ソードアート・オンライン ~無刀の冒険者~
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ALO編
episode6 重み2
チャンスは一瞬、そして一度だけ。
だがそれは、どこの世界でも一緒のことだ。
この、作り物の……けれども、真実を多分に含んだ仮想世界でも。
あちらの、……こちらよりも更に多くの情報と人物の犇めく、現実と呼ばれる世界でも。
そして、遠い昔に失われてしまった、あのSAOの世界でも。
俺はその一瞬を待つ。
―――天井にぶら下がったままで。
(……まったく、この世界を作ったのは馬鹿ばっかかよ……)
ここまでの廊下の様につるりとしたリノリウム製の部屋であれば、こうしてその死角を突いてすぐ近くまで接近してその動きを監視するなどということはできなかったろう。だがこの部屋は、あたかも現実世界での研究室を模したかの様にいくつもの机とイスが並び、天井は明るい光を放つ灯りがぶら下がっている。そんな必要は全くないにも関わらず、だ。
だがそのおかげで。
(こうしていられるんだが、な……)
そのうちの一本の蛍光灯の、上。
灯りを遮らない様に気をつけてそこに身を潜める。そして、ひっそりと機を覗う。チャンスは一瞬。この部屋のどこかにある、コンソール。男がそれを操作する、ほんの一瞬で、『勇者』の勝敗に関われる機会は終わる。
その機を覗う時間は、長くはなかった。
PC端末(に、似たようなもの、だが)から恐らくログとメッセージを一通り確認したのだろう、男がゆっくりと立ち上がって、歩き出す。俺の潜む蛍光灯の真下の、四角い箱の前。その何の変哲もないのっぺらぼうの箱の上端を、男がクリック。開くウィンドウ。
そして。
「おおおっ!!!」
「なっ!!?」
俺は一気に跳びかかって男の腕をとり、それをウィンドウへと叩き付けた。
◆
このダンジョン(なのかどうかは分からないが)は、影妖精領内……即ち、『圏内』だ。その保護コードによって、領土とするスプリガンに対しては一切のダメージを与えることが出来ないようにシステム上なっている。
出来ない、が、こちらはあのSAOの世界のそれよりもその保護が少々ぞんざいだ。保護と言ってもせいぜいそれは数値的ダメージが発生しないだけであり、殴られれば衝撃はしっかり伝わるし、ぶっ飛ばされれば|仰け反り(ノックバック)もさせられる。
それはつまり俺の攻撃でコイツを殺してしまうことは出来ないが、攻撃を加え続けてその意志を圧し折ることは、不可能では無いことを示している。その思いに従って、掴んだ腕を固めて投げ飛ばす。男はなんの抵抗もなく悲鳴を上げて吹き飛ぶ。
とはいえ。
(……不可能でなくても、限りなく難しい、よな……)
一瞬の弱気な思考を振り払って、悲鳴を上げて転がっていく男を見やり、さらに横目で恐らくクエストMobの難易度調節用コンソールなのだろう箱の上の開きっぱなしのウィンドウを見やり……最初の目論見が達成されたことを確認する。
ほっと安堵……する暇はない。
「な、な、なんだお前はっ!? ど、ど、どこから入った!?」
目の前の男を、始末せねばならない。最も簡単な、「殺す」という以外の方法で。
どうすればいいか。どうすれば、その意志を圧し折れるか。思い描くのは、一人の男。絶対の力を持ち、逆らおうという気さえ起こさせないような堂々とした振る舞いを何時如何なる時も絶やさなかった、深紅の『王者』。
その思い描く姿をなぞって、堂々と告げる。
「それに答える必要があるのか?」
「ひ、ひぅっ!?」
その声だけで、男が怯むのが分かった。この男、幸いにもどうやらそこまでの強い意志は持っていないようだ……が、流石にこれだけで逃げ出してくれるはずはない。なぜなら相手は、ゲームマスター。その左手が、鋭く動く。何らかの、ウィンドウ操作。
「こ、こ、これでこの部屋からはもうログアウト出来ない! と、と、扉も開かないぞ! に、にに、逃げられないからなっ!」
慌ただしい手つきでの……それでも流石はゲームマスター、いや、研究者だと思わせる速さでの設定変更。いくらこいつが雑魚でも、それは覆せない事実。冷静になられれば、負ける。だがそのことは、おくびにも出さない。―――あの男は、一度たりとも弱気になったことは無かった。なら俺も、ここで弱気になるわけにはいかない。
「それがどうした? 逃げる? 何故俺が逃げなくてはならない?」
「っ、っ、な、な、ならっ、」
堂々とした俺の態度に、自身に満ちた声にますます男が怯え、再びのウィンドウ操作。と同時に、男の横に現れるポリゴンの影は、見覚えがある。……まずいな。恐らく次に来るのは。
「が、が、ガーディアンだっ! こ、これなら、」
ブォン、という電子音とともに男の横に召喚されたのは、実に火妖精領以来の再会となる、『圏内』の敵対種族を容赦なく切り捨てるシステム上最強の戦士……ガーディアン。まともに戦えば、当然勝ち目はない。だが。
「いいのか? ここで俺を殺して?」
次の設定……恐らく俺を敵対種族に設定される直前に、脅すように声をかける。操作する男の手がぎりぎりで止まって、その目が俺を見る。ガーディアンに震える心は、根性で隠す。ここで動揺を悟られては終わりだ。
「確かにログアウト不可なら俺は外には逃げられない。だが、ガーディアンがいれば話は別だ。このガーディアンによる『死に戻り』ができるぜ?」
「っ、な、な、」
「俺の最終セーブポイントは音楽妖精領。この空間ならいざ知らず、下っ端の貴様に自種族外の領土のログアウト設定までできるのか? 出来なければ俺は即座にログアウト、貴様のことをすぐに情報掲示板に書いてやるぜ?」
「ひ、な、うっ、な、」
「どうなるだろうなぁ、「ゲームマスターが紛れ込んで難易度調整してた」なんて他の種族に知られたらなぁ? 「自種族だけ甘くしていたんじゃないか!?」って声が溢れるんじゃないか? 最悪このゲーム自体がサービス中止にまでなるかもなぁ? そうなったら世界樹の上でお姫様を囲ってる奴がなんて言うかなぁ?」
朗々と自説を展開する。
それに合わせて、男の顔が赤くなったり青くなったりを繰り返す。
勿論、こんな説は言うまでも無く穴だらけだ。ログアウト不可空間での死がどうなるかなんてやってみなければ分からないし、こいつが下っ端、ってのも推測だ。こんな与太話をネットに書いても信じて貰えるとは到底思えないし、ゲームが潰れるなんて夢のまた夢だろう。
だが、それを悟らせない。
自信に溢れる態度で、当然そうなってしまうと、思い込ませる。
「さあ、俺を殺すのは問題だなぁ? どうする? このまま尻尾を巻いて逃げていくなら、俺は別に追い掛けはしないぜ? さぁ、行くならさっさと行けよ、下っ端」
行け。行ってしまえ。
だが、流石にそこまで上手くはいかなかった。
当然と言えば、当然か。
「ま、ま、まだだっ! ぼ、ぼ、僕には、未実装魔法があるっ!!!」
立ち上がった男が、左手を振う。本来は呪文の詠唱無く発動しないはずの魔法効果が生まれる。初めてみるそのエフェクトは、まるで無数の雷の短剣が宙に漂うようなもの。その空中を漂う十を超える電光が、切っ先を俺へと向ける。
「み、み、未実装魔法、《パラライ・ソードダンス》! こ、こ、これで麻痺させてやれば、お前はもう逃げられないぞ! ぼ、ぼ、僕の麻痺は、この世界のレベル外だ! その効果は三十分! お、お前なんて、すぐ倒せる!」
「それがどうした?」
ヒステリックに叫ぶ男の声を、遮る。自分を鼓舞するかのようなそのセリフを、最後まで言わせはしない。それだけで、男の顔が委縮しきったそれに変わる。立ち直らせてはいけない。こいつには、逃げ出してもらわないとならない。立ち直る隙は、与えない。
……と、頭では分かっている。
だが俺にはこの瞬間、何かが頭では無いどこかに宿るのを感じた。
それは……あえて言葉にするなら、……「熱」、か。
「ろ、ろ、ログアウト不可の、麻痺だ! そ、そ、そのまま麻痺させ続けてやれば、に、二、三日でこ、ころ、殺せ、殺せるんだぞっ!!!」
その「熱」が、俺を黙らせる。
そのかわりに、脳裏を赤く鋭く染めていく。
「ど、ど、どうだ! ぼ、僕は、」
「何度も言わせるな?それが、どうした?」
その「熱」は、さらに強く輝き、脳さえ超えて……心を、魂までもを、滾らせる。
そして、溜めこんだエネルギーが、言葉となって口を出て。
「ごたくは、もういい。さっさと、かかってこい。格の差を教えてやるよ」
その言葉を最後に、両手をだらりと下げる。もう二年以上前からずっと変わらない、俺の、戦闘姿勢。そして、目線は外さない。視線だけでその男を殺す勢いで、全力で睨みつける。怯える顔を、威圧する。
その目に、何を感じたのか。
完全に怯えきったその男の震え声が響き。
迸る電光の矢が、俺へと全方向から殺到した。
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