ソードアート・オンライン ~無刀の冒険者~
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GGO編
episode2 赤い目と、空色の夢
砕ける愛銃の赤い破片を、俺は開ききった瞳孔で見た。同時に、俺の中の何やら分からない力……呼白さんの言葉を借りるなら、『魂』とやらに刻まれた力は、霞む様に消えていった。ゆっくりと速度を取り戻す破片の落下を、ただただ見つめる。
いや、見つめた、という表現は、適切ではないか。呆ける俺の、焦点の合わない視線の先にあったのが、その赤く輝く無数の結晶だったというだけだ。銃口を射抜かれたのだと分かったのは、もうすぐそこにいる男の、髑髏マスクの下から勝ち誇った笑いが聞こえた後だった。
「……クク。……馬鹿な、男だ。こうも、容易く、罠に、かかるとはな」
しゅうしゅうという耳障りな笑い声。
あの世界での、最も憎んだ声の一つが、俺の意識をなんとか繋ぎとめた。
(っ、くそっ、……!)
そこまで言われて、ようやく思い出す。
光学銃を防ぐ、失念していた、あの装備。
「ちぃっ!!!」
霞む脳裏を奮い立たせ、腕を振るう。
投げつける、ポーチから取り出しておいた、最後の手榴弾である左手の閃光弾。だが、閃光弾は単なる目晦まし、時間稼ぎに過ぎないし、何より俺の予想通りなら例えこれがプラズマグレネードであっても死銃にダメージを与えられないはず。しかしそれでも、今は時間がほしい。
素早く反応した死銃がマントを翻す。
その下に、俺は見た。
三点式のシートベルトの様に体に装着された、見覚えのある装置。
(やられた……!)
瞬間、全力で走り出して距離を取る。
幸い五体は満足、移動に難は無い。
(……『魔鎖夜』の、《耐光学兵器反射フィールド展開アーマー》! 殺して奪ったのか!)
思い出すのはかつて狩りで何度か交戦経験のある、アサルトライフル使い。
確かあの男も、このBoB大会本戦に参加していた一人だ。この反射防具がサーバーに一つの激レア装備であることを考えるに、恐らくこの死銃に撃たれた後に、装備を剥ぎ取られたのだろう。アレがあれば俺の《カノープス》はおろか、あらゆる光学兵器のダメージをほぼ零にできる。プラズマグレネードも、そして、
(っっ!!! マズい!!!)
そこまで考えて、一気に体中の血の気が引くのを感じる。
光剣……フォトンソードも、この反射防具の影響を受ける。勿論そんな骨董品な武器を使う阿呆などそうそういはしないが、今回のBoBにはその阿呆の筆頭が参加しているのだ。あの男は恐らくコンバートしたて、こんなレア装備など知っているはずがない。
そして。
(こいつが、キリトを見逃すはずがねえ……っ!)
当然、キリトを狙うだろう。この男の過去を考えるに、「もう一人殺す」がキリトである可能性は高い。だが、キリトはあのキリト、たとえ見慣れぬ光剣を使っていようとも見間違いようも無いあの太刀筋の『勇者』であり、この目の前の男に負けるとは微塵も思っていなかった。しかしこいつがあんな隠し装備を持っていれば、その一撃は弾かれかねない。そしてこれだけの大口径のライフル、その一撃の隙は文字通り致命的だろう。
「っく、くおっ!!?」
必死に走る俺の体を、飛来したライフル弾が掠めた。そのたった一撃で、俺のHPが一割以上減少する。この距離で……いや、たとえある程度離れていようと、直撃を受ければ一発で御陀仏だろう。必死に走り、先読みされなように不規則な軌道を描いて逃走する。
今は逃げるしか、出来ない。
(……っっ!)
唇を、噛み締める。完全に、読み負けた。
既に俺の武器は全て破壊されてしまっている。この世界に存在する《体術》には、一応《|軍隊格闘術(アーミー・コンバティブ)》というものが存在するのだが、それはソードスキルはおろか俺の得意とする手刀、足刀などの技は殆どなく、絞め技や固め技を主とするスキルなのだ。
そもそもこの世界の防具はファンタジーな鎧とは違って銃火器を防ぐための強固なアーマーなのだから、当然その硬さの前には拳での打撃なんぞの威力はまともに通りはしない。それこそ光剣のような特殊武器でもない限り、接近戦に持ち込んだとしても、とても手数で押し切ることは出来ない。
無手の俺では、どうにもならない。
(……ちくしょう……っ)
ぼやける視界のなかで走り、必死に距離を取る。
俺は、悔しいくらいに無力だった。
◆
「はあっ! はあっ! はあっ!」
切れるはずのない息を荒げて、俺は膝をついた。
必死に逃げて辿り着いたのは、巨大なサボテンの影。幅広な遮蔽物は全方位を覆うわけではないが、不可視の固定砲台となって俺を打ち続けていた死銃相手に少しは時間を稼いでくれそうだった。少なくとも、俺の息が整うくらいの間は持つか。
いや。
(……死ぬ覚悟が、出来るまでの間、かもな……)
逃げ惑う中で、俺の心は半ば以上折れてしまっていた。
圧倒的な戦力差に、濃厚な敗北の気配に、完全に呑まれていた。
(ザマねえな……死ぬのか、俺……)
整わない息のまま、乾いた笑い声を洩らす。
あの男の銃が、本当に相手を殺す力があるのなら、俺がここで殺される可能性は十分ある。
赤目のザザ。かの伝説のゲーム、『ソードアート・オンライン』に参加したSAO生還者の一人にして、最悪の殺人者ギルド、『笑う棺桶』の幹部だった男。
そして何より、俺の最愛の人を殺した男の一人。
(ザザ……)
あの夏の日の深夜の『ラフコフ討伐戦』において、俺がこの手でその剣を砕いて無力化し、牢獄へと送った男。あの時の死闘は、かろうじて俺に軍配が上がったが、どうやら今回は逆の結果になりそうだった。そして奴に、奴の言うところの『本当の力』があるのなら、今はあの時の恨みを晴らす絶好の機会だと言えるだろう。
(……情けねえ……)
奴は確かに「この大会中にあと一人を殺す」と言った。しかし、一人しか殺さない、とは、言っていないのだ。極論もし制限なく殺せるのなら、あの防御フィールドに透明化マント、大口径狙撃銃、そして死を司る黒い拳銃、《デス・ガン》でこの大会の参加者を片端から殺すこともできるわけだ。
そして俺は、それを眺めていることしかできない。
俺が、あのマントを渡してしまったのに。
俺が、あの男を殺し損ねてしまったのに。
(……くそっ……)
悔しさに、視界が歪む。叩きつける拳が、地の砂を弾く。
一度極限まで高まった集中力が切れたことで、思考が徐々に霞んでいく。
(ダメだ、今、意識を飛ばすわけには……)
必死に自分に言い聞かせる。
しかし、その甲斐もなく、視界が暗転した。
あの世界でも経験した、思考の加速後に訪れる独特のブラックアウト。
そして今回は、もしかしたらもう目覚めることは無いかもしれない、意識の暗闇。
その暗闇に、呑まれる、その瞬間。
(もしかしたら、目が覚めたら、ソラが目の前に居たりしてな……)
そんなあるはずもない希望を描いて、俺はゆっくりと目を閉じた。
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