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戦国異伝

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第三十四話 今川出陣その八


「その兄君と争ってきたのじゃ」
「そういうことがあったのですか」
「母君は違えど兄君だった」
 雪斎はこのことを強く言った。
「殿は実は今でもそのことを苦しんでおられるのだ」
「争ったことを」
「そしてその方を自害にまで追い込んだことをだ」
 そのこともだ。悔やんでいるというのである。
「だからじゃ。今もじゃ」
「殺生を好まれないのですか」
「殿は無駄な血を好まれぬ」
 風雅の裏にはだ。そうしたものもあるのだった。義元の意外な一面である。
「だからこそ織田上総介もじゃ」
「殺されぬというのですね」
「殿は心優しい方なのじゃ」
「左様ですな。確かに」
「戦よりも政や文を好まれぬ」
 実際にそれは出ていた。実は義元は戦の場にはあまり出ていない。それは大抵雪斎が務めてきていた。それが今川なのである。
「その殿は常にわしに先陣と軍師を頼まれてきた」
「ではそれがしは」
「そなたは殿に深く信頼されておる」 
 元康はだ。そうだというのだ。
「そなたを人質として見ていたか」
「いえ、それは」
「そういうことじゃ。無論わしも氏真様もそう見てはおらん」
 彼はだ。今川家で辛い思いをしたことはなかった。主の義元も彼等もだ。元康に対しては親しく何かと面倒を見てくれた。義元に対しても悪い感情はないのだ。
「そなたは今川のこれからを担う者じゃ」
「今川のですね」
「ひいては天下をじゃ」
「天下をですか」
「そうじゃ、担う者じゃ」
「私はとても」
「今はそうではないやも知れぬ」
 今ではなくともだというのである。
「そなたはやがてじゃ」
「そうなると言われますか」
「大器じゃ。天下を覆わんばかりのな」
「では。その器を」
「何に使うのじゃ。それでは」
「天下が泰平になり」
 そうしてだというのだ。元康の目が少し上になっていた。
「そして民を安んじる為に使いましょう」
「治に使うか」
「いえ、戦にもです」
 それにもだというのだった。
「戦にも使います」
「民を安んじる為に戦を使うか」
「戦といいますか武といいますか」
 その二つをだ。同義語としての言葉だった。
「ただ。泰平になっただけでは話は収まりますまい」
「その通りじゃ」
 雪斎は元康の今の言葉を聞いて頷いてみせた。
「それで話は収まらぬ」
「はい、その泰平を守るものが必要です」
「その為の武じゃな」
「戦にならぬ為に戦の備えをしておく」
「そうすれば戦はかえって起こらぬもの」
「だからです。それがしはです」
 こう語るのであった。
「その為にも武をです」
「そうじゃ。よい心がけじゃ」
「そう言って下さいますか」
「武は何の為にあるか」
 雪斎は元康の顔を見ながらだ。彼に言うのであった。
「どう思うか、そなたは」
「武はですか」
「そうじゃ。どう思うか」
「武はです」
 その字そのものについての言葉であった。
「矛を止めると書きますが」
「ほう、そう来たか」
「はい、それこそが武だと思うのですが」
「その通りじゃ。よいぞ」
 雪斎は元康の今の言葉に満足して答えた。
「武は本来そういったものじゃ」
「そう思うからこそ。武もまた身に着けていきたいです」
「文と共にな」
「はい」
 ここでは治と文が一緒になっていた。同じ意味の言葉にだ。 
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