久遠の神話
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第三十話 二対一その十
ふとだ。広瀬はあることを思い立った。それでこうも言ったのだった。
「それで思いついたけれど」
「思いついたって?」
「そちらに馬で行こうか」
こう言ったのである。
「乗馬部のその馬を連れて行こうか」
「馬を連れて来るの」
「それでいいだろうか」
「いいんじゃないの?乗馬部の馬って農学部も世話してるし」
相手はそれでいいと答えたのだった。
「それじゃあ明日は馬と牛の顔合わせね」
「喧嘩はしないか」
「馬と牛って仲悪かったかしら」
「牧場ではよく一緒にいるから仲は悪くないと思う」
それはないと答える広瀬だった。
「特にな」
「そうなの。じゃあいいけれど」
「馬も大人しいからな」
牛と同じくだ。馬は繊細で心優しい動物なのだ。だがとある漫画の馬、世紀末覇者の乗馬は非常に狂暴で人間を踏み潰すことさえ厭わない。だがこれは例外中の例外だ。
広瀬もその例外のことは話さずだ。そのうえで電話の向こうの相手と話していく。
「いいな」
「そうよね。ところで乗馬部の馬で」
「うちの馬で?」
「真っ赤な馬いたわよね、毛が」
「赤兎か」
「そうそう、確か三国志に出て来たままの馬が」
「いる」
実際にいると答える広瀬だった。
「白馬もいれば黒馬もいる」
「乗馬部って馬多いからね」
「黒い馬の名前は項羽は乗っていた馬の名前だ」
史記にも名前が出るその馬だ。項羽が四面楚歌の中で歌ったと言われている歌の中に出る。
「それで赤兎はアラビアの馬でだ」
「サラブレッドじゃないのね」
「サラブレッドもいるがあれは競争用だからな」
「牧場とかには向かないのね」
「あまりよくないね」
「足場が悪いからよね」
サラブレッドはガラスの足と呼ばれている。折れやすいのである。
「それって」
「モンゴルの馬の方がいいか」
「道産子みたいなの?」
「足は丈夫な方がいい」
「それでアラビアの馬なのね」
その赤兎はだというのだ。
「それでなのね」
「足は丈夫で走るのも速い」
「これこそ一日千里とか?」
「いけるかも知れない」
赤兎は一日千里、今の時代の距離にすると約四百キロは走ったとされている。ただしこの記述は三国志演義のものであり創作の可能性が高い。
「確かに足は速い」
「そうなのね」
「その赤兎をか」
「見たいけれどね」
「わかった。それじゃあな」
その赤兎にだ。乗って来るというのだ。そのことが決まった。
そして電話の向こうの相手はだ。こんなことも言った。
「けれど。赤兎って本当にいるのね」
「あの三国志演義だけじゃなくてな」
「そうよね。実際にいるのね」
「あの赤兎じゃないけれどな」
三国志に出る赤兎とはまた別なのは間違いない。何しろあの赤兎は二千年は前の馬だ。今生きている筈がない。ましてや演義と史実はまた違う。
「それでもな」
「赤兎は赤兎ね」
「そうなるな。それじゃあな」
「明日宜しくね」
こう話してだった。広瀬はその電話の向こうの相手と会うことになった。そのことを決めてだ。
彼は電話を切り大学を後にした。夕刻の赤は次第に黒になりだ。彼もその中に消えていった。
第三十話 完
2012・4・16
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