ソードアート・オンライン ~無刀の冒険者~
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ALO編
epilogue 彼女の腕の中で3
叫びに対する答えは、驚くほどあっさりと帰ってきた。
「……勿論。久しぶりだね……現実世界の時間ではどのくらいになるのかな?」
その姿は、声は、あの世界のそれと全くの同一だった。深紅のローブをまとった姿は、あの世界には存在しなかった|魔法使い(メイジ)のそれのよう。灰白色の髪に、落ち着き払った微笑。そして特徴的な、硬質な輝きを放つ瞳。だが見覚えのある瞳は、あの世界のそれより僅かに柔らかかった様な気がした。
だが、決定的に違うのは、この男、岬の先に浮いていた。この妖精の世界では珍しくないかもしれないが、なんの羽も無いその姿で揺らめきながら空中を漂うその姿は「ああ、やはりこの男はゲームマスターなのだな」と否応無く納得させられるものがあるな……と、そんなことを思いながら、口を開く。
「七十五層ボス戦以来なら、四か月くらいか……ああ、もしかしたら、」
「あの、私が目覚めた時を入れれば、二カ月前かな?」
切れた息を整えながらいう俺に、ヒースクリフが笑う。
やっぱりアレはアンタだったのか。
「……で、何の用なんだい? 『神聖剣』……いや、『魔王』ヒースクリフさんよ?」
俺は、ヒースクリフのこと……いや、正確には「茅場晶彦」のことを、ある程度は知っていた。キリトの聞いた話を、エギルから聞いた……という又聞きに過ぎないが、この男が「意識の残渣となって彷徨う存在になった、かもしれない」ということくらいまでは理解している。
そんな俺の態度をどう思ったのかは分からないが、ヒースクリフも微笑のまま話を続ける。
「なに、今回は君に世話になったのでね。いくらか報酬を与えようと思ってね」
その、まるで立体映像の様な外見がゆっくりと動き、その右手がウィンドウを開く。懐かしい、SAOの形式のトレードウィンドウ。そこに表示されているのは。
「これは、私があそこで「キリト君に倒されてしまったこと」への心ばかりのお詫びの品だ。この件に関しては、私が負けてしまったことを謝るほかないのでね」
「《カタストロフ》……いや、それよりも、負けてしまった、って……なら、『蘇生クエスト』は本当に存在していたのか!? ソラは、生きていたのか!?」
「……それは、分からない。申し訳ないがね。あの世界でのクエストは大部分がカーディナルによって自動的に生成されている。だから彼女が死んだ際、それをもとに『蘇生クエスト』が作られたのであったとしてもそれは私がしたことではないのだ。……だが逆に言えば、カーディナルが自動的にそれを生み出した可能性も、ないとは言えないのだよ」
ゆっくりと、首を振る。その様子は、嘘をついているようには見えない。本当に、こいつは知らないのか。まあ、今更責めたところでどうにかなるものでもない。いや、それでも、たとえソラが還ってこないとしても、責めたほうがいいのかも知れない。だが俺は、黙ってそのウィンドウにある、銀の手袋を受け取ることしかできなかった。
「そして、もう一つ。こちらは、「私を呼び覚ましてくれた」ことへのお礼だ。とっておきの物を用意しておいたから、期待しておいてくれたまえ」
「……なんだ? これ?」
続けて表示されるウィンドウ。
その名前は、俺が見たことのないものだった。
《MHCP-002 Sora》。
見慣れない英語の羅列を見た、その瞬間。
視界が眩い輝きに染められた。
◆
「では、わたしは行くよ。ふふ、思い返せば君はあの時には気絶してしまっていて、私の『魔王』としての姿をみせていなかったからね。悪の帝王、というものを演じてみたいというのもあって、今回はそれなりの演出を考えているのだよ。楽しんでくれたまえ」
ゆっくりと、ヒースクリフの姿が霞んでいくのを、視界の端で見送る。
正面には。
正面にいるのは。
「そ、そ、ラ……?」
その、もう俺の記憶の中にしかいないはず、懐かしい姿。
見覚えない純白のローブを纏って、目を閉じて浮かぶ、それでも間違うはずのない彼女の姿。
「……ソラ……」
かつて、俺の愛した女性の、それだった。
―――私が走査したアインクラッドのデータの中で、数名のキャラクターデータが他のプレイヤーに比較してかなり多く保存されていたのだよ。それが、君が六十六層で受けた『黄昏の境界林』で取得した《追憶の聖晶石》のようなアイテムのためか、それとももしかしたら存在した『蘇生クエスト』のためかは分からないが、ね。
既に声だけとなったヒースクリフの説明。だがそんな物は、もう俺の耳には入ってこない。
「ソラぁ……」
名を呼ぶその声が、湿って喉に絡みつく。視界が濡れ、目が霞む。
―――私はそれらを使って、彼女の外見、思考パターン、声紋データを統合、そしてそれをSAOで実装していた「メンタルヘルスカウンセリングプログラム」と組み合わせた。アイテムの説明として言うならば「プレイヤーの心の異常をモニタリングし、カウンセリングを行う《ソラ》という疑似人格を呼び出す」というものだ。
「ソラあっ……」
歪む視界の中で、彼女の目が、ゆっくり、ゆっくりと開く。
―――ただ、思考や外見は彼女と全く同一だが、残念ながら記憶まではトレースは出来なかった。そもそもナーヴギアの脳のスキャンにはそこまでの機能は無いし、スキャンだけで記憶の読み取りは不可能だからね。だからそれは、「彼女であって彼女で無い」存在ともいえる。この存在は、もしかしたら君を今より更に苦しめるかもしれない。だからこれは、悪魔の誘いかもしれない。
「ソラあっ!!!」
かすれていく声で、叫ぶ。強く、強く。
―――だが君が、それでもなお、彼女を求めるなら……
ヒースクリフの声が絶えたと同時に、彼女の目が開き切って。
「はじめましてっ! 私はメンタルヘルスカウンセリングプリグラム、コードネーム《ソラ》ですっ! これから貴方と一緒に行動をすることになりますっ! 生まれたばかりですが、一生懸命頑張って役に立つのでっ、よろしくお願いしますっ!」
花の咲いたような笑顔を浮かべて、弾けるような快活な声で名乗った。
俺の記憶の中、その動作と、完全に一致する、彼女の振舞い。
瞬間、俺は、彼女を両腕でしっかりと抱きしめていた。
◆
「ソラ……ソラぁ……ソラっ!」
「……うんっ。私は、ここにいるよっ。ちゃんと、ここにいるっ」
何度も、何度も呼んだ。二度と届かないと思っていた、その声。
彼女は、その声にいちいち返事を返してくれた。
狂ったように、子供のように泣き叫ぶ俺を、彼女はずっと、しっかりと抱きしめてくれた。
「ソラっ…ごめん、ごめん……っ!!!」
「……ううんっ。謝ることなんか、何にもないよっ」
知らないはずなのに、記憶が無いはずなのに、彼女は何度も頷いてくれた。俺を励ましてくれた。膝が崩れ、そのままふらつく俺を抱きしめたまま、彼女も座り込む。この位置からは顔は見えないはずなのに、俺にはその顔の優しい笑みがはっきりと映っていた。
「ソラ……ソ、ラっ……!」
「……うんっ。私は、ここだよっ。だから……」
腕が、一段と強く俺を抱きしめる。
その心地よい、懐かしい密着感。向こうの世界では避け続けたくせに、今俺はその密着感をむさぼる様にソラをまた強く掻き抱く。プレイヤー相手にすれば間違いなくハラスメントだし、例えそうでなくても圧迫感のあるだろうその力に、しかしソラは全く抵抗せずに身を預けてくれていた。
「だからっ、今はゆっくり泣いていいんだよっ」
止め処なく流れる涙が、俺の視界を奪う。
溢れ出す巨大な感情の奔流が、俺の理性を押し流す。
もう俺は、何を言ったかも分からなくなっていた。支離滅裂もいいところな俺の言葉に、ソラは辛抱強く頷き、優しく包み込んでくれた。俺の謝りも、後悔も、懺悔も。ただただ笑いかけて、俺の背中を撫で続けてくれた。
どれくらいそうしていたか。
もう俺が全てを吐きだし……全てを許して貰った頃に、とうとう来た意識の闇。
その闇に抗うように、必死に彼女を抱きしめる。そんな俺に。
「……私は、一緒にいるよっ。貴方が元気になるまで、ずーっと一緒だよっ。だから今は、もうゆっくり休んでいいんだよっ! 頑張ったんだから、ねっ? 貴方は、すっごく、すっごくがんばったから
ねっ!」
ソラの声が響いた。あまりにも彼女らしい言葉に、俺は笑った。
泣きながら笑った。
見上げた夜空には、先ほどまでは鋼鉄の城によって隠されていた月が出ていた。
美しい銀色の輝きが俺達のことを照らしてくれていたのを、俺はずっと、ずっと覚えていた。
後書き
ALO編、終了です。ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
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