蒼き夢の果てに
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第3章 白き浮遊島(うきしま)
第27話 ティンダロスの猟犬
前書き
第27話を更新します。
「それで、この死体の処理はどうする心算なんだ? 死病憑きの死体をこのままにして置く事は出来ないだろう?」
巨漢の傭兵ラウルがそう聞いて来る。厳つい顔に、妙に愛嬌のある瞳で。
但し、その愛嬌のある瞳に、ある種の思惑と言う物を隠して……。
ただ、この質問自体は、そんなに不思議な質問と言う訳ではないとは思います。
……問題は、この巨漢の傭兵の質問の意図が何処に有るのか、と言う事なんですよね。
それで、普通に考えるのならば、この死体の処置を任せるのは、この街を護る兵士に通報してやらせるのが正しいでしょう。
但し、兵士はそのまま放置する可能性が高いと思いますが。
その理由は、優先度が低すぎますから。現代社会のように保健所が有る訳でもないですし、衛生管理が厳しい世界と言う訳でもない。大量の死体から疫病が発生する事も中世ならば結構有ったはずですから。
たかが犬の死骸。放置しても問題ないと判断する可能性が大。
それで俺の判断での放置は論外。死病憑き。更に、エキノコックスも持っている可能性の有る犬の死体三十数頭分の放置など、住民の迷惑にしかならないでしょう。
傭兵たちに始末させる。
これは現実的な処置で有り、慈悲深い貴族なら、この選択肢を選ぶ者も居るでしょう。百人の内で一人か二人ぐらいならば。
そして、この答えならば、この巨漢の傭兵の試しはクリアした事に成ると思います。
但し、俺の答えは……。
俺は現界させ続けていた如意宝珠製の七星の宝刀を構えて一振り。
それと同時に、俺の生来の能力を発動。その一瞬後に、浮かび上がる三十数頭分の骸。
そして、
「タバサ。すまんけど、大地の穢れを水で清めてくれるか?」
そう依頼する俺。そして、普段通りの表情を浮かべたまま、無言で首肯くタバサ。
彼女のトレード・マークとなった杖を、赤黒い死で穢された大地に向け、彼女に相応しい声で呪文を唱える。
俺と出会う以前と同じ雰囲気と同じ仕草で。
但し、発動する魔法の質が違う……。
そして次の瞬間、足元を色づけていた死を連想させる色が、別の無色透明な液体で綺麗に流されて仕舞った。
尚、これは、水の系統魔法に有る真水を作る魔法では有りません。
五遁水行に属する仙術の、あらゆる液体を真水に変えると言う仙術です。
そう。それは、どんな毒液だろうと、ウィルスや寄生虫が潜んでいる液体だろうとも問答無用で真水に……飲み水に変えてしまう仙術です。
それが、例え、血液で有ったとしても。
それに、真水で流しただけでは、ウィルスや、寄生虫の除去は出来ませんから。狂犬病も、そしてエキノコックスも非常に危険な病ですからね。
そして、巨漢の傭兵の方に向かって、この台詞を告げる俺。
俺に取っては、普通の台詞。但し、おそらく、この世界の貴族に取っては異端の台詞を。
「俺とタバサは街の外にこの骸を運んで、そこで弔いを行うから、ラウル達は他の集まって来る傭兵たちと協議をして、女神の杵亭の護りを固めて置いて欲しい」
☆★☆★☆
ラ・ロシェールの街外れで、何者かに操られて俺達を襲い、返り討ちに有った不幸な犬たちを火葬にし、そして鎮魂の笛を吹き終え女神の杵亭に戻って来た時には、既に夕やみ迫る時間帯と成っていました。
……と言っても、未だ夕食と言う訳には行かないのですよね。未だ色々と仕事が有りますから。
尚、俺が犬たちの弔いを行うと告げた言葉に、巨漢の傭兵ラウルがひとつ大きく首肯いた後、ボディー・ビルダー風の爽やかな笑顔を俺に見せたのですが……。何故か、俺の方には暑苦しさが増しただけでした。
ただ、あのやり取りの結果は、俺の対応は合格だったと言う事なのでしょう。
それで、宿屋に帰って来てから、キュルケ達に対して挨拶を行うのも適当に流して、最初に入浴。当然、俺の方の入浴の意味は、纏わりついた死の穢れを落とすのと、返しの風を受けた傷の治療。更に、犬を斬った時に浴びた返り血や涎などを洗い流す意味も有ります。
ウィルスや、寄生虫を洗い流さなければ成りませんから。
確かに、そう気にする必要もないとは思うのですが、警戒だけはして置いた方が良いですから。
狂犬病にしても、エキノコックスにしても、潜伏期間がそれなりに有る病ですが、魔法の中には、体内に侵入したウィルスや病原菌の活動を活発にする類の魔法も存在しますから。
まして、当然のように、邪仙術の中にもそう言う仙術は存在しています。
そして、これでようやくタバサを伴って宿屋の一階部分に有る酒場に赴き、その後に夕食に有り着く事が出来るように成った、と言う事です。
但し……。
今日も長い一日だったけど、これで終わった訳では有りません。少なくとも、全ての行程が終了して魔法学院のタバサの部屋に帰りついた時が、今回のルイズ一行の護衛任務の終了する瞬間。未だ、気を抜くのは早いでしょう。
ほら、良く言うでしょう。家に帰り着くまでが遠足だと。
「タバサ、シノブ。今日は一日、御苦労さま」
俺とタバサが宿に戻って来た時には、既にやり始めていたキュルケが、改めて身支度を整えた後に酒場に姿を見せた俺とタバサに対して、そう話し掛けて来てくれた。
「御苦労さまと言われるほどの仕事をして来た訳でもないけど、そう言われると、少し嬉しいな」
一応、そう軽口で応対する俺。尚、俺の蒼い御主人様は、キュルケのその台詞に対して、軽く首肯く事でのみ答えと為した。
……って言うか相変わらずの対応なんですけど。
さっと見渡してタバサの席をキュルケの隣の席が空いていたので、その席を彼女の位置と決める。
そして、その椅子を軽く後ろに引き、彼女が座り易いようにする俺。そう。最早習性となって仕舞ったセバスチャン技能の発動です。
その席に普段通り、自然な仕草で腰を下ろすタバサ。こう言う態度で居る時の彼女は、奉仕される側の人間で有った事を、簡単に想像させる雰囲気を纏っていますね。
その事が良い事なのか、悪い事なのかはさっぱり判らないのですが……。
もっとも、そんな事は、今はどうでも良い事ですか。それに、もし彼女と、彼女の母親を連れ出して隠遁生活に入ったとしても、無理に現在の生活のレベルを下げる必要は有りませんから。
俺が、彼女の傍らに控えている限りは。
タバサが自らの席に着いた事を確認した後、自らが席に着く前に、その場に居る人間の確認を。
既にかなり出来上がっている雰囲気のギーシュくんと、あまり呑んでいる様子のないワルド子爵。その隣にルイズ。そして、竜殺しのジョルジュくんが居て、最後にキュルケ。
……あれ?
「なぁ、ルイズ。才人はどうしたんや?」
食事の場に才人が出て来ていないって珍しいですね。
尚、食事に関して才人とタバサは双璧です。はっきり言って、ふたりともびっくりするぐらいに食べると言う事です。
流石に同じ現代日本人の才人が、何故、この世界の味付けで満足してこれだけ食べ続けられるのか、実はかなり疑問に感じていたのですが……。これは、才人に刻まれた使い魔のルーンにより与えられた肉体強化に原因が有るとは思っていましたけど、昨夜、彼に与えられた伝説の使い魔としての名前が判った事によって、すっきりとしました。
伝承で言われていますからね。ドワーフは大食らいだと。
ガンダールヴとは、散文のエッダの中に名前のみの記載の有るドヴェルグの事だったと記憶して居ります。
つまり、ドワーフとしての神話上の特性を得ている可能性が有ると言う事なのでしょう。才人くんに関しては。
その俺の問いに対して、ルイズが無言で上の方に視線を送った。
同時に、ワルド子爵が俺の方に、そのやや悪意の籠った視線を一瞬だけ向けたのですが、直ぐに在らぬ方に向けて仕舞いました。
……やれやれ。嫌われたモンですな。しかし、あの決闘の現場に俺を呼び出した段階で、俺が才人の側に付く事は気付いていたと思うのですが。
それとも、この子爵殿は俺が考えも無しに才人の助太刀のようなマネをする、とでも思ったのでしょうか。
そう考えながら、視線を夕食のテーブルに着く一同から、この場に居ない同胞に一瞬だけ向けて、そして再び地上に戻す俺。
それでも現在、才人が単独で居るのなら、その方が好都合ですか。
そう、かなりポジティブな方向に思考を導き、
「そしたら、タバサは先に食事を初めてくれるか。俺は、少し才人に用が有るから」
……と、自らの主人に対して、そう言った。
それに、この宿屋内ならば、タバサの傍に俺が居なくとも、そう危険な事もないと思いますから。外は、ラウル達傭兵が護りを固めていますし、竜殺しのジョルジュが居る。昼間に現れた猛犬程度なら危険はないはずです。
まして、離れると言っても十分程度。このぐらいなら、わざわざ、タバサの食事の時間を遅らせる必要はないと思います。
そう思い、タバサをここに残して、俺だけで才人の元に向かおうと思ったのですが……。
少し、俺の事を見つめるタバサ。そして、何故か首を横に振る。これは否定。
……少し、微妙な気を発していますが。雑多な気に紛れて掴み辛いけど、彼女が発している雰囲気は、負の感情に似ているような気もしますね。
「もしかして、付き合ってくれる、と言う事なのですか?」
そう聞き返した俺の言葉を、小さく首肯く事によって肯定するタバサ。
……どうも、理由が良く判らないけど、何か彼女なりに思うトコロが有ると言う事なのでしょう。
それに、別にタバサに聞かれて問題が有る内容の話をする訳でもないので、彼女がついて来たとしても問題はないですか。
「何、降りて来たと思ったら、また二階に上がっちゃうの?」
座ったと思ったら直ぐに立ち上がって仕舞ったタバサに対して、アルコールの性か少し陽気な雰囲気のキュルケがそう聞いて来た。……のですが、これは別に咎めるような雰囲気では有りませんね。
このキュルケの台詞の意味は良く判らないけど、雰囲気から察するにタバサを置いて行け、と言う類の台詞では無いように思います。だとすると……。
「まぁ、ちょいと用が有るだけやから、才人の顔を少し見たら、直ぐに飯を食いに降りて来るわ」
軽く右手を上げるような挨拶を一同に対して行ってから、回れ右を行い、降りて来た階段の方に再び歩み始める俺とタバサ。
キュルケの意図が読み辛いけど、おそらく、俺達が才人の元へ立ち去り易いようにする為の台詞だと好意的に判断しても良いでしょう。
何故か、俺自身がワルドに睨まれているみたいですから、才人のトコロに行き辛い空気が有るのは事実なんですよね。
俺自身としては、それほど睨まれるような事を行った心算はないのですが。
……あの決闘騒ぎを邪魔した以外には、なのですが。
そんな、どうでも良いような事を考えながら食堂を後にして、二階……つまり、宿屋部分へと向かう俺とタバサ。
尚、背中に向けられた嫌な視線を感じながら……。
☆★☆★☆
才人達の部屋をノックしても一切返事がなく、仕方がないので扉に手を掛けるとあっさり開く扉。
その不用心な部屋の奥。窓枠に腰を下ろし、立てた片膝の上に右手を置き、室内に残した左手には己の矜持を示す武器を携え、淡い月光を浴びながら物思いに耽る少年。
……へぇ、結構、さまに成っているんじゃないですか。
「なぁ、忍。お前は帰りたくはないのか?」
唐突に。まして、部屋に誰が入って来たのかの確認もする事なく、俺に対してそう聞いて来る才人。
夕日に望郷の念を募らせる日本人は多いのですが、月を見て望郷の念を募らせるとは、意外に風流を解する人間だったんですね、才人くんは。
「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山にいでし月かも
……と言う雰囲気かな、才人」
少し茶化したような雰囲気で、そう答える俺。一応、この俺の反応だけで気付いてくれると良いのですけど。
俺の後ろには、俺を召喚して仕舞った少女が居る事を。そして俺が、彼女の前で、そんな質問に答えられる訳がないと言う事も。
「俺は帰りたい」
至極真っ当な台詞を、そして、出来る事なら、今の俺の目の前では口にして欲しくない真情を吐露する才人。
普段の、静かな冬の晴れ渡った氷空の如き安定した彼女の心に、少しの陰りが生じる。
……どうする。回れ右すべきか。それとも、
「才人。貴族同士の結婚は……。いや、西洋の封建時代の女性の扱いはどう言う扱いだったか知っているか?」
少し、意味不明の質問を口にする俺。
基本的に中世ヨーロッパを支配して居た思想は男女同権とも、ましてフェミニズムともまったく違う思想の元に作り上げられていたはずです。
それに、俺の記憶が正しければ、カトリックには、つい最近まで女性は叙階されなかったはずですからね。中世の思想……上流階級の生活すべてを支配した宗教でも、フェミニズムとはかなり違った状況だったのです。その他は推して知るべしでしょう。
但し、もしかすると、その辺りに関してのブリミル教の戒律は多少、違う可能性も有りますが。
俺の問いに、才人は沈黙を以て答えと為した。
「俺では無く、ルイズに直接聞くべきやな。貴族同士の結婚と言うモンについては」
ヴァリエール家がどう言う意図を持って、たかが子爵の家に三女とは言え娘を嫁にやろうとしているのか、その理由を類推する事はかなり難しいのですが、何らかの政治的意図が双方に有るのは間違いないと思います。あの子爵にしたトコロで、子供に過ぎない現在のルイズを本気で愛しているとも思えないのですから。
まして、今朝のワルドのやり方はあざとかった。わざわざ、ルイズを立会人にして、彼女の目の前で才人を痛めつけようとするなど、とてもでは有りませんが騎士道を歩んでいる人間の為す行為では有りません。
「そして、あの時、何故、俺にワルドの二つ名を告げて行ったかを考えたら、今、オマエさんがやるべき事が見えて来ると思うけどな」
ルイズが才人に対してどう言っているか判らない……。いや、何となく、素直じゃない感じがする彼女の事ですから、どう考えても正直な自らの想いを口にする事はおろか、態度に表せる事さえないでしょうね。
それでも、ルイズはまだ判り易いタイプだと思いますよ。キュルケや、俺の御主人様に比べたら。
そう才人に語り掛けながら数歩そのまま進み、俺は才人に見えるように、室内に設えられたテーブルの上に一枚の呪符と、そして、ひとつの石……ターコイズを置いた。
「それは?」
才人が少し興味を示したようにそう聞いて来る。
そもそも、中世ヨーロッパの貴族を知らな過ぎますよ、才人くん。十六歳で婚約者がいる事ぐらい当たり前。娘は政治の道具。家同士の結びつきを作る為に存在している物。
そこに、ルイズの意志など、ほとんど存在していない可能性だって存在しています。
「呪符の方は、一度だけ魔法を反射出来る魔法が籠められている。使い方は簡単。自らの身体に貼るだけで術が発動するように出来ている。但し、反射出来るのは一度だけ。使いドコロを間違えたら、何の役にも立たない呪符と言う事に成る」
多分、普通の相手なら、あの肉体強化を駆使したら負けないと思います。敵が高レベルの魔法使いの場合でも、彼にドワーフの能力を付与されていると仮定すると、人間に比べると高い魔法防御が有るでしょう。
しかし、それでも尚、魔法を操る敵は脅威です。
但し、この呪符で反射出来る魔法はたった一度。もし、探知魔法のような無害の魔法を掛けられたとしても自動的に反射して仕舞う為に、使いドコロを誤ると無意味に浪費して仕舞う事にも成りかねない魔法でも有ります。
強力な故に、使いドコロの難しい魔法が籠められた呪符と言う事ですか。
「ターコイズの方は……お守りや。間違っても、ルイズにプレゼントする為にオマエさんに渡す訳やないで」
尚、ここまで言っても判らないのなら仕方がないのですが……。
このターコイズは俺の気を通して、龍の属性を付与して有る龍の護符と言う代物。
本来なら、サファイアの方が属性を付与し易いのですが、まぁ、一度や二度でダメになってしまうと言う代物でも有りません。それなりに実戦に使用出来る物です。
まして、ターコイズは戦士の守護石。宝石自体が持っている意味からも、才人を護る護符としては相応しいでしょう。
「後はオマエさん次第やで、才人」
そもそも、こんなトコロに才人が居る事の方がおかしいと俺は思いますから。まして、才人自身がそれに気付いていない事も。
才人に取っての約束と言うのは、そんなにも軽い物だったのでしょうか。
それに、才人に罪はないのですが、彼の発言に因って俺の後ろから感じる彼女の雰囲気が、少し彼女に相応しくない気を発しています。
俺の事など気にする必要はないのに。
そこまで才人に告げてから、振り向いて部屋から出て行こうとする俺。その時にタバサと少し目が合うが、彼女の表情は普段の通りであった。
そう。表情に関しては、普段通りの透明で、感情を表す事のない表情を、その精緻と表現すべき容貌に浮かべているだけでした。
「なぁ、忍」
しかし、背後から俺を呼び止める才人。
そして、俺が振り返るのを待たずに、才人は言葉を続けた。
彼に取っては、俺とタバサの関係が、そう見えているのだろうと言う言葉を。
「オマエは、タバサと判り合えているようで、羨ましいよ」
……やれやれ。確かに、俺とタバサの間の雰囲気を外から、他人から見たらそう見えますか。
しかし、そんな事が有り得る訳がないでしょう。
ルイズと才人が出会ってから一カ月も経っていないのなら、それは俺とタバサの間にも同じだけの時間しか流れていない、と言う事なのですから。
「才人。俺達に取って、世界の人口の半分を占める生物は、永遠に謎の存在や。
彼女らがどう考えて、どう思っているかなんて、完全に理解する事など出来る訳はない」
俺が上手く立ち回っているように見えたとしたら、それは、才人くん。貴方の普段の行いに問題が有り過ぎるからでしょうが。
キュルケとルイズの間をふらふらとして居たら、ルイズだって、少々、怒りもすると思いますよ。
最近では其処に、メイドのシエスタも加わって居るらしいのですが……。
おっと、これは今のトコロあまり関係がない事ですか。
自分が、同じような事をされたら腹が立たない訳がない。そんな簡単な事に何故気が付かないのです?
それに、そもそも、その彼女が怒ると言う行為自体が、アンタの事を気に掛けている、と言う事の裏返しだと思いますし。
「まぁ、隣の芝生は青く見える、と言う事。気楽なように見えて、俺は俺なりに心配している事や、気にしている事が色々と有るからな」
☆★☆★☆
開け放したままに成っていた扉の外には、石を磨き上げた壁にもたれた形でピンクの髪の毛をした少女が、自らの首から下げている銀の十字架に右手の指で少し触れながら、所在無げな雰囲気を漂わせてただ佇んでいるだけでした。
……彼女に聞かれてマズイ台詞は、才人が自らの生まれ育った世界に帰りたがっている、と言う部分だけですか。
やせ我慢で良いから、そんな言葉を、自らを呼び寄せて仕舞った女の子の前では言ってはいけない。彼女らだって、それがこの世界の決まりだからと言う理由で行った行為を悔いていない訳はない。
まして、漢が一度口から出して交わした約束と言うのは、結構、重い物だと思うのですけどね、俺は。
俺は、少し目線だけでルイズに挨拶をして、そのまま才人の部屋を出る。
その石造りの廊下には、先に部屋を出ていたタバサが俺の事を待っていました。ただ、これはそう珍しい事でもないのですが。
そして、俺と入れ替わるようにルイズが、才人の部屋に入って行く。
ルイズの方から、俺に対しては何も声を掛ける事はなく。
……やれやれ。御主人様にそこまで心配させて、何が判り合えていないですか。単に、月の明かりが、自分一人しか居ないこの部屋に差し込んで来る様を見つめている内に、その少し寂寞とした雰囲気の中から望郷の念を感じただけでしょうが。
もっとも、この世界にやって来てからずっと傍らに居た少女に婚約者が居て、その少女と自らの間に割り込みを掛けて来た、と言う、少しセンチになる要因も存在はしていましたけどね。
ルイズが入って行った事に因って才人の部屋の扉は閉められた。これで、この部屋は、使い魔とその主人。そして、月光のみが支配する世界となったと言う事。
それはもう、俺は関知しない別世界となったと言う事。
「貴方を召喚したのは間違いだった」
少し昏い廊下用の明かりが灯る中、俺の主人のやや抑揚に欠けた独特の口調、そして、彼女により相応しい声で紡がれる言葉が流れ出した。
かなり否定的な気を纏って。
同時に別の想いを内包して。
「相手を選べるような召喚では無かったんやから、気にする必要はない」
普段は真っ直ぐに俺を見つめる彼女の瞳が、今はやや俺をそらして虚空を見つめる。
もしかすると、その視線の先に、彼女の現在の心が有るのかも知れない。
彼女は何も答えない。いや、答えようとはしない。
「人の出会いに偶然は無い。あの召喚で俺が召喚出来たのなら、それは俺とタバサの間に某かの縁が有ったと言う事。
逆に、縁がないのなら、どんなに願ったとしても、どんなに恋い焦がれたとしても出会う事などない」
幾千の言葉を紡いでも、幾万の言葉を投げかけても、彼女の中のシコリ……罪悪感を拭い去る事は出来ないかも知れない。
でも……。
それでも、『初めに言葉ありき』。言葉は全ての源。
俺のくちびるから発せられ、空しく虚空に消えようとも、彼女の表面を滑り落ちようとも。
今の俺には言葉を紡いで行くしか他に方法が無い。
「それに、最初の運命が気に入らないのなら、それに『否』と唱えたら良い。
俺を召喚して仕舞った過去は変えられない。でも、未来は変えられる。
その未来が、くそったれな未来なら、大きく『否』と唱えてやったら良い」
そう。未来は変えられる。俺はそう思っています。
時間は常に前に向いて進むのみ。ならば過去は変えられないのは必定。
しかし、故に、未来は変えられるはずです。
その言葉を聞いたタバサから、少し、それまでと違う微妙な気が発せられる。
そして、
「未来は変えられる」
それは、本当に小さな囁き。それでも、強い言葉。
頑なに成り掛けていた彼女の心を、この言葉の何処に解きほぐす力が有ったのか定かでは有りませんが、少なくとも、彼女から感じる雰囲気は、それまでの陰の気に包まれつつ有った雰囲気とは少し違う物に変わっていたのは間違いない。
それに、召喚しなければ良かったなんて、哀しい事は言って欲しくはないですから。
少なくとも、彼女の口からは……。
「そうしたら、下に降りて、晩飯にするか」
もう大丈夫。そう思わせる雰囲気をタバサは発していますから。
しかし、タバサはその俺の言葉に首肯く事は無かった。
代わりに……。
刹那、俺の後方……確か、突き当りで壁しかないはずの方向からタバサを狙って放たれた何かを、右腕を犠牲にする事で一瞬の時間的余裕を得る事に成功する。
そう。俺自身には、風呂から上がった後にも、当然のように物理反射を施して有りました。故に、その攻撃自体は無効化したはずなのですが……。それでも尚、その物体に纏わり付いていた毒までを無効化する事は出来なかったのだと思います。
但し、その貴重な一瞬の時間的余裕を使用して如意宝珠を起動。キュルケを護った際に展開させた壁盾を叩く何者かの攻撃。
振り返った俺の瞳に映ったそれを、一体、何に例えたら良かったのであろうか。
実体化した肉塊。痩せた犬。ぬらぬらと光る青い膿に覆われた何か。有る狂った詩人には、宇宙の邪悪さが全部あの痩せて餓えた身体に集約されている、と表現されて居ましたか。
古に記されし彼らに関する記述を辿るのなら、彼らは人間、及び、他の生物の中に有る何かを追い求めていると言います。
そして、彼らは時間と角に関係していたため、部屋の隅などの鋭い角度のあるトコロから実体化して出て来る事が出来ると言われています。
そう、例えば、この廊下の突き当たりに有る角とか……。
刹那。タバサより放たれし雷光が、その忌まわしき肉塊を討つ!
そして、次の瞬間にそれまで聞いた事のない叫びが、耳ではなく、身体の何処かを貫く。
そう、それは、彼方より……まるで、暗黒の大渦の中心で吠え立てる、禍々しい犬の如き叫びが聞こえて来るかのようなそれで有ったのだ。
その瞬間、階下、そして、この建物、そして、それ以外の場所でも同じような叫びと、戦いの気配が発生する!
「何が起きて、うわ!」
突如、開く才人達の部屋の扉に向け、廊下の角より顕われしティンダロスの猟犬が放った舌による一撃が突き立ち、そこから顔を出そうとした才人の顔に、危うく、新たな穴を作り上げようとした。
「一体、何が起きているのよ!」
才人の後ろから、俺の壁盾の護りし空間に飛び込み、そして瞬時に体勢を立て直したルイズがそう俺に聞いて来る。尚、ルイズのその身のこなしが、どう考えても能力を発動させていない普段の才人以上の動きだった事は敢えて気にしないで置く。
……って言うか、そんな事、俺の方が聞きたいですよ。
「判らへん。ただ、何か異常事態がこの街全体に起きつつ有ると言う事だけは判る」
短く紡がれる口訣。そして、結ばれる導印。
集められしは水の精霊。
今度は、冷気の矢が、新たに顕われ出でた三体のティンダロスの猟犬たちを襲う!
「この場は俺とタバサだけで大丈夫やから、才人とルイズはさっさと下の階に行け。
おそらく、外もタバサと俺が雇った傭兵たちが護っていてくれるはずやから、港までの道は未だ確保されていると思う」
再び、時間の彼方の深淵より響く猛犬たちの叫びが、俺の何処かを貫いた。
しかし、一体は確実に凍らせたタバサの仙術であったのですが、その身体を包む分厚い青い膿によって阻まれ冷気の効率が悪いのか、残りの二体に関しては未だ健在であった。
「……って、忍。お前、右手が使い物にならないんじゃないのか?」
最初の奇襲を右腕のみを犠牲にして防いだ俺だったのですが、ヤツらの毒に冒された俺の右腕は既に変色し、とてもではないが生者のそれとは言えない代物と変わっている。
そして、それは、少しずつ領域を広げ、赤とも黒ともつかないその死を示す色が、現在では指の先から、肘の近くにまで浸食を完了していた。
「俺は矯正された右利き。左手だけでも有る程度剣は扱えるから問題はない。
それに……」
実は、左手は普通の右利きの人よりは器用なのですが、右手と同じレベルで扱える訳では有りません。ですが、この際、そんな事は無視。
そして、俺はルイズの方を見つめ、
「ルイズの役割はここで、俺達と共に戦って勝利する事やない」
……と告げる。
刹那、放たれる槍を思わせる死の刺突。
瞬間、予想される攻撃点を完全に覆い尽くす壁盾。
そして、手首の動きのみで少し角度を変えた壁盾を叩く打撃音と、左手に伝わる重い衝撃。
実際、今は階段の方は安全圏と成っていますが、何時、ヤツらが階段の方に回り込まないとも限りません。
何もない空間に、異なる世界、異なる時間軸から角を使って顕現出来る存在が、同じような方法で背後に回り込めない訳はないでしょう。
「サイト。行くわよ!」
瞬時に判断したルイズが才人の右手を取り、階段の方向に走り出す。
「お、おい、このままっ?」
未だ、決断の出来ない才人と、決断したルイズの行動に微妙なズレが生じたその刹那。
それまで無意味に壁盾を叩くのみで有ったティンダロスの猟犬たちの舌が、あらぬ動きを行い、そんなズレの生じた二人に襲い掛かる!
そう。それは、いままでの直線のみの攻撃から、鋭い角度を伴った攻撃への変換。壁盾と天井。そして、宿屋の大理石製の壁の間を縫うように接近した必殺の攻撃が、今まさに才人の頭部を貫通しようとしたその時。
紡がれるは古の知識。結ばれるは繊手の閃き。
そのタバサの口訣の意味と覚悟に、低い体勢で壁盾の後ろに全身を隠していた自らの身体を晒し、彼女を覆い隠すようにする。
タバサにより、自らを巻き込む事を厭わぬように放たれた雷公の腕が、今まさに才人の頭部への直撃ルートを辿ろうとしていた猟犬の舌を黒焦げに変える。
周囲に降り注ぐ雷の嵐を自らの身体を盾にすることで全て防ぐ俺。
俺の本性は龍。その俺に対して、雷の気は一切害を与える事はない。そして、それはタバサも当然知っています。
ルイズは後ろを振り返る事などなく、そして、才人の方はタバサの放った雷に貫かれる俺の姿を見とがめながら、その後、何事も無かったかのように自らの方に少し笑い掛ける俺の顔を見た事によって、ようやく覚悟を完了。
左手に携えし自らの武器を鞘から抜き放つ才人。
銀の刀身に煌めく使い魔のルーン。
発動されし伝説の使い魔の能力は、それまで引かれるだけで有った主客を一変し、そのまま自らの主を抱え上げ、そして、次の瞬間には、わずかな余韻のみを残して階下へとその姿を消していた。
その判断が正しい。そして、こんな異形のヤツラの相手が出来るのは、それなりの知識を持っている人間でなかったら無理。
「タバサ。戦闘時の使用は初となるけど、雷公召喚法を、俺とオマエさんの意識を直結した状態で発動させて、アイツらを一掃する。
理由は判るな」
瞬時に判断して、タバサに対してそう告げる俺。
意識の直結。完全な同期状態にして、ふたりの雷撃を召喚しようと言う提案。
これは、おそらく、この世界に於けるヘキサゴン・スペルとか言う魔法と似たような種類の仙術と成ります。
但し、当然のように問題も有ります。
上手くシンクロ出来なければ、単なる魔法の同時攻撃となるだけ。
もうひとつは、意識を完全に明け渡す場合、双方の自我の境界が曖昧となり、どちらかに、後遺症のような物を残す可能性も有ります。
軽い物だと以心伝心。簡単にこちらの思っている事が伝わるようになるぐらいで終わりますが、酷い状態になると、以後、自らの感情を完全に破壊され、そのシンクロした相手の操り人形状態になる可能性も出て来ます。
この場合は、シンクロ状態と言うよりも、憑依状態と言うべき状態なのですが。
俺の問いにひとつ首肯くタバサ。そして、
「今の貴方は口訣を唱える事は出来ても、導引を結ぶ事は出来ない。
そして、あの魔物の身体を護って居る青い粘液の層が強化されている今、半端な攻撃では彼らに致命的な被害を与える事は出来ない」
元々、雷を扱う能力なら、森の乙女よりも、伝承上の能力で言うと俺……つまり龍の方が格は上。
しかし、戦闘開始時の攻撃で右手を使用不能とされた為に、俺では導引を結ぶ事が出来ずに、現状では威力がやや落ちる雷しか召喚出来はしない。
更に、その毒の浸食によって、早い内にケリを着けなければ、俺達の方がじり貧と成って行くのは間違いない。
物語上で言うなら、ティンダロスの猟犬とは不死の存在。もっとも、本当に死なないと言うよりは、体力が自然と回復して行くと言う意味の不死だとは思うのですが。
その理由は、先ほどタバサに舌を黒焦げにされた猟犬の舌が、少しずつでは有りますが、元に戻って行くように感じられます。
そして、それとほぼ同じ速度で、俺の右腕の黒の領域が広がっています。既に肘を越え、二の腕に近付きつつ有るのは間違い有りません。
遠距離からの攻撃が無駄だと悟った猟犬たちがゆっくりとこちらに近付いて来る。
その距離、約五メートル。
「タバサ。そうしたら、俺の霊力の制御を頼むぞ!」
ふたりの間に繋がる霊道を通じて、自らの思考を明け渡す俺。経験で言うなら、師匠との間でならば実戦でも行った事が有る術。タバサとは練習のみで実戦での使用は当然、初めて。師匠と俺は同じ龍種同士。しかし、人間であるタバサと龍種で有る俺との霊気の質の違いに多少の違和感を覚える。
俺……いや、タバサが導引を結ぶ。
近付きつつ有る猟犬の内の一頭が嗤ったように感じる。
タバサ(俺)が動かないはずの右手を持ち上げた。
囁くように(強く)、抑揚に乏しく(独特の韻を踏むように)、口訣を唱えるタバサ(俺)。
渦巻く霊力をタバサが制御し、暴走寸前で踏み止まる。
自らの体内の霊道を駆け抜ける霊力を、ここまで明確に感じた事など今まではない。
その霊力を制御し、螺旋の行く先を天頂に抜け過ぎる事なく、目標に固定。
脊柱から琵琶骨を過ぎ、腕の神経と骨の間を何か巨大な物が通り抜けたような気がする。
そして……。
光が……爆ぜたのだった。
後書き
この『蒼き夢の果てに』の蒼い月の方は、幻の月設定です。現実に、そこに存在している訳ではなく、何処か別の次元の何かを映している。……と言う、よりファンタジー世界っぽい設定として有ります。
……ただ、この辺りは、本文中で触る事はないと思いますが。
この部分は、偽りの月ネメシスや、第二の月スサノオなどと呼ばれる物と同じような物なので、黙示録系の物語では結構登場している設定を使用しています。
尚、二つの月を見上げて驚くシーンは……。
それでは次。重要な原作崩壊について。
このアルビオン編の最後の部分により、原作小説の完全崩壊が起こります。おそらく、読み手の方によっては、アンチやヘイトだと捉える方も居られるでしょう。
もし、アンチやヘイトだと思うのならば、その旨を感想で述べて下さい。タグに付け足す用意は有ります。
当然、そう言う方向に進む理由は明記します。それに、最初から断って有るように、この物語は、御都合主義的な部分は極力排するようにして進んで来ています。まして、タグには原作崩壊と平行世界と言う、ゼロ魔原作の世界とは別の世界での出来事だと記して有ります。
それに、直ぐに、主人公に対してとあるクエストが出される事になるのですが……。
まして、タグに存在している『輪廻転生』に関わる部分は、表向きには見えていないと思いますから。
それでは、次回タイトルは『ラグナロク?』です。
追記。
この物語内は、主人公が語るように、未来は変えられます。いや。既に変えられた世界と、揺り戻そうとする世界の狭間の世界ですか。
この世界に於ける唯一絶対神はブリミル神ではなく、大いなる意志と言う存在です。そして、彼の存在は、世界に対しては介入を……。行って来てはいますが、未来を確定させるような介入ではなく、選択肢を与えている状態です。
神はサイコロを振る事はなく、人にそのサイコロを委ねているのです。
まして、それは……。おっと、これ以上は、ネタバレが過ぎますか。
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