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イーゴリ公

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第一幕その三


第一幕その三

「夕焼けは色褪せ夜が大地を包み込んだ」
 今の時間であった。
「草原も暖かく優しい夜に包まれた、僕の心と同じく」
 それを自分にも重ね合わせる。
「僕はその中で心を躍らせ君に会いに行く。君は待っていてくれているだろうか」
 恋人のことを思うのだった。
「待っていてくれ、僕は君に恋焦がれ君の愛が欲しい。だからこの夜の中君の下へ向かうのだ」
 足を進める。その中でまた思うのだった。
「君はいてくれるか、待っていてくれるか、君の抱擁に出会えその中に身を沈めることができるのか。星達よ教えて欲しい」
 上を見上げれば星達が瞬いていた。それが夜の空を彩る。濃紫の空に無数の星達がそれぞれの輝きを放ちウラジミールを見下ろしていたのだった。
「この夜の中、君の下へ」
 今彼はそこに来たのだった。その愛しい者がいる場所に。見ればその黒服の姫がいた。
「ウラジミール」
 コンチャコーヴァはまず彼の名を呼んだ。その低めだが美しい声で。
「貴方なのね」
「はい、私です」
 ウラジミールも彼女に応えるのだった。
「今ここに」
「来てくれたのね」
 コンチャコーヴァは恍惚とした声で彼に問う。それと共に姿を現わすのだった。
「私のところに」
「そうです」
 ウラジミールはまた彼女の問いに応える。そうしてその前へ駆け寄るのだった。
「私は貴女に会う為にここに来たのです」
「私は待っていました」
 コンチャコーヴァもそれに応えて言う。
「貴方をここで」
「同じなのですね」
「はい」
 こくりと彼の言葉に対して頷いてみせた。
「私達はもう同じです」
「これからずっと」
 そう言い合って抱き合う。抱き合えばすぐにお互いのぬくもりを感じるのだった。そのぬくもりを感じながらまたそれぞれ言い合うのだった。
「私は貴女と共にありたい」
「私もです」
 二人の気持ちは同じであった。またしても。
「このまま一緒にずっと」
「では私の夫になって下さるのですね」
 コンチャコーヴァはそうウラジミールに問うた。
「これからずっと」
「それができればどんなにいいか」
 了承の言葉だった。彼もそれ以外のことは言えなかった。
「後は」
「父上が許して下されば」
 それだけであった。二人の間にあるものは。
「私は貴方と共に」
「最も大切な人と」
「そう呼んで下さるのですね」
 コンチャコーヴァは今娘として最高の喜びを感じていた。愛しい者の最も素晴らしい言葉を受けたのだから。それは当然であった。
「この私を」
「何度でも」
 ウラジミールも言うのだった。
「私もですわ」
 コンチャコーヴァもそれは同じであった。
「私の父上も同じお考えだと思います」
「では後は」
 ここでウラジミールは気付くのだった。
「私の父上だけですね」
「貴方のお父様は何と」
 他ならぬイーゴリ公のことである。彼等の間にはもう一つ考えなければならないことがあった。こちらはコンチャコーヴァの父よりも複雑な問題があった。
「わからない」
 ウラジミールは苦い顔でそう答えた。
「父は捕虜だ。私もそうだから」
「何も言えないのね」
「考えることすらできない」
 彼は言うのだった。
「今の状況にどうしようもなくなっているから」
「そうですの」
「はい。しかし私は」
 それでもウラジミールは言うのだった。
「それでも貴女を」
「私も貴方を」
 二人は秘密の逢引の中でそう言い合うのだった。だがどうしても二人の間にあるものを忘れることができなかった。それはどうしようもなかった。
 公爵はその中で一人たたずんでいた。宴にも出ず自身に与えられたパオの前で立っていた。夜空の星達を見てただ立っているだけであった。
 その中で彼は呟く。己の虚しい心境を。
「疲れ果てた魂には夢も休息もなく夜が訪れても慰めも忘却もない」
 その二つすら得られない。彼の嘆きは多きかっら。
「私はこの夜の闇の中で昔のことを悔やむだけ、宴も勝利もなく今あるのは惨めな結末と破壊があるだけ。敗北とはこのようなものだった」
 それを感じれば感じる程辛くなる。その辛さがさらに彼を責め苛むのであった。
「祖国の為に命を捨てたが軍は壊滅しこうして虜囚として生き恥を晒しているだけ。何という運命か。だが」
 彼は顔を上げたままであった。うなだれることはない。それもまた言うのだった。
「必ず私はルーシーに帰る。そうして愛する祖国と妻を」
 妻の顔が夜空に浮かぶ。愛する者の存在がさらに心を奮い立たせるのだった。
「守ってみせる。何があろうとも。しかし」
 それでも思うのは。祖国の危機であった。
「妻もまた悲嘆にくれ祖国は敵の馬蹄に怯え続けている。全ては私のせいだ」
 また己を責め苛む。どうしようもなく。
「希望はなくとも。何があろうとも必ず」
 しかし誓う。神と他ならぬ己自身に対して。
「私は祖国を守る。妻もまた」
 空はまだ暗い。しかし公爵はそれでも上を見続けている。その彼のところに彼の従者がやって来たのだった。
 
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