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ソードアート・オンライン ~無刀の冒険者~

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ALO編
  episode6 重み4


 漂っていたそこは、一体どこだったのだろう。
 無音、無明の空間。
 五感全てが全く働かない、何処までも続く無限の闇。

 人は、こういった空間に置かれると短期間で発狂するらしい。
 ということは、これは私に与えられた罰なのか。これが私の地獄なのか。

 ―――なるほど、皮肉がきいている……

 己の空想の世界を夢見て、その世界を作ることだけを欲して生きてきた男に最期に与えられたのは、何も映さない無の世界だった。音も匂いも映像も感覚も、何一つ存在しない世界。

 だが、それも仕方ないのだろう。自分はその夢を成し遂げる為に……言うならば欲を満たすためだけに、四千もの人間を殺したのだ。もっと言えばその二倍以上の若者の命を奪うつもりだったのだ。他に類を見ない地獄に落とされるのも、当然の報いと言えよう。

 ―――もう、目を閉じよう……

 どれくらいここにいたのか、もう既に時間の感覚はとうに消え失せた。

 精神力には自信があったが、それももう持ちそうにない。
 いや、既に壊れてしまっていたのかもしれない。

 だからそれは、意識に上ったのでは無かった。

 ―――だれ、だ……?

 不快感。一言で表せば、そうなる。
 詳しいことは分からないが、何かが不快に弄られている。

 私の、大切なものが。
 茅場晶彦が創り、ヒースクリフが育んだ、私の世界。
 その世界を、管理者IDすら持たない者が。

 ―――私の世界を、許可無く弄ぶのは……

 とうの昔に消え失せた意識の中で、原始の生物的本能が動く。
 不快、という感情で、あるかどうかも分からない体が、動く。

 それは、子供の寝返りの様なものだった。

 ――― ゆ る さ ん ッ!

 だがその寝返りは、既に失われていた心を、一瞬だけでも、蘇らせた。
 その一瞬に、その景色が映ったのは、一体何の奇跡だったのだろう。

 「なんだ……?」

 うっすらと映る、一人の少年。黒過ぎる黒を纏い、しかしこの無明の中でその黒ははっきりと見えた。私には分かる。例え姿形が違おうとも、その背に二刀は無くとも、その気高き魂は、決して見間違うはずもない。突然飛び込んできた映像データに目を細めつつも、その姿へと近づいていく。

 そして、何故か聞こえる、彼の声。その声に。

 「……なにを……」

 眉を顰める。かつての勇者とは思えないその声。問いかけに、弱弱しく呟く姿。

 ……その姿は、相応しくない。

 勇者として。私を……『魔王』を倒した男には。君はそんなものでは無かった。私達の戦いは単なるデータの増減を超えた神聖なものであって、その時の君は、言葉では言い表せないほどに『勇者』だった。だから。

 「立ちたまえ! キリト君!」

 私は叫んだ。彼を縛る、システムの呪縛を断ち切って。





 「……さて、ね……」

 突然の衝撃に、俺は、苦笑していた。ここまでいきなりでは流石にどうにもならない。その衝撃はどのような理屈かは分からないが、全く気配無く放たれて俺のHPを一撃で消滅させた。だけでなく、俺の全身はまさしく雷に打たれたような()()に貫かれていた。

 ALO……いや、VRワールドでは生じるはずの無い、異常な痛み。
 今までの、「制限内の痛み」を超えた、激痛だった。

 の、だが。

 「普通だったら、気を失うほど痛いんだろうけどな……」

 生憎と俺の体は……いや、頭は、か、どっかがおかしくなってしまっているおかげでその痛みが「リアルに感じ取れない」。おかげ様で俺はこれほどの痛みを感じようとも「死ぬほど痛い痛みが体に走った」という文字を読んでいる様な感覚しかないのだ。

 だから。

 「こうしていられちまうってわけだ……」

 こうして、漂っていられる。

 まあいい。不可解な点は多いが、おそらくこれが、俺のこの世界で初めてとなる「システムに守られた死」という奴だろう。この視界の端に表示された一秒ずつ減少していく数字が、噂の『蘇生猶予時間』という奴か。

 もっとも。

 「俺、生き返られるとは限らないけどな……」

 この「ログアウト不可空間」での死が、どういった結果をもたらすのか。それは、正直俺には分からない。もしこれが、あの懐かしい世界での死と同じものなら、今この時は俺に最期に残された時間ということになる。あの世界での《回魂の聖晶石》という微妙な蘇生アイテムの説明書きを思い返せば、向こうの世界での蘇生猶予時間は十秒だった。それに比べれば、俺に残されたこの時間は随分と長いもんだ。

 だが。

 「ははっ……笑っちまうな……」

 その長い走馬灯で見るのは、奇しくもあの世界での最後の戦い……SAOでの、最終戦で見たあの「あっちでの走馬灯」によく似ていた。

 思い出すのは、彼女のこと。懐かしい、暖かい笑顔。
 その記憶の中の笑顔に向かって、あの世界での問いかけを、繰り返す。

 「俺は出来たかなあ。ソラの果たすはずだった、『勇者』の役割を代わりに果たせたかなあ…」

 返事は来ない。当然だ。ソラはもう、この世界には……いや、この世の何処にもいないのだから。それでも、問いかけずにはいられない。その、俺の記憶の忘却によっていつかは消えていく、思い出の中の笑顔に向かって。何度も、何度も。

 残りの時間が、目に映る。あと、五秒。
 その、もしかしたら俺の最期となるかもしれない言葉は。

 「会いたいなあ……」

 未練がましい、涙交じりの呟きだった。





 ―――正直、期待した。
 ここで死んで、目が覚めたら、『彼女』の笑顔が俺を迎えてくれることを。

 だが、現実はそんなに甘くは無い。いや、この場合は生きて帰れたことを以て、予想より甘い、というべきか。セーブポイントで生き返って横たわっていた俺を見上げていたのは、

 「シドさん! シドさん!」

 『彼女』の弾けるような明るい声では無かった。

 だが、聞き覚えのある声。
 鈴の鳴る様な美しい、一度聞いたら忘れられない印象的な声は。

 「モモカ、か……?」
 「そうです! しっかりしてください!? どうしたんです!? 何があったんです!?」
 「ああ、大丈夫だ……」

 ショッキングピンクの髪を揺らしながら心配げに俺を覗きこむその顔に、ゆっくりと笑いかける。もう大丈夫だ、と。全部、終わったんだ、と。……俺に出来ることは、全部やったんだ、と。それだけで、モモカは分かってくれたようだった。ぶっ倒れたままの俺の頭に、何か柔らかい感覚。

 「良かったですね……シドさん……」
 「ああ……」
 「本当に、良かったです………!」
 「ああ、ありがとう……」

 涙交じりの声を聞きながら。

 「悪い……ちょっと、疲れたや……続きは、また今度な……」

 とうとうやってきた疲労による暗闇に、俺の意識はあっさりと捕えられ。
 逃げるどころか抵抗すらままならず、俺の体は向こうの世界へと|寝落ち(ログアウト)していった。

 
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