ソードアート・オンライン ~無刀の冒険者~
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番外編
再びの『合奏』を求めて
「……っ……」
タンっ、という軽やかなな音が、薄暗い朝の澄み渡った空気を貫いた。聞きなれない者にはなんの音かわからないだろう音だが、すでにこの音を一年以上も聞き続けたレミにとっては実に耳に慣れた音だと言えた。
―――刃先を持つブーメランがマトに食い込む音。
「……」
いつもであればこの音は、自分の腕の確かさを教えてくれる音であり、戦いへと赴く自信を持たせてくれる音だった。しかし今は、その音が重くレミの心に圧し掛かっていた。いつもの無表情が歪むほどに引き締められた唇は、現実であれば血がにじむほどであったろう。
「っ!!」
と、次の瞬間。
彼女の体は大きくつまずき、頭から地面へと打ちつけられていた。
◆
(―――当たらない)
そのことに気をとられた瞬間、私の体は大きく吹き飛んで、顔面から地面に擦りつけられるように転倒した体は、かなりの勢いで走っていたせいで体が大きくバウンドして転がる。ここが『圏外』だったら相当量のダメージを受けただろうし、現実世界だったら命を落としていたかもしれないが、ここでは問題ない。
二度三度頭を振って意識をはっきりさせ、再び準備に取りかか……ろうとして、もう周囲が明るくなりつつあることを知った。
(……まだまだ、こんなんじゃ足りない)
嫌な感覚の残る頬を擦りながら起き上がり、眼前の的を見つめる。そこには確かに、一本の刃が深々と的の中央を貫いている。今までであれば、それは自分にとって十分な成果だったと言えるだろう。
けれども、今の自分は、それでは足りないのだ。
(……どこで、間違ったか……)
ちらりと見やる、的の周囲。
刺さったものよりはるかに多い数の刃が、無残に転がっていた。
(……もう、ちょっと、再計算が必要……)
今までの自分ならばありえないその惨状に、眉をひそめる。
この『新しい試み』を始めたときから覚悟はしていたことだったが、こうして自分の酷い命中精度をまざまざと見せつけられるのは正直いい気分はしない。普段の自分であれば三日と持たず投げ出していただろうと思わせる光景だと思う。
だが、やめられなかった。
この徒労としか思えない朝の訓練を、自分はもう一か月も続けていた。
それはつまりは。
(もう、一ヶ月も経つんだ……)
あの事件から、一ヶ月が経ったということだ。
そう言うとはるか遠い昔の様だが、自分としてはあっという間だったようにも思う。
(さて、と。帰ろう……。家(・)に)
ソラとの別れから、一ヶ月。
私は一人だけ、まだギルドホームで過ごし続けていた。
◆
私は、知っていた。ソラが、遅かれ早かれ助からないことを。
なぜなら、本人にそう言われていたから。
―――私は、多分|持(・)|た(・)|な(・)|い(・)んだっ。
ある晩、二人きりでの会話で、彼女はそう言った。
その口調は、まるで明日の朝食を語るように、いつもと同じ明るい口調だったのを覚えている。
―――私の……えっと、現実での私の持ってる持病でねっ。ベッドでずっと寝てるってのも理由だけど、なんていうのかなっ、あっちこっちに……血栓? 血のカタマリが詰まっちゃうんだっ。詰まる場所が体だったらまだいいんだけど、頭に行っちゃうこともあるんだなこれがっ。そうするとさ、手術出来ないじゃんっ? ナーヴギア被ってるとっ。
困ったような、照れたような笑顔での言葉。
明るい口調の裏で、泣きそうなくせに。
それでも、強く、眩く笑いながら。
―――一年半くらい経ってからかなぁ? なーんか急に体に力が入らなくなったりすることが、時々あるんだっ。多分、向こうの体がおかしくなっちゃってるんだ、と思う。だから私はきっと……んー……皆と一緒に最後までは行けないんだっ。
あまりにも眩すぎて、どんどん霞んでいくように笑って。
―――でも、レミは。レミは、ずっとレミのままでいてね? 私は、|コ(・)|コ(・)が大好きだから。
―――私の代わりにっ、ココを、ずっと守ってて、ね? 変わらずにいてね?
彼女はそう言った。
私は、その言葉に頷いた。
口下手な自分が出来たのは、頷いて、約束することだけだったから。
そう、私は約束したのだ。
あの時、この場所を守ると。たとえ彼女がいなくても、ココを守ると。
だから私は、彼女自身は守れずとも、その約束だけは絶対に守ってみせる。
◆
私は、変わらなかった。変わらずにいると、ソラと約束したから。
でも、周りは変わってしまった。その変化に抗おうと、私は頑なに以前の生活を守った。
(……変わらないように)
家に帰ってすぐに準備した簡易料理道具がアラームを鳴らしたのを確認して、テーブルに置いておいたカップに注ぐ。自作の、お気に入りのマグカップ。色違いでよっつ作ったのだが、今取りだされているのはピンク色の自分のもの、一つだけ。
(……変わって、しまわないように)
皆で囲んだ食卓に並ぶ四つの椅子はあの頃のままだが、その内三つは空席。そして一つは、もう未来永劫埋まることはない……が、それは分かっている。分かっているが…いや、やめよう。考えるのを放棄して前を向くと、家具の一つの上に置かれた写真立てが目に入った。
写真。四人で撮った映像結晶から作った、ギルドの集合写真。
皆、弾けるような笑顔だ。笑うのが苦手な自分も、精一杯に笑おうとしている。
(……へんな、顔……)
自分ではどうしてもそう思ってしまう、ぎこちない笑顔だった。
(ん……)
視線を逸らすと、その脇に並ぶのは、四体の人形。可愛らしいストラップ付きの手作りのそれらは、実は結構な自信作だった。皆はハズカシイだオタクだディフォルメだと好き勝手言っていたが、誰が処分するでもなく結局このまま置きっぱなしになっていた。
(いつか、戻れるかな……)
変わってしまったものを、元通りに。完全では無くても、ある程度は。
具体的には、ソラが笑って満足してくれるくらいに。
立ち上がる。
その為に頑張ることは、山ほどある。
有難いことに自分は、山ほど頑張れることを知っていた。
「……よし……ふぁいとー。おー」
一人で気合いを入れて、だんだんと明るくなり始める外へと歩き出した。
◆
あの夏の日、私は迷わず逃げた。その判断に後悔は無い。あの近距離戦、遠距離攻撃専門のブーメラン使いが残っても出来ることなど何も無い。正真正銘足手まといだ。素早く判断していつでも使えるように転移結晶を取り出し、隙を見てすぐに転移脱出した。
脱出の瞬間、最後に見たソラは、笑っていた。
殺人者を相手に、怖くないはずはないのに。
元の世界の病気で、体を動かすのさえ辛いはずなのに。
私にだけ見せてくれた涙は、泣き顔は、弱さは、そこには無かった。
いつもの能天気な、それでいて何もかもを包み込むような笑顔。
『攻略組』を励まし、私達を支え続けた、女神の様な微笑で、私を見送った。
女神。
思えば彼女は、よくそんな風に言われていた。
でも、私は知っている。
ソラはそんな、女神様なんかじゃないことを。
いつも恋したり、悩んだり、時には泣いたりする、ただの一人の女の子だったことを。
だから私はその、女神と称された笑顔は、あまり思い出さない。
私は、私だけが知るソラを想う。
それが、私の役目だと思うから。
ああ、そうだ。私だけ、じゃないかもしれない。
今から会う彼女も、もしかしたらソラのそんな姿を良く知っているだろうな。
◆
「……やっほー」
「いらっしゃい、レミ。今日は随分早いわね?」
無愛想な挨拶に満面の笑みで応えてくれたのは、行きつけの……というか、自分の作った革製の鞘の卸し先である店の店主だ。ピンク色のショートの髪に、ダークブルーの円らな瞳。纏うウエイトレスかメイドの様な服装は、その道に詳しい自分から見てもなかなかにセンスが良い。店の奥の私室でテーブルに座って、手にはいつもの工房用ハンマーでは無くコーヒーカップが握られていた。まだ朝食中だったのか。
「……ぶれっく、ふぁーすとー」
「ああ、ごめんね。レミはもう食べてきた? とりあえずコーヒー出すわね」
妙に真面目なところのある親友……リズベットが律儀に椅子から立ってもてなしの準備をしようとするのを、ひらひらと手を振って制する。物分かりのいいリズは「あらそう?」とだけ言って、また椅子に座ってくれた。自分は遠慮するような人間では無いことを、良く知っているからだ。
こういった、気を遣わずに済む友人がいるというのは、幸せなことなのだろう。
「……ぷれぜんと、ふぉーゆー」
「は? ってああ、仕入れね。早かったわね、もう出来たんだ?」
椅子に座ってウィンドウを開く。二人の間では見慣れたやりとり……トレードウィンドウだ。いつもは表示だけ確認して金額を入力、あっさりと終わるはずのその動作に、ふとリズが手を止めて眉を顰めた。
「レミあんた…結構無理したんじゃない? かなり大口の注文だったのに、注文全部揃ってるし。別にこんなに急がなくても良かったのよ? それでなくてもあんた、最近アレのせいでろくに寝てないんじゃないの?」
「……れべるあーっぷ」
心配よりは少し責めるような口調で言うリズに、Vサインとともに答える。今回の注文はかなり大口だったが、その分かなり経験値稼ぎになった。
勿論リズの言葉からは論点のずれた返事であり、これでは誤魔化していると思われるだろう口調だが、実は自分にとっては結構本音だ。今現在自分はフィールドに出て狩りをしていない。収入はリズからの店のエンブレム入りの鞘の依頼品の納入と、午後たまに行っている露天商くらい、経験値はその《裁縫》と《細工師》のスキルによるものだけだ。
「まだ上げる必要あるの? スキルだけならもう十分だし、お金だってそうでしょ?」
「……レベルもお金も、もっと欲しい」
欲しい。それは、自分の偽らざる思いだった。
彼女が皆を……皆の帰るべき場所であるギルドを守るために、取った行動は、「蓄える」ことだった。力を、お金を、出来る限りに蓄えておきたい。他のギルドメンバー達が求めるときに、レミがその助けとなれるように。
「……ファー、は?」
「相変わらずバカやってるわよ。……あんなんじゃいつまでも持たないって言ってるんだけどね。鎧の方は五日に一回、槍は三日と置かずに研ぎに来てんのよ。……客だから文句は無いけどさ、流石にあれは煮詰まり過ぎでしょ」
「……シド、は?」
「そっちは音信不通。っていうか、アタシも面識殆ど無いしねえ。一人だけ、雑貨屋のエギルのところにたまにふらりと来るらしいけど、何やってるかとか何処で寝泊まりしてるかとかはまるで分かんないわ。……まあ、」
一息ついて、コーヒーを啜って、リズが再び口を開く。その目で、ゆっくりと遠くを見つめて。
「アタシだって、気持ちは分からなくはないけどね」
「……まあ、それは、置いておいて」
「……レミは、変わらないわね。……そーいうトコそんけーするわホントに」
「変わらない、って。約束、したから」
無表情にバッサリと斬り捨てた言葉に、リズがジト眼でこちらを見つめる。冷たい女だ、と思われたかもしれないが、それは仕方ない。もともと自分は感情が表に出ないタチだったし、たとえそうだったとしてもソラとの約束、絶対に守って見せる。
そんな自分を見て、納得したのか呆れたのか、リズが困ったように眉をハの字にする。
「ま、それならそれでいいんだけど、さ。で、今日はどうする?」
「……リズ…今日は、一緒にいたいの……」
「はいはい。んじゃ、いつも通りに店の方でやっててね。今日はアタシも忙しいから、さ」
「……愛してるー」
「はーいはい、アタシもよ」
精一杯色っぽく言ってみたつもりだが、やはり喉から出たのはいつもの無表情声だった。以前はリズもそれでもそこそこに動揺してくれたのだが、流石にもう長い付き合いだ、いい加減に慣れてきたらしくあっさりとスルーされてしまった。あの頃の貴方には戻れないのね……と続けたかったがあんまりおもしろくなさそうなのでやっぱりやめて、大人しく席を立つ。向かう先は、店内だ。
「おはようございます」
「……おっはー」
挨拶してくれたNPC店員に無表情に挨拶を返す。それでも嫌な顔一つしないでくれるのは、無表情で無愛想な自分には、アインクラッドで良かったことベスト十には入る気がする。そんな事を思いながらそのまま広い……センスのいい、それでいて性能もなかなかの剣や槍が所狭しと並べられた店内を見回して、その一角へと目を移した。
そこにあるのは、椅子と丸テーブル。自分が朝方、納品のついでにここでとある作業をするようになってから、設えられた専用ブースだ。自分が黙々と作業をするのは割と宣伝効果にもなるらしく、リズもしぶしぶ認めている。ちなみに訪ねてくる一見さんの中には自分がNPCだとホントに信じている奴までいるらしいが。
今日もさっそく作業に入ろうと、椅子にストンと腰をおろして、
「……ん? ……椅子、替わった?」
その感触に首を傾げた。馴染んだそれより、座り心地がいい。
そんな自分の声に、リズが工房から顔だけ出して、
「あー、言ってなかったわね。一昨日また来たのよ、あの馬鹿。椅子もタダで置いてって、おまけにまた宝石系統ちょっと置いて言ってたわよ。スゴイわね、ホント」
「……んー、凄いけど、馬鹿」
「ホントにねー。「レミたんが俺に惚れるまで、俺は絶対にあきらめないっ!」だって。まさか軽くからかっただけであそこまで本気にするとはねー。宝石類は普通のドロップとしても、椅子とか机とか作る手間が馬鹿にならないはずなんだけど、例のアレだって、レミの頼んだ翌日には絶対にここに持ってきているし。本人、「レミちゃんの頼みに遅れるなんてありえない!」ってノリノリだからいいんだけど、さ」
「……凄い馬鹿」
「……だよねー……」
二人で笑いあう。そう、自分がこうして、普通は無理な勢いで生産職に打ち込んでレベル上げ、荒稼ぎに邁進できるのには、ちょっとした支え……というか、馬鹿の助けがあるのだ。あるのだ……が、それはまあ後でまた語れるだろう。
幸い今日は、出店をやる日。いつも通りなら、彼はきっと……いや、間違いなく現れるだろうし。
◆
私には、ファーとシドを引き止める機会は無かった。
勿論二人とも、私に断ってこのギルドホームを去ってはいない。朝起きたら、突然いなかった。シドの方はなんの置手紙も無く、フレンドリストからもその名簿を消して。ファーは一言、「ごめんッス」とだけのメッセージを残して。
でも私は、面と向かって別れを言われたとしても、引きとめはしなかったろう。
二人は、分かっていたはずだから。
「自分たちはこのままじゃ、このギルドには居られない」、ということを。
その裏の真意…「このギルドに居たいなら、変わらなければ」、ということを。
だから私は、彼らを待つ。彼らが自信を持って、帰ってこれるようになるまで。
ソラに胸張って顔向けできるようになって、このギルドが再結成されるその日まで。
そのためにこの場所を守り続けるのは、私の役目だ。
彼らが変わるために力や金が必要なら、それを用意するのも私の役目だと思う。
なぜなら私はもう先に、許してもらったから。ソラから直接、「レミは変わらないでいて」、と言われていたから。だから私には、ソラに認めて貰おうと変わるための努力は必要ない。ならばその分、他の二人の為の努力をするのは当然だ。ギルドメンバーとして、当然のことなのだ。なぜなら二人の苦しみはきっと、自分の比ではないだろうから。
自分自身で、自分を許せるようになる。
それはとても、とても難しい。
人によっては、一生出来ないかもしれないほどに。
だけど、それでも、私は信じていた。
ソラへの想いが、二人の意志が、それをきっと可能にすると。
だから私は、ぶれない。
ただ、穏やかな日々で、己の力を磨き続ける。
また再び三人…いや、四人が一つになれる、その日まで。
◆
「おっ、レミちゃんきたよーっ!」「やっほー!」「久しぶりー!」
二十七層主街区、『ロンバール』。なかなかに静かな空気の漂う、通称『常闇の街』。中層ボリュームゾーンより随分下の寂れた街だが、この独特の……自分の感覚では、古びて埃被った本棚の並ぶ図書館の様な……空気が好きで、ここに住む、或いはギルドを構えるプレイヤーも居る。今回の依頼人は、そういったギルドの一つだ。
「……納品」
「はーい、ありがとねー、レミさん!」
訪れたそこそこに広い一戸建てのギルドホームから顔を出した女性は、ギルド『スター・ダスターズ』のリーダーであり、依頼主だ。納品する品は、ギルドのカラーの宝玉をあしらった、革製手袋七揃い。周囲は裁縫でギルドのエンブレムも刻んである。
このテのデザインと性能を両立させた装備を意図的に作るには、《裁縫》と《細工師》を共に上げている必要があるため、なかなかな高級品だ。だから自分の商売相手は、いわゆる「お金持ち」になる。このギルドもこんな辺鄙なところにギルドホームを構えてはいるが、中層フロアではそれなりに名前の通ったギルドである。女プレイヤーが多く、おしゃれに気を使うくらいの余裕があってこその注文品、というわけだ。自分もそのあたりを考慮し、スキルを如何無く発揮して仕上げてある。
「わお! やっぱりレミさんに頼んで正解だわ! いいカンジじゃない!」
「……」
大袈裟に褒めてくれる相手に、無表情のまま、コクリと頷く。褒めているのかお世辞なのかは分からないが、とりあえずトレードウィンドウに示された金額は文句のつけようのない額だ。有難く頂戴して、またペコリ。
(これで、またギルドの貯金は増やせるし、ブーメランも買い足せる……)
無表情の奥ではそんなことを思いながら、さっそく手袋の付け心地を試すメンバーを見守る。自分の作品をよろこんでもらえるのは、表情に出なくてもやっぱり嬉しい。
だが、一通りはしゃいだ後のギルドリーダーからの「お茶でもどう?」という誘いは、断った。正直、話すのは苦手なので、あまり面識のないメンツといても会話が持たないのだ。
「えー。今日はなんか用事あるのー?」
一応社交辞令的に聞いてくる相手に、とりあえず。
「……街で、出店。よかったら、来て」
こちらも社交辞令的に、言葉を返しておいた。
◆
まだ日は高いはずだが、一日中薄闇に覆われているこの街、ロンバールではそれは関係ない。だがまあ、足をとめた広場は手元が見えるくらいの光量は確保されており、裁縫スキルをするくらいには問題なさそうだった。
「……ん、おけー」
ばさりと広げるのは、簡易的なプレイヤーショップ……露天商というか、フリーマーケットを作るための絨毯の様な広い布。名称、《ベンダーズ・カーペット》というそのアイテムは、置いた各種アイテムの耐久値減少や盗難を予防できるという効果がある優れモノだ。ぽつぽつと並べるのは、自作の《裁縫》、《細工師》の作品の数々。そして中央に、自作の自分用クッションを敷いて、完成。
味も素っ気もないが、これが自分の『店』だった。
「……こっちも、おけー。作業、開始」
ペタリとクッションに腰かけて、作業開始。今日はまずは、依頼の《細工師》の品から仕上げてしまおう、と一人で計画を立てて、ストレージ内の鉱石から色、性能の合うものを選択していく。最初は、敏捷値上昇効果の指輪、とすると選ぶのはこれか。いや、こっちがいいか。
周囲に、人影は見えない。当然だ、こんな然程いいものも無いフロアなぞ訪れる人はそうそういないし、そんなところにある出店なんぞに用がある人間など更に少ないだろう。だが、それならそれでいいのだ。あまり大勢の相手をするのは、正直疲れる。誰にも言ったことは無いが、マスコット扱いも度が過ぎれば大変なのだ。
黙々と作業をこなすこと、どのくらいか。
しばらくして、
「おや、珍しい。こんなところで出店かい?」
「……」
「見ていってもいいかな?」
偶然通りかかったソロのプレイヤーの言葉に、コクリ、コクリと頷く。相手もそれで納得したのか、並んでいるアクセサリーを手にとってクリック……して、その名称と効果を見て驚きの声を上げた。デザイン重視の製作アイテムにしては、ステータス上昇効果の高さは珍しいのだろう。こうして一人が立ち止まると、後は通るプレイヤーは皆少しは興味を示していく。
こうなれば、あとは人混みが出来るのは時間の問題だ。
そして、そうやって少し騒ぎが広がれば。
(その内、あいつも、来る……)
その、自惚れとも言える、予想。
結論から言えば、その予想は、間違っていなかった。
◆
私は、それなりにモテる。
こう言うと凄まじく感じが悪いことは分かっているが、事実そうなのだから仕方ない。というか、私に言わせればその自覚のない人間の方がよっぽど危険だと思う。アスナは自分がもっと絶世の美女だと理解するべきだし、ソラは笑顔を安売りし過ぎだ。
最初の頃は私も、流石にこの世界ではそんなことないかな? と思ったのだが、露天商をやっていた頃には買うつもりも無い人……私を見に来た人達で人垣ができるようになるのにそう時間はかからず、最終的にはその中の数人が口論、デュエルにまで発展してしまったのだ。
……まあ、あのときは私の格好にも問題はあったかもだが。
とにかく、それ以来私は決まった場所で店を開くことを辞めて、こうして週に一、二回適当な層で店をやっている。それでもやはり午後いっぱいやっていると人は来るものだ。初見常連問わずにそこそこに買って行ってくれるから、基本的に期待しているくらいの商品数はだいたいはけてしまうし、その場でデザインが気に入ったお客さんやギルドがオーダーメイドを依頼してくることもある。
まあ、スキル熟練度とレベル、そしてお金を稼ぎ、日々を楽しむのは、これで十分だ。
それに加えて、私には日々を楽しませてくれる、とびっきりの常連が居るのだから。
◆
――― ……え~…………あ~ん…… ―――
その声は、転移門のほうから聞こえてきた。
(……今日は、いつもより遅かった)
時刻は既に夕暮れが迫りつつあり、店には宿に帰ってきた昼型プレイヤーの数人。皆、それなりに楽しそうにアクセサリーの数々を眺めていた。一応次回用の注文も幾つか受けたし、予定数は十分に売れていた。これなら次回に向けての仕入れも作製も困ることはないだろう。今なら、彼(・)が来ても、特に問題は無いか。
―――るぇえぇ~みたぁあ~ん……―――
ふむ。それにしてもいつもいつも、よく自分のいる場所が分かるものだ。《追跡》スキル持ったストーカーなのかと疑ったこともあるが、昔に一度シドの《索敵》で見て貰っても見つからなかったから、恐らく午後になったら各層を虱潰しに探しているのだろう。
繰り返しになるが、凄い馬鹿だ。
奇妙な……いや、キモい体の動きで走ってくる男に思う。
「るぇえ~みたぁ~ん、久しぶりぃ~!」
「……ん、三日ぶり、ウッドロン」
独特の良く分からんステップを踏んで、ビシッ、と効果音がしそうな勢いでポーズを決めるこの長髪の馬鹿が、ウッドロン。凄い馬鹿であり同時にまごうこと無き変態だが、別に悪い馬鹿では無い上に私の店の最も由緒ある常連の一人でもあるプレイヤーだ。
「ぅぁ会いたかったよぉおぉ~! もぉう三日だよぉ~! さびしかった~!」
「……私は、そうでもない」
「ぐはっ!? でもそんなレミたんも好きだ~!」
いや、だからといって対応がいいわけではない。
こんな馬鹿のお手本のような馬鹿に、ニコニコしてやる義理はない。
ちなみに彼との交流は、実はけっこう古い。《木工職人》である彼は、ソラがギルドを立ち上げたころから、どこからともなく現れて家具一式を売っていったのが最初の出会いになる。それ以来、服装に拘るレミはその木工細工を依頼したことがあり、その交流は今でも続いていた。
ちなみにこの段階で周りにいた客たちは一様にドン引きだが、その視線は私は結構平気だ。元の世界は立派なオタク女子大生だったのだ。こんな視線にやられるような精神力では大学構内で同人誌など読めはしない。なおもいろいろと「好きだ」だの「愛してる」だの「もっと罵って」だのを大袈裟な身振りで言っているウッドロンの言葉を遮る。
「……今日は、なに?」
「レミたんに会いたかったのさあ~! やっぱり、僕の」
「…なに?」
「ク~ルだあ~! でも、そんなレミたんが」
「な・に?」
「……すいません、お土産を、お持ちしました……」
流石に三回繰り返すと馬鹿でも一応は理解するらしく、大人しくトレードウィンドウを出す変態。そこに並んだ文字を見て、ちょっと驚きに目を見張る。依頼していた「例のアレ」に値するブーメランたちが、そこにはきっちりと雁首揃って並んでいたのだ。
少なくとも一週間はかかるだろう大仕事だったはずなのに。
「……これ、って……」
「いや、皆まで言うな! 俺はレミたんにお金を要求したりなんかしないっ!」
当のウッドロンはどこかズレた返事を返しながら、意味も無いポーズを決めて手で私を制する。眉は悩ましげに顰められ、眉間にはもう片方の手が添えられている……が、変態だ。まごうこと無く。ああ、説明しておくとこの段階で既に周囲に観客は居なくなっていた。正直、気楽でいいが。
「で、でも、その代わり、ぐへ、ぐへへへへっ!」
「……な、なに…? きゃーなにをするのー」
相手の演技なのか素なのか正直判断しずらいテンプレ変態発言に、怯えきった仔犬の様な精一杯の演技で応える私。大根役者もいいところの私のそのセリフでも、十分に彼には効果がある。内心は、「ホントにこれでいいのだろうか」だが。
「れ、レミたんに、お願いがあるんだ……聞いてくれるよね……ぐへへ……」
「な、なにをさせるきなのー」
変態丸出しで両手をワキワキさせた後、ストレージからアイテムを取りだす。彼の両手で広げられる服飾アイテムをみて、納得。なんとびっくり、紫色のナイトローブだ。そのデザインには、いっぱしのオタクである私にはしっかりと見覚えがある。
というか、好きなキャラのコスプレ衣装だコレ。
「着てくれるよね! 勿論、帽子も一緒に!」
「きゃー、あーれー」
とりあえず受けとって、装備。なんだこの変態、カメラ小僧の資質もあったのか? そしてローブの着心地のいいこといいこと。もしかしてこれ、ハンドメイドなのだろうか。それはそれで、相当に気持ち悪い。そして自前の薄紫ナイトキャップを被る。これで立派なコスプレイヤーの完成だ。
「うおおおおおおおおおおお!!!」
まあ、服を着るくらいは正直どうでもいい。
コスプレ、嫌いじゃないし。いや、好きだし。
「うおおおおおお!!!」
「……むきゅー」
「ぶほあああああああ!!!」
とりあえずキャラのセリフを言ったら、ウッドロンの悲鳴が一オクターブ上がって悶絶して転がり始めた。現実世界なら鼻血でも噴き上げないかねない興奮っぷりだ。普段ちゃんと日常生活送れているのか心配になるレベルだが、まあいつもと言えばいつもの光景だし大丈夫だろう。そのまま地べたに転がる変態を汚いものを見る様な(いや事実汚れたものを見ているのだが)目で見下ろして、
「……っ!? ……ちょっと、」
「だ、ダメだっ、これは破壊力が高過ぎる!これ異常は俺の精神力が持たないっ!」
「じゃなくて、」
「俺はもう満足だあああ! これで三日はオカズはいらねえええ!」
「……おーい、キモいぞー」
驚きに声を上げてしまった。
ウッドロンが、転げまわりながらそのまま交換用のストレージ画面……私の側にはまだ何も、お金すらも入っていなかったそれをOKしてしまったのだ。たしかにいつもからかいまくってはいるが、それでも流石にこれはマズいだろうと思って駆け寄る。しかし、ウッドロンは誤魔化すばかりで代金を受け取ろうとはしなかった。
「俺は、俺は生きてて良かったあああ!!!」
おちゃらけて叫ぶウッドロン。その頬には、気持ち悪いことに涙さえ見える。うん、変態。周りにはいなくなっていたはずの人だかりが、変態を見るために再び構成されつつあった。さすがにこれは恥ずかしいかもしれない。当人は幸せそうだが。
(……また、だな……)
でも、私は知っている。
彼が、わたしをさりげなく気遣ってくれていることを。
そういえば出会って直の頃からも変態っぷりとオーバーリアクションは健在だったが、それでも守るべき一線は守っていた。具体的には、物を貰うときにはきちんとお金を払っていたし、私も命を危険に晒すような依頼はしていなかった。
それに変化があったのは、……ソラがいなくなってからだ。もともとは受け取っていた代金を受け取ろうとせず、譲ってくるアイテム類も格段にレア度が高まっている。彼の正確なレベルは聞いたことが無いが、それでもこれだけのアイテム、ソロではかなり危険に違いないのに。
どこか目線に出ていたのか、ウッドロンがこちらをちらりと見る。
と同時に、再び表示される、交換ウィンドウ。表示される各種アイテム。
再度のそれを訝しみながら眺めると、それがポーションやクリスタルなど、戦闘で用いるアイテムたちであることが分かった。この男は、これだけバカと無茶とをしながらも、自分が危険なことをしないように、その時に少しでも準備ができているように気を配っているのだ。
だが。
「……いらない。それは、今はまだ」
「およ、そう? ま、いるようになったら言ってよ。いつでもどこでも五秒で届けるぜ!」
今はまだ、いらないのだ。
ウッドロンも、笑顔で親指を立て、それ以上は無理強いしない。
まったく、凄い奴だ。
馬鹿で、変態で。来たらその日はもう閉店だけど。
支えられちゃってる。悔しいことに。こんな変態に。
でもそれも、心地よい。
(だから…)
だから私も、まだ頑張れる。
ウッドロンの様に、そしてソラの様に、誰かを支えられるようになる、その日まで。
◆
人というのは支え合って生きている……と昔の偉い人は言った。でも私は、そうはとても思えない。だって私はソラには支えて貰った分の方が圧倒的に多いし、ウッドロンに至っては正直支えて貰ってしかいない。正直彼になら体を許してもいいかな、と思うものの、彼がそれを求めたことは無い。変態のくせに。
話がずれた。
私は、こう思う。
「誰かを支えるために、誰かがいるのだ」と。
ソラがたくさんの人を支えていたように。ウッドロンが私を支えてくれている様に。
私もいつか、誰かを支えてあげたい。
できればそれが、私の良く知った仲間たちであることを願って。
その支えのつながりが、何か大きなことを成し遂げることを祈りながら。
その時のために、私は己の力を磨くのだ。
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