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椿姫

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第二幕その五


第二幕その五

「誰でも」
「では」
「はい。さようなら」
 これはジェルモンにだけ言ったのではなかった。無論アルフレードにだけ言ったのでもない。彼女が見出した安住の地、そして昼の世界、未来にも告げたのであった。
「永遠に」
「お元気で」
「はい」
 二人は別れた。ジェルモンは帰って行く。
「暫くこの辺りにおります」
「何故でしょうか」
「あれに伝えなければならないでしょう」
「あっ」
 そうであった。アルフレードには伝えておかなければならないのだ。
「貴女が去った後で。伝えておきます」
「かたじけないです」
「いいのです。私はこの為に来たのですから」
 最初の偏見はもうなかった。昼の世界の住人としての偏見はもうなかった。だがそれでも彼は護らなければならないものがあったのだ。それに逆らうことはできなかった。
「それでは」
「はい」
 ジェルモンは姿を消した。ヴィオレッタはそれを見届けた後で屋敷の中に戻った。それから暫くして召使を連れて玄関に姿を現わした。
「それじゃあお願いね」
「はい」
 召使は彼女に対して頷いた。
「けれど・・・・・・宜しいのですか?」
「いいの」
 ヴィオレッタは力のない笑みを浮かべながらそう言った。
「この手紙を送られたならば」
「もう決めたのよ」
 召使の言葉を振り払うようにして言う。
「だから・・・・・・貴女はもう気にしないで」
「わかりました。それでは」
「お願いね」
「はい」
 召使は出ようとする。その手には一通の手紙がある。だがここでアルフレードの姿が見えた。
「只今」
「アルフレード」
 ヴィオレッタは彼の姿を認めて驚きの声をあげた。
「早かったのね」
「用事が早く終わってね」
 彼はそう答えた。
「君にもいい話だと思うよ。それはすぐにわかるよ」
「そうなの」
「うん。ところでどうしたんだい?」
「何が?」
「いや、顔が随分青いからさ。気分でも悪いの?」
「ええ、それは」
 それを言われて内心かなり狼狽した。気付かれたのでは、とも思った。だがそれはあえて隠したうえで答えた。
「ちょっと。風邪をひいたらしくて」
「頭が痛いのかい」
「いえ、それはないけれど」
 どうやら気付いた様子はない。それに安堵しつつ演技を続ける。
「何か。身体がだるくて」
「それはいけないね」
 アルフレードは何も疑わずこう声をかけてきた。
「じゃあ休んだ方がいいよ」
「有り難う。けれど今は」
「何か事情があるようだけれど無理はしないでくれ」
 心配して気遣う。
「君が病気になれば僕も心が塞ぐ。君は僕の全てなんだから」
「私が」
 ヴィオレッタはそれを聞いてアルフレードの顔をみやった。
「貴方の全てなのね」
「そうさ。最初に会った時からそうだった。だから無理はしないでくれ、いいね」
「ええ、有り難う」
 心の奥底から嬉しかった。だがそれでももうしなければならなかったのだ。それが彼女の心を一層締め付けた。
「ところで一つ話しておきたいことがあるんだ」
「何かしら」
「この前僕に一通の手紙が来たよね」
「少し前のあれかしら」
 そう言えば思い当たるふしがあった。
「そう、それなんだけれど」
「何の手紙だったのかしら」
「僕の父からの手紙でね」
「御父様の!?」
「!?」
 ヴィオレッタが突然驚きの声をあげたのでアルフレードは怪訝そうな顔をした。
「どうしたの?」
「えっ!?」
「そんなに驚いて。確か僕の父のことは何も知らない筈だけれど」
「ま、まあそうだけれど」
 ヴィオレッタはまた誤魔化した。誤魔化さねば成らない自分自身が嫌であった。
「それでどんな内容だったのかしら」
「手紙のこと?」
「ええ。何て書いてあったのかしら」
「君との交際のことだよ」
「そうだったの」
 内容はわかった。もう聞くまでもないことであった。
「随分と厳しいことが書いてあったよ。けれど気にすることはないよ」
「どうしてかしら」
「父はわかっていないんだ、君のことを」
 彼はかなり楽天的であった。
「けれど一度会ったら変わると思うよ」
「一度会ったら」
「そうさ、きっとね」
 彼は甘かった。若さ故の甘さであった。だがそれには気付かない。若さ故に。
「アルフレード」
 ヴィオレッタはそんな彼に対して言った。
「何だい?」
「いえ」
 言おうとしたが止めた。
「実はね」
 だがそれでも言おうとする。
「うん。どうしたんだい?」
「少しここを離れたいのだけれど」
 やっと言えたがそれは誤魔化しの言葉であった。
 
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