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蝶々夫人

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第二幕その三


第二幕その三

「その山鳥公爵です」
「こんにちわ、蝶々さん」
 公爵はにこりと笑いながら蝶々さんの方にやって来た。シャープレスから見ても品のある確かな男である。その彼が蝶々さんのところにやって来たのだ。
「お元気そうで何よりです」
「はい」
 だが蝶々さんはそんな彼を憮然とした顔で迎えるだけだった。
「それでですね」
「あの話は何度もお断りした筈です」
「お断り!?」
「実はですね」
 二人のやり取りを聞いて目をしばたかせたシャープレスに五郎が囁いてきた。
「公爵様は先日奥様に先立たれていまして」
「ふむ」
「それで新しい奥様を探しておられるのです」
「それで蝶々さんをか」
「悪い話ではないですよね」
「悪い話どころか」
 シャープレスは首をゆっくりと横に振って述べる。
「そんないい話は滅多にないよ」
「そうですよね。私もそう言っているのですが」
 聞き入れないのだ。蝶々さんの心はそこにはないのだ。
「蝶々さんはどうしても」
「そうなのか」
「はい。それで困っています」
 彼は言うのだった。
「どうしたものやら」
「私と共にこの丘を降りましょう」
 公爵は優しい声で蝶々さんに語り掛ける。あくまで穏やかな物腰だ。
「そして一緒に二人で」
「いえ、私は」
 しかし蝶々さんは公爵のその申し出をきっぱりと断るのだった。
「ずっとここにいます」
「まだ待たれるのですか」
「はい」
 またはっきりとした返事だった。
「私はあの人の妻ですので」
「それを私が言うべきなのだが」
 シャープレスはそんな蝶々さんを見てその顔に浮かび出ている深刻さを濃くさせた。苦悩さえその顔には強く浮かんできていた。
「どうしても。言えはしない」
「公爵様のお気持ちはわかっています」
 それは蝶々さんにもわかっている。
「ですが。それでも」
「蝶々さん」
 シャープレスがここで出て来た。
「実はですね」
「はい、何か」
「いや」
 本人に対して言おうとすると。やはり言えないのだった。ついつい顔を下に逸らしてしまう。
「それは」
「蝶々さん」
 彼が言えないでいると公爵がまた言ってきた。哀しい顔と声で。
「また来ます。私は待っていますので」
「何度来られても」
「私の心は本物です」
 それは彼だけでなく蝶々さんもわかっていた。しかし。
「だからこそ。それでも」
「公爵」
 その彼に五郎が声をかけてきた。
「今日はこれで」
「うん、済まないな五郎さん」
「いいですよ。それじゃあ」
「では蝶々さん」
 公爵は残念な顔で五郎を連れて最後の挨拶をするのだった。
「また」
「はい。ですが私は」
 どうしても彼を受け入れない蝶々さんだった。一礼した二人が帰るとそこに残っているのはシャープレスだけになってしまった。彼はそのことにえも言われぬ追い詰められた感情を抱いたがそれでもこの丘の上に残った。彼も己の責務があったからだ。
「先程のお話ですが」
「ええ」
 話はそこに戻る。シャープレスは蝶々さんに対して言うのだった。
「今日ピンカートンの船が長崎に入ります」
「えっ!?」
 それを聞いた蝶々さんは思わず顔を真っ赤にして声をあげる。鈴木も同じだった。
 
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