしくナギを自慢してきたかを説明した。はいはいと適当に相槌を打ちながら、道すがら村人に朗らかに挨拶されたことが嬉しい。
「よっす! カームゲイル! オイラは午前中ゲロゲロ吐きまくってすっかり二日酔いが治ったぜ!」
「そいつは……良かったのか?」
「なんで疑問形なんだよ! 素直に褒めやがれ! ノリ悪ぃなこのやろうっ」
午前中ずっと嘔吐していたというのは、想像するだけでこちらの気分も悪くなってくるのだが、それは褒めるに値することなのだろうか? それともそれを乗り越えたことを褒めろということか。それならすごいなとも思う。
最初に会った時のギスギス感はどこへ行ったのか、村を助けたナギの株は自称“ユクモの鬼門番”ロウェル・クロッツェンの中ではどうやら上がったらしく、機嫌よくバシバシと背中を叩かれた。
というか、多分以前会ったときに起きたことを全て忘れていそうだ。こいつなら。
エリザに道端の虫の死骸を見るような目で見られたことも全て忘れているに違いない。こいつなら。
なんとなくの雑談を交わし、それじゃあと手を振ったまま慣れた指笛を吹く。
ヒュゥィイイ!!
指笛は天高く響き、それは村の人々の注目を浴びるのには充分すぎた。
ナギが渓流にいないときは近場の山のどこか、できるだけ主のそばにいるデュラクは、数分もせずに急降下してきた。
風圧にロウェルが吹っ飛ばされるが、慣れたナギは一歩足を後ろに下げるだけで顔に笑みを浮かべた。
「デュラク」
ピィ!
村人や観光客の好奇と尊敬や感嘆の視線を背中に受け、ひらりと慣れた調子で艶やかな黒毛に飛び乗る。
ふわりと浮き上がったデュラクは、村の上を一回旋回してから渓流へと速度を上げていった。
耳元を通り過ぎる豪風の音は久しぶりに聞く音だった。
「なあ、デュラク」
ピィ?
「俺がユクモ村に住むって言ったら、お前はどうする?」
前代未聞の村となるだろう。
飛竜の加護を受けた村となるのだから。
ピィ…ピュィエア!
――ついていくよ。
なんとなく伝わるナギとデュラクのいつもの会話。
「そうか……ありがとな」
ピィ~♪
――もちろん♪
となれば、あとは妹を助けるのに全力を尽くすまでだ。
決意の拳を握り締め、ナギは虚空をにらみつけた。
(それともうひとつ。耳に入れたい話がある)
凪が立ち上がったとき菖蒲が耳打ちした言葉が、耳奥に木霊する。
(嘘か誠かわからんが、竜鱗病患者は誰も彼も村八分というか、そんな目にあっていた)
(なぜ?)
(“竜を招く”んだと)
(は?)
(“竜鱗持ちし者は竜の眷属となりて、その血は同胞を喚ぶ神子の贄とせん”。単なる病の伝染を怖がった民衆が作り上げた法螺話かもしれん。が、一応耳に入れたくてな。雪路の病について知っているものは、楽団ではさっき話した人員と港さんと吹雪さんしかいねえ。お前、守ってやれよ。義妹を)
(守ってみせるさ。必ず)
俺は、そのために力を得た。
後書き
これから受験期なので更新が途絶え気味になるかとおもいます。具体的にいえば、月に1話出るか出ないか。10月か、11月入ったら完全に凍結かと。
申し訳ありません。
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