おいでませ魍魎盒飯店
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間幕
彼が荒野に至る理由
もともと慎吾は食べることが好きだった。
だが、それ以上に人が自分の作ったものを食べて喜ぶことが好きだったのである。
もともとが洋食屋の長男として生まれた彼は、漠然と料理人になることを受け入れていたが、彼の将来設計が明確になったのは学校祭の女子が企画した出店だった。
クレープの屋台を出した彼のクラスだが、どうにもクラスの女子の大半が不器用だったせいか、男子であった彼まで作り手に回されたのである。
簡単そうに見えるクレープだが、実際にはあの生地を薄く延ばして破かずに裏返したりするのは難しい。
そのため、手先が器用で料理の出来る慎吾がかり出されたのだ。
最初は乗り気ではなかった慎吾だが、クレープを作る作業をするうちに、クレープを受け取ったときに客が浮かべる笑顔が好きである自分に気づいたのである。
その後の彼は、高校を卒業と同時にフランスやイタリアを中心にヨーロッパを練り歩き、伝統的なスローフードに涙を流すほどの感銘を受け、ニューヨークで店を出さないかという企業家の誘いを振り切って自らの故郷に戻るはずだったのだ。
彼の人生がどん底に叩き落されたのは、忘れもしない――2001年9月11日。
桐生は企業家の執拗な誘いを断るため、とある世界的に有名なビルに赴いたのである。
そこで何があったのかを、彼は未だによく理解していない。
ただ覚えているのは、すさまじい音と衝撃。
それらが襲ってきた直後に、彼は意識を失っていた。
――死ねない。
自分はもっと人のために美味しいものを作りたかったのに。
生きて、家族と再会して、店を継ぐために長い旅をしてきたというのに、こんなところで終わっていいはずが無いだろ?
悔しさに身を焼かれても、彼にはもはや流す涙すら存在していなかった。
ようやく肉体を失ったことを理解した彼だったが、その絶望は深く、ただ呆然と撤去されてゆくビルの残骸を呆然と眺めていることしか出来ない。
あぁ、自分はきっと天国に行くことも地獄に行くことも出来ないのだな。
この世に残した未練が大きすぎるが故に。
卵一つ割ることの出来ない自分の両手が恨めしかった。
自らの名前が刻まれた石碑に年老いた両親が花を手向けに来たときは、今の自分が情けなさ過ぎて、いっそ切り刻んでしまいたい衝動に駆られた。
この世界を呪い、全て請われて消えてしまえと心から強く願った。
あまりにも強い怒りのために、次第に混濁してゆく意識。
失われてゆく理性。
だが、その口から世界を呪う言葉しか出てこない日々は唐突に終わりを告げる。
ある朝、慎吾が目覚めると、彼は女妖精の姿になっていた。
そして、目覚めた慎吾の傍らで、一人の嫌味なほどに目麗しい男が囁いたのである。
「ようこそ、新たなる僕の眷属。 君にはキシリアの名前をあげよう」
彼が魔を統べるこの国の王――魔王フルーレティであるという事は、あとから聞かされたことである。
その時は周囲の状況にまったく理解が追いつかず、何をすべ気か解らないままに学習室というところに送り込まれ、その後3ヶ月にわたってみっちりとこの世界の常識を叩き込まれた。
妖精たちの大半は子供という形態を持たず最初から大人の姿で生まれてきたり、成長が非常に早かったりすることが多いため、短期間で徹底的に知識を詰め込むこのような施設が存在しているらしい。
そもそも最初から大人の姿をしている妖精は、なぜか一般常識やその種族としての力の使い方を生まれつき知っているため、知識の範囲のすりあわせぐらいの意味しかないらしいのだが、あいにくとキシリアこと慎吾には前世で生まれ育った地球の常識と料理の知識、あとは最低限の言語能力しか備わっていなかった。
そして解ったことがいくつもある。
まず、自分は妖精。 それもシルキーと呼ばれる女しかいない妖精になっていること。
次にいま自分がいる場所が、もといた世界では無いという事。
この世界には人間以外の知的種族が無数に存在し、各勢力が絶え間なく争っていること。
この世界の人間たちは、慎吾の元いた世界から勇者と呼ばれる存在を呼び出して、魔王に対抗しているという事。
魔王は何人もおり、そのうちの一人が屋敷を管理する女妖精が欲しくて作ったのが自分だという事。
そして、その勇者が呼び出された次元の穴に吸い込まれたのが自分が生まれた時期の少し前であり、おそらく慎吾の魂がこの世界に紛れ込んだ原因ではないかという事がわかった時は、思わず顔も名も知らぬ人間達に殺意を覚えた。
そして巻き込まれるような形でこの世界にやってきた慎吾の魂は、自我も無くただ虚空を彷徨い続け、やがて岩が風化するようにこの世界に同化して溶けてしまうはずであったらしいのだが、その異世界産の奇妙な魂に目をつけたのが、魔王フルーレティ。
好奇心から慎吾の魂を捕獲したフルーレティは、それが男の魂なのか女の魂なのかも判らないまま、好奇心に駆られてそれをメイドとして誕生させる予定であったシルキーの体に放り込んだのである。
なんと適当な――それいいのか、魔王よ。
仮にもお前の身の回りの世話をさせる相手だぞ?
まぁ、歯向かったところで戦闘力は無いに等しいのだが。
その他にもいろいろショッキングな出来事はあったが……大事なことは唯一つ。
世界は違えど、これは料理人として再び生きてゆくチャンスだ!
慎吾の興味はそこだけにあった。
そうとなれば、まずはリサーチである。
この国に住む住民たちの特徴と、その食文化が最優先だ。
そして解ったことだが、魔王フルーレティの治めるこの国の人口は、約7割がゴブリンと呼ばれる妖精である。
彼等の主食は牛乳であり、肉、魚、野菜なども食べることには食べるのだが、もっとも好むのは乳製品であった。
そのあたりは、スローフードの探求でアイルランドを訪れた際に聞いた元の世界のゴブリンたちの伝承とそっくりである。
彼等もまた、報酬として皿に一杯の牛乳を求めるという逸話があったはずだ。
ところが……さらに詳しく文化を調べて解ったことがあった。
こともあろうに、彼等は料理というものをほとんどしない生き物だったのである。
牛乳をそのまま未加工で飲むことがほとんどで、わずかに作られている乳製品も、せいぜい未発酵のバターやチーズを作るぐらい。
麦を殻ごと頬張り、生肉をショートソードで切り分けて直接手渡しで食べるスタイルは、初めて見た瞬間に思わず卒倒しそうになった。
あとは一部の地域でヨーグルトという噂はあるのだが……根本的に食料を加工する文化が無い……魔族とは、まるで未開に住む人々よりもさらに低い食文化しか持ち合わせていない人種だったのである。
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