| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

こうもり

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

14部分:第二幕その五


第二幕その五

「ところでお手紙のことは」
「ええ」
 博士はその言葉に頷いた。
「主人ですね」
「あそこにいますよ」
 指差すと本当にそこにいた。
「本当でしたのね」
 夫の姿を見て顔を顰めさせる。仮面なのでわからないだけだ。
「全く。何を考えているのでしょう」
「では私はこれで」
 博士はここで別れることにした。
「お任せしますね」
「はい」
 こうして伯爵は気付かないうちに妻と宴の場で会うこととなった。知らないのは夫だけである。
「さてと」
 彼は懐の銀の懐中時計を出して眺めていた。
「いつも通りこれで」
 彼は懐中時計をかけて女性に勝負をかけるのが常なのだ。それで勝って陥落させる。それが彼のやり方であるのだ。オーストリア貴族らしいと言えばらしいだろうか。
「侯爵様」
「何か」
 そのハンガリーの夫人から声をかけられて上機嫌で応える。
「その時計は」
「何、大したことはありません」
 彼は含み笑いを浮かべて彼女に言う。
「些細な時計ですので」
「そうなのですか」
「欲しいのですか?」
「いえ、それは」
「宜しければ差し上げますが」
 彼は勝負に出た。
「如何でしょうか」
「そうですわね」
(何としても手に入れないと)
 奥方はまた口と心で別のことを言い出した。
(浮気の証拠になるわね)
(さて、まずはこれでいい) 
 伯爵も伯爵で心の中で言う。
(いつも通りいけばいいな)
(刑務所に行ったと思っていたらこんな所で、見ていらっしゃい)
 二人はそれぞれ心の中で言っている。しかしそれを聞くことはできない。
 口では全く違う。それぞれ言い合う。
「奥様」
「はい」
 しかもエレガントに。だが丁々発止だ。
「宜しければ」
「何でしょうか」
「その仮面を」
「駄目ですわ」
 にこりと笑ってそれに返す。
「それだけは」
 わざとハンガリー訛りで言う。これも芝居であった。
(本当にわからないのね。見ていらっしゃい)
(さてと)
 伯爵は伯爵で考えている。
(どうやって口説いていくかだな、問題は)
「その仮面ですが」
 伯爵はその中で奥方とは知らずに声をかける。
「やはりハンガリーのものでしょうか」
「いえ、こちらのものです」
「そうなのですか」
「はい」
 奥方は答える。
「如何でしょうか」
「お似合いですよ」
 彼は笑みを浮かべて答える。
「実に」
「それならば安心しました」
「しかし」
「しかし?」
「いえ、いいです」
 焦るところであった。仮面の下に興味があるなどとは決して言ってはならない軽率な言葉である。これは心の中に仕舞い込んだのであった。
「何でもありません」
「そうですか」
(意外と慎重ね)
 奥方はそんな彼を見て思った。
(結構手強いかも)
(これだけの美人だ)
 彼の好みであった。実は自分の妻とも恋愛結婚だったことを忘れている。実は結婚の話が出た時に彼女の絵と実際にこっそりと見た素顔を見てすぐに惚れ込んだのである。そのことをこの時は完全に忘れていたのだ。
(ゆっくりとね)
「それでですね」
 ゆっくりと勝負に出て来た。
「何でしょうか」
「これですが」
「あら」
 出してきたのはさっきの時計であった。あえて奥方に見せびらかせる。
「この時計ですが」
「あらためて見ると本当に綺麗ですね」
「そうでしょう。この時計はそれだけではないのです」
「といいますと」
「実はですね」
 彼は言う。
「時間も正確なのですよ」
「そうなのですか」
(さて、どうするつもりかしら)
 時計を使ってどうするのかと探りだした。
(これを使って)
「数えてみましょう」
「数える」
「はい」
 伯爵はにこやかに笑って言ってきた。
「数えるのですよ。この時計の時間を」
「どうやってですか?」
「まず貴女は御自身の心臓の鼓動を数えて下さい」
 彼はこう言ってきた。
「私はこの時計の時間を数えます。それでどちらの時間が正確なのか確かめましょう」
「そうしてその時計がどれだけ正確か見るのですね」
「そういうことです」
 彼は述べた。
「これでどうでしょうか」
「いいですわ、それでは」
 彼女は笑みを浮かべてそれに応えてきた。
 数えてみる。暫くして伯爵が言ってきた。
「三百ですな」
「あら」
 だが奥方はそれを聞いておかしそうに笑ってきた。
 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧