おいでませ魍魎盒飯店
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Episode 3 デリバリー始めました
地獄絵図のその後で
その日、すでに太陽が地平の彼方へと姿を消したというのに、西の空は真っ赤な光に染まっていた。
むろんこんな時間に輝くものが太陽の光であるはずはない。
そもそも太陽の光はこんなに禍々しくは無い。
勘のいい人はすでに察しているだろう……
火災である。
しかも、きわめて人為的な。
いったい、あの光の中でどれだけの命が消えているのだろう?
それ考えるだけで胃の辺りがムカムカとする。
その悪辣な放火魔の名前を、"勇者"と言った。
勇者とは、また冒険者とは、魔物や魔族を倒すお仕事である。
だが、それは彼等が住まう人間の社会から見ればの話であって、魔族や魔物が住まう領域である魔界から見れば途轍もなく暴力的的な侵略者だ。
つまり、客観的に見るならば……勇者だの冒険者だのと言った連中は、呼ばれもしないのに魔界にしばしばやってきて、そしてその地に住まう生き物に多大なダメージを残してゆく悪の化身なのである。
魔界での定義を行うならば、さしずめ勇者とは人類の尖兵である"冒険者"の、そのまた選りすぐりの凶悪犯と言ったところか?
そこに正義などありはしない。
ただ純粋な破壊活動と経済活動があるだけだ――魔界の住人の体組織は、人間社会にとって様々な工業的な価値があるのである。
故に彼等は、魔界を訪れると……殺し、奪い、時には犯し、魔族の社会をめちゃくちゃにしてゆくのだ。
そして本日魔界を訪れたのは、よりにもよって火の魔法を得意とする魔術師型の勇者。
この、恐るべき災厄をたった一人で引き起こしているというのだから、魔族の彼等から見ても「どっちが化け物だよ!」といいたくなるのも仕方が無い。
いや、化け物ならばまだ良い。
なにせ、化け物は必要以上には殺さないからだ。
だが、勇者や冒険者達は身を守る以上に傷つけ、自らが食べる以上に殺す。
どちらがマシかなど、論議する必要も無いだろう。
「なにが勇者だ! 悪意に満ちた災厄め……許さん……絶対に許さんぞ!」
そんな戦場から離れることおよそ3キロ。
人間の侵略に備えるために異界の門の近くに作られた砦の中で、禍々しい赤に染まる空をにらみながら薬瓶を握り締める異形の影があった。
体格は大きめの子供程度。
背中は服の上からでも見て取れるほどの大きく膨らんでおり、その肌にはびっしりと細かな鱗が張り付いている。
何よりも目立つのは、その頭。
なぜか天辺だけが丸く無毛になっており、まるで陶器のようにツヤツヤと輝いている。
しかもその唇は鳥のような嘴だ。
なんとも珍妙な出で立ちだが、彼はれっきとしたこの砦の治療担当官である。
だが、彼の手にした薬瓶の中にはすでに空になっており、周囲にはひどい火傷を負った負傷兵が苦悶の声を上げているにも関わらず、彼等に与える薬がなかった。
そんな彼の耳に、さらに患者を運び込む慌しい足音が響き渡る。
「先生、次の患者が……!」
「わかってる!!」
駆けつけてきた救護班の兵士に強い口調でそう答えると、彼は自らの頭に手をやり、かぶっていた碗状のものをそっと取り外した。
そしてその骨のような色をした碗状のモノに水を注ぎ、いくつかの乾燥した薬草を入れてから祈るように捧げもつ。
すると、たちまち碗の中の水がネットリとした黄緑色の液体に変わった。
むろん、彼の持つ理力の効果である。
「出来たぞ」
その液状の物質を彼は漏斗で丁寧に瓶に詰めなおすと、傍らに控えていた助手にそっと手渡した。
「はい!」
助手の役目を持つ兵士は、その黄緑色の液体の入った瓶を手にすると、火傷を負った兵士の患部に少しずつ垂らして行く。
すると、いかなる効果か、欠け落ちた肉がみるみる再生し、炭化した皮膚がいくつもポロリと剥がれ落ちた。
その下からは真新しい肌がのぞく。
痛みが引いたのか、兵士の表情もかなり和らいでいるようだ。
だが、完全ではない。
命の危険がなくなっただけで、痛みが治まったわけではないのだ。
もっと大量に投薬すれば完治できないわけでもないが……それをすると全ての患者に薬がゆきわたらなくなってしまうのである。
「いつもながら、すごい効き目だな……河童の妙薬というやつは」
ちょうど最後の患者の治療を始めた頃になって、この医務室を砦の指揮官が訪れた。
「褒めても何も出せんぞ、ドミトリー・コシュチェイ・ボイツェフ中隊長。 さすがに全員を完治させるだけの薬を作り出すのは無理だ。 その前に気絶する」
そう、お気づきの方もいるだろうが、この治療担当官の種族は河童。
その名をソウテツ・カワタロウ・シバテン。
彼の同族の間では"斯波天 宗哲"と書かれる。
そして先ほど頭から取り外したのは、彼にとって命といっても良い重要器官である"皿"だ。
他の特性のインパクトが強すぎるせいであまり知られていないかもしれないが、河童は古来より傷や火傷によく効く薬を持っていることで知られる。
そんな彼の持つ理力は"製薬"。
水やいくつかの薬草を媒介に、自らの望む効果をもつ薬品を作り出す能力だ。
その力ゆえに、彼はこの砦の治癒を一手に引き受けている。
「で? 勇者とやらはどうした? 先ほどより火の手が弱いようだが」
ちらりと目をやれば、西の空は元の藍色の闇を取り戻しつつある。
だが、勇者を撃退できたとはとても思えない。
この砦の戦力では、せいぜい足止めをするのが精一杯である。
「十分な収穫があったらしく、手近にあった死体をかき集めて人間界に撤退をはじめた」
「くそっ、死体漁りが!」
ソウテツの口から、反吐にも似た悪態がこぼれる。
死体漁りとは、仲間を殺してその死体を運び去る人間たちにつけられた蔑称だ。
「まったくだ。 二度とこないでほしいものだが……そうはならないだろうな」
彼等はまたやってくる。
生きる為でなく、ただ自分の懐を潤すために。
それは季節ごとにやってくる台風などと同じようなものであり、この魔界が人間界とつながっている以上は避けられない災厄である。
「ドミトリー……実は一つ問題が発生している」
眉間から油でも搾り出そうかとしているかのようにギュッと眉の間に皺を寄せたソウテツが、不意にそんな台詞をもらした。
「なんだ? お前に限って医薬品が足りないなんてことはないだろう?」
「いや、肉体的な問題ではない。 むしろ精神的な問題だ」
「……あぁ、そういう事か」
そういわれて、ボイツェフ中隊長はようやく気づく。
――心的外傷。
勇者の襲撃は、兵士たちの肉体的な傷ばかりではなく、心にも大きな傷を残すのだ。
「重症の患者の中で、手の施しようが無いほど精神的にまいってるのが何人かいるのだが」
「わかった。 本国に交代要員の要請を出しておこう。 無理に引き止めても指揮に関わるだけだ」
無理をして脱走でもされたら規律が乱れるし、そもそもソウテツが手の施しようが無いと判断するような兵士を残したところで使い物になるとも思えない。
だが、そんなドミトリーに対し、ソウテツは沈痛な表情で首を横に振った。
「それが……本国に帰りたがっているヤツがほとんどなのだが、これはまぁ問題ないだろう。 だが、中に妙な要求をするものがおってな。 要望が通らなければ暴動を起こしかねない」
「暴動とは穏やかではないな。 彼等は何を求めているのだ?」
正直、心的外傷を患った兵士が戦場に留まりたがるとは思えない。
いったい、彼等は何を求めるというのか?
いぶかしげな表情を見せるボイツェフ中隊長に、ソウテツは困惑した顔でこう告げた。
「料理だ」
「料理? 人間がするという面倒な食事の作業の事か?」
一度味をしめると離れられなくなると言うが、典型的な魔族の、しかも贅沢の許されない辺境の指揮官であるドミトリーには何がいいのかまったく理解できない。
「あぁ。 その中でも、彼等が求めているのは"アトリエ・ガストロノミー"という辺境の小さな店のモノらしい」
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