その男ゼロ ~my hometown is Roanapur~
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chapter 02 : stress
#23 "Bacchus"
前書き
神の御名を讃えよ。
我等が偉大なる神の名を。
【11月1日 PM 10:26】
Side ベニー
「よう。こっちだ」
レヴィが振り返って呼び掛ける。
僕もつられて入り口の方を見れば、ちょうどゼロが店に入ってくるところだ。
今夜も『イエロー・フラッグ』は盛況、と言いたいところなんだけど最近は少し店の雰囲気がおかしい。
まあ、この店に限った話ではないんだけどね。
今も店内からはカウンター席の僕らに向かって進むゼロに対し、絡み付くような視線が飛んでいる。それはもうありとあらゆる席から。
通常彼にそんな事をする奴はいない。
大抵はチラチラと盗み見するかのような視線が送られてくるのが常だ。
女の場合はまた別だが、男から熱い視線を送られるのは珍しい。
それほど皆不安を感じているのだろう。この街の現状に。
「へっ、結構な人気者だな。
皆あんたに期待してんぜ?
派手にやらかすんならアタシにも声掛けろよ。
まさか忘れてんじゃねえだろうな?
アンタはアタシに"借り"があるんだぜ」
隣の席に座るゼロに向かって、やたら楽しそうにレヴィが話し掛ける。
彼女を挟んで一つ遠い席に着くゼロは、いつも通りバーボンを注文。
街がこんな状態でも全く彼は普段の通り。
けどまあ、レヴィのように騒動を楽しもうとしているのはやはり少数派だ。
大半は街を覆う澱んだ空気に不安を掻き立てられている。
僕みたいな人間でも多少は心がざわついてる。
街の雰囲気にあてられるとは、我ながら珍しい事だとは思うけど。
「今回はバラライカが主演女優を務める舞台だからな。
観客が勝手にステージ上にあがったら、ケツを蹴り跳ばされちまうさ。
そうなったら大変だぜ?
腫れ上がった尻じゃあ、こうしてこの店に来てゆっくり酒を楽しむ事が出来ないじゃないか。
なんせ席に座るのも一苦労だからな」
そんな冗談を口にしてから、グラスを軽く持ち上げてみせる。
はあ……
本当に君はいつでも余裕があるよね。
確かにこの街で騒動なんて今更だけど、ホテル・モスクワが標的となると話は別じゃないの?
両手でグラスを捧げ持つようにして、思わず嘆息する。
「まあ、姉御も最初は喜んでたのかもしれねえよな。
これで大好きな戦争が出来るって。
ただ、」
そこで言葉を切り、レヴィが軽くグラスを揺らす。
バオによって良く磨かれた器の中で、褐色の液体が波うつ。レヴィは今夜もラムか。
「相手の顔が未だ見えない。
さすがのバラライカでも正面に立ってこないやつではどうしようもない。
結果彼女の怒りはいや増し、街の連中は眠れぬ夜に怯え、酒の神に救いを求めるわけだ。
全く酒とはありがたいものだな。
もしこの世界から酒が無くなったら、一体どうなっていたんだろうな。
最終戦争が到頭起こるのか。
皆無気力になって戦争なんぞ起こらないのか。
どちらにせよ、あまり楽しい未来ではなさそうだが」
全く同感だね。
酒にはどれだけ感謝してもし足りない。今夜もありがたく飲ませてもらうとしよう。
「でもよう、姉御んとこが狙いとは言え他の組織の連中がこのまま黙ってるって事はねえんじゃねえか。
この機会に姉御に貸しを作るとか、力を削ぐとかよ。
色気見せてもおかしかねえだろ」
そう、問題はそこだ。
この街は複数のマフィアによって統治されている。
ホテル・モスクワに三合会。
更にイタリア系とコロンビア系の組織。
連絡会と呼ばれる不定期な会合を開いて、実質的に街を支配する有力な四組織。
彼らが連合を組む最大の理由は、そうする事でしかこの街の安定を保てないからだ。
今や麻薬の一大供給地としてだけではなく、あらゆる悪事の見本市としてロアナプラの価値は跳ね上がってる。
それだけに外部の組織がこの街に侵出を企む事は十二分にあり得る。
それを防ぐためには連絡会なんていう代物を産み出すしかなかった。
ただ、あくまでマフィア連中による寄り合い所帯だ。
今回のホテル・モスクワへの攻撃に、いずれかの組織が絡んでいたっておかしくない。
例え件の四組織でなかったとしても、ロアナプラには大小様々な勢力が存在する。
誰かが狙っているんだ。バラライカの首を。
けどソイツらは本当に分かっているんだろうか?
かの火傷顔さえその気になれば、この街は一夜にして火の海になるという事を。
そしてその炎は街をくまなく燃やし尽くすって事も。
彼女ならやる。間違いなくやる。
仮に彼女に纏わる噂が本当なのだとしたら、実はそれこそを望んでいるんじゃないのか?
戦場の中で死ぬこと。戦って、戦って、戦い尽くして、死んでいくこと。
国家のためではなく、主義のためでもなく、自分の誇りのために。
そんなものが未だ残っているとすれば、だけど。
「はあ! 張の旦那がうちに来たのか!」
レヴィが突然上げた声に、思索を断ち切られる。
僕の考えてた事はどうでもいいことだけど、彼女の発言はそうはいかない。
聞こえてしまった名前の意外さと重大さに僕だけでなく、店中の人間が息を呑んだ。
「レヴィ、声が大きい」
ゼロの方を向いたままの彼女に囁きかける。
僕の方に振り向いた彼女に、目で店内を見るように伝える。
そっと半身になって確認するレヴィ。それに併せて店内にいた全員が目を伏せる様はいっそ爽快だった。
中々お目に掛かれない光景が見れるね、今夜は。
カウンター内ではバオが新聞を持ち上げて一生懸命顔を隠してる。さすがに逆さまに持っている、なんて漫画みたいな事はしてなかったけど。
「……で、どういう事だよ?」
低く押さえた声でゼロに訊ねるレヴィ。それはいいんだけど……
「なに、ただの世間話さ。張も最近色々忙しいみたいだからな。
少し息抜きにでも来たんだろ」
……ゼロ、頼むからレヴィを怒らせないでよ。
最近彼女の機嫌が良いって、こないだもダッチと祝杯あげたんだから。
二つ隣の席で悠然とグラスを傾けるゼロ。そんな彼を見ながら、グラスを握るだけなのに明らかに必要以上な力を込めてるレヴィ。
そんな二人からそっと目を離し、僕はグラスを目の高さまで捧げて祈った。
偉大なる酒の神よ。どうかあなたの忠実なる信徒にお慈悲を。取り敢えずこっちにとばっちりが来ませんように………
僕は生涯初めて真摯に祈った。それはもう、心から真剣に。
【11月1日 AM2:36】
Side ロック
「………」
眠れない。
狭いベッドの上で何度も寝返りを打つが、眠れないものは眠れない。
真っ暗な部屋の中、仰向けになり手の甲を額に当て天井をぼんやりと眺める。
今は2時か、3時頃だろうか。
一々時計を確認したりはしない。
別に時間を確認したところで、それで眠れるわけじゃない。
特に朝から急ぎの仕事があるわけでもない。仮に仕事だったとしても……
暗闇に目が慣れだしたか、うっすらと部屋の天井が見えてくる。
高い位置にある天井へはどんなに手を伸ばしても届かない。
そう、どんなに手を伸ばしても。
「………」
俺はこれからどうして行けばいいんだろう。
今更ながらにそんな事を考える。
この街に残る事は決めた。生きていくと決めた。ラグーン商会の一員として彼等と共に歩くと決めた。
で、その先は?
その先はどうする。お前は何をする。お前には何が出来る。
頭の中をグルグルと言葉が回る。思考が回る。疑問が回る。
酔いにも似た感覚を覚え、思わず上半身を起こす。
目を閉じ、鼻から息を吸い込み、口から吐く。
一度息を吐き、ゆっくりと目を開けてから再びベッドに倒れ込む。
頭の中を駆け巡る疑問は一旦静まってくれたようだ。
だが、それでも眠れるわけじゃない。
仕方なく天井を眺めながら、 たった一人の事を考える。
ロアナプラに来て出会った・・・の事を。
あんな奴には今まで出会った事もなかった。
あのまま日本にいたんじゃこれからも出会わなかっただろう。
・・・は本当に強くて、時に厳しい事も言うけれど、いつも俺を守ってくれていた。
皆からも頼りにされていた。街の有名人でもあった。その背中に憧れた。物語の主役に思えた。
・・・に見て欲しかった。
・・・に認められたかった。
本当の意味で仲間になりたかった。
でも、駄目だ。
今の俺じゃまだ駄目だ。
・・・の目に俺はどう映ってる?
考えたくもない。情けなさ過ぎて考えたくもない。
くそ、畜生、ちくしょう。
今夜もまた眠れない……眠れそうにない………
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