ソードアート・オンライン ~無刀の冒険者~
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ALO編
episode6 重み
ゆっくりと、周囲を見回す。
街の中央に見られるまだ家屋として使える程度の遺跡とは一線を画する、酷く崩れてもはや単なる石段と岩壁の残骸ばかりが散らばっているこの一帯、周囲に人影は見えない。謎めいた空気はこの影妖精領に独特で、その静寂が俺を包み込んでいく。
それなりの距離を両の足で駆け(ついでに多数のモンスター共をトレインしたまま振り切ったりなんかして)今、俺がいるのは、かつてクエストで訪れたことのある、『古代獣の封印迷宮』……に、ほど近い、岩陰だ。
そして今の俺の装備は、全力の《隠蔽》仕様。マント、ブーツ、マフラー、全てが高いハイディングボーナスを誇り、首に下げたネックレスは敵の索敵魔法の効果をほんのわずかに下げる効果がある。そんな完全潜伏モードのまま身じろぎ一つせず、既にもうどれくらいの時間が経っただろうか。
目を凝らして見つめる先には、何もない。
ただただ、重たそうな壁があるだけだ。けれど、その壁を。
(……俺は、重いと感じた)
重い。何の変哲もない、その壁をみて感じた俺の微かな、それでいて確かな、直感。
その、何の根拠も無い直感だけを頼りに、ひたすらにその場所を見張り続ける。終わりの見えない、しんどい作業。しかし、『勇者』と違ってドカンと一息に解決できない俺にはこういったただただ待ち続ける作業がお似合いだろうし、……俺自身も望むところだ。
(……何時間でも待ってやる)
そうして、さらにどれくらいが経ったか。
……ったく…………んだ……だろ…………
とうとうやってきた運命の瞬間に、俺の体が音も無く動いて。
重い壁が、まるで自動ドアの様に滑らかに開く中に、その身を躍らせた。
◆
重い。それは単に重量が大きいことのみを指す単語ではない。ことネットゲーマーに関して言えばこの言葉はもっと別の意味で馴染み深いだろう。
データ量が多い、という意味で。
俺がかつてその感覚を磨き抜いた世界で唱えた『システム外スキル』のうちの、奥義、と称すべきものに《超感覚》……ハイパーセンスというものがあった。今にして思えば相当にアレなネーミングセンスだがそれは置いておいて、その効果はズバリ「気を感じる」というものだ。
俺がその意見を積極的に支持したのは、数限りないダンジョン探索の中で何度か「違和感を感じた」としか言えない経験をしたことがあったからだった。隠し扉の前で、《罠看破》スキルで見抜けない高レベル罠の前で、Mobが隠れた横からの通路の前で、「ふとなんとなく違和感を感じた」という感覚が、俺の命を何度となく救ってくれたのを、今でも覚えている。
勿論大多数のプレイヤーが笑ったように、この原理はまだ……いや、最後まで解き明かされることはなく、結局本当に存在したのかどうかすらも分からず終いだった。だが、俺にはあの充実した日々の中でふと考えていた、ある一つの仮説があった。
それは、オブジェクトのデータの重みによる現象。
あの世界には、フォーカスシステムという視覚効果が採用されていた。膨大なポリゴンデータを同時展開するのではなく、プレイヤーが意識を向けた物にだけ詳細なディテールを与えるこのシステムは、原理上目を向けてその物体を認識されるまでのごく微小なタイムラグが存在することになる。
勿論このVRMMOを動かしているエンジンの性能は、そんなものを一切感じさせない。だがそれはフォーカスシステムだけが作用している状態で、の話だ。例えば隠し扉。たとえ《索敵》スキルが看破できるレベルに無かったとしても、「この扉のデータは看破出来ない、そのため何もない様にこのプレイヤーに見せろ」というデータのやりとりが行われているはずなのだ。そのやりとりによるデータ量の差が、「違和感」或いは「重さ」として感じるのではないか。
勿論、単なる勘に過ぎない。カーディナルの性能を考えれば、荒唐無稽と言える。
だが俺は、その勘を信じた。
そしてやってきたのは、一人のプレイヤー。整った顔に、スプリガンにしては珍しい柔らかい長髪を流した長身の男。苛立ったようにその髪を掻きながら扉の前に行き、周囲を簡単に(《索敵》スキルも探索生物も呼ばずに)見回して確認して。
「―――全く――――誰が――いちいち――面倒な―――須郷さんも――」
手から取り出した四角い……カードキーで、その扉を開けやがった。
(……ビンゴ、だ)
鋭く、無音、無気配を保ったまま移動しながら、心の中で拳を握る。
あの『閃光』の映ったスクリーンショットを見た時、俺は確信した。この世界を作った奴は……少なくともアスナを幽閉した奴は、天才だがバカだ。あんな場所に幽閉した人間を晒すなど、「捕えたお姫様を見せびらかしたい」なんてガキの発想でしか遣り様がない。そんなことをする人間だ。そしてそんなことをするバカなら。
(……下の世界に、操作用コンソールを置いていても不思議はない、よな)
バカバカしいが、あんなバカなことをするゲームマスターなら、可能性はある。世界樹のクエストが一年もの間クリアされることがなかったのは恐らく、何らかの調整が為されていたのだろう。例えば、「下の各々の種族にGMが紛れ込み、クリアされそうな部隊が編成された際にはこっそりとガーディアンの強さを引き上げる」とか。
そして。
(キリトがスプリガンで助かったぜ……)
あの世界樹のガーディアン、恐らく各々の種族でその特殊攻撃が異なる。俺とモモカが先頭になって突入した際にガーディアンが使ってきたのは、音楽妖精の固有スキルたる演奏系の技を妨害する《演奏妨害音波》だった。恐らく他の種族が突入すれば他の種族に対応する技を使ってくるのだろう。
であるなら、それぞれの種族に対するガーディアンの強さの操作は、それぞれの内部に近い者が操作していると考えられる。もしキリトが失敗、それもあと一歩までガーディアンを追い詰めての惜敗を喫した場合、ゲームマスターの調整が入る可能性がある。
果たして、その予想は正しかった。
「たった一人で、ガーディアンの奥まで行った、って……全くスプリガンは世界樹攻略しないから難易度調整は暇だ、って先輩言ってたの緊急連絡なんてさ……なになに、『物理攻撃特化スプリガン一匹、大剣一撃でガーディアン突破』……? ウソだろこれー。須郷さんなんか見間違ったんじゃないのかよ……」
ぶつぶつと言いながら、開いた扉の奥の廊下……この妖精と魔法の世界に全く相応しくない、真っ白なタイル製の空間を、すたすたと早足でその男が歩いていく。どうやら相当に慌てているらしく、《索敵》はおろか後ろを振り向く様子すらない。
(させねえぜ、無粋な『勇者』の邪魔はよ……)
そんな男の後ろを、俺は無音で追い掛け続けた。
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